「皆、集まったようだな」
と言ったのは北町奉行曲淵景漸(まがりぶち かげつぐ)である。時は明和八年(一七七一年)弥生の季節であった。
「お奉行様、今日は新しい生き物に関する会合を行うとしか聞いておりませぬ。それに場所は小塚原刑場な上、家人に行き先や用事を告げることはもとより、駕籠で来ることも供の者を付けることもあいならぬ。矢立て、懐紙など字を書き付けられる物一切の持ち込みを禁ず、必ずお一人で来られたしと使いの者が口頭で伝える。こんなに決まりの多いへんてこな会合は初めてでござるぞ」
「杉田殿あいすまぬ。事は奉行所だけではなく、本草学、医学、下手をすれば蘭学にまでまたがる事案かもしれなくてな、本日はこれを読んで欲しいのだ」
「これは、先日日本橋近くの裏長屋で起こった、小火騒ぎ(ぼやさわぎ)の調書でござるか?」
「この火事で死んだのは炭屋塩原の奉公人五助、火付けを行った下手人は同じ店で働く手代の彦三郎。こちらはもう捕まえてあるのだが、こ奴少々錯乱しており理解出来ぬ事を申すのだ」
「えー、何々? 貸した銭を返さぬ五助の奴を後ろから金槌で殴った上に、五体ばらばらにして淵に投げ捨て去れども生き返って来て候。故に焼き殺すしか無之(これなし)と思いて候。死体が生き返ったと?」
「同じ店で働く者の証言では、五助は火事にあうまで確かに店で働いていたと言うのだ。さらに注目すべきは火事場から見つかった死体の状態だ」
「首、腕、足が胴体から切り離されてバラバラで見つかった? いったんくっついた頭や手足がまた離れたと?」
「その上奇妙なのは腕や足の切り口だ。皆こちらへ来てくれ」
杉田玄白その他大勢を連れた曲淵景漸が腑分け(死体の解剖)場に入り、台に乗せた五助の首、腕、足を見せると
「お奉行、何ですか? これは? 切り口に動物の牙のような物がビッシリ付いておりますぞ!」
「杉田殿ならこれが何か知っているかと思ってな。阿蘭陀(オランダ)の書物でこれと似たものは見たことは無いかのう?」
「イヤイヤ、阿蘭陀の医学書にもこんな奇妙な物は載っていなかったはずで御座います」
「私、故郷でこの切り口と似たものを見たことがありますが?」
「おお! してお主の名前は?」
「拙者、仙台藩江戸詰の藩医工藤周庵(くどうしゅうあん)と申す者で御座います。仙台ではヤツメウナギが捕れます。他の魚の腹に食いついて血を吸うのですが、それの口に非常に良く似ておりますな」
「お奉行、まさかこれが本日集まった議題で御座るか?」
「そうだ。ワシも薄々これは生き物ではないかと思っておったが、工藤殿の一言で決心が付いた。虎松、入って参れ」
「へぇ~い」
と言いながら粗末な身なりをした下人が腑分け場に入ってきた。
「この虎松と申す下人、まだ若いが腑分けの腕前は確かだ。虎松、早速で悪いが、この腕を腑分けしてくれ」
「へ~い」
と言うと虎松は道具を取り出し、慣れた手つきで五助の腕の腑分けを始めた。
「お奉行様、これは本当に人の腕でごぜえますか? あっしも長いこと腑分けはしておりますが、まず骨の形が違いすぎますし、腕の中に胃や肺に腸まである奴は初めてですわ」
「工藤殿の仰るとおり、これに似たものはと聞かれればウナギではないかなぁ?」
「虎松、腑分けご苦労であった。下がって良いぞ」
虎松を下がらせた曲淵景漸は
「見たまま聞いたままの印象だけで判断すれば、このヤツメウナギの親戚が死体の傷口に食いついて血を吸い、生きた人間のように動き回ったと見える。これが新種の生き物による江戸攻めの前触れで、一刻も早く見つけ出して皆殺しにすべきなのか? それとも捨て置くべき珍例なのか? を明確にした上で公表せねば、恐怖で混乱した町人共が、人付き合いが悪いだけの無実の人間を寄ってたかって嬲(なぶ)り殺しにしかねない。杉田殿、ワシの言いたいことが解るな?」
「十分あり得るでしょうなぁ。とりあえずこの生き物に名前が無いのは不便なので、仮の名称とかはもうお考えになりましたか?」
