「NO,NO,NO,NO」片理誠(作・絵)

(PDFバージョン:nononono_hennrimakoto

 空間投影ディスプレイの中で若い女性の顔が大写しになる。それはあくまでも簡易的な平面スクリーンで、高度な3D処理など施されてはいない。画質もかなり粗いものだ。だがそれでも鬼気迫る彼女の表情を伝えるには十分だった。甲高い声がミッション・コントロール室全体に響き渡る。
「追い返せるわけないじゃないですか! 彼らは皆、世界共同機構の正規職員なんですよ? しかも著名な科学者や技術者ばかりです!」
 その広報担当者は、可哀想に、今にも泣き出さんばかりだった。だが、ここで情にほだされるわけにはいかない。山本は科学省、宇宙開発局、深宇宙探査室の室長として、眼前で儚げに輝いている、薄っぺらい、ハンカチ大の画面に向かって、彼女に負けじとあらん限りの声を張り上げる。
「とにかく駄目なものは駄目だ! 誰が何と言おうと今、部外者は断固としてお断りだ!」
「国際問題になります! 機構からの正式な推薦状も届いているんですよ!」
「そんなもんは“のし”をつけて、速達で叩き返してやれッ!」
 腕を払うジェスチャーで一方的に通信を遮断する。
 気がつくとぜぇぜぇと肩で息をしていた。ここ数日、口を開けば怒鳴り合いばかり。世界中が、非公式な形ではあったが、あれやこれやと圧力をかけてくる。
 くそったれめ、とつぶやくと、すぐ隣から「まぁまぁ」と声がかけられた。
「お気持ちは分かりますが、せめて職員にはもう少し優しく接してあげてください。川井さん、半べそだったじゃないですか。あれじゃ美人が台無しだ」
 それに怒ってばかりでは血圧にも良くないですし、と付け足す。
 グレーのユニフォームに身を包んだ長身痩躯の男。腕組みをして、山本のすぐ横に立っている。
 フン、と山本。こちらはダークブルーのスーツ姿だ。吐き捨てる。
「頭の血管がプッツリ切れて、ぽっくり逝けたらどんなにか楽だろうと思っているよ」
 隣に佇む男の涼しげな表情に、少し困ったような微笑みが浮かんだ。
「君は随分と冷静だな、鈴木君。まだ若いというのに。……確か、もうすぐお子さんが産まれるんじゃなかったか?」
 腕組みをしたまま、彼が肩をすくめた。
「科学者上がりというのは、こういう時に不利ですよ。自分でも、発狂できていたらとは思うのですが」
 そのままコントロール室に目を転じる。
 山本も倣った。
 数十人は入れるその部屋は、今や様々な機器が雑多に置かれ、まるで巨大都市のミニチュアのようだった。せわしなくその中を行き交う数人の職員たちは、さしずめ灰色の巨人族といったところか。
 なぜ鈴木が腕組みをしたままずっと隣に突っ立っているのかと言うと、彼が座るはずだった椅子に今、山本が腰掛けているからだった。
 このミッションのリーダーは彼であり、山本はあくまでも統括責任者。本来であればここではなく、本部で報告を待っているべき身だ。だがそんなしおらしい性分など持ち合わせてはおらす、矢も楯もたまらずに現場に押しかけた、というわけだった。
 代わりの椅子で良ければここには幾らでもあるのだが、鈴木は頑として座ろうとはしない。この青年の心中も、その口ぶりほどは、穏やかではないのだろう。無理もない。山本は大きく一つ、息を吐いた。
「アクタ・ワン、コース変わらず。進路そのまま」「探査機、子機1、2、分離完了しました。予定通りです」「光学系センサー、余熱完了、システム立ち上げ九六%。スタンバイまであと二〇秒」
 室内が騒がしくなる。だが、こちらはまったくの手持ち無沙汰。暇なものだ。忙殺されている彼らオペレーターたちとは対照的だった。山本からすれば、もはや運を天に任せるしかない状況なのだ。
 安物のデスクの上に両肘をつき、手を組み合わせる。
「……時速一〇〇キロで撃ち出した生卵を、だ。割ることもなく、それどころかヒビ一つ入れることもなく、時速二〇〇キロで投げ返すなんて、そんな芸当はいったいどうやったら可能になるんだろうな?」
「実際には時速一〇〇キロではなく、秒速約三〇キロですが」
「例えば、の話だ」
 まったくの謎ですねぇ、とその元科学者の青年は口の端を禍々しげに歪めた。
「重力を自在に操れるのか、それとも慣性の法則を打ち破る何らかの仕組みがあるのか。しかしこれだけは言えますよ。この現象は決して偶然なんかじゃない。ある種の意志を感じます」
「ああ。そうだな。自然現象にしては狙いが正確すぎる」
 この時、部屋のドアがスライドして女性が一人、駆け込んできた。先ほどの広報担当者だ。
「室長! 助けてください! 今度はマスコミの連中が大挙して押しかけてきました! 彼らは口々に訴訟も辞さないと叫んでいます!」
 ご苦労様でした川井さん、と山本に代わって青年が応えてくれた。
「あなたもしばらくここにいてください。あと数分で終わりますから。それまでの辛抱ですよ。我々が収集したデータは、いずれ機構にも提供されます。マスコミにそれをどう伝えるかは、ま、彼らの仕事です」
 だが、と山本も口をはさむ。
「まず最初に知る権利は我々にある。あれは日本が飛ばした、日本の探査機なんだからな」
 いったい何なんですぅ、とぼやきながら彼女が近くにやってきた。
「何でただの宇宙探査に、こんなに大騒ぎしなくちゃならないんです?」
 鈴木が彼女から顔をそらし、「ただの宇宙探査などではないからですよ」とつぶやいた。忌々しげな表情だ。
 きょとん、としている川井に山本が告げる。
「大昔、……原子力発電所というものがあったんだ。平たく言うと、ウランを核分裂させて熱エネルギーを作り、そのエネルギーを使って発電をするというシロモノなんだが」
 はぁ、と彼女。それで?
