
スマホをどこへやったっけ、と部屋中探したけれど見つからない。結局、昨日吐いて汚したスカートを干していると、そのポケットから見つかった。
いや、マジで勘弁してほしい。
洗濯を終えてベッドに倒れる。骨を削られているかのような痛みが頭に響いている。電源の落ちたスマホの画面には、泣き腫らした目で青白い顔の私が映っていた。
SNSで炎上したんだから、記憶を飛ばすくらいのことはしたかった。テキーラを一人で飲みまくり、午前一時くらいまでは覚えている。それ以降は何も覚えていなくて、記憶の代わりにふざけた二日酔いが詰まっていた。
スマホを洗濯してしまった――いつもだったらイラついていただろうけど、今日は気にならない。電源がついていたら、私宛の誹謗中傷が大量に届いていただろうから。
『八股自慢とか育ちが悪いですね。自慢のつもりですか?』
『顔面がいいだけで中身はしっかりクズ』
『付き合うのは無理笑』
きっとこんな感じ。対面していたら言えないような言葉を、平気で他人へぶつけるんだ。言っていいことと悪いことの差も分からないのか、バカどもめ。
アンチの言葉なんて気にしちゃいけない。インフルエンサーの私と比べれば、あまりにも価値のない言葉だから、気にするだけアホってこと。でもエゴサした時に少なからず目にしてしまうので、そこでメンタルはごっそり削られてしまう。
ああもう、面倒くさい。二週間後にはコスメの案件配信だってあるのに。ポシャらなければいいけれど――そこの確認だけはしないといけない。スマホの電源は無事についた。防水加工最高。
メーカーの担当者からメッセージは来ていなかった。それどころか、私を非難するメッセージもない。というより、炎上してから届いたものが消えていた。
ありえない。燃えに燃えたのだ。インプレッション数は千五百万回を超えていたし、多くのネットニュースで取り上げられていたはずだった。膨大なメッセージが殺到して、パンク寸前になっていたはずである。
私は恐る恐るSNSを開いた。とんでもない数の罵倒があるに違いない――だがDMはゼロ、エゴサをしても出てこなかった。感想のポストなどは色々あったけれど、つい最近の炎上に関するポストをしている人がいない。何が起きたのか訳が分からず、火種になった『昔八股をしていた』というポストを遡ろうとした。それも見つからない。
炎上が消えてなくなっていた。その発端、過程、結果、全てが無いのだ。一晩明けて状況が一変――どころの話ではない。タチの悪いドッキリを仕掛けられている気さえする。
何か変わったことはあったっけ。炎上してから今に至るまでを振り返ると、一つだけ変な行動をしていたことに気づいた。
スマホを洗濯したのだ。文字通り、水で流したのかもしれない。鼻で笑ってしまった。それで炎上が消えたら世界中の人は苦労しないのというのに。
何はともあれ、私のしくじりは消滅した。最高。
〇
スマホを洗濯すると色々と消せるらしい。それを確信したのは数週間後のこと。
SNSのアカウント宛にDMが届いていた。URLと短い文章だった。
『この画像の女子とどこか似てますね。他人の空似?』
そのページに載っている写真を目にした瞬間、ぐえっ、と声が出た。そこに十年前の小学生だった私がいたのである。
地元で通っていたダンス教室の発表会の写真だった。十人ほどの女子が映っている中、隅っこの方でつまらなさそうな表情をしている。そして、今と明らかに顔が違った。
その理由はシンプル、整形をしたから。細い眼を二重にして、頬骨もがっつり削っている。メイクもするようになったのでとても同じ人には見えないだろう。
気になるのがこのDMを送ってきたアカウントだ。数日前に作られたばかりで、フォロワーもフォローもゼロ。いわゆる捨てアカなのだ。しかも過去と今の私を結び付けられそうな人――。
