「Jの悲劇」市川大賀

Jの悲劇 市川大賀

 少し今日は遅刻気味だな。そう思った僕は、日々変わらぬ駅への通勤コースを歩く速度をちょっと上げた。すると遊歩道を反対側から、一人のボクサーがこちらに向かって走ってくる姿が見えた。
 初見でそう判断出来たのは、上半身裸に下半身はトランクス一つ。足にはボクシングシューズ、手にはボクシンググローブと、非現実的に分かりやすく試合に挑むボクサーの姿そのままだったからだ。
 
――試合が近くて緊張してるのかな。それにしても寒くないのか――
 
 そう思って眺めていると、目線を合わせてきた。そして、あきらかに方向を変えて、僕の方にファイティングスタイルのまま向かってきたのである。
 
「ちょっ、おい。まっ」
 
 恐れおののき後ずさる。しかし初対面のはずのそのボクサーは「うるせぇ! つべこべ言わずリングに沈みやがれ!」と叫んでこちらに向かってきた。
 
――リングってどこぉおおぉォオォオ!?――
 
 カバンで必死に、ボクサーが繰り出してくるジャブを防御する。非現実な恐怖を味わいながらも、「変な髪形だな」と余計なことを考えていた。――すると。
 
「みつけたぞ! それまでだ!」
 
 そんな声がどこかから響いて、ボクサーは背後を振り向いた。僕は喜ぶより唖然とした。なぜならば、ボクサーに向かって飛んできた少年は、やはり変な髪形で……いや、そんなことはどうでもよく、空を飛んで颯爽と僕の前に降り立ったからだ。少年が地面に降り立つと、空に舞っていた黄色いマフラーがフワリと垂れ下がる。服装も独特で、全身赤いユニフォームに身を包んで黒いブーツを履いていた。
 
「へへっ。俺とやろうってのかぃ」
「もちろんだ。それが掟だからな。だがレイガンは使わない」
「おいおい、俺のパンチを侮るなよ。お前如きガキになんの手があるんだ!」
「後は勇気だけだ!」
 
 もう完全に僕は置いてけぼりを食っている。ボクサーと赤い服の少年は、目もくらむ速さで殴り合いを始めた。今なら逃げられそうだ。会社に遅刻するわけにはいかないんだ。
 そろりと逃げようとしていると、上空に飛行機のエンジン音が轟いた。その音はどんどん大きくなって近づいてくる。仰ぎ見ると、スペースシャトルによく似た巨大な飛行機が向かってきて、上空を通りすがろうとするタイミングで一人の少年がパラシュートで飛び降りてきた。
 
――またかよ!――
 
 少年は、ブルーのジャケットに黄色いボタンを胸に幾つもつけた作業着のような姿で、下半身は銀色のズボンを穿いている。というかもっと驚くのは、両手に明らかに機関銃に見える銃器をかかえていることだろう。――っていうか銃器!?
 
「見つけたぞ! 悪いがお前らは、始末させてもらう!」
 
 機関銃を手にした少年は、先に胸の黄色いバッジをむしり取り、ボクサーと赤い少年の戦いに向けて投げつけた。なにがなんだかわからないが、その黄色いボタンは地上に落ちると爆発を起こし、一気に周囲を炎に包んだ。もっと驚いたのは、ボクサーと赤い少年がその炎をかわしたことだった。
 
「火器を使うなら僕も使う!」
 
 赤い少年がホルスターの銃を抜いて青い少年に向けて撃った。その銃は光線銃だったらしく、パラシュートを貫くが、青い少年はしなやかに地上に降りて機関銃を乱射し始めた。
 爆発。炎上。悲鳴。町はどんどんパニックになっていく。僕のことはなぜかボクサーが狙ってるらしく、迂闊に走って逃げると追いかけられそうで動けない。
 今起きている非現実的な乱戦に対して、街の人々は逃げ惑う。青い少年が機関銃を構えなおすと、その銃に「羽根手裏剣」としかいいようのない何かが鋭い回転でヒットして、機関銃は空を舞った。
 その空から、全身黒づくめの男が、こちらも空を飛んで舞い降りてくる。広げた両手と体の間には、鳥の翼のようなマントが貼られており、被ってるヘルメットも鳥のくちばしのようにバイザーがとがっている。
 
