「海野久実の3or4・『それは妻の物語』」海野久実

《3行(句点三つ)また4行(句点四つ)に圧縮したショートショート作品/会話(鍵括弧の中)の句点の数は数えません!》
◇「それはすべて妻の物語」

『ジッポーの精』
「あなたの願い事を何でも一つ叶えることが出来ますが、あなたが一番大切にしている物と引き換えになります」と、病院からの帰り道で拾ったジッポーライターから出て来た精霊は言った。
私は一晩考えて結論を出し、もう一度ジッポーを点火して精霊を呼び出し、妻の命と引き換えにそれを手に入れた。
一番大切なものだったのだけれど、妻は不治の病だったのだ。
とことん明るい性格だった妻は、幽霊になった今でも底抜けに明るく、ずっと一緒にいてくれる。

『置手紙』
会社から帰って来ると妻の姿が見えず、一日経っても帰って来ないので、妻の友人や実家へ電話をしたのだが誰も知らないと言う。
部屋を調べていると、洋服やバッグなどがなくなっていて、ほぼ空っぽのクローゼットの中に封筒があるのに気がついた。
古くなり、変色したしみだらけのその手紙は、妻の若い頃の丸っこい文字で書かれていた。
手紙を書いてから何十年も経ち、三人の子供もそれぞれ独立した今になっても、若い頃の決心が全く変わらなかったという事なんだね。

『果人』
子供が出来ないまま数十年、まるで恋人同士のように暮らして来た妻が死に、私の喪失感は計り知れないほどに大きかった。
ある日、妻がいつも座っていたキッチンの片隅の小机の上に、昨日までなかったはずの大きな木の実がポツンと乗っているのを見つけ、それを手に取った。
妻はこれを植えるつもりだったのかも知れないと思い、狭い庭の、それでも一番日当たりのいい場所に埋め、毎日水やりを欠かさなかった。
やがて芽を出し、見る見る大きな木に成長し、三年後にはたった一つの大きな実を一つつけたのだが、半透明のその実の中には生まれ変わろうとしている妻が眠っているのが見えるのだった。

『商うものは〈愛〉』
その男は行商人で、『愛』を木の桶に詰め込み、天秤棒の前と後ろに下げ、『愛』が失われた人々に売り歩くのでした。
今日もまた、とある家の主(あるじ)のために、その家人に『愛』を注ぎ、仲睦まじい様子に目を細めながら帰路に就くのでした。
家に帰ると、彼の妻が心づくしの手料理を用意して待ってくれているのはいつもの事でしたが、最近その妻の姿が日に日に色あせ、頼りなげになって行くのが気になっておりました。
そしてとうとう、今日は妻の身体を透かして向こうの障子の桟が見えているのを目の当たりにし、男は妻の『愛』を他人に売り続けて行くこの商売も、そろそろ限界が近いのに気が付きました。

『家事』
「早く家に帰ってご飯を作らなきゃ。みんなお腹を空かせてるからね。パートの時間、もう少し減らしてもらおうかしら。仕事を終わって買い物をしてそれから夕飯の用意なんて、忙しすぎるわ。急がなくちゃ。ああ、やっと明かりが見えたわ。ただいま~」バタン。
「おやじ。今、なんかドアが勝手に閉まったぜ。風もないのにさ」
「変な事言うなよ。ドアは俺が帰った時に閉めて鍵を掛けたぜ、たしか」
 やがて、台所で料理をしているような聞きなれた音が聞こえ出したので、その家の主人と息子が不思議に思い覗きに行ったのだが、そこには誰もおらず、自分たちが買って来た大量のインスタント食品がテーブルの上に載っているだけだった。

『君去りし後』 
 尻に敷かれていた嫁さんが亡くなって解放感でいっぱいだった。
 寝る時に彼女に腕枕をしなくてよくなったので腕も痛まなくなったし、彼女の弁当や食事を作らなくてもいいので外食ですませられるし、携帯を覗かれることもないし、酔ってからまれ、殴られる事もないし、お金を財布から抜かれる事もないが、しかし、苦手な自治会の集まりには行ってくれたし、ガン検診の結果が良かったことを喜んでくれたし、孫と遊んでいる俺を見ている笑顔は優しかったし、まあ、そこそこ美人で友人たちには自慢だったし、それほどひどい奴でもなかったんだなあ。
 朝目を覚ますと、嫁さんがいないのが最近妙に寂しい……と、嫁さんに言われるまま、そこまで想像してみた。
 「そのあと、一人暮らしの寂しさに耐えられずに早死にしちゃうのがパターンでしょ。私がいることに感謝しなさい」と、そう言う嫁さんの肩をもんでいる。