【小松左京氏追悼エッセイ】「小松さんのいる場所」堀 晃

(PDFバージョン:komatusannnoirubasho_horiakira
 小松左京さん(ぼくは「親っさん」と呼ぶことが多かった/これはご自宅の隣家が某組のドンの自宅だったという事情もあるけど/しかしここでは「さん」で書かせていただく)との思い出は多い。高校生の時に作品を見てもらってから半世紀になろうとしているのである。大阪を散策していると、小松さんを思い出す場所によく行き当たる。
 わが思い入れの強い場所を紹介させていただく。
・サンケイパーラー
 梅田の産経ビルにあった喫茶コーナーである。60年代後半にいただいた名刺には、ラジオ大阪報道部の電話が連絡先として記載されていて、隣のビルのサンケイ・パーラーが仕事場でもあった。ここで原稿を書かれていた姿を目撃している。
 当時、産経ビルには「アメリカ文化センター」があり、ここはぼくも70年代前半によく利用した。小松さんは「復活の日」のために利用されていたと後日知った。
・ラジオ大阪のスタジオ
 70年代のラジオ大阪も懐かしい。産経ビル横の小さいビルだった。米朝師匠との「題名のない番組」が生放送されていて、廊下から眺めていたことがある。原稿を持って廊下で待機していたのである。米朝師匠を初めて見たのもここであった。
・小松左京事務所
 80年代、プラザホテルの22階にあった小松左京事務所は「SFの聖地」であった。わが住居からタクシー1メーターの距離にあったから、電話で呼び出されたり押しかけたりした。SF関係の誰かが来阪すると、ここで飲みながらSF談義となった。あとは1階のバー「マルコポーロ」に移って延々としゃべりつづけた。
・フェスティバルホール
 「大フィルまつり」をプロデュースされて、SF関係者がスタッフとして動員された。楽しいイベントであった。ついでながら、隣接するグランドホテルで、65年に2度、小松さんとカンヅメになって、徹夜で仕事をしたことがある。ぼくは大学2年であった。このことは小松左京マガジンに書いたので詳しくは書かないが、小松さんは「果しなき……」の連載中であった。流行作家というのはこんなに大変なものかと思い知った。
 以上の「思い出の4ヶ所」、すべて今は消滅している。
 産経ビルはラジオ大阪の小さいビルとともに立て替えられ、サンケイパーラーは消滅、ラジオ大阪は弁天町に移転、フェスティバルホールとグランドホテルは建て替え中、プラザホテルは営業を終え、小松さんの逝去に合わせたわけでもないだろうが、現在、解体工事中である。
 小松さん本人との思い出の場所は、わが散策圏内にはなくなった。
 寂しいことだが、これも時代の流れだろう。
 だが、「小松SF」の中には、消え去ることのない場所が多く残されている。
 日本全域どころか、世界中、南極まで、地球のいたるところにある。
 ぼくは舞台探訪が好きなので、愛好する「十景」をあげることにしよう。
 もう海外に行くことは少ないので、日本に限定する。
 大阪在住なので、気楽にぶらっと行ける場所が多いが、もともと小松作品の舞台は関西がメインだと思う。
 以下、わが「小松十景」だが、愛読者はぜひとも別の「十景」「百景」をあげていただきたい。
・大阪砲兵工廠跡
 「日本アパッチ族」が活躍した砲兵工廠跡地は今では大阪城公園で、きれいに整備されている。発行当時(64年)にはまだ荒涼とした雰囲気が残っていたのだが。今も所々(平野川沿いなど)に当時の建造物が残っている。
・釜ヶ崎
 今は愛隣地区という偽善的な呼称になっているが、「カマガサキ二〇一三年」の舞台。「コジキ自販機」になけなしの金を投入する泉州乞食ふたりの姿には涙がにじむ。現実が追いつくまであと2年である。
・梅田地下街
 ショートショート「地下道」にオープン間もない梅地下が登場する。その迷宮性が面白くて、いつかぼくも梅地下を舞台にしたSFを書きたいと思った。
・葛城山麓
 葛城山の古墳で発掘された謎の砂時計から始まる名作「果しなき流れの果に」……なかでも最も印象に残るのが、葛城山麓の藁葺きの旧家で佐世子が野々村を待ちつづける場面である。数頁で百年の歳月が流れ去るこの章は、全小松作品のなかでも屈指の名場面である。モデルになった場所を探しに行きたくて、だが意外に不便で、まだ現地調査していない場所である。おそらく富田林から河南町あたりだろう。小松さんに訊こうと思いながら果たせなかった。近いうち、現地調査を実行したいと思う。
・哲学の道
 「哲学者の小径(フィロソファーズ・レーン)」のモデルになった場所。説明不要であります。
・芦屋の屋敷
 「くだんのはは」の舞台は終戦間近の芦屋市にあるお屋敷である。六麓荘ではない。戦前からのお屋敷は白砂青松の残る浜側にあった。阪神芦屋の浜側、たぶん浜芦屋町か浜松町あたりだろう。この20年ほど行ってないが、この作品に描かれた雰囲気の屋敷を維持するのは難しいだろう。
・大阪城
 砲兵工廠跡も大阪城公園の一部だが、ここでは「大阪夢の陣」に出てくる「真田の抜け穴」で、この話は小松さんからずっと前に教えられた。
・富士山
 「日本沈没」には日本のいたるところが描写されるが、ここは代表して(まだ破滅する前の)静岡から見る富士山。冒頭、小野寺は新幹線で静岡に向かう。深海潜水艇に乗るためである。映画でも新幹線が富士山を背景に走る場面から始まる。やはり富士山は「日本沈没」を代表する眺めであろう。
・名古屋駅新幹線ホーム
 景観ではなく、「首都消失」の冒頭に出てくる、松浦商店の「とり御飯弁当」である。この弁当は「首都消失」で全国的に有名になった。むろんぼくも「とり御飯弁当」は何度か買って食べている。わが駅弁ランキングでは上位には入らないけど、ともかく小松さんを偲ぶ味である。末永くつづいてほしい。
 以上で「九景」。
 あとひとつは、小松さん本人以外、まだ誰も行ったことのないところである。
 いつかは訪問したいと思う。
・小惑星「小松左京」
 公式的には「6983 Komatsusakyo(1993 YC)」

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