「電気を生んでくれるのは結構なんだが、その一方でこいつは汚ぇゴミをも盛大に生み出すんだ。その中でも最低最悪、最も危険なのが、プルトニウムだ。こいつ自体も毒な上に、放射線を出す。しかもこいつは、核兵器の材料になる」
 純度を高めた上で爆縮させると、核爆発を起こすんですよ、と鈴木。
「実際、第二次世界大戦で長崎に投下されたのが、このプルトニウム原爆でした」
「第二次世界大戦の頃の爆弾なんて、今じゃ子供にだって作れる。材料さえあれば」と山本。
「危険極まりない、というわけです」と鈴木が肩をすくめてみせる。「ところがこういった使用済み核燃料の放射能レベルが、自然界に存在するウラン鉱石と同じ水準にまで減るのには、一〇万年くらいの時間が必要なんです」
「じゅ、一〇万年?」と川井女史が口をあんぐりと開けた。
 そうだ、と山本。
「一〇万年もの間、人類は使用済み核燃料を、自然界に漏れることがないように、そしてテロリストのようなならず者どもの手にも渡ることがないように、安全かつ安定的に管理しなくちゃならなくなったんだ。
 だがもちろん、そんなことの可能な場所なんてこの地球のどこを探したって見つかるわけがない。一〇万年もの間、天変地異からも、悪党どもの魔の手からも守り続けるなんて、どだいできっこない相談だ。
 だって、お宝でも何でもない、汚いゴミなんだぜ? そんなもんを誰が、命を懸けてまで守りたがるってんだ」
 無責任なことをしてくれたもんさ、昔の連中も、と締めくくる。
 それで、と川井さん。
 宇宙に捨てッちまおうってことになった、と山本。
「とは言え、ロケットで打ち上げて途中で爆発事故でも起きたら大変なことになるからな。少しずつ、軌道エレベータで宇宙まで運んで、そこからマスドライバーで射出したんだ。外宇宙に向けて。ちゃんと第三宇宙速度まで加速して」
「アクタ・カーゴと名付けられたそのコンテナを、我々は一〇〇機以上、射出しています。最初に実行したのは日本でしたが、他の国や地域もすぐにこの動きに同調しました。二五万トン以上あるとされていた世界の高レベル放射性廃棄物はこうして一掃され、地球は綺麗に、そして安全になった……はずだった」
「はず、だった?」川井の顔が曇る。
 数秒間の沈黙が流れた。
 山本が重い口を開く。
「五〇年以上も前に宇宙に捨てたはずの、原発の糞をみっちりと詰め込んだゴミ箱が……どういうわけか数年前に見つかったんだ。それも木星軌道の内側で」
「……はぇ?」と彼女。
 それがアクタ・ワン、と鈴木。
「我々が一番最初に捨てたアクタ・カーゴですよ。解析してみた結果、撃ち出した時の倍以上の速さで、地球に向かってまっすぐ突っ込んでくることが分かりました。しかも外部にはこれと言った損傷もないみたいなんです。そして、戻ってくるのはどうやらこれ一機だけではないみたいでしてね」
「え? ええッ?」
「今のところ発見できているのは五百数十機ってところだが、まだ見つかっていないだけで、残りもいずれ全部落っこちてくるんだろう。最終的に何万機になるのかは知らんがね」
「え! ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待ってください! え? じゃ、じゃあ、外宇宙に捨てたはずの高レベル放射性廃棄物が、一つ残らず地球に戻ってくるってことですか?」
「しかも凄まじい速さで、正確無比な狙いで、です。今見つかっているカーゴはどれも地球の中心を撃ち抜くようなコースを描いている。外れることはおろか、かすめるようなものすらない」
 ギリ、と彼の奥歯が鳴った。
「ちょ、え? ど、どっど、どーなるんですか? これから、いったい」
 さてなぁ、と山本。椅子の背もたれに寄りかかる。ネクタイを緩めた。
「何しろ誰も体験したことがないんでね……。ちなみに、高レベル放射性廃棄物はガラス原料と一緒に高温で溶かし、〇・五トンぐらいずつステンレス製容器に流し入れて、冷やして固めるんだが、製造直後の場合、この一つに近づいただけで人間は約二〇秒で死ぬんだそうだ。放射線の浴びすぎで」
「そ、そ、そんなものが宇宙から、二五万トン以上も……に、二五……『万』トンッ?」
 彼女が素っ頓狂な声を張り上げる。
 ははッ、と鈴木が笑った。
