「私という死者の記憶」(上)伊野隆之

 完全な闇。どこまでも深い闇があった。
 私はその深い闇の底にいて、僅(わず)かたりとも身動きできずにいる。指先も、つま先も動かせず、ただ金縛りに遭ったように横たわっている。
 何かが肌の上を這い回っているのを感じていた。両足から始まり、ゆっくりと無数のそれが這い上ってくる。膝から腰、腹、そして両腕。首筋にから顔にかけて。身動きできない私は、それを振り払うことも出来ない。
 突然、針を刺されるような痛みが走る。足指の一点から始まり、体中に広がる。末梢神経が全身の痛みを脳髄に送り、血流に乗ってアドレナリンが流れる。
 激しく高鳴る心臓の鼓動に合わせてこめかみが脈打つ。鼻の中、まぶたの内側に入り込む。耳の中で聞こえるガサガサという音に重なって、ザァザァとあえぐような血流が聞こえる。
 有害な感覚は、全て遮断されるはずだった。痛みは有害であるが故に、私が痛みを感じるはずはない。つまり、これは現実ではなく、夢のようなもの。だとすれば、作り出しているのは私自身だ。私が作り出したフィクションが、私自身を苛んでいる。
 一刻も早くお終いにしたかった。けれど、苦痛は絶え間なく続く。全身の肉を喰われ、頭蓋骨の中を食い尽くされるまで。
 なぜそんな目に遭うのか。私はよく知っている。これは私という死者の記憶であり、記憶から外挿されたシミュレーションの結果でもある。
 私は、記憶という拷問から浮上する。

  DAY 0

 ふと、闇の先に、滲(にじ)むような小さな光が見える。
 その光に向かって近づいていく感覚には馴染みがある。長い旅の終わりだ。
 四・二光年の距離。二十年近い時間。
 超光速を実現するジャンプゲートが作る高速ネットワークから外れた星系を訪れるには、それだけの時間が掛かる。
 光に向かって浮上していく。浮上していった先の水面を突き破り、光の中に飛び出したような気がするのは、単なる錯覚で、私の身体は大きく前面が開かれた低代謝ポッドの中に固定されている。
「覚醒プロセスは、正常に終了しました」
 船載AIの音声が聞こえる。目の前でちらつく光は、脳を刺激し、覚醒状態へと導くためのものだ。
「身体が……、動かないぞ」
 しゃがれた声。自分の声だとは、とても思えない。
「全てのパラメーターは正常値の範囲内です。まず、両手の指先から動かしてみてください」
 調査船の船名はナイトクロウラーⅢ、船載AIはリトルマギー。そんなやくたいもない記憶が蘇る。
「……ダメだ」
 全身の神経が通っていないような感じがしていた。
「それは、あなたに動く気が無いからです」
 叱責するようなリトルマギーの言葉に、大きく息を吐いた。口から漏れてくるのは、肺の中にあった冷え切った空気だ。
 目を閉じ、もう一度大きく息を吸って、それから吐く。二度、三度と繰り返し、それから何とか両手の指先が動いた。
「さっさと起こしてくれ」
 モーター音と共に背中が押され、シートの背が立つ。両腕を前に伸ばし、一つ一つの関節を意識しながら握りこぶしを作る。自分の身体に帰ってきたという感覚がある。また、任務が始まる。
「周回軌道への遷移まで、あまり時間がありません」
 低代謝ポッドから押し出された私の身体は、そのまま船首方向のコックピットに押し込まれた。単身でのミッションのために作られた調査船は、わざわざ自分で動かなければならないようには出来ていない。
「予定通りだな」
 調査船の中で時間つぶしをする自由は、私にはなかった。連絡が途絶えた入植地を調査し、再入植の可否を検討するための材料を提供する。それが私に与えられたミッションであり、刑罰だった。私は調査船に組み込まれた生きた部品であり、自由意志の発露は制限されている。
「予定では、高度一万キロメートルの周回軌道で探査衛星を射出し、地表の状況を調査します。降下地点を特定した後、降下モジュールを投入し、地表の状況を確認することになります。よろしいですか?」
 よろしいも何もなかった。標準的な調査プロトコル以外の何物でもなかったし、反対意見が通る可能性は万に一つもない。
「ああ、それでいい」
 多分、熱病のようなものだったのだと思う。ある種の植物の鞘が破裂し、無数の種をばらまくように、広大な宇宙空間へのアクセスを手に入れた人類は、いくつもの小規模な集団に別れ、独自の植民星の確保を目指すようになった。小さな差異から生まれたいくつもの小集団が、それぞれに植民船を建造し、ハビタブルゾーンに水と酸素を含む大気の存在が確認された惑星があるというだけで、その星系に向かった。
 もちろん、成功した入植地もある。今の星間評議会を構成する自治惑星の多くは、そんなプロセスを経て成立していた。その一方で、多くの入植地には人類の定着を拒むような問題があり、存続できなかった方が多い。深夜を過ぎた街の明かりが消えていくように、限られた数の入植地を残して、多くの植民星が連絡を絶った。
 多くの失敗が明らかになるにつれ、熱病は冷めた。その後には長い停滞があり、今はその停滞からの回復が、おずおずと始まっているところだ。
「軌道変更、カウントダウンです」
 操縦席という名の場所に座っていても、やるべき事は何一つ無い。全てはリトルマギー任せだった。
「了解」
 仮想コンソールにカウントダウンの数字が現れる。ハーネスの状態を念のために確認する。問題があればリトルマギーが黙っていないから、いちいち確認する必要もないのだが。
 星系に進入する際の双曲線軌道から、目的地の惑星に近接する長大な楕円軌道に変更する時ほどの加速度ではない。最大でも2G程度で、苦痛を感じるようなものではなく、ただ軌道遷移が終わるまでの間、シートに収まって待っていれば良かった。

