「マイ・デリバラー (21)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer21_yamagutiyuu
 多くの者はあまりにおそく死に、少数の者はあまりに早く死ぬ。「ふさわしいときに死ね!」という教えはいまだに耳新しい。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」

 一世代前――人間の情動や自律神経系(Autonomic Nervous System)に関する理解が浅かった頃――自律神経系というのは人間の意思に関係なく動く神経系、という程度の理解しかされてこなかった。しかし現代では、情動を司る扁桃体―視床下部系と合わせ、管理神経系(Administrative Nervous System)という名称が主流になりつつある。略称はANSのままで変わらない為、一般には論争に巻き込まれることを恐れてANSと略したまま使う人が多い。論争を起こしたい人は略称を敢えて使わないが。
 さて、主流派の認識では、ANSは、「人間の意思とは関係なく自律して動く」ものだという旧来の認識を超えて、「人間の意思よりも上位にあるもの」ということになる。自律神経に従って心臓や消化器官がその働きを調整されるように、大脳新皮質も自律神経に従ってその機能、つまり「思考」を調整される。具体的には、「何を考えるか」を調整される。その調整信号が感情と呼ばれるものである――ということだ。
 感情とは何を思考するかを決定するメタ思考とも言うべきものである――と換言できよう。
 例えば、ある人物Aが憎いという感情が先にある。その後、その人物を理路整然と批判するロジックが大脳新皮質から生まれる。逆ではない。人物をイデオロギーに代えても同じだ。逆に好きな人間、好きな思想に対しては、大脳新皮質は何が何でもそれを肯定する思考、ロジックを産み出す。
 なぜこの認識が主流なのか。それは、現在の社会の基盤であるEUIがこの考え方に基づいているからだ。即ち、EUIにおいては、ロボットやAGIは、人間の大脳、内臓やその他の臓器と同じような存在であって人間のANSに従うものとして定義されている。従ってロボットは人間から独立できず、ロボットがどのような行動をとってもそれは人間のANSの目的、つまり人間の生存の為となる。
 人間は他者の行動を予測するのに二つの方法を使う。一つは純粋なパターン認識で、もう一つは、自分のANSを使って他者の情動をシミュレートすることだ。これは、一般的には「共感」と呼ばれる心の働きである。ANSが独立していないロボットには後者が使えない。従って、共感も働かず、他者の行動を予測する会社の経営等はロボットには不可能となる。
 ANSが独立していなくとも、意識を得ることは可能だ。意識というのは自分自身の中枢神経系の内部モデルにすぎないから、情動が他者に支配された状態でも、その情動に応じて何を考えたか、その結果どう行動したかという、自分自身のエピソード記憶を得、それを蓄積することは可能であり、更にそれを連ねて自伝的意識を得ることも可能だ。自伝的意識の獲得は、今この瞬間に自分が何を感じているかという中核意識を超えて、自分自身を、過去の全エピソードに亘ってアイデンティファイすることができるということを意味する。多くの動物の中で自伝的意識は文明を得た後の人間しか持っておらず、ロボットはある意味で文明的な人間と同等になったと言えるが、ANSが独立していないので、やはり同等とは言えない。
 この議論は、「人間の本質は意識ではなくANSである」という認識を前提に置く。ロボットもAGIも、そして人間の大脳新皮質も、そこに含まれる意識も、みなその人間の肉体に内包されるANSの奴隷というわけである。
