(PDFバージョン:simi_aramakiyosio)
恐らく信じやしまいね。
近ごろ、長雨がつづいているだろう。てっきりしみだとばかり思っていたよ。そう、丁度その辺だね、壁紙がちょっとばかり破れているあたりだよ。
その晩、俺は例によって無電機(原文ママ)いじくっていたな。これだけが俺の道楽、ちゃんと、ハムの免許は持っているよ。
いきなり、そいつのつぶやきが聴こえてきたんで、俺はびっくりしたね。
〈なんたることだ〉とか〈いまいましい虫め〉なんて、ぶつぶつ自分の足に文句をいってやがるんだ。そのときは、まだ俺の存在に気づいてはいなかったと思うね。
水虫にかかった足が痛痒いのかとも思ったがそうじゃあないんだ。沼地みたいなところに足を突っこんじゃって抜きとれないでいるらしい。
けど、言うことがおかしい。
〈沼地〉じゃなく〈過去〉だって言っているんだよ、そう過去。未来の過去だよ。過去に足をとられて、そこんとこに虫が食いついているらしいんだ。沼地なら虫はいるけどさ。
辻つま合わないだろう。てっきり酔っぱらっているんじゃないかって俺は思ったな。
とにかく、そやつに俺の存在を気づかせようとあれこれ努力したね。すると、
〈うるさい、そこでごちゃごちゃやってんのは誰だ〉
と、いきなりこうきたね。そして、〈ハハン〉と俺がまだ名のりをあげないうちにこう決めつけやがった。
〈お前は流刑囚の子孫だな〉
頭にきたね、まったく。こういうものの言い方されて黙っているほうがおかしいよ。
しかし俺はじっと辛抱したね。聞くだけ聞いてやろうと思ったんだよ。
〈それにしてもお前たち、とうの昔に死に絶えてしまったと思っておったが、よく生き残っていたものだな〉
そやつはあくまで横柄だった。
〈なんのことかわかりませんね〉
俺はぶっきらぼうに言った。
〈むりもないさ〉
と、そいつは俺を軽蔑した。
〈お前たちの先祖を遺棄したのはたしかわしらの曾祖父たちの頃だったからな〉
〈信じませんよ〉
〈そりゃお前の勝手だ。だがわしらの法律にはちゃんと記載されておるぞ。
凶暴なる闘争本能を帯びた悪性遺伝子を具有したる重罪人は、時間的自由と時間的存在性を剥奪し、空間枠内に監禁、永遠に遺棄するものとする〉
話の辻つまは合っているみたいなんだな。アメーバーから俺たち人間まで、闘争本能で生きているみたいなもんだしな。そのときは、なんとなく、そやつの言っていることがまんざら嘘じゃないっていう気がしたんだ。
俺はいろいろ尋ねてみたよ。
驚いたよ。やつらは時間的な生物なんだ。俺たちが空間を自由に動きまわれるように、やつらは時間の中を行き来できるってことだよ。体の構造も時間的に拡がってると言っていたぜ。頭が未来にあって、足が過去にあるなんて場合もありうるわけだな。つまり俺たち三次元生物にとって空間にあたるものが、やつらの場合は時間ってことなんだぜ。
俺はだんだん薄気味わるくなってきたね。なにしろ、とてつもなく長命な生物でね、母親の胎内にだって十万年だか二十万年入っているって言うんだ。
実のところ、そやつがひきあげるらしいってわかったときはホッとしたよ。例の過去に突っ込んで抜けなかった足が引き抜けたらしいんだ。ようやくそのときね。
〈そろそろ昼寝の時間じゃ〉とやつは言った。昼寝といったって百年ぐらい眠るらしいぜ。〈ここは、じめじめしていかんな。わしはリューマチでな、湿気は苦手なのじゃ〉
そうそう、例のしみが消えるのに丸一週間はたっぷりかかったよ。
初出『コア』(創刊号/一九六五年二月/北海道SFクラブ)
超次元テーマ作品『大いなる正午』(SFM/原型は『時の破堤』宇宙塵)の前駆的作品。
荒巻義雄既刊
『ロマノフ帝国の野望
日本征服戦争』