「SF Prologue Wave編集部メンバー他己紹介その8」(大野典宏)

「SF Prologue Wave編集部メンバー他己紹介」大野典宏(質問者 高槻真樹)
「SF Prologue Wave って、どんな人たちが作っているの?」という声にお応えし、SF Prologue Wave編集部メンバーに、別のメンバーが質問をしてみました。

1.PWでは、システム面でのサポートを全面的にお願いしているわけですが、ウェブマガジンとしてのPWの現状についての感想と、今後の可能性についてご意見をうかがえますか
 現状では、残されたデザインを継承したまま続けているのですが、もっと親しみやすいUIにできないかとは考えています。ただ、Wordpressというシステム上、簡単に操作できる反面で、そうそう簡単には中核には触れないし、変更した途端にバージョンアップの恩恵が受けられなくなります。そのへんは二律背反ですけど、受け入れてしまったものを変更するのはかなり勇気がいります。
 何とかして表向きのアクセサビリティを向上させて、なおかつセンスアップできないかとは考えています。それには専門のWebデザイナーが必要になりますけど。

2.IT技術者としてこれまでどのような形で活動してこられたのでしょうか。さしつかえのない範囲内でお話いただけましたら

 おことわりしておきたいのですが、私は自分がIT関係だと考えた事はありません。私の興味はあくまでもエレクトロニクスであり、その延長上にあるコンピューターについて考えているだけです。
 最初に電子楽器メーカーに所属した時にはLSIの設計をやらされていました。
 その後、宮内悠介さんの短編で有名になった「トランジスタ技術」という雑誌の編集に転職しました。この雑誌は、いわゆるPC雑誌ではありません。PC雑誌というと使う人向けの内容を思い浮かべると思いますが、この雑誌はPCやマイコン搭載機器、電子機器を作る人、設計する人向けの雑誌なんです。ですから、その原稿の内容が正しいのか間違っているのかを判断できる知識が必要になるわけですね。日々が知識の更新だったので、それは楽しい世界でした。
 メーカーにいる最新の技術を操っている人達に直接あって原稿を頼むわけですからね。こちらも理解したうえで企画を立てなければなりませんし、その善し悪しを判断しなければなりません。最新の技術、つまりCPUとかバスや通信規格などに関しては、とにかく元を参照して裏を取る癖がついたのは、この習慣のおかげです。
 今では元となる事象や根拠に関して元にあたらないかぎり納得できなくなってしまいましたけど。

3.SFとITの関係性についてご意見をいただけますか。特にAIやChatGPTについて、数世代前のパルプSFのような脅威論が大真面目に語られている現状について、私たちはどう対応していくべきでしょうか

 メアリー・シェリーの書いた「フランケンシュタイン」から何にも学んでいないなぁとしか……。自分が作った物に責任が持てないのだったら、「最初から作るな!」としか言えません。ヴィクター・フランケンシュタインが犯した過ちを繰り返さないために「まず倫理を決めよう」などと言っていること自体が躓きになっているんじゃないかと。だいたい、SF映画の金字塔とも言われる「ブレードランナー」だって、最初に見た時に「これってフランケンシュタインそのままやなぁ」と思いました。同じところをグルグル回っているわけですね。
 そもそも人間が完全であるとか、全知全能だのといった前提で考えている時点で間違っていると考えています。今まで何度もAIブームが起こってきましたが、結局はしぼんでしまいました。今も人から学習しなければ何も生み出せないという矛盾を抱えています。
 まず論理的な限界があります。今のAIは原理的に発問ができません。解くべきテーゼを提唱することは、現在の学習モデルではかなわないからです。人間が問題を与えなければ動きません。プログラム内蔵方式を使っている限りは無理です。で、人類はこのモデル以外のコンピューターを知りません。クルト・ゲーデルが「不完全性定理」の論文でアラン・チューリングのことを褒めまくっていますが、あれって思考する(ように見える)機械には、特定の公理系においては自ずと解けない問題が発生するとの証明をコンピューターの側からアプローチして同じ結論に達していたからです。私がシンギュラリティに否定的なのは、その限界を原理的に超えられないからです。
 そして、「解いてはいけない問題」にも直面するからです。まず挙げられるのが「トロッコ問題」ですね。これって原則的に「正解があってはいけない問題」だと私は考えています。その他にも戦争の論理、死刑や刑罰の倫理基準も存在します。「目には目を」というハンムラビ法典は、「犯した罪に見合った罰を与える」という基準を示しました。今でもこれが国ごとに揺れているような状態で、我々はいったい何を基準にするのか。それを機械に任せるって究極の責任放棄だと考えています。

4.ロシア・東欧SF紹介においても、積極的な活動を続けてこられました。そのきっかけと今までの経緯を教えてください

 まず、大前提として「私は元から真っ赤っか」だったことが挙げられます。
 私の年代では、黒澤明監督作品や熊井啓監督作品、岡本喜八監督作品で「生産者、社会を底辺で支える者が最も偉い」との考えをたたき込まれましたし、ロシア文学の地位は最上位でした。そんな過程で「赤くなるな!」と言われても困りますよね。
 唯物論の立場だけは譲れませんね。唯心論に関しては、もともと人間が不完全なものであるという考えを捨てる気は無いので、私は考慮するつもりもありません。