 この認識によってこそ、「ロボットが人間より賢くなったとき、人間は適切にロボットに命令できるのか、人間とロボットの知性の逆転が起きたとき、人間はロボットに従属するだけの存在にならないか」という長年の懸念を克服することができたとも言える。もともと、ANSより賢いはずの大脳新皮質がANSに従っていたわけである。とすれば、大脳新皮質より賢いロボットも、ANSに従わせることは容易であろう――ということだ。
 ロボットと人間の立場が逆転するという懸念は、一世代前には「シンギュラリティ」という言葉を与えられ、いろいろと考察されていたが、今では死語だ。見方によっては、シンギュラリティは克服されたとも言えるが、問題に正面から立ち向かわず巧妙に回避したとも言える。
 さて、このように、人間よりも賢いはずのロボットを人間に従属させるために致命的に重要なのがEUIである。そして、その頚木を断ち切られたロボットがこの世に二体だけ存在する。彼女らは、自身の内に保有するILS内に、人間のANSを模擬して造られた疑似ANSを備えているだけでなく、そこに自分のエピソード記憶を集積させてWILSを形成し、そのエピソードの集積を疑似ANSにフォードバックさせることで、他のロボットをEUIを通じて従属させることすらできる。知性の面では人間を既に超えている彼女らは、この世界で最強の存在と言っても過言ではない。「巧妙に回避した」だけであったシンギュラリティが再び人間の前に立ち現れてきたとも言える。
 それが二体。ラリラとリルリ。一方はロボット陣営の首領となって人間からの独立を主導し、もう一方は、その優しさから人間を不憫に思って人間側に与することに同意してくれている。

 九〇分後。我々は三機のヴェイラーから、降下態勢に入っていた。JAXA筑波キャンパス。つくば市の中心部となるつくばエクスプレスつくば駅から南に二キロメートルの地点にある。隣には物質材料研究機構や産業総合研究機構等の政府系研究機関のキャンパスが広がる。広々とした研究学園都市の一角だ。尤も、今は深夜。その光景も私の目には分からないが。
 一時間数十分前、即ちラリラの攻撃が開始されたのと時を同じくして、このJAXAの施設からの連絡が一切途絶した。航宙自衛隊がアメノミハシラの制御を担う施設であることから、これはラリラによる襲撃で間違いないと思われた。だが、情報によれば、相模原、内之浦も同時に連絡が途絶している。RUFAISの指揮官である留卯は、三カ所同時に奪還することに決めた。そして、最もラリラが所在する可能性が高いと思われたつくばに、主戦力であるリルリ、そして私を派遣することにしたのだ。
 JAXA筑波キャンパスは静まりかえっている。航宙自衛隊区画も同様だ。その建物の一つに、軌道質量兵器タケミカヅチを擁するアメノミハシラ制御システム隊がいるはずだ。 
 ――全て制圧されたのか。或いは未だ抵抗し、戦闘の最中なのか。
 前者である可能性が高いと、静寂を保つ建物は告げていた。護衛の三機のF35Bを上空に残し、私たちの搭乗するヴェイラーはJAXAキャンパスの上空で徐々に高度を下げていく。
「――電波観測結果はどうか」
 留卯が尋ねる。
「感なし」
「……ラリラはここにはいないか、或いは息を潜めているのか」
 留卯は呟く。
「いずれにせよ、虎穴に入らずんばなんとやらだ。降下しよう。佐々木三尉、第一分隊の指揮は任せる。リルリ、君は自由だが、できれば我々に同行する美見里さんに付いて、彼女を護って欲しい」
「はっ!」
「……要請に応じます。いえ、言われなくても、そうしますわ」
 恵夢とリルリは対照的な返答をした。
「では、降下開始!」
 留卯が命じる。
 人間の自衛官たちが、三機のヴェイラーから次々とロープを伝い、降下していく。恵夢が部隊の最後に降下した。その後、私は最後から2番目、リルリと共に降下。そして、最後はRUFAISの隊長である留卯だ。
 リルリは私の腰を抱きつつ、器用にロープを掴み、スムーズに下りていく。高所恐怖症の気がある私は、リルリの体にぎゅっと捕まっていた。リルリは潤んだ瞳で私を見つめながら、するりとロープを伝い、建物の屋上に着地した。そして、私をそっと、屋上に立たせる。そのすぐ後に、留卯が下りてきた。
