「A Catroid story Side A さよならアレス」伊野隆之

 田口洋子のところの猫が、また駄目だったようだ。ネットワークを経由したステイタスレポートのアップデートが途切れてる。これで三回目だ。今回は自信作だったのに一週間と保たなかった。
「香川君、田口さんのところに行こうと思うの。アポを入れておいてくれる?」
 香川侑樹は私のアシスタントだ。アポ取りくらいならセクレタリープログラムに任せても良いが、インテリジェントなプログラムはお昼を付き合ってくれない。
「修平さんの方ですよね? 明日でも大丈夫ですか?」
 田口修平は洋子の長男だった。高齢の洋子の面倒を、横浜の郊外にある自宅で見ている。とはいえ、実際の世話はヘルパーに任せきりで、本人は中堅の広告代理店社長として忙しくしていた。
「明日でも、明後日でも良いわよ。早い方が良いけど。また、ミィちゃんが駄目だったみたい」
 田口洋子は気難しい客だった。貸し出された猫が気に入らないと、すぐに片付けさせる。いろいろ改良はしているのだが、三台目のミィちゃんも駄目だった。
 ペットのミィとしては四代目だ。最初のミィちゃんは、交通事故で二年前に亡くなっている。ペットロスで沈み込んでいる洋子を心配した修平が、開発段階だったうちのサービスを使うことにしたのだ。
「洋子さんはチェックが厳しいですからね。他では何の問題も無いのに」
 三年前に始めたビジネスは、順調に拡大していた。マーケットは大きくないから、競争相手もいない。順風満帆とまでは言わないが、スタートアップとしては悪くない業績を上げている。
「そうね。でも、不満があるって事は、まだ改良の余地があるってことだから」
 私のビジネスは猫のリースだ。本物の猫ではなく、機械の猫。ちゃんと耳がある猫型ロボットは言葉をしゃべらないし、不思議な道具が出てくるポケットも付いていないけれど、それでも私の猫は多くの人たちに必要とされていた。

 コンパニオンアニマルによって高齢者の生活の質の改善を図ろうという取り組みは、ずいぶん前から一般的になっている。実際に動物を飼っている施設もあるし、動物を飼う際の手間の問題や、衛生面への配慮からロボットを導入する試みもあった。古くはアザラシ型のロボットなど先行事例が少なくない中で、うちの会社が売りにしていたのは本物の猫にそっくりなキャットロイドだ。
 骨格に当たるスケルトンモジュールに、柔軟性の高い緩衝用のパーツを付け、まるで本物の猫のようなアウトスキンをかぶせた製品は、主に全国の高齢者施設向けに貸し出している。自律的に活動し、気が向けばあたりを探索し、足に頭をこすりつけてくる。正確な位置関係を把握する能力があり、元気な子猫とは比べられないが、自力で椅子やベッドに飛び乗れるくらいの運動能力もある。言ってみれば猫らしい猫だ。
 田口修平が私の会社に連絡してきたのは、母親の洋子が飼っていた三毛猫が交通事故で亡くなった二ヶ月後のことだった。ペットロスによる鬱状態が酷く、初期の認知症と診断されていた洋子の状態が悪化することを懸念した修平の依頼は、死んだ猫にそっくりなキャットロイドを作って欲しいというものだった。
 私にとっても渡りに船だった。日本国内の高齢者施設の数は、有料老人ホームに限っても二万近い。今は、その五パーセント程度にしかキャットロイドをリースしていないが、いずれ頭打ちになるのが目に見えている。次の事業展開として、顧客基盤を裕福な個人に広げようとしていた矢先だった。
「写真と動画もあります。母のためにミィそっくりのキャットロイドを作って貰えませんか?」
 私のオフィスを訪れた修平は、そう切り出した。
 今まで個人からの引き合いが無かったわけではなく、必要な改良も始めていた。開発中のモデルは音声認識を強化し、飼い主の声にだけ反応するようになる。そのことを説明したが、修平は不満そうだった。
「外見は変えられないんですか?」
 ミィは綺麗なハチワレで、脇腹に茶色のハートマークがある。修平の母親は、その模様を気に入っていたらしい。
「できない事じゃありませんが、カスタムメイドになりますので、かなりお金が掛かることになりますよ」
