「はるかな町」瀬名秀明

(PDFバージョン:harukanamati_senahideaki
 少年はまっすぐ前を見据えて青い空の下を走っていた。
 いや、彼はすでに高校二年生であり、少年と呼ぶには成長していた。だから少年ではなく彼と呼ぼう。慶長年間に火災で天守を失った城跡の周りを、お堀に沿って左回りに走る。二度息を吸い、二度息を吐き、遮るものもなく見晴らしのよい車道を、次の曲がり角へ向けてただ前へ進む。そこへ到着したら、彼の前には次の視界がはるかに広がる。
 彼はいつも正面を見つめて走った。登下校で自転車のペダルを踏み込むときも、まっすぐ続く長い道をとらえて駆けた。
 彼の通う高等学校は一〇〇年以上続く進学校で、昔気質な文武両道の精神は体育の授業によく現れていた。入学して最初の一ヶ月は校庭のトラックをただ行進する。四列縦隊となり足並みを揃えて授業時間すべてを行進に費やす。教員は彼らの手足がぴたりと揃うまで無言で観察する。夏になればプールでただひたすら泳ぐ。第一コースから飛び込み、向こう側にたどり着いたら足を下ろすことなく第二コースへ移動し、逆方向に泳ぐ。すべてのコースを終えて初めてプールサイドに上がり、駆け足で第一コースに戻る。集合時間に誰かが遅れたときは小さな競泳着ひとつで校庭を走る。夏までにクリアすべき成績に達しない一年生は赤褌の遠泳合宿に強制参加となるが、それはむしろ貴重な体験として、卒業後の笑い話の種となるのだ。
 冬は当然のようにサッカーだったが、彼の町には穏やかな四季があり、初夏と秋のころは校舎からほど近い城跡や山の神社へ、こうして授業時間のすべてをランニングに費やすのだった。彼がまっすぐ前を向き、つねに無心で走るのは、走ることが得意だからではない。教師は運動能力の善し悪しで生徒の間に差をつくらない。一斉に校庭からスタートし、校門を出て住宅街を抜け、城跡を定められた数だけ周回して戻る。足の速い生徒は短時間で校舎へ戻り、あとは最後尾の生徒が戻ってくるまで休めばよい。最後の生徒が戻ってきたところで授業は終わる。
 教師は自転車でぶらりとお堀までやってきては生徒たちを監視したが、それはただの暇つぶしで、実際は近道でごまかすこともできた。しかしたいていの場合生徒たちは、真面目に順路を黙々と走った。ときには女子の授業内容と重なることもある。彼の高校は女子生徒が極端に少なく、男女クラスと男子クラスがあり、女子は複数のクラスが合同で体育の授業を受ける。城跡の周囲を逆向きに走る女子のグループと彼はすれ違う。小さなころから彼は運動が苦手だった。彼より足の速い女子は何人もおり、ブルマを隠すように体育着の裾を外へ出した姿で、一周前より早い地点で彼の横を過ぎてゆく。すっ、すっ、はっ、はっ。彼は無心で前方を見据え、曲がり角の電柱を次の目標に掲げて走る。そこへ到るまで彼はすべての想いを振り切り、ひとつの機械となって走る。
 彼は美術部員だったが、彼の高校では野球部などの例外を除き、ほとんどの生徒が二年生の前期で部活動から離れた。美術室は校舎の端にあり、ときに鳥が窓にぶつかり墜ちていった。部員は彼の学年ではわずか三名であり、最後に三人でベニヤ板を貼り合わせて浅間神社の桜を描いた。揃ってサインし、旧校舎と新校舎をつなぐ渡り廊下の脇の壁にくくりつけ、そうして美術部から卒業した。
 初夏から夏休みにかけて、生徒は文化祭の準備にすべてを費やす。夏も毎日自転車で学校へ通い、トントン、カンカンと金槌をふるって、仮装大会の舞台装置づくりに没頭する。だから二年生は九月を過ぎると、後は受験へ向けて生活するほかない。ぽっかりと空いたような放課後の午後を、心の中でもてあますのだ。在来線に揺られて遠くから通う女子もいたが、多くは自転車通学だった。彼はもっぱらひとりで自転車を漕いで帰った。瀬名まで北東へ三〇分。その間にいくつもの郊外型書店がある。それらを巡るのが日課だった。
 東海道や北街道は忙しすぎる。だから彼が好むのはさらに北へ入った直線の道だ。そこからときおりハンドルを切り、左へ、右へ折れて、小島のように点在する書店を回る。戸田書店、江崎書店、谷島屋、それらに立ち寄ることは水泳の息継ぎと同じであり、とりわけ夏には書店の冷房が心地よく、汗もひいてゆくのだった。
 山田風太郎は鮮血、森村誠一は紺藍、高木彬光は琥珀、半村良は日ごとにうつろう虹、眉村卓は若葉。ちょうど鳥たちが大洋の島々を巡り、どの森のどの枝に舞い降りれば心安まるかを知るように、彼もそれぞれの書店を知悉しているつもりでいた。書棚はただ時の中に埋もれているのではなく、つねに新陳代謝していることも知っていた。定められた日になれば新しい背表紙が書棚の隅に芽吹き、平台の上で咲き誇る。それらは等しくほんのひとつのきっかけであり、広い大地に小さく生まれたに過ぎないものだが、あるものは年月を重ねて根を拡げ、しばしば付近を侵食しておのれの色を育ててゆく。絶え間ない陣地取り合戦こそが小説の生と死なのだと、彼はわかったような顔で見ていた。
 その日、彼は発売日の漫画雑誌を立ち読みし、ジョン・ファリスの見事な題名の文庫本二冊を求めた。レジの脇にある文庫目録やフェアの無料小冊子をもらって鞄に収めた。彼はいつも文庫目録を読み込み、未知の作家や作品に想いを馳せた。好きな作家の作品番号は諳んじられた。フェア小冊子でどんな作家が何の本を紹介しているか、そうしたことが彼を惹きつけてやまなかった。
 ある夏の午後のことだ。北街道沿いの江崎書店で夏のブックフェアの小冊子を手に取り、何気なくページをめくったとき、嵐山光三郎が「江崎書店○○店の夜」というショートショートを寄稿しているのを見て仰天し、思わず店内を見回したことがある。まさにそこで書かれた書店は、彼がいま立つ場所だったからだ。嵐山光三郎がここへやってきたのだろうか。しかし店員も客もそんなことには無頓着で、ここに無造作に置かれている小冊子のことなど誰も気づいていないのだった。
 いま自分は夢を見ているのか。自分が書物の中へ入りこんでしまったような錯覚に打たれ、彼は小冊子を持ったまま、まさに深夜の人気のない書店をひとり泳ぐ気持ちで外へ出た。自分の住んでいるこの町が、誰かの手によって描写され、しかも活字となって印刷される。そんな信じられないようなことが起こりうるのだと、彼は初めて知ったのだった。
 ならばいまこの一瞬も、このひと息の間さえ、いつか誰かの手で活字に籠められることがあるだろうか。
 いま書店に立ち寄るひとりひとりが、いつか書かれることもあるのだろうか。