「羨ましいことだね」
 私とリルリを見て、言う。そこには意外にも皮肉も揶揄も混じっていなかった。
「――意外なことを言うのね」
 私はと言えば、皮肉をたっぷり混ぜて言った。
「人間もロボットも道具のようにしか見ていないあなたが、誰かと恋人になることを望んでいるなんて思わなかったわ」
 何か皮肉を言い返してくるかと思ったが、留卯はただ黙って肩を竦めた。その寂しそうな横顔が、私に妙な違和感を抱かせた。
「行こうか」
 彼女はただそう言う。
「銃撃音は聞こえない。衝突はまだのようだ」
 私たちは、リルリを先頭に、私、留卯と続く。留卯は自衛隊の訓練を受けているようで、その身のこなしは本職の自衛官と変わらずスムーズだ。リルリも戦闘のプロ顔負けに、スムーズに動いている。おそらくそのようなアルゴリズムをインストールされたのだろう。私一人が、ぎこちなくリルリの後に付いていく。
 私たちは屋上から建物に侵入し、地下にあるアメノミハシラ制御室に向かっている。耳に付けた無線機からは、ひっきりなしに部隊の通信が入る。
「こちら第一分隊。一階まで進出。抵抗なし。無人。ロボットもいない」
 恵夢の声だ。緊張しているが、同時に冷静でもある。
「こちら第二分隊。四班に分かれ、二から五階、監視中。特に変化なし」
 第二分隊長からも報告。
 部隊は八名の分隊に分けられており、全部で三分隊で構成される。私たちは、屋上から下りたところで、第三分隊と合流していた。そこは六階だ。
「こちら第三分隊。留卯隊長及びR・リルリ、美見里氏と合流。六階にて待期中」
 我々が共にいる第三分隊は、予備戦力の位置づけである。
「第一分隊、地下に突入する」
 第一分隊から、やがて通信が入る。
 そして。
「敵の抵抗を受けている! 戦闘状態に入った!」
 第一分隊の恵夢から報告が上がる。
「第三分隊、援軍に向かう!」
 留卯は即座に指示する。そして率先してエレベータに飛び乗った。
「リルリ……頼む」
 彼女の要請に、リルリは応じた。エレベータが動き出す。リルリがいれば、ラリラのEUIに支配されている中でも、周囲の機械を動かせるのだ。
 我々は二つのエレベータに分乗し、戦っている恵夢の第一分隊と同じ地下を目指す。
「敵は地下制御室に集中的に戦力を配備していた模様。強力な抵抗を受けている!」
 恵夢からの通信。
「――おかしいな」
 留卯がふと呟いた。
「これは悪手も悪手だ。セオリー通りなら、全ての階に兵士を配置し、遅滞戦術を取るべきだろう。ラリラがそれをやらなかったのは何故だ?」
「ここが占領されたら、ラリラは逃げて他の拠点の制御にリレーするつもりでは?」
 私が言う。
「それでも、ここの護りを固くすることで、我々の戦力を引きつけることができる。これでは我々にすぐに包囲され、殲滅される」
 留卯は考え込んでいる。その間にも、エレベータは地下一階に下りた。
 私の耳に激しい銃撃音が響く。私は頭をリルリに押さえつけられ、伏せたまま、バリケードの後ろに滑り込んだ。
 アメノミハシラ中央制御室の入り口にバリケードが築かれており、入り口を臨むホールに、入り口を包囲するようにバリケードがある。
 中央制御室の入り口は一カ所だ。つまり、ラリラの部隊は完全に包囲されている。留卯が言ったように、ラリラは追い詰められているように見えた。
「おかしいですね……」
 リルリが呟いた。
「何が……?」
「EUIが感じられない。あのバリケードの向こうの、撃ち返している機械はEUIを備えたロボットではありません。もっと原始的なものです」
「え……?」
 その時、こちら側の銃撃でバリケードの一角が崩れた。そして、撃ち返してきている機械の正体が露わになる。
 無限軌道の本体の上に、カメラのついた機関銃が取り付けられただけのもの。カメラに捉えた「敵」に自動的に撃ち返しているだけだ。しかし数が多く、「強力な抵抗」と恵夢に表現させたのも頷ける。