 ベースになるスケルトンモジュールは全ての猫に共通だから、個人向けのモデルを作ったところで、リース費用を値上げする必要は無い。一方で、猫の毛並みに当たるアウトスキンをカスタムメイドにすると、その分の追加費用が発生する。
「費用はいくら掛かってもかまいません」
 予想通りの回答が返ってきた。これ見よがしに高級なものを身につけているわけではなくとも、田口修平は金回りの良い企業経営者らしい雰囲気を身にまとっており、私が請求する代金程度は気にならないのだろう。
「では、見積もりを送らせていただきます。それでよろしければ、二週間ほどでリースできるものを準備できるかと思います」
 個人向けリースでは、死んでしまったペットにそっくりなキャットロイドのニーズがあるだろう。ペットのクローンを作るよりは倫理的だと思うし、世話をする必要も無い。ビジネスプランとしては悪くない。

 田口家への訪問は、私一人だった。オフィスに人を残しておく理由はないのだが、ドクター論文の追い込みで時間が足りない香川君を連れ出すのは気が引けた。
 最寄り駅でわざわざ有人タクシーを呼んだのは、前回の訪問で懲りたからだ。住所は正しかったが、田口邸の大きな敷地の裏側で無人タクシーに降ろされ、途方に暮れる羽目になったことを思い出す。
 応接間に通された私が紅茶を飲んでいると、キャットロイドを抱いた田口修平が現れた。高そうなポットで入れたお茶は香りが高く、思わずため息が漏れそうになる。
「わざわざすいません。母からまた突き返されました。やっぱり、これはミィじゃないそうです」
 田口修平が私との間にあるテーブルに置いたキャットロイドは、まるで、本物の猫が眠っているように見える。
「シャットダウンしたんですか?」
 取扱説明書にはシャットダウン方法が書いてある。でも、だれもが簡単にできるようなやり方ではない。
「昨日のうちにベッドの電源を抜いておきました。捕まえるのが面倒ですから」
 追いかければ逃げる。猫らしい猫を作ったのだから当然だった。
「いいやり方ですね」
 段ボール製のベッドを兼ねた爪とぎは、専用のルーターとワイヤレス充電器も兼ねている。キャットロイドの本体にも内蔵バッテリーはあるが、消費電力に比べて容量が小さい。頻繁に充電する必要があるから、私の猫もよく寝るのだ。
「……ところで、お母様はどこがご不満だったんでしょうか?」
 テーブルの上にあるモデルには自信があった。それが、一週間も保たずに突き返された。私にとってはショックだったが、猫を改良するための良い機会でもある。
「やっぱり、全然違うそうでしてね。見ているのが辛くなったらしい」
 完璧に作ったつもりだった。飼い主も認識するし、見た目のそっくりさを追求するのは、これ以上は無理だ。
「お母様は、どこが違うとおっしゃっていますか?」
 私の問いに、田口修平は肩をすくめた。
「性格が違うんだそうです。私には何のことかさっぱりですが」
 最初のキャットロイドは重く、鳴き声も違うと言われた。栄養の良かったミィは七キロ近くあったが、キャットロイドは十キロ近い重さがあり、簡単に抱き上げることも難しい。それに、啼き声が綺麗すぎた。ちょっとしわがれたような声を再現するために、私はかなりの時間を使う羽目になった。
 次の猫は頭が悪いと言われた。どういうことか尋ねると、飼い主である洋子の姿を見ても反応しないのだという。思わず仕様だと言いそうになったが、口には出さなかった。ペットが飼い主を認識するのは当然であり、そのための開発を進めていたからだ。
 それが今度は性格だ。
「お母様にお話を伺えますか?」
 私は、そう話を切り出す。田口修平から貰っていたのは写真と動画で、それだけでは性格までわからない。
「今日は、もう休んでいます。薬の影響もありますが、歳のせいですかね、猫みたいによく眠りますよ」
 田口修平は、よくできた冗談だと思ったのだろう。小さく笑った。
「じゃあ、日を改めましょうか?」
 私の言葉には、ちょっとした棘があったのかも知れない。修平は、急に真顔になった。
「今日はそこまで気が回らず、すいませんでした。私はいませんが、明日の午前中なら大丈夫です」
