「代筆猫」川島怜子

 平安時代の町。いくつかの店が並んでいる。
「代筆を一つお願いします」
 貴族の家で雑用をする、雑色(ぞうしき)の男性が現れた。代筆屋にくるのは、雑色か女房という使用人ばかりだ。
 店主の則信(のりのぶ)は、男性を店の中へと招き入れた。則信の後ろから、猫の縞太郎(しまたろう)がついてくる。
「どのような方へ、どのような文をだしたいか、詳しく聞かせてください」
 則信の言葉に、雑色の男性は語りだした。
「先日、偶然目にした女性に和歌を送りたいと、主(あるじ)が申しております」
 縞太郎があいづちを打つかのようにニャーンと鳴いた。則信は縞太郎を撫でると口を開いた。
「その女性について、詳しく話してください」
「はい。お相手は、さるお屋敷の姫。年齢は主と同じ二十歳。未亡人です。牛車からこぼれたる装束が、色合わせも誠に美しかったそうです。この姫とお近づきになりたいと考えた主は、そこの女房に頼み込み、姫について聞きだしました。まさに理想の女性で、主はその日からなにも手につきません。しかし残念なことに主は歌を詠むのがからきし駄目なのでございます。どうか恋の歌を作ってください」
 この時代、友人同士の季節のあいさつも、気になる相手へ思いを伝えるのも、和歌を送る。しかし中には、和歌作りが苦手な者もいる。
 そのような者のために、代書屋がある。
 紙は貴重でなかなか手に入らないので、頼むのは余裕のある上級貴族や、お金持ちの受領(ずりょう)という職業の者が多い。
 縞太郎は雑色を一瞥するとニャーニャーと鳴いた。則信は縞太郎の首の辺りを優しくさすると、雑色に話しかけた。
「その女性を見かけた日の天気や、そのときに咲いていた花など、和歌にできそうな話を教えてください」
 雑色は勢いよく答えた。
「主に付いている女房から、さんざん聞かされました。初めてお見かけした日は、晴れていて……」
 雑色が話すのを則信は頷いて聞いた。話しが終わると、縞太郎はニャーと小さく鳴いた。
「それでは、隣の部屋で和歌を詠みます。しばらくお待ちください」
 則信は布の間仕切り(まじきり)の横を通り、隣室へと移動した。縞太郎もついてくる。
 客が覗いていないのを確認すると、則信は書道の道具一式をだした。
 筆を一本とると、縞太郎に手渡す。
「縞太郎、お願いするよ」
「ニャー」
 縞太郎は機嫌よく返事をすると、前足で器用に筆を持ち、さらさらと和歌を書いた。
 そこにはこう記してあった。

『照る日差し 揺らぐ衣の 色映えて 心まどふや 君が面影
(日差しに揺れる衣の色がまばゆく映えて、思わず心が乱れる。まるであなたの面影に魅せられるように)』

「あいかわらず、見事だ」
「ニャーニャー」
 和歌が書かれた紙を則信は持ち、隣の部屋へ戻り、雑色に渡した。雑色は則信に反物を渡すと、何度もお礼を言い、帰っていった。
 雑色が帰ってすぐ、店先で女性の声がした。
「和歌を作ってくださいまし」
 則信は店先まで出て、驚いた。
 十五歳ぐらいの少女であった。則信より二つほど下というところか。
 壺装束(つぼしょうぞく)という、貴族の女性が外出するときの服装だ。どこかの姫である。
 貴族の女性にはお付きの者が伴うのが普通だが、この少女は一人きりだ。しかも猫を抱いている。
 貴族は使いの者を寄越し、自分では足を運ばない。しかし、この姫は自らやってきた。愛猫を連れてくるだけでも大変だっただろう。
「汚いところですが、どうぞ、中に入ってください」
「そのようなこと、つゆほども思っておりません。ごめんくださいませ」
 育ちも性格も良い姫の品のある言動に、則信はドキドキしてきた。
 ふと見ると、縞太郎もソワソワして落ち着かない様子だ。姫が抱いている猫が気になってしょうがないらしい。
 店の中まで案内し、さきほどのように、どのような和歌を作ってほしいのかをたずねた。
「ニャーニャー!」
 縞太郎が大きな声で鳴く。
 則信は軽く咳払いすると、姫に話しかけた。
「申し訳ありませんが、あなたのお名前と、その猫のお名前を教えてください」
「え? 私は琴子(ことこ)と申します。この子は小柚子(こゆず)。愛らしいでしょう?」
 琴子姫に笑いかけられ、則信は嬉しくなった。
「ええ、ええ」
「ニャー、ニャー」
 則信と縞太郎の声がそろった。
「まあ、おかしい」
 琴子姫はころころと笑った。小柚子もかわいらしく鳴く。
「小柚子、気に入った?」
「ミャーオ」
 琴子姫が話しかけると、小柚子は返事をするかのように鳴く。
「実は、和歌を二つ作ってほしいのです」
「二つですか」
「はい。一つは人間の男性宛。一つは猫宛で」
「恋の歌ですか?」
「いやだわ、なんだか照れてしまいますわね。お友達として好意を示した歌にしたいと考えております。難しいかしら?」
 琴子姫は問うてきた。
「今すぐ作ります。少々お待ちを」
 縞太郎が勢いよく隣の部屋へ向かおうとするので、則信は慌てて布の間仕切りの横を通り抜け、縞太郎を追った。隣室で則信は、筆を縞太郎に渡した。
「ニャー! ニャー! ニャー!」
 縞太郎はしっぽをピンと立てた。目がキラッと光る。本気になっている。
 しばらく考えたあと、縞太郎は和歌を二つ書いた。今まで書いた中で、二つとも最高のできだ。
 則信は縞太郎と一緒に隣の部屋へ戻り、琴子に和歌を渡した。
「これでよろしいでしょうか」
「素敵ですこと! これ、お気持ちです」
 高級なお菓子をもらった。
 琴子姫は小柚子を抱き、帰っていった。
 翌日。
「……琴子姫、またこないかなあ」
「ニャーニャー」
「ああ、小柚子もね。姫と猫と両方ね。分かった分かった」
 則信は縞太郎にあいづちを打った。

「ごめんください!」
 店先で男性の声がする。
「うちの姫様からお歌でございます。二つあります」
 雑色から歌を渡された。またたびの枝に結び文(むすびふみ)がついている。風流だ。
「縞太郎! 歌がきたよ!」
 則信に呼ばれて、縞太郎が駆け寄ってきた。
「昨日の歌だね。……あれ?」
 則信は首を傾げた。
 昨日渡した歌が、女性の文字で書き直してある。しかし、歌は、琴子姫から縞太郎宛、小柚子から則信宛となっていた。
 もう一枚、手紙がついていた。
『則信様の代筆屋は、うちのお屋敷でも評判になっております。しかも飼っておられる猫もうるわしいと噂を聞き、私、琴子は縞太郎くんがどんなにかわいい猫なのか、会ってみたくなりました。うちの小柚子は、代筆ができる頭のいい則信様に興味を持ったご様子。昨日伺って、私の想像が当たっておりましたことをお伝えします。特に小柚子に関しては、則信様のような殿方が好みらしく、屋敷に戻ってからずっと、うっとりとした様子。恋なのでしょう。琴子は縞太郎くんとお友達になりたく存じます。小柚子は則信様と親しくなりたいようでございます。今度は小柚子から則信様への恋文を綴ってくださいませ』
 則信と縞太郎は、がっくりとうなだれた。