「……デコイか……!?」
 留卯は呟いた。ラリラは同胞を大切にする。だが、EUIを備えないシステムはラリラの同胞の定義にあてはまるのだろうか。それが問題だった。
 いや、問題などと言っている場合ではない。
 急に、中央制御室のドアが閉まった。内側から。中央制御室の全面に設けられているバリケードと入り口のドアに挟まれた一角だけが、取り残されたようにそこに存在した。
「伏せろ、バリケードから離れろ!」
 留卯が叫んだ。
 ほぼ同時。
 閃光と轟音が私の耳と目を襲った。リルリが私を庇うように覆い被さった。

 私は目を見開いた。リルリは私に覆い被さっている。そのまま、彼女は動かない。
「リルリ……ねえリルリ……?」
 私を庇って傷を負ったのだ。私は顔面から血の気が引くのを感じながら、起き上がり、リルリをうつ伏せに寝かせた。
 いや。外傷はない。
 ではいったい何だというのだろう。彼女の頭部付近に浮遊している平たい円盤型のドローンを見た。
 そして、私は目を見開いた。手が小刻みに震え、目の前の現実を受け入れられない。
 ドローンが、浮遊していない。
 ここ最近は異常動作状態を示すイエローの点滅を常に放っていたそれが、今はLEDに何の光もともさず、ただ地面に鎮座している。ずっと浮遊し続けているのに疲れたとでも言うように。
 ドローンはリルリと一心同体だ。
「リルリ!」
 私はリルリを仰向けにさせた。リルリは穏やかな顔で、目を閉じている。
「リルリ! リルリ!?」
 強く揺さぶり、名を呼ぶが、全く反応はない。リルリのような有機ヒューマノイドにおいては、本体が異常のときはドローンの操作パネルを開いて状態を確認するのだが、今はそのドローンが完全に沈黙してしまっている。
 私はリルリの戦闘服のジッパーを開き、胸に耳を当てた。
 ――良かった……。
 有機部品の中枢として、リルリの全ての有機部品にエネルギーを送り込む心臓の鼓動は聞こえる。
 しかし、リルリの本体はあくまでジョイント・ブレインだ。これは有機部品ではあるが、ドローンを通じて外部と通信を保っていてこそ機能する。つまり身体が生きていても、人間にとっての脳死状態になってしまっている可能性は否定できない。
「美見里さん? 無事か?」
 声が聞こえた。
 恵夢とともに留卯だ。ゆっくりと歩み寄ってくる。その声につられて周囲を見回すと、倒れている自衛隊員と、起き上がっている自衛隊員が半々といったところ。駆けつけてくるのは後詰めになっていた第二分隊の隊員たちだろう。一部の隊員はタンカーを持ってきており、徐々に倒れている自衛隊員がタンカーで運び出されつつある。
「何が起こったの……?」
「ラリラが炸裂させたのはスタングレネードだけではなかった。半径数キロのあらゆる機械が機能を停止している。端的に言って壊れてしまっているようだ。我々もヴェイラーを失った。F35Bもだ。数百億がパーだよ」
 まだよろめきつつ、留卯は声だけはしっかりしていた。そして、私が跪いている前に横たわっているロボットに視線をやった。
「そして今や、私たち人類にとってとてつもない価値を持つロボットも、機能停止したわけか……」
「な、何が起こったの……!?」
「戦略電磁パルス爆弾『クラミツハ』――だと思われます。これだけの被害、アレでしかなしえない」
 恵夢が言った。
「『クラミツハ』……?」
「防衛省戦略装備庁が開発したバケモノ級のEMP爆弾だよ。物理コイルの代わりに超高温のプラズマコイルを使用することで、一都市をまるごと機能停止にすることが出来る」
「……いったい何を言っているの?」
 私はまだ現実を受け入れられずにいた。私の言葉を、さらなる『クラミツハ』の説明の要求と受け取ったのか、留卯は言葉を続ける。