 私は猫を持って帰ることにした。ミィの体重に合わせて調整した七キロの猫は、私の腕にはずっしりと重かった。

「あの子はね、私のことが大好きだったの。それで、私の姿が見えなくなるとすぐに大きな声で啼き出すのよ。それなのにお腹がすいても黙ってお皿の前で座ってるの。元々が野良だから食べるときはがっつくのに、おかしいわよね……」
 翌日の十時に、私は菓子折を持って田口邸に行った。キャットロイドに対する不満を聞くというより、亡くなったミィについて話そうと思っていた。
「ミィちゃんは、野良だったんですか?」
 私の家があるあたりでは、野良猫の姿を見かけることは滅多になくなっていた。部屋飼いが普通になり、公園や路上での餌やりは迷惑行為として通報される。うちにいたアレスも元は野良だったが、出身は北関東の地方都市だ。
「修平が保護された子猫を貰って来たのよ。孫がかわいがっていた猫が死んじゃって。でも、孫は気に入らなかったみたい」
 田口梨花だ。私の米国時代の知り合いで、修平は、その縁もあって連絡してきた。
「そうだったんですね」
 私は、なんとなく相づちを打つ。
「ミィちゃんは長生きだったわ。事故で死んだのは二十一歳だったのよ。なんで、庭から出て行ったのか……」
 飼い猫の寿命はずいぶん延びているが、二十一歳は、それでも長生きな方だろう。事故に遭わなければ、何歳くらいまで生きたのだろうと思う。
 私が飼っていたアレスが死んだのは五歳の時だ。仕事を終えて帰って来た私を、いつもは玄関で迎えてくれるアレスが、居間のソファで冷たくなっていた。獣医は心臓に遺伝的な問題があったのだろうと言ったが、本当のことはわからない。綺麗な黒に、顔とお腹と足先に白が入っていて、靴下が似合う雄猫だった。
 アレスはマイペースで、意思のはっきりした子だった。私がいなくても気にすることはないし、お腹がすけば、ご飯を貰えるまでしつこいほど啼いた。食卓の上が好きで、私が食べる全ての料理の匂いを嗅いでみないと気が済まない。私がそんなことを話すと、田口洋子ははっきりと頷いた。
「そうなのよね。猫にはそれぞれ個性があるの。それがまたかわいいのよね」
 その言葉で、私は失敗の原因を改めて認識した。私が飼ったことのある猫はアレスだけで、キャットロイドの行動モデルはアレスだった。外見を似せることを優先していた私は、猫の個性を軽視していたことに気付いた。
 田口邸を辞した私は、すぐに森川祐介に連絡を取った。ちょっとした依頼をするためで、私はその日の夕方に祐介のオフィスに出向いた。
「君の方から連絡があるなんて、珍しいな」
 五反田に本社オフィスのある小さなアパレル企業の社長でもある祐介は、保護猫の譲渡会を主催するNPOの代表でもある。ネット上の掲示板を駆使した里親とのマッチングは、当時としては先進的で、私はそこでアレスと出会い、やんちゃで暴れん坊だったアレスの虜になった。
「ログリングの件でお願いがあるの。データを使わせて貰えないかしら?」
 私がアレスに出会った頃、祐介のNGOは問題を抱えていた。恒常的な里親不足を解決するために始めた猫のレンタル事業が、猫の命を軽視しているとSNSで叩かれていたのだ。
「ああ、それなら大丈夫だ。七年分のログがあるから、自由に使って良いよ」
 祐介のオフィスが入ったビルの一階にはカフェコーナーがある。私たちは、そこで話をしていた。祐介がコーヒーに砂糖をたっぷり入れるのは、以前と変わらない。
「そんなにあるの?」
 七年分と言うことは、ログリングを使い始めてからの、ほぼ全ての期間をカバーしていることになる。
「君が言ってたじゃないか。蓄積したデータは、いつか宝の山になる、って」
 一人暮らしや高齢者であっても猫を飼いたい人はいる。飼えなくなったときに猫を引き取る条件を付けた猫レンタルは、猫の里親を増やすためのものだったが、虐待やネグレクトのリスクを避けるために里親になるための厳しい条件を付けていた他のNGOから強い反発を受けた。
「そうだったわね」