現実での知り合いかつ、アンチである可能性が高い。私は即ブロックした。
ささくれのように厄介だった。まさかこんな黒歴史がネットに残っていただなんて。しかも、そのサイトは私が運営しているものではなく、レッスンスクールのブログだった。更新がされなくなって数年が経っている。
こんな写真は残しておいても得をしない。どうにかできないものか――そう思った時に、私はスマホのことを思い出した。
この前は間違えてスマホを洗ったら、炎上そのものがなくなったのだ。でもそれが本当にスマホを洗ったからなのかはわからない。断定するには微妙すぎた。
分からないのなら試してみるに限る。考えてみればこれは洗濯と同じ。シミのついた場所に洗剤をつけるように、消したいページ――まずはダンス教室のブログを表示したまま、洗濯機に入れてみた。スマホだけを洗濯するとごつごつと固い音が聞こえて、壊れないか不安な気持ちになった。
洗濯機が止まってスマホを取り出した。電源がついたので防水機能はまだ生きている。ダンス教室のブログを検索してみると、ブログそのものが消えていた。
こうやって使えばいいのか。私はスマホを洗うコツを見つけられたのである。
それから何度もスマホを洗濯した。とても残念だけれど、私はウェブという空間にいくつもの黒歴史を残してしまっていた。
思春期の頃にネットを与えるのはマジでよくない。ネットを使えば本当に色々な人を見かけることができる。すると、とても多くの『凄い人』たちが情報を発信していて、そこに至るまでを知らないまま、凄い結果だけがポンと目の前に現れる。
それを見て焦ってしまうのは当然のこと。特に学生の頃なんてそう。まだ生きている世界も狭くて自分は何者でもなくて、けれど何かをしたくて何かになりたくて。それに抗おうとする心は決して悪いことじゃない。
だからこそ、世界中で黒歴史は生まれ続ける。ウェブ上に、その時を生きた人たちの産業廃棄物的な歴史が刻まれている。私もそれを量産し続けた一人だった。
ログインIDやパスワードを忘れたお絵描きサイトのアカウント、変に転載されて残った中学校時代のポエム配信、今は連絡がとれなくなった友人のアップしたすっぴんの私が映る写真――まだまだ、こんなものではない。
消せ消せ、水で洗い流してしまえ。黒歴史なんて残す価値はない。
黒歴史の数だけ洗濯を繰り返した。洗濯し終えるとウェブページや画像、ポストなどがキレイに消えて存在しなかったことになる。
洗うたびに引け目が消えていく。真人間に近づけていい気分だった。
ネットがキレイになるのは大あり。私は短大生の頃からSNSで情報発信を始めて、今ではコスメ系のインフルエンサーである。社会人として働くのは絶対に嫌だったので天職だった。最近ではVログの投稿も始めて、そちらも好調。新たに動画投稿者としてもお金を稼げるようになりつつあった。
キレイな世界で好きなことだけして生きていこう。つまらない生き方は嫌だから。
もしネットで何かを間違えたとしても、洗ってしまえばいい。他のインフルエンサーたちが渇望するものを持てるだなんて恵まれてる。
〇
SNSを開くと毎日何かしらのメッセージが届いている。
ファンからの応援や動画の感想なんかは嬉しい。返信はしないけれど、たまに見返しては自己肯定感を高められるから。
けれど、SNSがあるのにメッセージを送ってくるやつなんて、大抵がろくでもない。内容は伏せるけれど、ほとんどが自分の欲をぶちまけたような、面と向かって口にできない言葉を平気で並べてある。その中で最もウザいのがアンチからのメッセージである。
この時代、発信する側の人間にとって、アンチほど消えてほしいものはない。自分の私生活が充実していないからって人気者を妬み、ネットを介すことでこちらと同じステージに立っていると勘違いしている。何も生み出せないくせに頑張っている人の足を引っ張るくらいなら、近所のゴミ拾いでもしていた方が有意義なのに。
