「ジルコニアの正義」大野典宏

連作 ミネラル・イメージ

ジルコニアの正義 Ver.π

大野典宏

「しかし、現実には信頼だって腐敗していく。ロークの連中は自分自身も信頼しているし、お互い同士信頼しあってもいる。連中の力は純粋で、その純粋さを汚すものは何もない。それで連中はその純粋さを賢さだと勘違いする。彼らは間違ったことをするなんて想像すらできなくなっている」

——「帰還」、アーシュラ・K.ル=グウィン、清水真砂子訳、岩波書店

 なぜ、私がいきなり飛び込みのようなかたちで弁護士事務所を訪れることになったのか。まずはそれから説明しなくてはならない。私は入院施設まで兼ね備えた大型の精神科専門病院に勤務する臨床心理士である。今までこの弁護士事務所を訪れたこともなければ、病院が契約している顧問弁護士の事務所でもない。仕事の合間に許可を得て相談に行ける距離にある所でアポイントを取ったのだ。

 私は普段から患者さんの話を聞くことが多いし、その影響もあるのか、普段の人付き合いでも聞き役に回ることが多い。最近ではやっかいな話が出てくると、私が積極的に話しかける役に回ることが増えた。警察関連の話になると私に担当が回されてくるようになってしまったのだ。おかげで、警察関係者の知り合いもできた。

 ある日、私の元に一通の電子メールが届いた。

 内容はとても衝撃的で、なおかつ馬鹿馬鹿しいものだった。私は呆れ返るのと同時に、そこに醜く歪んだ友情を感じて戦慄した。狂気に近いものを感じたので、知り合いの警察官に聞いてみたのだが、脅迫でも侮辱でも無いので取り扱うのは無理だと言われた。ただ、民事でどうなるのかは管轄外とのことで意見は避けられた。

 というわけで、至極当然の結果として、民事の立場から法律家の意見を聞きたいと考えたのだ。今回は職場での出来事ではあるものの、職業上の問題ではないので個人的に訪れるしかなかった。

 担当の弁護士は、労働関係の問題を得意としている三十代くらいで感じの良い男性だった。

 私はことの次第を話すことになった。

●私の相談

「今回、こちらを訪れることになった経緯をご説明します。実は、やっかいな電子メールが届いてしまったんです。脅迫というほどの話ではないのですが、強く私を責める内容で、しかもひどく歪められて伝わった事実関係を元にしているんです。気分が悪いし、メールを出してきた相手のドクターも、もう一人の当事者である先輩の心理士も事実誤認を元に話を進めているので、私が世紀の大悪党にでもなったような感じで、ひどく不愉快なんです。先生のほうから、事実誤認に基づいて過剰に人を責める内容のものであると書面なりを送っていただければ解決するかと考えまして……。私の説明だけでは職場の権力関係的にとうてい信じないだろうとも思えてくるので……」

「わかりました。差し支えなければその電子メールを見せていただけますか?」

「はい。プリントアウトを持参しました。私が調べたところでは、IPやその他の情報は偽装されていないので、メールの署名人から私に直接送られたことは確かです」

「わかりました。拝見します」

●電子メールの内容

第一診療部臨床心理士

永谷美子様

 第二診療部責任者の小川です。今回、私のもとで働いている谷垣心理士が購入したプログラム『心理断片要素分類エキスパートシステム ブント』がPCから削除されました。原因はあなたがプログラムアイコンを谷垣心理士の許可なく勝手にワイパーアイコンに移動してしまったことです。何度も修復を試みましたが、いかなる手段を使っても不可能でした。

 一般的に操作方法がよくわからないGUI上にあるプログラムファイルのアイコンを勝手に移動するなどということは、常識的に考えられない行為です。谷垣さんの話によると、永谷さんが知らないうちにマウスポインタを操作して動かしたとのことでした。

 これは、谷垣さんが研究用として自費で購入したソフトウェアであり、その代金、技術サポート料などを合わせて合計で百二十万円の損失です。私は強い怒りを覚え、あなたにソフトウェア代金を弁償させるべきだと、谷垣さんに勧めました。しかし、谷垣さんは『勝手に触らせた自分が悪い』と、弁償は求めないと主張されております。