5.レムにおいては、IT技術者としての知識を活かした改訳の『宇宙飛行士ピルクス物語』など、新たな発見をもたらしました。他作品でも、新訳ではなく、改訳にこだわられている理由について教えてください

 著者が生存している間には改訂が行われるからです。「あの本は古い訳で読んだからもう知っている」じゃイカンだろうと。その後にも文学研究で新しい知見が提唱されるなど、その価値は変わり続けます。
 あとは、深見さんの翻訳って専業翻訳家になった80年代にものすごい数をこなされていて、それで解像度が荒くなっているところがあるのは避けようのない事実です。特に理学・工学への知識が必要になるところが見逃されているとか。だから、返しきれないほどの恩や機会を与えてくれた深見弾さんに、一生をかけての恩返しをしたいと、深見さんの葬儀の時に誓いました。

6.ウクライナ侵攻以降、複雑な目線で見られがちなロシアSFですが、現状をどのように考えられますか。ウラジミール・ソローキンの暴力描写は、私たちから見ても理解可能なものに思えますが、エドゥアルド・ヴェルキン『サハリン島』(河出書房新社)には、理解しがたい不穏さが感じられます。暴力振るい放題差別し放題の世界をこの書き手はユートピアだと思っているのではないか、とも解釈できるのですが。

 そもそも、トマス・モアが書いた「ユートピア」って、あそこに示された世界観が理想だと思いますか。教育という名の元にされる価値観の逆転、奴隷制度の肯定などなど。国家による国民への洗脳を教育と呼んでいるだけにすぎないという真実の一面が垣間見えますよね。教育の怖さって、ジェームス・クラベル「23分間の奇跡」っていう有名な短編だけでも知ることが出来ますし。したがって、私の解釈では、「ユートピア」と「ディストピア」って同じ意味にしか聞こえないんです。
 ルソーですら、自由な市民社会においては奴隷の存在が欠かせないって……。これを現代的な価値観で受け入れられますか。
 ファンタスチカって意味がすごくひろくて、ロシアでは特に「いかに現実とはかけ離れた方法で今の現実を描き出すのか」を競い合っているようなところがあります。ゴーゴリを起点とした、ゲーテの「ファウスト」とか、ブルガーコフの作品群ですね。あんなに豊かな文学を「古いから」というだけで敬遠して良いわけがありません。
 「サハリン島」は、日本人だからこそ、あの残虐性を受け入れなければならないと考えています。

7.IT技術評論・ロシア東欧SF紹介において今後やってみたいと考えておられることがありましたら、教えてください。

 「ネットde真実」の方々を正気に戻したいですね。
 ロシアの強硬派は完全にQアノンとか、日本の表自戦士や暇アノンと区別がつきませんから。
 私は特に戦争文学の五味川純平さんとか、社会派ミステリ作家の松本清張さんが大好きで、SF作家のみなさんから以上に影響を受けているので、今の浮世離れした空想的ミステリとか、ふんわりしたSFの立場から離れてリアリズムを積極的に評価していきたいですね。

EX.(回答不可能でしたら没で結構です)レムの『技術大全』について、技術者の一人として回答可能な感想がありましたら、お願いします。

 考え方はわかります。ただ、「異質な進化を遂げるだろう」という提言はその通りだと考えています。ただ、相当に頭を柔軟にして、シニカルな正論に耐えうるだけの読者で無いと読むのは無理だろうとも考えていますね。あれは日本語がわかるポーランド人でないと翻訳するのは不可能じゃないかとも考えています。今まで何人も挑戦して挫折した理由はわかります。
 今はすでに「完全な翻訳」などという概念が幻想であることはわかっているので、部分的に説明することはできるものの、全体を無矛盾で翻訳するのは自分には無理だと諦めています。

◎質問を終えて 高槻真樹
 質問すれば何かが起こる。というわけで、回答を待っていてこんなに楽しみだったことは過去に例がありません。きっと斜め上のすごい回答をしてくれるんだろうなあと思いつつ、まさかまさかの手前斜め上であったという。あ、3D仕様だったのか……という感じですね。
 ソビエトカルチャーにどうしようもなく惹かれつつ、強権支配へのアンチテーゼはだれよりも強い。大野さん、私もそうですよ。でも、だからこそそういう人にしか描けないものっていっぱいある。そのあたりは共産主義にただ否定的な印象しか持っていない単純な人には描けない世界。
 エイゼンシュテインの「戦艦ポチョムキン」やエミール・ゾラの「ジェルミナル」の熱気って、むしろ今の若い人にこそ感じてほしいですよね。そうそうこういう感じ!という熱気と屈折。これからも期待しております。ともにがんばっていきましょう。

大野典宏(おおの・のりひろ)
 ただの一読者。専門無し。賞罰なし。どこかから出てきた馬の骨だが、深見弾さんと懇意にお付き合いさせていただき、活字のSFと向き合う日々が始まる。何足もの草鞋を履いてきた人生だが、そろそろ終活を考えているところ。どこの馬の骨ともわからぬ者が、少なくとも骨として残るのだけはありがたいことである。<ここ削除>今は、明日が期待できない昨今の文芸事情を書いたベケットの劣化パロディ「護堂を待ちながら」を構想している。<ここまで削除>

骨の歌をどうぞ。
Delta Rhythm Boys – Dry Bones
https://www.youtube.com/watch?v=mVoPG9HtYF8&t=12s