 ログリングは猫の状態や行動を記録するための首輪だ。本来は、飼い主が留守中に猫の様子を確認するためのものだったが、私はレンタルされた猫のモニターに使うことを提案した。ネットワークを通じて集められたデータは、リアルタイムで監視用のAIによって分析される。異常を検知すればすぐに飼い主に連絡するし、必要があればスタッフが出かけて確認もする。そこまでやることを約束したことで猫レンタルへの批判が沈静化し、祐介は事業化を進めることができた。
「ああ、そうだ。だから、第三者へのデータ提供に関する項目を契約に入れた。そうだろ?」
 ログリングは猫の行動や健康状態だけではなく、指向性のマイクで音も拾う。もちろん、関係の無い会話の内容などはAIによってフィルタリングされるが、飼い主が猫に向かって話しかける内容はしっかり記録されるため、猫と飼い主の関係性が把握できるし、虐待やネグレクトを防ぐには十分だった。
 それに加え、ログリングは、飼い主の状況も把握できた。検知された異常の半数以上が、飼い主が体調を崩した事によるもので、緊急入院に繋がるようなケースが何件もあった。
「匿名化を条件に、って条項だったわね」
 レンタルで猫を飼いたければ、その条項は受け入れざるを得ない。
「でも、何に使うつもりなんだ?」
 祐介でなくとも当然の質問だろう。正直に答えることに躊躇はなかった。
「キャットロイドのバージョンアップに使うの」
 祐介の表情が曇った。
「やっぱり、そうなんだな」
 アレスが元気だったら、いや、私がアレスの後に別の猫を飼うことにしていたら、私と祐介の関係は違ったものになっていただろう。祐介にとってはアレスは保護した猫たちのうちの一匹に過ぎないのに。私にとってのアレスは唯一無二の猫だった。
「ええ、そう」
 里親を必要とする猫たちがたくさんいるのに、高価な猫ロボットを作っている私が理解できない。それが、祐介だった。
「君がいなければ集められなかったし、集めようとも思わなかったデータだ。好きに使うといい。後でアクセスキーを送るよ」
 祐介の表情は雄弁だった。そんなことをして何になるという言葉が聞こえるような気がする。
「ありがとう。とっても助かるわ」
 精一杯の笑みは、きっと引きつっていただろう。

 必要なのは、猫の性格のモデリングだ。よく言われる猫の性格としては、警戒心が強いとか、好奇心が強いとか、甘えん坊とか、ツンデレだとか、優しいとか、社交的とか、そんなところだろう。けれど、そんなアバウトな性格分類はさほど役に立たない。結局のところ、具体的な行動にまでブレイクダウンしないとキャットロイドに実装できない。
 十年前、いや、五年前でも手が出せなかった課題だろう。でも、今は違う。ログリンクを通じて集めた何百頭もの猫と、その飼い主との何万時間にも及ぶコミュニケーションの記録。その大量のデータをAIに学習させるだけで、類似した刺激に対する反応パターンの分類ができる。あとはその結果をキャットロイドの反応パターンとして組み込んでやれば良い。
 好奇心が強くて甘えん坊。
 警戒心が強くてツンデレ。
 雌猫なら母性的とか、そんな分類もできるだろう。
 最初の段階では精緻なものは要らない。反応パターンの組み合わせが整合的であれば、さほど違和感は持たれないし、データが増えれば精度も上がる。
 もう一つの課題は、ハードウエアのスペックだった。猫の知性は人間の二、三歳児程度だと言われている。今のキャットロイドには最低限の学習能力しかなく、自分の名前くらいしか覚えられない。現在の家電用プロセッサ程度の処理能力では、基本的な行動制御はできても、性格を踏まえた反応パターンを組み込むには不十分だった。その一方、十分な能力があるプロセッサを搭載するとなると、サイズと排熱が問題になる。毛に覆われた猫の身体では、排熱を逃がしてやることが難しい。
 解決策はログリングの技術を使うことだった。キャットロイドの本体機能をセンサー機能と駆動制御に特化し、それ以外の機能をネットワーク経由で外部化することで、キャットロイドに内蔵されたプロセッサに掛かる負荷を減らすと同時に、キャットロイドの学習能力を飛躍的に向上させることになる。
「ねえ、どう思う?」
