新刊紹介「ザイオン・イン・ザ・オクトモーフ イシュタルの虜囚、ネルガルの罠」伊野隆之

新刊紹介「ザイオン・イン・ジ・オクトモーフ イシュタルの虜囚、ネルガルの罠」伊野隆之

「そしておまえはタコなんだよ。」

 帯の文字を見てカッコいいなぁ、と思った。で、校正のために読み直していたら、自分で書いた台詞だった……。

 この物語は、成功した大富豪が、大破壊(ザ・フォール)と呼ばれるAIの反乱に巻き込まれ、かろうじて記録されていた魂(ego)が、金星で覚醒することから始まる。冒頭の台詞はその時のものだ。主人公はタコ。それだけで画期的な気がするが、これはテーブルトークロールプレイングゲームである「エクリプス・フェイズ」の世界の物語。

「心はソフトウェア。プログラムせよ。
 肉体は入れ物に過ぎない。交換せよ。
 死は単なる病気だ。治療せよ。
 絶滅の危機が近づいている。立ち向かえ。」

「エクリプス・フェイズ」の設定は詳細だ。ただ、そのスピリットは、上の四行に集約されている。そして、その世界の物語であるザイオンの物語は、この四行のうちの最初の二行に多くを依っている。つまり、「タコがカラスにつつかれる話」として着想されたこの物語において、タコやカラスの体は交換可能なものであり、その心もまたプログラム可能である。それがこの物語だ。
 ところで、この作品を読むに当たり、引用した4行以外の設定を理解している必要は無い。「再着装(リスリーヴ)の記憶」を読んだ人には、何の問題も無く入っていけるし、最低限必要な情報は、岡和田さんのコラムとして書き込まれている。この小説を通して、「エクリプス・フェイズ」の世界にジャック・インして欲しい。
 この世界でも太陽系は広大で、そこで生きる人々も、着装している義体を含めて多様。ゲームの世界を舞台にしたシェアードワールド小説は、広大な世界の僅かな一部を切り取ったものでしかない。一方で、書き手が作り出したキャラクターによってゲームの世界をより身近にすることができる。シェアワールド小説は、実際のプレイの前にゲームの世界に飛び込んでいけるようにするための装置、ということになる。

 さて、最初にザイオンの物語を発表したのは2012年の6月だ。上の台詞はその中で出てくるから、忘れるのも無理はない。最初の「ザイオン・イン・アン・オクトモーフ」は三回の分載で、次は翌年2月の「ザイオン・イズ・ライジング」。更に一年後に書かれた第三作である「ザイオンズ・チケット・トゥー・マーズ」で金星編が完結する。連作ではあったがそれぞれが独立した短編で、掲載の時点では囚われの身であったザイオンが金星から脱出したことをもって完結したつもりだった。
 その五年後、火星編が2019年の12月から翌年5月にかけ、当時は月一更新だったSF Prologue Waveに毎月掲載。実質的な連載だった。実際、三つの短編の内、二つめの「トラップト」がクリフハンガーで終わっているように、火星編は一度にまとめて書かれたもので、金星編と一体となった一つの長編として読めるように意図して書いたものだった。
 火星編の発表の後、国内外の作家の作品を集めたエクリプス・フェイズのアンソロジー「再着装(リスリーヴ)の記憶」(なんと、ケン・リュウも書いている!)のために、外伝である「カザロフ・ザ・パワード・ケース」を書き下ろし、さらに、「カザロフ」に登場したゲシュナを主人公とした「リオのために(本書では「ゲシュナ・イン・ザ・フューリー・モーフ」)」を昨年末にSF Prologue Waveに掲載したところで、書籍化の話を頂いた。
 新たに書き下ろした「オクサナ・ラトビエワ:ザ・マーシャン・スナイパー」は、年代としては一番古く、タコになる前のザイオンが出てくる。「大破壊(ザ・フォール)」で人類が地球から追われた頃の話だ。

 もちろん、本作は独立した小説として十分に楽しんでもらえる。思わぬ苦境に陥ったザイオンが、押し込められたタコの体と、卓越した知恵を駆使して窮地から逃れ、自分の不在中に何が起こっていたのかを解明する話として読んで欲しい。この作品に初めて触れる方にかぎらず、すでにそれぞれの短編を読んでいただいた方も、ザイオンシリーズを長編として読み直していただけると、きっと面白いと思う。

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