
村外れに住む老いた職人は、家具や小屋など大きさを問わず、木造品の作製と修理を一手に引き受けてきた。壊れた椅子はお手のもの、大きな箪笥の引き出しが開かなくなれば、出向いて修理もした。老人が手がけた中で最大の仕事は、村の中央にそびえる細長い櫓(やぐら)である。櫓は村長が星を読み、未来を占う神聖な場所だ。
老人は齢七十を超えてなお、職人としての腕が衰えなかった。それでも最近めっきり体力が落ち、わけもなく気分が落ち込んだり、ぼんやりと過ごす時間も増えた。そんな老人も棺桶作成の依頼が入ると、俄然、力がみなぎるのだった。
この村では火葬が習わしで、棺桶ごとすっかり燃やして灰にする。老人は棺桶にあえて上質な木材を使った。良い木材は燃やすと、凛とした赤い炎を発する。みな顔見知りである村人を送るには、その赤色がふさわしいと老人は思う。何より良い木材は、触れるだけで老人の気分を昂(たかぶ)らせるのだった。
棺桶作りは時間が限られる一発勝負で、並々ならぬ集中力を要する。老人は全身全霊を傾け、故人との思い出を棺桶の表面に刻みつけた。一彫り一彫り、喪失が鮮明になると同時に、故人がありありと浮かび上がってくる。完成した棺桶を目にした村人は、一様に涙を流した。棺桶から故人の魂が饒舌に語りかけてくるのだった。
幼なじみの村長の棺桶を作ったときは、さすがの老人もこたえた。村長は偉大な人だった。星読みで飢饉を何度も言い当て、村中の尊敬を集めていた。それでいて傲(おご)ることなく、老人の家を毎日訪れては、とめどなく些末な話をしていった。老人は結局、村長の棺桶に半分も彫りを入れることができなかった。思い出に胸を締め付けられ、何度も手が止まった。老人は申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、棺桶を荷車で運んだ。村長の家に着くなり、老人はばたりと倒れ込んだ。居合わせた人々は老人を荷車に乗せ、医者のもとに急いだ。老人の胃には悪い出来物ができていた。
翌日から老人の家にはひっきりなしに村人が訪れた。誰もが老人の命が長くないことを知っていた。五人、十人と集まり、飲めや歌えのお祭り騒ぎになった。後にも先にも、老人の家にこれほど多くの人が集まったことはなかった。老人は自分が病気であることを忘れ、疲れて床に引き込まれるように眠りについた。しかし、夜中に何度も目を覚ました。胃の痛みで起き、排尿で起き、まだやり残したことがあるように思えて起き出した。一度目覚めると、なかなか寝付けず、蝋燭に火を灯し、端材を手にして、気まぐれに動物を彫った。木に触れていると、気持ちが落ち着いた。自分は死ぬ瞬間まで木に触れ続けるのだろうと思った。そしてある着想を得た。
翌日から老人は訪問客を断り、自らの棺桶作りを始めた。老人は人生を振り返り、記憶を辿りながら設計図を書き出した。温かな思い出が浮かび、苦々しい思い出はそれ以上に数多く蘇った。いかつい容姿をからかわれたこと、ずっと独り身で過ごしてきたこと、寂しい夜のこと。老人は苦虫を噛み潰した顔で、棺桶の設計図を書き続けた。この作品が単なる物作りを超える予感が生まれていた。
設計図が大詰めを迎えたところで、老人はぐったり寝込んでしまった。寝ずの作業が続いていた。思い出が次から次へと湧いて、棺桶に収まりきらない。かといって、切り捨てることもできずにいた。老人は一昼夜、床から起きることができなかった。そこに秋の嵐が重なり、老人は家に閉じ込められた。強風が家を揺らし、あちこちから木がきしむ不快な音が続いた。食料も底をつき、老人はじっと横たわるしかなかった。まるで死人だと思った。しかし、家は老人を嵐から守り抜いた。
嵐が去り、老人はある決意を持って、棺桶の設計図を破り捨てた。家を丸ごと棺桶にする。そう決めた後は、思いつくものから形にしていくだけだった。老人が最初に作ったのは、赤子の時分の木像で母親に抱かれる姿だった。老人の体はすっかり弱り、木槌を振るだけで息が上がったが、最初の一体が完成すると勢いが出て、次から次へと木像を彫っていった。
心配して様子を見に来た村人は、戸口から家の中を覗き込み、後退りした。家中が等身大の木像で埋め尽くされていた。そのどれもがいびつで異形だ。しかし、木像はどれも心の深いところに訴える力がある。村人たちは鳥肌を立て、ため息をつき、そして誰も老人に声をかけることができなかった。作業する老人の形相は、鬼そのものである。ガリガリに痩せた体から汗が吹き出し、湯気となって立ち上っていた。ゆらめく全身の湯気は、紅蓮の炎をまとうように見えた。村人は足繁く老人の家を訪れては中を覗(うかが)い、精のつく食べ物を置いてそっと帰った。
日に日に木像の数が増え、どう重ねたのか木像の上にも木像が乗り、あるいは天井から吊るされるまでになった。老人が生活できる場はすでに家の中になく、外に小屋を建てて寝泊まりするようになった。老人は心ゆくまで思い出を彫った。もう絞り出しても思い出は出てこなかった。老人はゆっくりと家の中心の隙間に腰を下ろし、木像を見回した。出来栄えは想像以上だった。しかし、完成には至っていない。棺桶は燃えてこそ真の価値を得るのだ。老人は家の外に出て、腕組みをして考え込んだ。日が傾き、夕焼けが空と家を真っ赤に染めた。燃えるようだった。老人は頭の中で家を燃やし、木像も燃やした。しかし、それは虚りの完成であることを老人は知っていた。老人は小屋から蝋燭を手にして戻り、火を灯した。蝋燭をかざして、家を見つめる。視線はまっすぐのまま、体は動かない。そして太陽は山影に沈み込み、蝋燭の火も消えた。星が瞬き始めても、老人は外につっ立ったままだった。朔(さく)の夜空に、星の一つが不気味に光った。老人ははっと村長の予言を思い出した。星が地面に降って、この世は終わる。老人はぐるりと周囲を見回した。夜の闇の中で、村を囲む森の木々と山々が、天と一続きになり、すっぽり村を包み込んでいる。まったく大きな棺桶だ。老人は近くにあった木の切れ端をつかむと、腹ばいになり、村の歴史を地面に刻み始めた。老人は汗をかきながら、夢中で地面を彫った。老人の体は燃えていた。