相手にしちゃいけない、というのは頭ではわかっている。けれど、悪意のある言葉はちらっと見えるだけでも、結構キツい。書いた人が何も考えていなかったとしても、刃の形をした言葉は凶器にしかならない。
ある日、数件のメッセージを見るとすべてアンチからのものだった。
『やめろブス』
『食べ方汚くて育ちの悪さにじみ出てる』
『オワコン』
いつもならアカウントを即ブロックして通報の流れだ。もう二度と出会うことがありませんねさようなら、と心の中で毒づきながら。
アンチのメッセージに慣れてはいるけど、いつもなら心はざわつく。ただこの日は平穏さを保ったまま、シンプルに思った。洗ってしまおうと。
気になるアカウントをいくつか表示したまま洗濯機を回した。なんだかんだもう十回以上はスマホを洗っている。いくら防水加工があるとはいえ、流石に壊れてしまわないかとひやひやしていたが、洗濯機から取り出しても大丈夫だった。
すると、この日を境にアンチからのメッセージが途絶えた。最高。私に送られてくるのはポジティブなメッセージだけになり、見栄えが良くなってストレスも減った。
それからはだいぶ快適だった。二週間が過ぎても新たなアンチは湧いてこず、こんなに穏やかなのは活動を始めて以来、初めてだったと言えた。
あまりに急に静かになったものだから、何だか不気味にさえ思えた。少なくとも一人は熱心なアンチがいたのだ。そいつのアカウントを消せたからと言って、それであっさりと諦めるものだろうか――。
私はその理由を考えるのを止めた。クズの気持ちを理解したところで何にもならないから。
〇
ある日、私はがっつりとへこんでいた。
数か月前からじわじわとインプレッション数が減っていた。そこでプライベート暴露系の動画や肌の露出を増やしてみたけれど、その場しのぎ的に盛り上がるだけで、状況は変わってくれなかった。
どうしてこうなったのか。その原因は具体的に分からない。
ひとまず考えられるのはライバルの多さだろう。スマホ一つあればバズれるこの時代、発信する人は増えるのに受け手の数は変わらない。直近では小学生のグループ、元脱獄囚の老人、身近な道具を調理器具に改造する高校生――癖の強い発信者が次から次に湧いてきているのだ。
その中でも『さささなえ』という女子がやけにハネていた。
さささなえは顔出しのVログ投稿をメインに活動している。グルメや旅行、メイク動画が多い。さささなえは目もパッチリして笑顔も可愛く、声は透き通っていた。しかもまだJKで大学受験を控えており、スタディウィズミー系の動画も人気があった。
さささなえは明るく可愛らしく、いつも柔らかな雰囲気がある。十代とは思えないトーク力で、人のことをディスったり絶対にしない。
私はさささなえが気に入らなかった。私とジャンルがだだ被り、さらに年下。私のリスナーを奪っているライバルだろうから。
お前は、ネットが無くても不自由しないタイプの人間だ。基本的にネットにべったり張り付いている人間なんて、リアルの生活に何らかの問題を抱えている人ばかり。恵まれた人間が掃き溜めに降りてくるな。ここはお前の居場所にしていい所じゃない。
消えてくれないかな、とはっきり自覚してから、私はスマホを洗濯する準備を始めた。それなりにアカウント登録者数がある人でも、一度アカウントが消えてしまえば、前の登録人数を取り戻すにはだいぶ時間がかかる。少しでも打撃になればいいと思った。
スマホが洗い終わると、さささなえのアカウントはさっぱりと消えていた。
でも私のインプレッション数は回復しなかった。じりじりと右肩下がりが続いていく。思っていたより効果が得られなかったので、別のアプローチが必要だなと思った。
数日後のことだった。SNSを眺めていると、さささなえの友人を名乗るアカウントが動画で発信していた。