 彼は自転車で走る。八月の町はどこまで逃げても蒸し暑く、半袖のシャツを通した腕は、汗を滲ませて灼けてゆく。
 彼の高校は周りを住宅に囲まれていた。春の風では校庭の土が舞い、近隣の物干し竿まで飛んでいった。夏休みになれば仮装大会に向けて生徒たちが朝夜構わず金槌を振るう。台本を書き、舞台装置の原案をつくるのは、美術部の彼の仕事だ。彼は光瀬龍の小説をまねて、大胆にも生命進化のはるかな歴史をわずか数分間の演し物に盛り込もうとする。たくさんの和紙を万華鏡のように染め上げてベニヤ板に貼りつける。踊りを担当するクラスメイトたちが駆け上がる大仕掛けのために、木材と発泡スチロールの船を設計する。女子は夜の海をモチーフに、露出度の高い衣装を縫う。男子は振付を練り上げる。周囲の住民は夏が終わるまで続くそうした喧噪を、毎年黙って受け容れ、ともに時を過ごすのだ。
 さすがに生徒たちも土曜は半日で解散する常識はわきまえており、彼はアスファルトに焦げついてしまいそうな暑さのなか、眩しさに目を細めながら古い商店街へと走ってゆく。昼食は帰宅してからだ。小遣いは本のためにある。よって彼は空腹が我慢できなくなるまで、無心に昼下がりの古書店を彷徨する。
 彼が漁るのは漫画本に限られていた。しかも目当ては藤子不二雄と手塚治虫のみで、『黒ィせぇるすまん』も『ひっとらぁ伯父サン』も古書店で見出した。電話帳で未知の店舗を探し、一軒ずつ自転車で巡り領地を拡げた。娯楽物語が世界のすべてだと信じていた彼は、むろんこのときまだ自然科学や人文社会科学の本の魅力を知らない。それらの棚に見向きもしなかったのは当然だが、文庫や文芸単行本の棚でさえひやかすだけで、買い求めようとはしなかった。なぜなら新刊書店に行けば読みたい文庫本がまだ山のようにあり、娯楽小説の大海は果てなどないように見えたからだった。
 自転車のサイドスタンドを跳ね上げ、次の古書店へと走る。午後の陽射しはさらに熱を孕み、商店街は時間が止まっていた。彼は滑り込むように店の脇へつけ、すばやく降りて庇の下へと進む。いったんひいた汗は再び滲み、生きた彼の身体には加速が残る。彼は価格均一棚の前に立つ男性の脇をすり抜けて、まだ名のみ知る漫画を求め、歩みゆく。

