【小松左京氏追悼エッセイ】「向こうのホームに」機本伸司

(PDFバージョン:mukounoho-muni_kimotosinnji
 昼下がりの東京駅で、“のぞみ”に乗り込んだとする。指定券を確かめながら、独り、座席に腰を下ろす。あとはもう、何も考える必要はないだろう。寝ていても、目的地である新大阪に到着するのだから。そう思ってシートを倒しかけた、その時――。
 もし向かい側のホームに、知人の姿を見かけたとすれば、あなたならどうするだろうか? そしてそれが、小松左京先生だったとすれば……。
 発車時刻は、間近に迫っている。今降りて先生のところまで行けば、ご挨拶するだけでも、手元の座席指定券は無効になってしまうだろうし、その後の予定も狂ってしまうかもしれない。じっと座ってさえいれば目的地に到着する列車に乗っていながら、それを降りるというのは、馬鹿げたことだと言うしかない。既定の路線を捨ててまで、わざわざリスクを選ぶことはないだろう。しかし向こうにいらっしゃるのは、あの小松左京先生だ。さて、どうするか……。
 実はそんな経験が、僕にはあったのだ。確か五、六年前のことだったと思う。
 いや、そうした経験は、その時が最初ではなかったのかもしれない――。
 SFは、子供のころから大好きだった。それを仕事にしたいという気持ちも、ずっとあった。けど、なかなか踏ん切りがつかなかったのである。平凡でもそこそこ安定した人生を過ごしているうちに、いつの間にか四十を過ぎていた。
 それがとうとう、思い切って仕事を辞め、親にも黙って小説を書き始めた。そのきっかけの一つになったのは、小松先生のお言葉だった。
「SFという表現形式は、巨大にして永遠のテーマに立ち向かえる“武器”なのである――」
 それから三年あまり、貯金も底をつき、もう駄目だとあきらめかけていたとき、ようやく吉報が届いた。昔から何も取り柄がなかった僕にとって、生まれて初めていただく賞――それが小松左京賞だったのである。
 受賞のご挨拶として、僕は先生のお言葉を引用し、「ずっしりと重いその“武器”の感触を、自分の右手に感じ始めたところ」と書かせていただいた。
 その重みは、今、さらに増している。しかし強力な武器であることに、依然変わりはないのである。それをどのように使うのか、どこかで先生に見守られながら、試されているような気がしてならないのだ――。
 さて、ホームで小松先生のお姿をお見かけした僕が、その時どうしたのかだが……。それはもう、言うまでもないだろう。

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