「カウントダウン」片理誠

(PDFバージョン:countdown_hennrimakoto
「ぃよぅ、おはよう!」
「あ、おはようございます、先輩」
 朝、会社に行く途中でT先輩と会った。先輩は基本的にいつも明るい人なのだが、今朝はいつにも増して上機嫌で、それが僕にはちょっと不思議に思えた。
 と言うのも、昨日行われた会社の健康診断で先輩は散々な数値が出てしまい、問診の先生にこっぴどく叱られていたからだ。元々一目でそれと分かるメタボ体型な人だったのだが、ここ数年で更にその貫禄は増しており、とうとう医師の逆鱗に触れるまでになってしまったらしい。
 今までは「俺は“メタボ”なんじゃない、“めかたがボーン”なだけだ」などと冗談を言っては、健康診断の結果などどこ吹く風と笑い飛ばしていたのだが、さすがに昨日はこたえたらしく、帰宅してゆくその後ろ姿は気の毒なくらいにしょげかえっていた。
 それがたったの一晩でこのハイテンション。何かあったのだろうか?
「ん? おいおい、そういつまでも落ち込んでられるか。それにな、今の俺には新兵器があるんだ」
「新兵器?」
「体重計だよ、体重計。昨日、帰宅する途中でさっそく買ったんだ。俺もそろそろ人並みに体重でも気にしてみるかと思ってな。おっと、ただの体重計じゃないんだぜ、最新式の、デジタル体重計だ」
 なぁんだ、それでか、と僕は納得。笑う。
 T先輩は無類の新しもの好きで、最先端の家電などを買っては周囲に自慢して回るのが大好きなのだ。その姿は実に楽しそう。新機能の家電をゲットすれば、人間の機能も拡張される、というのが彼の信条で、日々バージョンアップされてゆく自分自身が面白くてたまらないらしい。本当にちゃんと使いこなせているのかどうか、僕としては半信半疑なのだけれど。どうも先輩の話は、時々怪しいのだ。そもそも彼の自慢話の中にはダイエット・マシンに関するものも幾つか含まれていたはずなのだが……。
 まぁ、熱しやすく冷めやすい、というか、一つのことにムキになると周りがまったく見えなくなってしまう単純な人なので、それもしかたがないのかもしれない。
 とにかく、当の先輩は今朝も絶好調だった。
「最近の体重計は凄いぜぇ。乗っかるだけで何でも分かる。もう体脂肪率だけじゃなんだ。水分量とか、筋肉の量とか。体の隅から隅まで全部覗かれているって感じさ」
「へぇ。それは確かに凄いですね」
「俺が買った奴なんかな、余命まで表示されるんだぞ」
 へ、と僕。
「……し、死神みたいな体重計ですね。僕は自分の余命なんか知りたいとは思いませんけど」
 先輩はガハハ、と笑った。
「馬鹿だな。シャレだよ、シャレ! 本気で受け取る奴があるか。ほら、TVのバラエティ番組なんかでよくあるだろう、芸能人の健康検査をして、あなたの寿命はあとこれくらいです、ってやるやつ。あんなノリなんだよ」
「つまり冗談の機能である、と?」
「そうだよ、決まってるだろ。まぁ、何らかの計算式みたいなのはあるんだろうけどな。でも、そんなに正確に出るわけがないよ。俺だって、もし本当にたったのあれっぽっちしか寿命が残っていないって分かったら、さすがにこうして笑っちゃいられないさ」
「……その体重計、本当に正確なんですか? 間違ってジョークグッズ買っちゃったんじゃないんですか?」
 途端に先輩の顔が真っ赤に上気した。
「し、失敬なことを言うな! この俺の目に狂いはない。ちゃんとした体重計さ」
「どうですかねぇ」
「フン! あ、おーい、なぁ、聞いてくれよ、俺さ、昨日、体重計を……」
 T先輩は別の後輩を見つけると、そっちへ行ってしまった。同じ話を繰り返している。
 やれやれ、と僕は肩をすくめた。

 翌朝、先輩は更にご機嫌だった。わざわざ遠くから僕のところまで駆けてきたくらいだ。
「え? あ、おはようございます」
「いやぁ、凄いぞ、昨日話した体重計! 買って良かったよ。いい加減な商品じゃないことが分かって、ホッとしているところだ。目利きとしての面目躍如、ってところかな」
 軽く息を切らしながらも満足げに空を見上げている。その目は喜びに満ちあふれていた。
「あ、もしかして、さっそくダイエットの効果が? それはおめでとうございます」
 微笑みながら軽くお辞儀をすると先輩は真顔になって慌てて手を振った。
「違う、違う! そんなんじゃない」
「え? 違うんですか?」
「たった一日で痩せるわけないだろ。ていうか、昨日も帰りに飲み屋に寄ってベロンベロンになっちゃったしな」
「駄目じゃないですか」
「ま、そういうなって。ダイエットは一日にして成らず、だ。これからだよ、これから。そんなことよりも凄いんだぜ、あの体重計。正確なんてもんじゃない。今朝、試しに体重計に乗ってみたらな」
「飲んだ分だけきっちり増えてた、とかですか?」と僕は疑わしげに目を細める。
 違う違う、とT先輩は愉快そうに笑った。
「ちゃんと余命が一日分、減ってたんだ!」

片理誠プロフィール


片理誠既刊
『Type:STEELY タイプ・スティーリィ (上)』
『Type:STEELY タイプ・スティーリィ (下)』