 私には、御本人が望んでいないことを強要することはできません。

 しかし、あなたの軽率きわまりない勝手な行動に関して、強い怒りを感じておりますし、勝手に触らせた谷垣さんの側にも多少の責任があるとも考えております。二度とこのような事を行わないようにしてください。これは警告です。

 アイコンの意味や機能を知らない場合、それを勝手に触ることなど、常識的に考えられません。あなたが行ったことは、金銭的な損害が発生するうえ、コンピューターを扱う際の常識さえわきまえていない、決して許されない行為です。詳しく知らないのに、何が起こるかわからない操作をすることなど、許されるはずがありません。

 今回は谷垣さんの好意によって金銭的な問題は発生しませんが、私があなたの勝手な行為を許すことはありません。

 今後、知らないことは安易におこなわないようにし、谷垣さんの気持ちに感謝してください。

以上

——

第二診療部 部長 小川昭三

●事の次第

 私がプログラムのアイコンをワイパーに入れたという事実はない。そもそも、一般に行われているファイル情報の一部だけを消してアクセス不能にするゴミ箱とは違い、プログラムもデータも関係なく、ファイルの痕跡をすべて消去し、最近起動した記録のあるファイルに関してはメモリ上も、そしてディスクストレージ領域へのワイプを行って完全にデータを破棄するスクリプトプログラムを実装し、それを「ワイパー」と名付けてアイコンまで作ったのは私である。ワイパーアイコンの中にドロップしたファイルは二十四時間後に完全に抹消されるが、その時に取り出せば処理は実行されない。その場で即時実行のコマンドを実行しなければ即時に消去されることなどはない。

 第二診療部の部長は、「何度も修復を試みた」と書いているが、処理は非可逆なので何もできない。したがって復旧などは試みてすらいないだろう。この第二診療部の部長は、そのようなことさえ知らず、谷垣氏の言うことを鵜呑みにし、嘘の話まで作り上げたうえで一方的に私を責める内容の電子メールを送りつけてきたわけだ。小川氏はワイパーの原理どころか意味すらわかっていないに違いない。

 なんて美しい関係だろうと思った。そして勝手な正義感で一方的な言葉を信用し、事情も知らずに警告めいた電子メールを送りつけてくる空回りした正義感に戦慄した。縦割りの会社組織では、極端な人間関係が形成されやすいため、こういった暴走が起こってしまうのだ。

 私は元から小川部長と谷垣心理士は問題のある人たちだと認識している。病院内で使われているコミュニケーション・ツールや、電子メールの関係者全員への返信でえんえんと愚痴を垂れ流したり、取るに足らない話題を続けるような方々なのだ。個人同士でやってくれとしか言えないのだが、さすがに診療部の部長を相手にするとなると分が悪い。単に面倒くさいことになるから誰も言わないだけなのだが、それに気がつかず、「許されている」と思い込んでしまっているのだ。

 やっかいなのは、「許されている」との特権意識である。誰かのことを糾弾したり、普通なら無理っぽい要求をゴリ押しで通すなどは当たり前。しかも「逆らうことは許さない」とばかりに威圧的で、抗議をしようものなら圧力と逆ギレが待っている。だから、この両名のことは影で「小川真理教」と揶揄されている。小川部長も厄介なのだが、部長の腰巾着である谷垣心理士も相当に厄介だ。意味のわからない大規模ウィルス監視ソフトをインストールしてしまい、一時間ごとに病院のサーバーをスキャンし、「サーバー内にウィルスの脅威は発見されませんでした」というポップアップメッセージがウィンドウの最前に表示され、OKを押すまで消えてくれない。それに抗議しようものなら自分の行為がいかに正しいことなのかと自画自賛が始まり、同調しないことがいかに悪いことなのかと攻められかねないので、文句を言いづらいのだ。

 そんな雰囲気の中で、酷い内容の酷い出来事が私に降りかかってきてしまったのだ。もちろん、私は自分の名誉を守るための行動を起こした。ことの次第を全て弁護士に話し、内容証明郵便として第二診療部部長と院長宛に送付してもらった。変な目で見られたり、非常識者として扱われて嬉しい人などはいないのだ。しかも、ここで譲歩したら私がターゲットになりかねない。だからこそ、ここで終わらせようと決意したのだ。