「正義とは、法と秩序を護るものだ」
 
 地上に降り立った黒い男が言い放つが意味が分からない。
 意味が解らずゆっくり後ずさっていると、足元に何かが刺さったのでびっくりして悲鳴を上げた。振り向くと、そこにはあり得ない(ここまでも充分あり得ないが)ものを見てしまった。
 30㎝ほどの身長しかない兵隊。いや兵隊の人形なのだが、一個小隊で銃を構え、意思を持ち命を得たかのように動いているのだ。先ほどの痛みは、銃剣でくるぶしを刺されたためらしい。人形の小隊は改めて僕に向かって銃を構えた。
 
「構え! 撃て!」
 
 その号令の瞬間、僕は誰かに体を抱かれて跳躍していた。誰が助けてくれたかわかるわけもない。着地した時、ようやく普通の人に助けられたと思えた。黒づくめだがスーツで決めている。「ありがとうございます」とお礼を言うと、その男は懐から拳銃を出してこう言った。
 
「俺か……。俺は生まれながらの殺し屋だ」
 
 訂正する。普通の人ではなかった。自称殺し屋は、人形小隊と銃撃戦になっている。赤い少年と青い少年は光線銃の撃ち合いになってるし、僕にはボクサーが迫ってくる。捕まりそうになった時、割って入ったのはついに人間ではない存在だった。まるでTVのヒーロー番組に出てくる怪人で、それも虎の怪人だった。右目を隻眼にしており、腹部には剣道の鎧のようなものをつけ、ボクサーに向かって刀を構えている。
 
「正しい者が勝つんじゃない。強い者が勝つんだ」
 
 虎怪人はそう言って、ボクサーに切り付けていった。ボクサーは天才的な動きで刀をよけまくる。もう町は火の海で、警察も消防も、どうにもならない状態になってきている。もう会社の遅刻は決定的だが、その会社がまだ健在かどうかも怪しくなってきた。
 呆気にとられていると、ヒュインヒュインと音がして、4機のUFOが飛んできた。はは……はははは。もう何が来てもおかしくない。4機のUFOは町の駅前で縦に合体して、40mはありそうな巨大ロボットに変化した。
 ロボットは、意味不明な「ワッシ! ワッシ!」という作動音を立てながら迫ってきて、頭部から光線を発射してきた。駅ビルが一撃で爆発して破壊される。ロボットはどんどん光線を撃ちまくった。
 巨大な体で町を壊しまくる黄金ロボット相手に、戦っていた少年同士が手を止める。

「ちきしょう! 俺だ。聞こえるか! こちらへ来てくれ!」と青い少年が通信機に言えば、「もうこうなったら、9人全員揃わなければいけないのか……」と赤い少年も呟く。ヤバい。こいつら騒動を広げる発想しかないらしい。絶望にひしがれてると、空の彼方から、ロボと同じサイズの超人が飛んできた。全身赤い体に銀のラインが走り頭部も銀色だが、額と胸にグリーンのスターが輝いている。
 
「ショワー!」
 
 超人が両手を構えると、光の球体が現れそれを投げつける。ロボの背中に着弾して爆発する。しかしロボは倒せない。僕は溜まりに溜まったストレスが爆発した。
 
「いったいなんだってんだよ! そもそも僕はなぜ巻き込まれるんだよ!? もうこりごりだぁっ!」
 
 それぐらい叫んでしまった。虚空に向けて理不尽さを訴えた。誰かに向けてではなかった。
 しかし、その僕の叫びを、見守っていた高校生男子が受け止めていた。高校生男子は通学の最中だったらしく、詰襟を着てすくっと立っている。
 
「そう。これは無益です。やめましょう」
「やめましょうって……。いったいどうやって!」
 
 つい突っ込んでしまったが、高校生男子はふっとシニカルに微笑むと、スーッと真上に浮き上がり上空へと飛んでいった。はぁ……またしても僕と接してくれたのは一般人ではなかったのか……。落胆していると、彼はこの大騒動の中心の上空に止まった。
 
「超能力! 絶対零度!」
 
 高校生男子がそう叫ぶと、それまでの阿鼻叫喚地獄絵図が一瞬で静寂に包まれ、周囲の全てが凍って固まってしまった。
 僕をつけ狙ったボクサーも、救ってくれた虎の怪人も、巨大ロボットもヒーローも。僕とその高校生男子以外は、全て凍って固まってしまっている。
 僕も別の意味で固まっていた。理解不能な現象が次々と起こったかと思えば、唐突に理解不能な現象が解決をする。
 
「なんだったんだ……。結局、結局今の騒ぎは、なんだったんだ?」
 
 独り言で言った問いかけに、降りてきた高校生男子がさわやかに言ってのけた。
 
「ジョー談ですよ」