 私は、自分のアイデアを香川君にぶつける。優秀なデータサイエンティストで、大手企業からも引く手あまただろうに、私のところで働いているのはスタートアップでの仕事を経験するためだと本人が明言している。
「全然いけると思いますよ。今のAIはそれくらい賢くなってますし、通信速度も問題にはならない」
 あっさりと肯定するその言葉に、私はほっとしていた。

 海を見下ろす希望ヶ丘ケアハウスに立ち寄ったとき、田口洋子は上機嫌だった。修平は、体調の悪化で自宅での生活が厳しくなった洋子を、充実した介護を売り物にしたこのケアハウスに入居させていた。
「うちのミィが帰ってきたみたい」
 洋子の膝の上には、たっぷりと太った三毛猫がいる。正確に言えば、三毛猫を模したロボット、キャットロイドなのだが、ロボットらしいところはほとんど無い。見た目や触ったときの感触、抱き上げたときの重さも完全に猫そのものなのだ。
「良かったです。しっかりお世話してやってくださいね」
 さすがにトイレは要らないし、抜け毛もないが、専用のフェイクフードは食べるし、シリコンの舌で水を飲む振りもする。今回のキャットロイドは、そこまで丁寧に作り込んである。
「ほんと、遊んで欲しい時の啼き方なんて、ミィにそっくり」
 窓からは相模湾が見えていた。私の部屋よりも広い個室に、センスの良い調度品がしつらえられている。キャットロイドなら、尖った爪で家具をボロボロにされることはない。
「ええ、しっかりと情報提供していただきましたから」
 開発には半年近く掛かった。使った開発費も馬鹿にならないが、問い合わせも増えている。古い型の製品を使った海外展開も始めており、大手の企業から、会社ごと買い取りたいというオファーもある。
「本当に、ミィが帰ってきたみたい」
 洋子の手がミィの背中をなでている。私には聞こえないが、きっと喉を鳴らしているだろう。
「そうおっしゃっていただけると私もうれしいです」
 幸せそうにしている洋子を見て、私はアレスのことを考えていた。今までは記憶の中のアレスと違うアレスを作ってしまうことが怖くて、キャットロイドを作ろうとは思わなかった。でも、今のキャットロイドを使えば、アレスに会えるのではないか。
「また会いに来てくださるわよね」
 私は別れ際の洋子の言葉に曖昧に応えた。

 洋子とそんな会話をした一週間後、キャットロイドを管理しているAIが異常を検知した。
「洋子さんとのコミュニケーションが途絶しています。近くにいるのは確かなんですが、触っている手も動いてないし、それに……」
 ミィはいつだって田口洋子のそばにいる。繊細なセンサーで心拍数や体温まで感じている。
「……心拍数も低下していて、体温も下がっています。すぐに様子を見て貰った方が良いかもしれませんね」
 データを読んだ香川君が言った。
「寝てるだけ、って事は無いわよね」
「馬鹿なこと言わないでください。急いだ方が良いですよ」
 香川君は真剣だった。
「田口さんに連絡してみる。それからケアハウスの方にも連絡して」
 ケアハウスも入居者の状態はモニターしているから、気がついているかも知れない。でも、見逃している可能性もあった。私の猫は感覚が鋭いのだ。

 私は、田口洋子の葬儀の後で回収したミィをケージから出し、専用ルーターの電源を入れた。接続が回復し、ぐったりしていたミィが立ち上がって周囲を見回す。まるで田口洋子を探しているかのようだった。
「大丈夫よ」
 私はミィの背中をそっとなでる。作業用テーブルの上のミィは、落ちつかなげにしていた。まるで、これから何をされるかわかっているようにも見える。
「これは、次のレナちゃん用のアウトスキンと、新しいしっぽです。綺麗な茶トラですよね」
 香川君が持ってきたのは、作られたばかりの新しいスキンと付け替え用のしっぽだ。弾力性のあるシリコンに、柔らかな合成繊維の毛を植毛し、オレンジがかった茶トラの毛並みを完璧に再現したスキンと、プラスチックで作られたかぎしっぽのパーツが、青いトレーの上に乗せられている。
「今度の子はかぎしっぽなのね」