 夕刻になって仮装大会が始まる。校舎の前に設置された本部テントは審査員席となり、近くの住民や他校の生徒も校庭前の階段に見学場所を確保する。まだ空間が落ち着かず、陽射しも褪せないうちから、もっとも若き一年一組は出陣してゆく。
 質実にクラス番号の通りだ。夏の水泳と何ら変わりはない。第一コースから第七コースまで黙々と泳ぐように、一年生が終われば二年一組へとコースが戻る。彼のクラスはすでに着替えを終え、舞台に立つ踊りのチームは男女とも化粧を施し、裏方の男たちは揃いのTシャツ姿になっていた。とつぜん夕立が降り出し、世界を叩くような雨粒の群が、迫り上がる鼓動となって高校を包んだ。彼の和紙がたちまちのうちに滲み、破れた。
 高きを仰ぐ。彼は校訓のままに空を見上げ、額から濡れた。世界は急速に暗くなり、夜間照明が放たれた。やがて雨は過去となったが、彼はなお飽和した湿気の中で、ベニヤ板から和紙の残骸を剥がす作業に心をぶつけていた。すぐに出番がやってくる。装置を校庭へ運ばなければならない。
 寄せては返し、寄せては返し、
 返しては寄せる波。
 台本に忍ばせたSFの言葉を、彼は生の声で朗読する。それは拡声器によって校庭から町へと広がり、やがて音楽が波のように、言葉を呑んで超えてゆく。クラスメイトたちの激しい踊りが始まる。
 プログラムが進み、コースが三年生へと折り返されるころには、本物の夜がやってくる。自分の仮装が終わった後、彼はひとり校庭の隅から、上級生の演し物を見つめていた。空は次第に晴れつつあった。大会は三年八組で幕を閉じる。彼らは校庭に木組みの巨鳥を持ち込み、踊りのクライマックスで炎を放った。
 フェニックスは翼を広げ、赤い火の粉を散らしながら、煙を上げて焼け落ちていった。