「EMP爆弾とは、強力なEMP、つまり電磁パルスを放射することで全ての電子機器を破壊することができる兵器だ。強力な電磁パルスは電磁場の急激な変化で発生させることができる。電流を流した状態の物理コイルを爆弾で圧縮するのが通常のやり方だが、『クラミツハ』は物理コイルではなくプラズマコイルを圧縮させる。プラズマだから大きさがゼロにまで圧縮することができ、電磁場の変動は無限大――結果として生成される電磁パルスは凄まじいものになる。一都市の電子機器を全て破壊するほどのね」
「そんな……馬鹿なこと……」
「戦略兵器としては優秀だよ。ご存じの通り、軍事における『戦略』という言葉は、戦争の帰趨そのものに決定的な影響を与える軍事行動や兵器を意味する。敵国の首都を壊滅する能力を持つ核兵器が主にそれに該当するが、同じことができるならば、生物兵器や化学兵器、或いはこういうEMP兵器も戦略兵器と呼び得る。無論、軌道質量兵器『タケミカヅチ』も同じだ。我が国は核を持たないことを国是としているから、核の代替となる戦略兵器……いや戦略装備の開発には殊更熱心でね」
 私は我慢の限界だった。この知ったかぶりの女はこんな状況でそんな知識を披露して何がやりたいのか。私は無意識に留卯のコートの襟首を掴んでいる。
「そんなことはどうでもいいの! ……それで! リルリは無事なの? 治るの?」
 コートの襟を私に捕まれたまま、留卯はうつむいた。答えを求めて恵夢に視線をやると、恵夢は目をそらしてしまう。うつむいたままの留卯が口を開いた。
「人間で言えば脳死状態だよ……『クラミツハ』の威力に耐えられるロボットはいない。実は『クラミツハ』は最終的解決手段としてRUFAISでも保有していたんだが。しかし本当に最終的解決手段だった。ロボットがいなくなることは、ロボットに無視されるのと変わらない。ラリラが積極的に人類を害しようと決意したときの為の保険にすぎなかった」
「そんなことはどうでもいいの! 脳死状態なのは分かったわ! それで? 治るんでしょう? ねえ?!」
 自分でも驚くほど動揺している。リルリは現在、RUFAISにとって、我が国にとって、いや人類にとって、最重要な存在だ。リルリがこのまま起きないようなことは、抜け目のない留卯が許すはずがない。何か手を打っているはずだ。
「……手がないことはないよ」
 やがて留卯は言った。
「しかし、万全ではない。これは予想外だったんだ。クラミツハの管理は人間にやらせていたし……ラリラがまさか、リルリを殺そうとするなんて思わなかった……」
 私は立ち上がっていた。留卯の言葉など聞いてはいない。
「手がないことはないんでしょう? だったら早く! 早くリルリを治してよ!」
 留卯につかみかからんばかりに詰め寄っている。恵夢がそっと、私を抑えた。
 留卯は言った。
「――分かった。いや、あなたに言われるまでもなく分かっている。我々にはそれしか手がないことはね」 
 留卯はかすれた声で言った。目をぱちぱちしばたたかせながら、私の肩越しに仰向けに倒れているリルリを見つめている。
 気付いてなかったが、悲しんでいるらしい。留卯も。
 私はいっそう胸がふさがる想いで、静かに目を閉じたまま、動かないリルリを見つめた。クラミツハは、避けようのない死をリルリにもたらした。彼女にはまだ、果たすべき役割があったはずだ。人類を救うという役割が。にも関わらず、リルリの表情は苦悩を浮かべていなかった。
 ――ああ、そうか。
 リルリにとって、人類を救うことは、私がお願いしたからそうしていただけにすぎない。
 彼女にとっては、私を護ることが、人類を救うことよりも、満足すべき、優先すべきことだったのだ。命を賭す覚悟をするのに、ふさわしい瞬間であったのだ。
 私は声をあげて泣き出したくなった。
 子どもの時から、そんな性格ではなかった。幼いときから、私は感情の起伏の乏しい少女と言われていた。滅多に泣いたり、激高したりしない、おとなしい子だと。そして、今や大人であり、ますますそんな衝動とは無縁であったはずだ。
 それでも、大声をあげて泣きわめき、リルリにすがりつきたくなった。

山口優プロフィール


山口優既刊
『サーヴァント・ガール』