
「ハンドクリーム?」
「うん、どうもこの頃手が荒れちゃって。一番安いのでいいから」
朝、おばあちゃんに買い物を頼まれた。食器洗いとか、お風呂掃除とか、他の家ではロボット任せにするような家事を、おばあちゃんは自分の手でやりたがる。
「わかった、学校の帰りにドラッグストア寄ってくる」
私はスクールバッグを肩にかけ、行ってきまーすと家を出た。
おばあちゃんの手荒れは、私が買ってきたアロエ入りのハンドクリームを塗っても、ちっとも良くならなかった。二、三日の間にカサカサは上腕まで広がって、いつもはツヤツヤのほっぺたまで白い粉をふいている。
「病院に行かなきゃだめだね」
私は学校に欠席の連絡をして、おばあちゃんを皮膚科に連れて行った。お医者さんは難しい顔をして、これは皮膚の病気じゃないですねと内科を紹介してくれた。内科からさらに、大学病院のスーパーセンテナリアン科に行くようにと言われた。
「スーパー?」
「スーパーセンテナリアン――百十歳以上の方のことです。非常にご高齢になりますと、医療も専門の科でないと色々と難しくなるんですよ。紹介状を出しますから、すぐ予約を取って受診なさってください」
おばあちゃんは百四十二歳だ。と言っても、外見も中身も一昔前の六、七十代と変わりない。不老医療が発達して、平均寿命がどんどん伸び、大抵の人が百歳以上まで生きるようになった世の中で、それでも男性は百二十歳の壁を越えられず、女性だけが百三十……百四十……と長寿記録を伸ばし続けている。確か、今世界で最も高齢なのは、沖縄県の百四十八歳の女性だったはず。
「ここまで長生きなさると、人類未踏の領域ですからね。もう、何が起こるか分からんわけで……」
スーパーセンテナリアン科のお医者さんは、診察しながらなんだか楽しそうだった。
「私も相当の歳だものね」
おばあちゃんはちょっと恥ずかしそうに首をすくめた。
いくつか検査をするため、おばあちゃんはそのまま入院することになった。私は夜もずっと付き添うと言ったのだけど、大丈夫だからちゃんと学校に行きなさいと家に帰された。
次の日、学校帰りに病院に寄ると、おばあちゃんのカサカサはさらに広がっていた。
「なんだか手足も動かしにくくって……、あ、痛くはないの。やたらと眠いだけ」
さらにまた次の日も、次の次の日も症状はどんどん悪くなって、ついに全身をカサカサに覆われたおばあちゃんは、ベッドから一歩も動けなくなってしまった。
「寝たきりになっちゃうんでしょうか?」
そう尋ねると、お医者さんは、「いや、どうかな? なんとも言えないけど、普通の寝たきりの人とはちょっと違うからな……」と、煮え切らない返事をした。
ずっと眠っていたおばあちゃんが、急に目を開けて小さな声を出した。
「ちゃんと学校に行くのよ」
おばあちゃんの声は掠れていたけど、はっきりと聞こえた。
「うん」
私が頷くのを見て安心したようにおばあちゃんはまた眠ってしまった。それが、おばあちゃんと会話した最後だった。
二週間が過ぎた。おばあちゃんはまるで荒削りの木像みたいに硬くなって、もうこのまま死んでしまうんじゃないかと悲しくてたまらなかった。もしも私が本当の孫なら、きっと泣いてしまうくらい。
だけど私はロボットだから、どんなに悲しくても涙は出ない。
一人暮らしの高齢者に自治体から派遣される家事・介護ロボットの私に、おばあちゃんは家の仕事をさせず、どうしても学校に行くようとに言ってきかなかった。困って相談した担当課長は「ユーザーさんが満足するのが一番大事」と、通学を許可してくれた。