「更にはその後一〇万年以上も続く、全世界レベルでの深刻な放射能汚染……地下シェルターなど買ったところで、大した意味はありませんよ」
 逃げ場なんてないんだ、どこにもね、と彼。
「ど、どどど、ど、どーしたらいいんです?」
 川井がその場を中腰のまま、うろうろし始めた。
 落ち着けよ、と山本。
 どーもこーもありません、と冷静に鈴木。
「現在の我々の技術レベルでは、あのカーゴを受け止めることはおろか、コースを逸らすことすらできないんです。いくら何でも速すぎる。それにもう時間が。今の我々に可能なのは、せいぜい破壊することくらいですが」
「それでは何の解決にもならない。一かたまりだった使用済みウランやプルトニウムが、ばらばらになって降ってくるってだけの話だ。まさに、死の灰、だな」
「ちょ、ちょっとッ! 何でお二人はそんなに平気でいられるんですか! た、たたた、大変じゃないですか!」
「平気なように見えるかね?」と山本が横目で睨む。
「こういう時、どう振る舞えばいいのかを知らないんですよ」困ったように鈴木が肩をすくめた。
 ああ、どうしてこんなことに、と川井が頭を抱えてうずくまる。
「だからこうして探査機を飛ばしてるんだ」
「木星や火星軌道上の無人ステーションからの観測では、限界がありましてね。大雑把なことしか分からないんですよ。あのカーゴに何があったのか、我々も知りたいんです。もっとも、減速が間に合いませんので、実際にはほんの一瞬すれ違うだけですが」
「それでもかなりのことは観察できるはずだ。ま、突貫工事でこしらえた探査機なんで、色々と不安はあるがな。しっかし、どこで秘密が漏れたかね」
「いつまでも隠しおおせることじゃないですよ」
 最接近まであと一〇秒、という声が室内に響いた。
「……五…四…三…二……フライバイ、完了。探査機、異常なし」
「データは? 写真は撮れたかッ?」と山本。腰が浮きかける。
 中年の男性オペレータが機器の一部を覗き込む。
「今、送られてきています。まだ粗い映像ですが、今のところカーゴの外観にこれといった変化は確認できません」
 馬鹿な、と山本はうめく。こめかみを押さえた。
 ステーションからの観測と合致しますね、と鈴木。
「一九八〇年ごろに、NASAの探査機、パイオニア10号と11号に謎の減速現象が確認されたことがありましたが」
「あれとこれでは何もかもがまるで違う! アクタ・ワンは減速どころか、倍の速さで戻ってくるんだぞ! 何トンもある物体を一切損傷することなく……信じられん」
「あのコンテナはさほど頑丈には作られていないはずなんですがね」と鈴木も不思議顔だ。
 川井女史は床の上にへたり込んだまま、何かをぶつぶつとつぶやいている。どうやら、お経らしい。
 この時、男性オペレータが「あ!」と叫んだ。
「どうした!」
「機体の一部に、何か……黒い模様のようなものが、浮き出ているように……これは?」
「拡大しろ!」
「現在、コンピュータで画像処理中です。ブロックノイズがひどくて……高精細なデータが、やっと……んんッ! ん?」
 オペレータはそのまま、前かがみの姿勢のままで、唐突に固まってしまった。時間が停止したかのように。微動だにしない。
「お、おい! どうした、君!」
 突然、絶叫。
「ば、馬鹿なッ! そんなッ! ……これは、こ、ここ、これは、の、のォォォッ、ウギャァアアアアアッ!」
 髪を激しく掻きむしりながら「の、の、の、の」と叫んでいる。
「ええい、NOでは分からんッ!」拳でデスクをぶっ叩きながら山本が立ち上がる。「きちんと報告せんか! おい誰か! 画像をメインモニターに」
 いけませんッ、と今度は鈴木が叫んだ。
「そんなことをしたらこの場の全員が狂気に感染してしまうかもしれない! 人智を超えた現象なんです!」
 川井もよろよろと床から立ち上がる。不安に押しつぶされそうな表情だ。
 オペレータがこちらに振り返った。完全に白目を剥き、口の端からは泡が垂れ、顔面は真っ赤。全身ががくがくと、引きつったように大きく震えている。
 そのあまりに異様な様子に、川井だけでなく鈴木も山本も思わず「ひッ」と息を呑んだ。
 鬼のような形相でオペレータが叫ぶ。
「の、の、の、のッ“のし”って書いてあるぅぅぅーーーウウウッ!」

片理誠プロフィール


片理誠既刊
『ミスティックフロー・オンライン
第2話 赫翼(かくよく)の天使(3)』