●小川氏との面会

 内容証明が届いたとのことで、第二診療部の部長である小川氏から内線電話で呼び出しを受けた。小川氏は呆気にとられたような、そして怒りすら感じられるような表情をしていた。

 小川氏は「座ってくれ」と私に応接セットのソファーを指さした。

 私としては断りたかったのだが、ここで事実関係をはっきりさせておかなければならないので言われるまま腰を下ろした。小川氏は内容証明らしき紙をテーブルの上に置くと、いきなり話を切り出した。

「こういう手段を使う前になぜ私に直接言わなかったんだ。私は赤っ恥だよ」

「では、逆にお聞きします。私にいきなり理不尽な怒りに満ちた電子メールを送ることに何の躊躇も無かったのはなぜなんですか。文面から判断すると、部長は復旧作業などは何もしていないし、コンピューター技術の知識も無い。しかも谷垣さんの言うことを一方的に信じ込んでしまっている。私の技術的スキルを考慮せず、しかも私の人格までをも一方的に責め立てるような内容でした。何の根拠も無く、虚言を信じて人を責め立てることが、問題のある行動だと考えなかったのですか」

「それはだ。私と谷垣さんは長い付き合いだし、君に関して私が知っているのは、第一診療部にいる使える心理士という事だけだ。君のコンピュータースキルまでは知らないし、私には谷垣さんを疑う理由がなかったんだ」

「そのお言葉が免罪符になると考えているんですか。ずいぶんと安直な判断ですね。普段から、患者さんと向き合うお仕事をされているわりには、単純すぎると考えます」

「そうやって問い詰めて何か嬉しいのか」

「先に責め立ててきたのは部長のほうです」

「怒りが先に来てしまったんだ。それは謝る。しかし、私に谷垣さんを疑う理由がなかったんだ。長年の同僚だし、何度も深刻な相談に乗ってもらっている仲だ。そんな場合、何を優先して信用するかなど、考えもしないだろう」

「だったら内線で呼び出してもらえればよかったはずなんですが、いきなり、証拠が残る電子メールを、送りつけてきたのは悪手だったと思います」

「だから一方的な判断をしてしまったことに関しては謝っているじゃないか。私が聞きたいのは、なぜこんな手段まで使ったのか、それだ」

「ずいぶんなことをされたとお考えのようですが、それは私も同じです。部長と私では年齢も違うし、役職も違うわけです。力関係を考慮せずに、酷い内容の文面を送りつけた事実は消えません。なんなら民事で告訴でもしましょうか」

 小川部長は言葉に詰まった。軽率な行動だったとは理解しているらしい。私は続けた。

「この件に関して谷垣さんと話をされましたか」

「……いや、まだだ。確認しておこうと思ったから君を呼んだんだ」

「話の順序がすべて逆だとお気づきですか。この場合にはまず谷垣さんに話を聞くべきではないのですか。部長の判断や行動は、あまりにもいびつで後手後手に回りすぎています」

「……それは認める。わかった。確認してみる」

 それ以上の話をする必要性が感じられなかったので、私は席を立った。私も怒っているのだ。

●職員食堂にて

 その数日後、谷垣氏が職員食堂で夜勤のために夕食を摂っているところに遭遇した。一般的に臨床心理士の仕事に夜勤は無いのだが、夜勤が必要になる部署に異動させられたのだ。

 谷垣氏は私の顔を見ると、無理やり笑った顔をして言った。

「ああ、プログラムをワイパーに入れたのは私だったね。ごめんね。間違えていた。小川部長から内線が来たときには驚いたよ。勘違いしたまま伝わっちゃったんだね。いやあ、悪かった。ごめんね。ははは」

 よくもまぁ、こんなひどい嘘を言えるものだと逆に感心してしまった。どう考えても、自分でしでかした誤操作を、私のせいにして話したというだけの、その場しのぎだったのだ。

●連鎖する悪意

 数日後、なぜか私は直接の上司である第一診療部の部長に呼び出された。第二診療部の方々と起こしたトラブルもどきのせいじゃないかと考えていたのだが、斜めの方向から変な矢が飛んできた。

