「受苦」を介して「漂泊のエレジー」を裏返す――澤井繁男『騎士』(未知谷)岡和田晃

「受苦」を介して「漂泊のエレジー」を裏返す――澤井繁男『騎士』(未知谷)
 岡和田晃

 イタリア文学者の澤井繁男氏は、カンパネッラやカルダーノ等の翻訳や紹介で知られますが、同時に「雪道」(1984)で、野間宏・八木義徳・吉行淳之介・井上光晴の選考による北方文芸賞を受けた小説家でもあります。この「雪道」は札幌近郊を舞台にしています。血縁の描出を介して「北海道島」の風土が際立ち、それこそ「開拓」によって逆説的に構築された風景が浮かび上がっています。つまり、ありのままを描いた私小説のようでありながら、ある種の構築主義的な世界観で構成されているわけです。『北海道文学全集』の第2巻(1980)は「漂泊のエレジー」と題され、石川啄木や岩野泡鳴、長田幹彦や葛西善蔵の作品が収録されていますが、「雪道」もまた「漂泊のエレジー」を追究せんとしたものだと言えるのかもしれません。
 「雪道」には、「札幌神社の祭りも終わり、雨期のない六月末の北の町の空気は五月までの雪解けの湿気も消え去ってからからに乾き、軽くなった風が路上をなめまわし砂塵を巻き起こし小石を拉致して小さな渦をつくりあげていた」という描写があり、そこから「開拓使によって定められた道路」や、背の高い建物がない街中を市電が走る様子が語られます。
 澤井氏の小説には、一見そうは見えないものでも、専門であるイタリア思想史の問題意識が溶かし込まれているのですが、この「小さな渦」はタンブルウィードの形象を思わせ、デラシネ(根無し草)的な感覚――つまり「漂泊のエレジー」――を呼び起こしながらも――マクロコスモスとしての「開拓」という負の歴史に対比されられる――ミクロコスモスとしての血縁の間柄を象徴しているかのようです。

 このたび、澤井氏の20冊目の創作集『騎士』(未知谷、2024)が上梓されました。才知あふるるアロンソ・キハーノにあやかった表題作ほか12の短編が収められて、いずれも漢字二字の表題が添えられています。先ほど、「小さな渦」の譬えを取り上げましたが、これもまた、各々が生の断片を切り出したミクロコスモスなのでしょう。
 澤井氏は自己の体験をベースに、人工透析なしには生きてはいけない「受苦」の感覚を、小説や評論で書き続けてきました。透析患者は通院が必要ですから、啄木のような「漂泊」を続けるのには大変な困難が伴います。しかし、逆を言えば生そのものが、「漂泊のエレジー」のごとき哀愁を帯びてくるのではないでしょうか。収録作は基本的に、人生のある瞬間を回想的に捉えつつ、ささやかながらも決定的な選択の瞬間を剔抉(てっけつ)しようとしています――さながら触媒たる小石を介してマクロコスモスを凝集させる錬金術師を真似たかのように。12作中5作は、「SF Prologue Wave」が初出で、編集部員の協力を経ています。単行本版『騎士』のパースペクティヴに置き直せば、一見バラバラのようなこれらの作品にも、通底するスタイルが見えてくることでしょう。