
上田早夕里「播磨国妖綺譚」で描かれた女性像 「二人静」 書評 大野典宏
上田早夕里著
文藝春秋
日本の古典芸能における女性像は限りなくステロタイプ化されている。
嫉妬深い、弱々しい、色恋に弱いなどなど。井原西鶴「好色五人女」などは禁断の恋によって悲劇の運命を迎える女性が四人登場する(一人は珍しく良い結末である)。西洋でもシェイクスピア「マクベス」では、主人公が魔女の予言と妻の陰謀によって起こる悲劇が描かれている。
この二作は17世紀に書かれたものだが、さらに古くから、さまざまな逸話が残されている。
●芸能と安珍清姫伝説
たとえば、「安珍清姫伝説」はあまりにも有名で、能楽、長唄、文楽、歌舞伎などさまざまな形式で、さまざまな解釈で演じられている。
能の「道成寺」では、基本的に筋こそ変わっていないが、巨大な釣り鐘が落ちてくる中に飛んで入るという、命がけの演出で有名である。かなりの大演し物になっている。
文楽においては「日高川入相花王」と題名が変わり、しかも人形が一瞬に鬼女に変わる「ガブ」と呼ばれるしかけがあまりにも有名である。
●星野之宣の「日高川」
安珍清姫を題材とした和製ファンタジーとして、星野之宣作「妖女伝説」に収録された「日高川」という短編が凄まじい。舞台は現代に置き換えられ、人形遣いと師匠の娘に置き換えられているが、師匠は二人の恋仲を切り裂き、悔しさで心を乱した娘の姿を見せることで清姫の心情を見せようとする。その結果、人形遣いは完璧な清姫を演じて見せるのだが、その清姫が本当に魅入ったのは……。
この先はネタバレになるので書かない。
●能楽の「二人静」
もう一つの話として静御前を題材にした能楽の「二人静」として有名な謡曲である。能は話の形式が固定されていて、この世に未練を残した死者の霊が現れ、そして僧の力によって回向されるのである。「二人静」も例外ではなく、無念の元に死を迎えた静が菜摘の女に取り憑き、結果として回向されるのだが、静御前の霊と菜摘の女が二人にで同じ舞を披露するのである。
違う演者が全く乱れず同じ舞を行うのは、視界が制限された面を付けて舞う能楽では極端に難しいとされている。一部の流派では、あまりにも難しいので、演出が変えられ、一人で舞うように改変された台本もある。
ここで見られる静御前は、何を心に残して死んだのだろう?という疑問が湧く。
伝承によると生前に源義経の子を宿していたのだが、義経の血を断とうとした源頼朝によって「男の子であれば殺す、女の子であれば生かす」と言われたものの、男の子を産んでしまったため赤ん坊は殺されてしまう。その時、静御前は大いに泣き叫んだという。
愛した夫の子を取り上げられて殺されてしまう。政治的な対立の中にあって、それに翻弄された結果なのだが、静はそれが浄土に行けない理由になっていたのだ。母としての役目を果たせなかったから……。
しかし、本当に女性は昔から色恋に狂い、母になることを人生の目的にするだけの存在だったのだろうか?
●そして上田早夕里の「二人静」
それに疑問を呈したのが、上田早夕里「播磨国妖綺譚」に収録されている一編「二人静」である。
とある猿楽師(能楽師)が静の解釈を変えたことで評価を得ていたのだが、後継者を残せなかった無念さが霊として残り、そして本質を伝えて回向されるのである。元の「二人静」の解釈は変えているが、結局のところ静御前が二人で舞を披露する話の構造はまったく変わっていない。
星野之宣作「日高川」と上田早夕里作「二人静」とも話の構造は本質的に変えていない。
しかし、女性の心情や行動をそっくりと変えてしまった上田早夕里作「二人静」の力量は半端なものではない。
どちらも良作すぎて比較するのは無礼極まりないのだが、こういう作り変えの方法もあると示した上田早夕里の「二人静」は近来のなかで最も驚愕させられた短編であることには違いない。
■言及図書
井原西鶴「好色五人女」、岩波書店
シェイスクピア「マクベス」、木下順二訳、岩波書店
星野之宣「妖女伝説」、創美社
上田早夕里「播磨国妖綺譚」、文藝春秋 (初出:シミルボン「大野典宏」ページ2020年3月21日号)