「永谷君、君が既婚の看護師と不倫関係にあるという話が来ているんだが、その件について聞きたいんだ」

 罠だ! そう直感した。根も葉もない噂を流されたのだ。犯人は言うまでもない。完全に呆れて聞き返した。

「それは噂のレベルですよね。そんなつまらない話を確認するために私は呼び出されたんですか」

「院長から言われたんだ。確認しないわけにはいかないし」

「では、何か証拠でもあるんですか」

「……うーん、これを本人の前で見せるのはどうかとも思うんだが、こんな写真すらあるんだ」

 そこで見せられたのは、私と同じ第一診療部で仕事をしている小松看護師が一緒に帰っている写真だったり、喫茶店に寄っている写真だった。それだけならまだ良い。ご丁寧なことに、背景が繁華街だったりファッションホテルにすり替えられているものもある。この写真を撮影・加工するのにどれだけの時間と手間がかかっているのだろう。元は自分がついた嘘がバレて恥をかいただけの話だったはずである。人の悪意と接することはたびたびあったのだが、これほどまでの執念になるんだなぁと驚いた。こういった言葉でのいじめでは、悪意がそのままつたわってくる。耐えかねて自殺者が出るのもおかしくはない。

 しかも、念の入ったことに、小松看護師の妻と子どもが写っている写真は長期間にわたっており、冬のクリスマスで賑わう街の風景から、夏に山でバーベキューを楽しんでいる風景まで用意されている。そして小松看護師の妻の顔が、全部私に変えられていた。ここから推定できるのは、もともと嫌がらせをしたかった標的は私ではなく、小松看護師のほうだったということだ。おそらく、小松看護師の家庭を壊すことが目的だったのだろう。たいていの場合、男が男に対してこういう事をするのは、妻のほうに写真を見せて関心を引き、味方として取り込みたいという下心である。おそろしく執念深くて、幼稚な動機だ。たまたま私との間でトラブルが起こったので、私の顔写真を使ったというだけの話に違いない。何ヶ月も親子をつけまわし、一眼レフやスマホで写真を撮るのは歪みきった感情だが、それを誰にも見せなければ犯罪にもならない。だが、ここで谷垣氏は焦ったのだろう。

「で、部長はこの写真がすべて事実だと考えているんですか」

「疑う根拠もないからね」

「今の時代、この程度の写真が信じる証拠にでもなるとお考えなんですか」

「確かに信じる根拠にもならないね」

「つまりは真偽不明のまま、私は事情を聞かれているわけなんですか」

「院長からの命令だから聞かないわけにはいかないんだ。私の立場も察してくれ」

「では、すべてがフェイクでしかないとだけ申し上げておきます」

 その時は真偽不明、本人は否定ということで片付くと思っていた。だが、人の悪意が増幅された結果として起こった案件を何度も体験しておきながら、そのことをすっかり失念していた。

 数日後、TORとVPNを通した架空のメールアドレスから、告発文と偽造写真が全職員向けに送信されてしまったのだ。調べてみたところ、画像は巧妙に細工され、位置関係のズレやピントの違いといった不自然な部分は見つけられず、証拠になるメタ情報はすべて消されていた。かなりの工夫を凝らしたようで、文章には何の癖も無かった。つまり、まるで証拠がないのだ。もちろん、相手の看護師にもメールが届いているため、疑いの目は両者に向けられた。一瞬のうちに職場が針のむしろになってしまった。

 私は同僚の家庭を壊そうとする女だと見られ、それまで仲が良かった小松看護師からは、「もうお互いに近づかないようにしよう」と直接言われてしまう始末だった。数少ない仲の良い同僚との関係を一瞬で壊されてしまい、深く傷ついた。もともと職場という雑多なパーソナリティが入り交じった環境で、仲が良くなるという事そのものが珍しいのに、それを壊されてしまったのだ。この心理的なダメージは大きい。

 一般にいじめの事件が社会問題にはなるものの、法的に罰せられることが少ないのは、初動が遅れるためである。発覚するのに時間がかかるためだ。名誉毀損の告訴期限は半年と短いものだし、明らかに殺人だとか、自殺に追いやってしまった場合にも事件が発覚した時にはすでに時間が経過してしまっているので捜査がしにくいのだと聞いた。