  DAY 1

 軌道から見る惑星は、以前に画像を見たことがある人類の故郷、地球の姿に似ている。
 ハビタブルゾーンにある星系の第四惑星は、地表のおよそ八割が海に覆われていた。主要な大陸は二つあり、内陸部には砂漠と巨大な山塊があった。低緯度地帯にはいくつもの島々から構成される島弧があり、大陸の縁を飾っていた。両極には広大な氷冠があり、まず、高緯度地方への入植は考えられそうにない。調査船は赤道付近から中緯度地方までをカバーする傾斜軌道を巡りながら、地表をスキャンする。
 気象を含めて入植にふさわしい条件を満たす地域は限られる。入植地の特定はさほど困難ではないだろう。記録されていた植民船も大きなものではなく、搭乗していた入植者の数は五万人を切っているから、地表にいくつもの町を築いたとは思えない。町が一つに、近接する食糧生産基地。鉱物資源へのアクセスは、入植地の規模が大きくならない限り、必要としないだろう。崩壊した入植地の痕跡は、惑星の地表にしっかりと刻まれているはずだった。
「入植地の痕跡らしい場所を発見しました」
 軌道上からの一通りの調査を終え、リトルマギーから報告があるまで、二十時間も経過していなかった。
「随分、早いな」
 そんな感想を漏らす。
「走査対象地域は全てカバー済みです。間違いないでしょう」
 軌道からの画像が表示される。大陸の沿岸にある島弧。その中の最大の島に、ズームインする。緑の濃い森が広がっているが、その中に、比較的明るい緑に見える領域があり、建造物らしい白い物が転々と見えていた。
 さらに拡大する。
「建物自体に破壊の痕跡はなさそうに見えるが……。立体像は表示できるか?」
 ちょっとした違和感があった。微妙な角度のずれがある。建物が並んでいないだけではなく、道が歪んでいるし、建物もまっすぐに立っていないようにも見える。
「細部は不正確なので、省略して表示します」
 いくつもの四角いブロックが表示されるが、一つ一つがバラバラな方向に傾いていた。
「地震か?」
 大陸に沿って島弧が発達しているのは、マントル対流がある証拠だった。マントル対流があれば地殻に歪みが生じ、地震を引き起こす。そんな場所を入植地に選んだのは、判断ミスだろう。ただ、建物自体が残っている以上、地震によって入植地が崩壊したとも考え辛い。
「可能性はありますが、地震かどうかは情報が不足しており断定出来ません。ただ、周囲に地盤沈下があるようです」
 リトルマギーが言った。
「地盤沈下?」
 つい、聞き返す。
「そうです。地盤沈下です。高度差を強調して表示します」
 僅かにズームアウトし、メッシュ表示に切り替わると、建物群の周囲の地形がよりはっきりと見えてきた。入植地を中心に、直径五キロほどの円形の領域が、大きな窪地を形成している。
「地盤の沈下で出来た窪地の中に町を作った可能性は?」
 周囲に崖ができるくらいの陥没なら、その中に町を作ることで外敵から身を守るという意味もあるだろう。けれど、この惑星に、外敵になるような生物がいるのだろうか。
「それも否定できませんが、建物の傾きの説明がつきません。町が出来てから地盤の沈下があったとすれば、建物の傾きの説明がつきます」
 確かに、リトルマギーの言う通りなのだ。だからと言って、地盤沈下程度で入植地が崩壊するとも思えなかった。実際、傾いているとは言え、建物の多くは原形を保っている。
「それで、その窪地はどれくらいの深さか判るか?」
 縦方向に誇張された立体像では、縮尺がよくわからない。
「中心部の深さは、最大で五メートルほどです」
「とにかく、調べないわけにはいかないな」
 地盤沈下が入植地崩壊の直接の原因だとは思えない。それに、地盤沈下だけなら、住人達はどこかに避難したはずだ。