「ああ。八つ目があるように見えるからヤツメウナギなら、人の見た目にソックリであるからヒトメウナギというのはどうだろうか?」
「いいですな。正式な名称は後で決めればいい。あくまで仮の名称なのですから」
「恐らくヒトメウナギは彦三郎が死体を捨てた淵に生息しておるに違いない。彦三郎を責めてどこの淵に捨てたと尋問するよう部下に命じておこう」
※
二ヶ月後、杉田玄白、工藤周庵は曲淵景漸の口添えで江戸城に登城を許された。二人が訪れると広間には曲淵景漸だけではなく、松平定信、田沼意知など幕府の重役たちから将軍家御侍医千賀道有までもがずらりと並んでいた。杉田と工藤は幕府のお偉方に事件のあらましを説明するために呼ばれたのである。二人が説明し終わると曲淵景漸が
「杉田殿、色々興味深いことが解った。彦三郎が死体を捨てた淵はワシの屋敷のすぐ近所でな、ワシが幼少の頃に刀を持ったくせ者に襲われて溺れた記憶がある所だった。あそこは確か授かり淵と呼ばれていたのを思い出してな、土地の古老に聞いてみたのだ」
「で、何と?」
「その昔、戦で足を切り落とされた落ち武者が淵で身を清めようとした際に、疲労で身体が水に浸かったまま眠ってしまったのだが、目が覚めると切られたはずの足が生えていたという言い伝えが残っておった。古老が言うには淵に住む神様が哀れんで新しい足を授けてくれたとされていたな」
「で、その授かり淵は調査されたのですか?」
「ああ、淵に投網を打った結果、ヒトメウナギそのものが捕まえられた。どうもヒトメウナギは死体に食いつくまではウナギそっくりで、食いついた生き物の手や足などの部位に合わせて身体のほうを変形させるようだな。それに興味深いものも網にかかったぞ。殴られた跡が残っている五助の首と切り落とされた腕と足だ。切り口も火事現場の胴体とピタリと一致したぞ」
「つまり、授かり淵に投棄された五助の死体の胴体部分にある傷口に、五匹のヒトメウナギが食いつき、五助に成り代わったと言う訳で御座るか。しかし、ただのウナギが五助の名義で借りていた長屋に帰って人と同じように生活していた? お奉行、ヒトメウナギという生き物、我々の想像以上に賢い生き物なのでは御座らんか?」
「炭屋塩原に再度確認したが、いつも通りに会話も仕事もこなしていたから、店の人間は誰一人五助が入れ替わっていたと気づかなかったそうだ。それで手代の彦三郎が付け火に及んだのだ。何せ自分が殺して授かり淵に捨てた死体が生き返ったとしか思えなかっただろうからな」
「これでようやく小火騒ぎ(ぼやさわぎ)の調書に書かれていた内容の意味が通じましたな」
「長屋に帰ってきた上にお店でも働いていたと言うことは、ヒトメウナギが捨てられた五助の首から記憶を吸い取った後、胴体部分に首の代わりとなって寄生していた? 五匹のヒトメウナギは連携した動きが取れると言う事で御座るか?」
「憶測ではあるがな。しかしこれで解ったのは、ヒトメウナギは切られた腕や足の代用品として有効活用できないか? と言うことだ」
「それは実験をしてみないと解りませんが、死体ですら動かしたのですから恐らくは上手くいくでしょうな。万一異国と戦になって侍が手足を無くしても、ヒトメウナギを傷口に食いつかせればまた戦いに戻れますぞ。胴体をやられぬ限り黄泉がえり続ける不死の軍団の誕生か?」
「玄白殿、それに死体の首から記憶を吸い取れるのなら、老衰で死ぬ前の学者に食いつかせることで、未完成の研究の引き継ぎができますな。さらに外国にヒトメウナギを運んで、よその国の発明家や将軍に噛みつかせれば、新発明や国家機密の記憶を吸収して盗むことも可能と言うわけで御座る。こんな生物は悪用を防ぐ為に絶対に公表できませんぞ。ヒトメウナギの生息地と思われる授かり淵は、今すぐ幕府の管理下に置かないと危険です!」
「うむ。ワシから老中の父上に進言をしよう」
「意知様、お願い致します」
話し合いを終えた曲淵景漸は控えの間に戻ると独り言を言った。
「やれやれ、ここまで利点を示してやれば人間も我々ヒトメウナギを滅ぼそうとはしまい。むしろ保護して増やそうとするであろうな」