 ここは早急に動く必要がある。私は前回訪れた弁護士事務所に在籍している刑事事件に強い弁護士を紹介してもらい、相談をもちかけた。事が事だけに谷垣心理士と小川部長の二人を告訴し、警察は事件性があると判断したので捜査が入った。谷垣心理士と小川部長の自宅にあるPCなどはすべて押収され、ネットワークへのアクセス記録も徹底的に調べられた。

 そうしたら、案の定というか、当然というか、谷垣氏のPCからTORやVPNのツールが発見され、その使用記録とメールが全職員に送信された時刻が一致した。さすがに加工された画像などを保存してはいなかったし、メールの通信経路は追えないので直接的な証拠を見つけることはできなかったが、日常的にTORなどの匿名ツールを使用していたらしく、それは押さえられた。直接的な物的証拠にはならないが、状況証拠は揃ったのだ。

 私の希望もあり、罪を認めれば告訴は取り下げると伝えてあったので、谷垣心理士の自供が得られたらしい。私はこんな悪意に一時たりとも付き合いたくはなかったので、全職員宛の謝罪文と反省文の提出だけで済ませることにした。

●谷垣心理士との面会

 私は谷垣心理士が仕事をしているデスクまで赴いた。そこで、今まで我慢してきた言葉を口にした。

「この職場って凄いですよね。壁に耳あり障子に目あり。火のない所に煙を立てる。根拠も無く憶測だけで、院長宛てに酷い嘘の告発メールが届く。それを小川部長が後押しするので、無意味な告発が通ってしまう。今まで何人の人を濡れ衣で告発してきたんですか? そういうのってたいていはバレるものですよ。コミュニケーション・ツール内に、小川部長と谷垣さんが人の悪口を書きまくっているグループ、ステルスはしてありますけど、セキュリティが不完全で筒抜けだってご存じでしたか」

 それにしても、なんという美しくておぞましい信頼関係、そして砂上の楼閣でしか無かった選民意識なのだろう。自己啓発セミナーなどでは、「本当に望んでいる自分の価値」をダイヤモンドと呼ぶのだそうだが、ここまでくるとこんなに狂った正義感はダイヤモンドなどと言うものではない。ダイヤモンドに近い屈折率をもつというだけで使われる人工石のキュービックジルコニアでできた安くてもろい関係にすぎないが、そう呼ぶことすらキュービックジルコニアに対して申し訳ない気がする。

 心の中で「もうこんな職場にはいられない」と考えていた。そして、私は退職を決意した。

    *   *

 その後、私はと言えば、このトラブルから退職を考え、上司にも伝えたのだが、事情がすべて知れわたっているので、本件が原因で辞めさせるのは体面的にもまずいことになるとの理由で強く引き留められた。私をトラブルに巻き込み、弁護士からの内容証明が届いたことから病院内で調査が行われ、誰もが知っていた秘密……そこからエスカレートして起こってしまった盗撮写真と加工画像の送付……これまで影で行われてきた陰湿な行為がすべて明るみに出てしまったのだ。

 私を悪者にしようとしていた二人は、問題行動を起こしたものの何の件でも罰せられていないので解雇にはならず、そのかわりそれぞれ別の部署へと配置換えになった。ファイル削除事件の際、嘘を付いたとのことで谷垣氏はインターネットを使った二十四時間体制でカウンセリングを行っているテレビ電話相談の係になった。そして、谷垣氏の暴走を知りながらも黙っていたとのことで、第二診療部の部長は外来を看ることのない附属病院勤務になった。これまでの日勤だけの職場から夜勤のシフトが入る職場への移動ともなると、そうそう二人で悪巧みもできなくなるだろう。ただ、こういう人物は、過剰なまでにプライドが高いので、再び何かをしでかすかもしれないが、もう次は無いので大人しくなるだろう。

 かように、理不尽で勝手な正義は邪魔なだけなのである。

(了)

※本稿に関しては、伊野隆之様および宮野由梨香様より多くの助言をいただきました。この場において深く感謝させていただきます。