  DAY 2

 軌道からの観測は続いていたが、新しい情報はなかった。地表に電波源はなく、リトルマギーが見つけた入植地点から逃れた入植者が、別の入植地を築いた形跡もない。夜の側は常に真っ暗だった。特定した入植地の他に生存者がいる可能性は否定できないものの、人類の活動は確認できず、入植は失敗だったと判断するしかない。
「降下モジュールの準備が出来ています」
 リトルマギーの通告は、早く地表に降りろという督促のようなものだ。地表での調査のために、私はこの調査ミッションに組み込まれた部品だった。
 私は囚人だ。比喩などではなく、文字通りの囚人だ。
 技術の暴走などという陳腐な表現をする必要もない。禁止された技術は、時に制御不能な怪物を生み出す。ジャンプゲートネットワークを通じて広がり、多くの惑星外コロニーを破滅させたナノマシンの群体、人を人でないものに変える感染症、恒久的な平和をもたらすための殺人機械。いちいち事例を挙げるまでもなく、禁じられた技術は、人類を破滅させる可能性を持ったインシデントを何度となく引き起こしていた。
 では、私が何をやったのか。
 私の罪状は、ランダムなノイズから意味を取り出すツールの開発と拡散だ。とち狂った誰かが作ったおかしなカルト宗教の経典の作成に私の作ったツールが使われた。誰も信じるはずのない戯言を多くの人々が信じたことでいくつかの植民星が崩壊し、私は不定期刑の判決を受けた。
 怒れる神の言葉をもたらし、人類社会を混乱させた犯罪者。それが私だ。
 もちろん、カルト宗教による被害を否定するつもりはない。けれど、それは私の罪だったのか?
「降下地点は?」
 私は専属の看守であるリトルマギーに尋ねる。何も無い独房に閉じ込められているより、たった一人で探査船に乗り、長期間の低代謝状態と、僅かな時間の覚醒を繰り返している方がまだましだと思った。その僅かな時間の覚醒が、崩壊した入植地の調査というミッションに当てられ、常に悲惨な状況に直面せざるを得ないものであっても。
「町の近くに平らな岩の露頭があります。そこなら降下地点として問題ないでしょう」
 リトルマギーがマップを示す。入植地から南東方向におよそ五キロ。移動距離が長いと文句を言うほどの距離でもない。ただ、町を取り囲む森が気になった。
「そっちの準備はどうなんだ?」
 私は尋ねた。たった一人とは言っても、調査船のサポートがないわけではない。リトルマギーとリンクし、独自のAIを搭載した知性化ドローンがサポートに付く。その知性化ドローンは、惑星の環境に応じてデザインされ、組み立てられることになっていた。
「収納済みです。入植地を取り囲む森林の踏破が必要になりますので、四脚のウォーカーになります」
 徒歩で森を抜ける必要がないのは朗報だった。
「食糧は準備できているのか?」
 ふと、思いついたことを口にする。惑星に降下したはいいが、食べ物に困るようなことは避けたい。
「もちろん、標準レーションが準備出来ています」
 ローストビーフの味やコーンスープの味、フルーツ味やチョコレート味のレーションがあるものの、食感はどれも似たようなもので、味わうというよりは、水で流し込むような食事だ。栄養の補給には十分だが、空腹を満たす以上のものではなかった。
「代わり映えしないな」
 降下に必要な準備について、何か言おうと思ったが、他に確認すべきことも思いつかない。調査船の中にいるかぎり、全てが型どおりで、目新しいことは何も無い。
「じゃあ、降下の前に飯にしてくれ」
 空腹感はさほどなかったが、地表に降りたら標準レーションばかりになる。調査船の中でプリントされる食事もまともなものとは言いがたいが、落ち着いて食べられるだけでもましだった。
「まだ、その時間ではありません」
 予想通りの反応だった。
「空腹で下に降りたくないんだよ。きっと、他にやることも多いだろうし」
 私の反論が了解されたわけではないだろうが、結局、食事は提供された。リトルマギー相手の小さな勝利は、幸先がいい。
「じゃあ、そろそろ行くか……」
 ろくに香りのない食後のコーヒーを終え、私はリトルマギーにそう告げる。
「では、降下モジュールに収納します」
 シートが後ろに倒れ、私の身体は船尾方向に運ばれる。そこには、地表に降りるための降下モジュールがあり、私の身体は配送される荷物のように、その中に押し込まれる。

「私という死者の記憶(下)」に続く。