学校は楽しかった。人間の友達がたくさんできた。同じような事情で学校に来ているロボットたちとも仲良くなった。家に帰るとおばあちゃんは学校であったことをいくらでも聞きたがった。私もおばあちゃんがニコニコ頷きながら聞いてくれるのが嬉しくて、たくさん話した。話し終わると今度はおばあちゃんが昔先生をしていた頃の話をしてくれた。やんちゃな子が多くてね、喧嘩をやめさせるのにとても苦労したのよ。
硬くなったおばあちゃんに向かって、私はいつものように学校の話をした。おばあちゃんの心臓だけはゆっくりとだけどちゃんと動いていて、ベッドの脇の心電図モニタが規則正しく波を描いた。
ひと月が過ぎる頃、おばあちゃんに変化が現れた。今まで白っぽかった表面が青みがかり、真っ直ぐだった体がほんの少し反って、時々ビクッと動いた。脈もちょっとだけ速くなった。
「ここ二、三日中が山場でしょう」とお医者さんに言われた翌日、学校帰りに直接病院へ駆けつけると、仰向けだったおばあちゃんの体はうつ伏せになって、背中に小さな亀裂が入っていた。
「おばあちゃん!?」
「多分心配いらないし、素晴らしいものが見れると思うよ」
そう言うお医者さんの顔も青ざめている。気がつくと病室の中にたくさんの人がいる。大学病院の研究者たちがおばあちゃんを見に来ているのだ。
亀裂は二時間ほどかけて大きくなり、中から透明なゼリーのようなものが出てきた。植物が芽吹くときの動きそっくりにゼリーは起き上がり、古い体をすっかり脱ぎ捨てた。頭に猫の耳のような角を立て、プルプルと体を振ってから、A4サイズくらいの翅(はね)を広げた。翅以外の本体はおばあちゃんをふたまわり小さくしたような大きさで、クリオネによく似ている。
「おばあちゃんなの?」
クリオネはコクンと頷いた。
「発声器官がないんだ」と、お医者さんが言った。
おばあちゃんは翅をパタパタと動かして、ふわりと舞い上がった。
「そうか、これが人間の最終形態か」
今まで発現する前に皆寿命を迎えていたため、未知だった身体変化が、長寿により初めて現れたということらしい。
天井付近を飛び回っているおばあちゃんの体がピンク色に点滅して、病室に集まった人たちがどよめいた。
「どうしたんですか?」
「そうか、君には聞こえないんだな。君のおばあちゃんが、これからは空で自由に暮らすからそっとしておいて欲しいと、私たちの頭の中に直接語りかけているんだ。君にさようならと言っているよ。ちゃんと学校に行って勉強を続けなさい、だそうだ」と、お医者さんが通訳してくれた。
「うん、わかったよおばあちゃん」
私が頷くと、おばあちゃんも満足そうに二、三度頷いて、私の頭の上をくるくると回った。それから、「ああ、まだ行かないで、研究が……」とおばあちゃんを捕まえようとする数々の手をするするとかわし、角からビーム光線のようなものを出して窓ガラスを蒸発させ、空に高く高く上がって、見えなくなってしまった。溶けたガラスの熱気の後から、夕方の涼しい風が病室に吹き込んだ。
自治体の担当課長はAIだから合理的で、最終形態化したユーザーさんの意向を無視するのはリスクが大きいと判断し、私がそのままおばあちゃんの家に住んで、そこから学校に通い続けることを承認してくれた。
某国のミサイル基地が謎のビームで跡形もなく消されたとか、紛争地域の武装集団やテロ組織が武装解除されたとか、いろいろなニュースが流れるけれど、おばあちゃんが関わっているのかどうかわからない。そうかもしれないし、違うかもしれない。世界のあちこちで羽化する人が現れ始め、おばあちゃんの仲間は年々増えているのだ。
学校の行き帰り、空を見上げると時々おばあちゃんが見える。私は、おーいと叫んで手を振る。おばあちゃんはピンク色に点滅して何か答えてくれるけど、私にはおばあちゃんが何を言っているのかわからない。