 次の行き先は決まっていた。行動パラメータを書き換えた上で、尻尾を付け替え、新しいスキンを着せて、今度はレナとして別の飼い主の元に届けられることになっている。スケルトンモジュールの生産が追いついておらず、もう、三週間も待って貰っており、しつこいくらい催促されている。
「そうですね。映像が残ってたんで、正確に再現できてますよ」
 自慢げに香川君が言った。
「じゃあ、始めましょうか」
 テーブルの上のミィが私を見ていた。ミィをレナにするためには、ミィをいったんリセットしなければいけない。
 キャットロイドをミィにした行動パラメータと、ミィとして田口洋子の元で過ごした記憶は、会社のシステムの中に記録されている。私が削除を決めない限り、データとしてのミィは永遠に残る。だが、この身体を使っていた個体としてのミィは、私の手で消えてしまうのだ。
「どうしたんですか?」
 私の手が止まっているのを見て、香川君が言った。
「え、なんでもないわ」
 旧タイプのキャットロイドをシャットダウンし、会社のシステムとのリンクを再設定するときでさえ、私は、まるでペットの殺処分をしているような気分を感じていた。でも、そんなことは誰にも言えない。
 私はミィに手を伸ばす。リセットするための物理スイッチはモジュールの喉の位置にある。
 ミィの喉に手を当て、スイッチの位置を探る。その時、ミィが喉を鳴らし始めた。
「ねえ、うちの子になる?」
 なぜだろう。つい、そんなことを口走っていた。
「いいんですか? レナちゃん、ずいぶん待たせてますよ」
 ミィは柔らかな頬を私の手にこすりつけてくる。実際は、プラスチックの骨格に、合成繊維を植毛したシリコンの皮膚をかぶせただけなのに、感触は本物の猫のようだ。
「次のはあとどれくらいかかるの?」
 私の会社ではスケルトンモジュールを作れない。アウトスキンにせよ何にせよ、全て協力工場に作って貰っている。猫の体格の違いに対応するため、どうしても時間がかかってしまう。
「早くても、あと二週間ですね」
 田口洋子が亡くなったとき、ミィはずっと寄り添っていたのだという。ベッドの上の洋子の胸の横で、まるで冷たくなっていく洋子を暖めるように寄り添っていた。そんなミィに応えるように、洋子もミィの身体に手を回していた。
 ――母はまるで楽しい夢を見ているかのように穏やかな表情をしていました。きっと、その猫のおかげなんでしょうね。
 ケアハウスでミィを引き取ったときに聞いた田口修平の言葉だ。
「じゃあ、もう少しだけ待って貰えるかしらね」
 お好きにどうぞとでも言うように、香川君は肩をすくめて見せた。
「ねえ、本気でうちの子にならない?」
 私の言葉は、キャットロイドを介して会社のシステムに届いている。もちろん、意味を持った言葉としてではなく、声のトーンとか、猫を見つめる様子とか、そう言った情報のパッケージだ。そして、会社のAIは、ミィに小さく啼かせるという選択をした。
 私はずっしりと重いミィを顔の高さまで持ち上げると、ミィの鼻に私の鼻でそっと触れた。
「あ、森川さんからまた連絡が来てました。あっちのお客さんで、そろそろ切り替えたいという人が何人かいるようです」
 どうしても体力的な理由で猫を飼い続けられなくなる人がいる。祐介は、そんな人たちに私のキャットロイドを紹介していた。一方で、私の顧客の中でも、やっぱり本当の猫が良いという人がいる。抜け毛ケアや、トイレの世話をしないと、猫を飼っているという気がしないというような人たちに、私は祐介のサービスを紹介している。今のところ、私たちの関係はウィンーウィンになっていた。
「またウエイティングリストが長くなっちゃうわね」
 テーブルに降ろしたミィは、ざらざらした舌で私の手を舐めた。こんな行動も、会社のAIがやらせている。それをわかっていてもなお、ミィはミィなのだ。
「経営者に問題がありますからね、うちの会社は」
 あきれたように香川君が行った。
 そう言えば、しばらくアレスのお墓に行っていなかった。行く度に思い出して辛くなるから、つい、足が遠のいていた。でも、ミィを迎えることで、やっとアレスの死に向き合える気がする。
 ――さよなら、アレス。そして、あらためてありがとう。私は、ミィのことをアレスに報告しなければならない。