 夏が過ぎ、部活動が終わり、体育の授業はマラソンに戻った。
 彼はお堀の周りを無心で走った。まっすぐ前を向き、おのれの息を聞きながら、曲がり角へ達することのみを目標に進む。そこを曲がれば新しい世界が広がり、彼は次の目標へと進むのだった。生きることや、誰かを好きになることや、大切な物語のことや、そうした一切のことを心のうちから消して、ただ呼吸を繰り返して走り続ける。
 彼女に名を呼ばれたのは、放課後、自転車置き場でのことだった。
 衣替えも終わり、生徒は冬服になっていた。鉛色の女子のブレザーは市内でも不評で、存在感を奪う。彼は自転車の荷台に鞄をくくり、鍵をさしてハンドルに手をかけたところだった。顔を上げるといくつかの自転車を挟んで、はす向かいにブレザー姿の彼女がいた。
 小学校から中学校を経て、この高校までいっしょだった。同じ中学からこの高校を受験した女子は彼女ひとりきりだ。しかし入学してからは、一年、二年とも別のクラスになり、話をする機会が減っていた。
 彼が趣味で小説を書くことを知る、数少ない同級生のひとりだった。読書が好きな彼女に読ませるため、中学生のときルーズリーフで四〇〇枚もの長編さえ書いた。高校に入ってからも、さらなる長編を書き上げた。高校一年の夏いっぱいをかけて、ただひとりのために小説を書いた。
 自転車置き場はなぜか閑散としていた。彼女は笑顔をつくったが、それは弱々しく見えた。しかしもっぱら話をするのは彼女のほうで、彼はただぎこちなく相槌を打った。
 彼女は半年間入院していたことをそっと口にした。それは決して直接的な言葉ではなく、最初のうちは会話の綾から察せられるような、日々の思い出話の中に編み込まれたサインだった。クラスは別だけれどそのことは知っていたでしょう? そう探りを入れるように彼を見つめた。
 表面上は話を合わせながら、しかし彼はそのとき初めて彼女の入院を知った。彼が体育の時間に走っていたときも、放課後に古本の棚を漁っていたときも、仮装大会のときでさえ、彼女は病院のベッドにいたのだった。
「お見舞いに来てくれればよかったのに」
 彼女は過ぎ去った日をいたわるような微笑みを浮かべた。彼は自分の酷い愚かさをようやくに知った。彼は彼女の姿を半年も探さず、しかもいま返す言葉さえ見つけられない。片手はずっと自転車のハンドルを握りしめ、さきほどから対面しているのに動こうともせず、自転車の波を潜って彼女のそばへ行き、ただひとこと謝ることさえできずにいる。
 沈黙の後、ついに彼女はじゃあねと告げる。小学校の学区が同じなのだから帰る方角も同じはずだが、ふたりはおそらく同じ道を通いながら、いまもその時間は前後するのだ。
 後から出発しても決して追いつき交わることがないよう、自転車に乗る彼女の後ろ姿を見てしまわぬよう、彼は途中で書店に寄り、きっと彼女が帰り着くまで留まるのだ。

 夏が終わって、彼は小説を書くことをやめた。受験勉強に集中するためには、自分の趣味など脇へ置かなければならなかった。
 彼は自転車で走った。翌日、彼は帰途の途中で書店に寄り、三木卓の文庫本をレジに運んだ。作者は高校の先輩であり、この本が彼の住む町を舞台にしていることを知ったからだ。掌編がいくつも連なる連作集で、そのうちの一編が国語の試験で取り上げられていた。
 川端康成の掌の小説も、山川方夫の夏の葬列も、短い物語ならどんなものでもSFかミステリーだと、このころの彼は信じていた。遠い異国の冒険譚より、小径を曲がれば異世界に迷い込む、そんな小さなお話のほうが好きだった。はるかな町というその文庫本のタイトルは、まっすぐ彼の胸に染み込んでくる。コバルトグリーンの背表紙にSのロゴマーク。布の小さな襞に夏の眩しさと闇を織り込んだような、古き青春時代のカバージャケット。遥かなでもなければ遙かなでもない、開かれてゆくひらがなの町。同じ文庫で眉村卓が『かなたへの旅』という本を出しており、彼にはその幻想小説集とこの本が重なって思えた。
 はるかな町。かなたへの旅。
 彼は不意に、心に迫るものを感じて店内を見渡した。唐突だが、いまこの瞬間を描く未来のまなざしが、いまこの一瞬を書き留めるはるかな何ものかが、確かにたったいま自分の中を、奔り抜けていったと感じたのだ。
 どこからのまなざしだろう? 誰がこの店内をまっすぐに見つめているのだろう? 彼は袋に収められた文庫本を手にしたまま、焦燥に駆られて書棚の間を抜け、店内の中央から四方を探った。
 そして彼は知ったのだ。ここにある馴染みの文庫や漫画たちは、いつか消えてなくなるだろう。いま書棚に色づく赤や青や黄色の背表紙たちも、遠からずすべてなくなり、指の隙間から滑り落ちてゆくように、気づいたときにはどこかへ去っているだろう。彼はその瞬間、ここにあるすべての本をつかみ、奪い、逃げ出したい衝動に駆られた。しかし次の瞬間には、そうした幻覚そのものが喪われ、彼の胸にはただわけもわからない激情と怖れが残るばかりで、彼はいま手に強くつかんでいる文庫本の小ささを思い出して狼狽し、その小さく折り込まれたページの中に詰まっている小さな活字を想像して、すっ、と息を呑んだのだった。