『さささなえが数日前から行方が分かりません。あの子の家族も僕たちもとても心配しています。目撃したり知っている方、何でもいいので情報を提供してください』
〇
しばらくの間、スマホに触れなかった。怖かった。
偶然だったけれど、スマホを洗濯すれば消せることは知っていた。炎上も、過去も、アンチのアカウントも。ネットに関連しているものなら何でも消せることになる。
まさか実際に人間を消してしまっただなんて――それに、私が消したのはさささなえだけじゃなく、名前も知らないアンチもだ。
別に命まで奪いたかったわけじゃない。せめてネットは平穏な場所であってほしかっただけ。私がありのまま幸せにいられる空間を侵害されたくなかっただけ。平和を望んでしまったから、こんなことになってしまったのだ。
お腹がぎゅっと痛む。頭がありえないほど重い。気持ち悪くて吐き気がする。あまり深く眠れず、細切れの睡眠が続いた。食事も喉を通らなくて水だけで過ごす日々。スマホを見ることもできなくなって、暗い部屋でじっとし続けた。
消してしまったものを元に戻せないだろうか。洗濯の逆、スマホを汚してみるか。けれど、人間を再現するにはどうやってどんな風に汚せばいいのだろう。人間なんて基本的に一皮むいたら悪意で満ちているから、とんでもなく難しいと思う。そのくせ作りがシンプルじゃないから面倒だ。
かといってこのままだと私はどうなる。方法はどうあれ多くの人を消してしまったものの、誰にも言ってはいないし証拠はない。私が黙っていれば問題ないが、もし色々あって公にでもなってしまったら。スマホを洗濯すると人間を消せる、と警察に自首したところでおかしな目で見られるかも――。
ああ、もういいや、めんどくさい。
スマホを触らなくなって一週間後、急に憑き物がとれたかのように、頭の中がすっきりクリアになった。
もう知らん。スマホを洗濯したらなんでも消せるだなんて、この世界を創った神による世界のバグだ。私は絶対に悪くない。むしろ被害者じゃないかとすら思う。
こうなったら、どこまで消せるかやってみよう。どうせ私の手は汚れちゃったのだから。人じゃなくて国家とか大陸とか消してしまおうか。むしろ歴史や時間とか、そういった者でも面白いかも。むしろ愛とかそういった概念を消せるか試すというのも悪くない。
そこまでやるなら、いっそ地球だな。スマホに地球の画像を表示して洗濯機に叩き込んだ。洗濯層の中から鈍い音が聞こえてくる。
お腹が空いているせいだろうか。足元がぐらぐら揺れている気がした。
〇
洗濯機が止まった。フタを開けてみれば、しっとりしたスマホがぽつんと残っている。
ほっとした。色々と考えすぎると思考がショートして、暴走してしまうのは私のよくない癖。下手したら地球が消えてしまっていた可能性だってあるのだ。流石に地球は洗い流せなかったか――どうやらギリギリの所で踏みとどまれたらしい。
ただ、念のため調べはしてみた。
『地球:検索結果なし』
検索欄の結果を見て、私は首を傾げた。
消えてはいる。もしかして『地球』という言葉や概念が消えてしまったのだろうか。他にも『世界 定義』で調べたものの、私の知っている意味と差は無かった。
なんとも中途半端だった。あくまでも地球という認識が消えてしまっただけ。きっと、これに変わる言葉や考えはあるのだろう、今の私が知らないだけで。
ぐうとお腹が鳴った。ちょっとメンタルをやられていたこともあり、満足にご飯を食べられていない。冷蔵庫は空っぽだし、コンビニへ行くことにした。
適当に服を着て玄関のドアを開けた。すると外は真っ暗だった。今って夜だっけ――そんなはずがない。まだお昼過ぎだったはずである。
よく見れば真っ暗なのではなくて、暗黒。ドアから先は何もなく、ただ黒色だけが一面に広がっている。私は焦ってスマホを見たが、圏外になっていた。