 扉を開けて店を出た。成人した男性がひとりそこに立ち、彼が出てくるのを待っていた。男の顔は見ずに自転車へと向かった。
 鍵を差し入れ、ハンドルを握り、サイドバーを倒す。彼はふと空を仰ぎ、世界を見た。
 世界は紫色に暮れ、遠い西の雲は黄金色に照り返していた。
 彼は空をしばらく見つめた。生まれて初めて、この町に広がる空の大きさを知った。
 土地はどこまでも平らで、だから彼はどこまでも自転車で走ってゆけた。舗装された道はどこまでもまっすぐで、だから彼はいつも正面だけを向いてペダルを漕いでゆけた。城跡の堀を走るときも、浅間神社の階段を上るときも、いつも前ばかりを見つめていた。自分の頭上にこれほど大きな空が、果てしなく広がっていることを知らなかった。
 この町に視界を遮る高層ビル群はない。急な坂道も険しい谷間もない。起伏があれば不意に空が目に飛び込むときもあるだろう。その一瞬が鮮やかに胸に刻まれることもあるだろう。だがここではどこからも空は見渡せる。夏の夕立はいつでもアスファルトを直接叩き、蝉の声は遠く届く。なにより彼の住むアパートからも、一階のベランダであってさえ、はるかな富士の山頂が見えるではないか。
 それはこの町の空がどんなときでも、果てしなく大きく、どこまでもかなたへ広がっているからだ。なぜいままで気づかなかったのか。まっすぐ前を向いて走っていると、この空は大きすぎて見えなくなるのか。
 彼は空を仰いだまま、心の中で両腕をいっぱいに拡げ、すべてをつかみ取ろうとしてみた。きっと自分は、はるかなという言葉を、これからも好きでいるだろう。大学に進学すれば町を離れるだろうが、還るときにはいつでもきっと、はるかなという言葉とともにあるだろう。いつかまた小説を書くとき、この言葉を使うかもしれない。そのとき自分は必ずここへ、この町へ向かっているだろう。
 空に伸ばした両手は想像のもので、実際は自転車のハンドルにあった。彼はサドルに跨がり、ペダルに力を込めて走り出した。
 腰を浮かせて加速を続ける。交差点の角を曲がり、まっすぐな道が目の前に広がる。もう彼の胸中に、さきほど感じた怖れはない。
 彼は──いや、少年は、無心で走り抜けてゆく。自転車は加速する。夜がやってくる。太陽の光はついにその背に届かなくなり、少年はハンドルを握りしめながら、まっすぐ正面を見つめてはるかな町へ滑り込んでゆく。
〝ごらん。〟私はおのれに心の中でそう囁き、この町を踏みしめて、いま、少年の影を、どこまでも見送る。

【参考文献】三木卓『はるかな町』集英社文庫、一九七九。

瀬名秀明プロフィール


瀬名秀明既刊
『希望』