「裂島」伊野隆之

(PDFバージョン:rettou_inotakayuki
 峡谷をわたる風はひゅうひゅうと冷たい。
 僕は、荒々しい岩肌を見せる谷を見下ろす場所にいて、この谷はいくつの命を飲み込んだのだろうと考えている。
 眼下に鋭く切れ込んだ谷は、超然としている。南から吹く風は、複雑な谷の地形に合わせ、時に渦巻き、時に吹き上げている。だからこそ、ハンググライダーで挑むには危険であり、その一方で魅力的なのだ。
 切り立った崖から飛翔し、上昇気流に乗って舞い上がる。谷底から崖の上までの高度差に加え、上昇気流が高みへと連れて行ってくれる。
 僕は佑樹が見ていたであろう光景に、思いを馳せる。
 谷を見渡し、岩壁をすり抜ける。
 佑樹がこの谷を飛ぶと言ったとき、なぜ、本気だと気づかなかったのだろう。危険だからやめておけという一言で、佑樹が考えを変えるはずがなかったのに。
 佑樹は幼い頃に両親を亡くしている。
 佑樹と同じような孤児がたくさんいて、僕自身もその一人だ。二十年近く前、この国をおそった未曾有の大地震は、大地を切り裂き、多くの命を奪った。大地震発生の十五分前に警報があり、誰もが備えていたはずなのに、巨大地震と、それに続く余震はそれまでの地震学の常識を越えるエネルギーを一気に放出し、多くの命を奪った。
 数え切れないほどの多くの死を前に、想定外という言葉はむなしい。どんなに堅牢な構造物であっても、突然引き裂かれた大地に飲み込まれたのではなすすべもない。プレート境界型の地震は良く研究されていたが、三つのプレートが角突き合わせる例は少なく、地震の規模の想定においても十分な材料がなかったのだ。
 僕と祐樹は震災孤児施設で出会った。すでに高校生になっていた僕は、小学校低学年のグループの世話を任され、その中に幼い祐樹がいた。
 祐樹の生来の気質がどうだったか、今となっては判らない。一度に家族を失えば、誰でも大きな衝撃を受ける。僕自身もまた生き残ってしまったことに対する理不尽な罪の意識を抱えて生きている震災孤児の一人だった。
 祐樹は一人だった。誰とも遊ぼうとせずに、孤立していた。それだからだろう、僕は祐樹のことが気になり、積極的に声をかけた。そうした努力の甲斐があって、やっと祐樹が打ち解け、まるで年の離れた弟のようになついてしばらくした小学二年生の春、祐樹は里親のところへ引き取られて行った。
 僕は憶えている。里親に手を引かれながら施設を出る祐樹が、何度も僕の方をふりかえって見ていたことを。祐樹との別れが辛くなかったわけではない。けれど、その一方で、重荷を手放すことができた開放感のようなものがあり、僕はその感覚に戸惑っていた。
 高校卒業を控えた僕は祐樹のいない孤児収容施設にとどまり、人並みに受験勉強をしていた。復興のための膨大な資金需要に苦しみながらも、政府の震災孤児奨学金は手厚く、大学への進学も可能だった。国立の大学であれば入学金免除制度もあった。もちろん、状況からすれば浪人などあり得ないから、僕は確実に合格できそうな近場の大学の工学部を選んだ。電気工学科に入学した僕は、震災孤児収容施設を出て一人暮らしをはじめた。
 それから間もなくして、僕は祐樹が里親の元を逃げ出したという噂を聞いた。だからといって僕に何ができたろう。あの頃の僕は、奨学金があっても一人暮らしには十分ではなく、学業とアルバイトの家庭教師の両立に四苦八苦していた。

 復興はめざましく、日々の生活の中から地震の傷跡が消えていく。大学の中でちょっとした居心地の悪さを感じるようになったのも、復興の進展と無関係ではないだろう。受験そのものは公平に行われたにもかかわらず、震災孤児に対する特別枠があったというようなことがささやかれていた。震災孤児奨学金の受給者であることは隠しようが無く、それ故に特別に優遇されているという噂が広まっていた。たぶん、それが理由だろう。研究室の担当の教授は妙によそよそしくなり、それとともに僕の電気工学への関心も薄れていった。
 院に進むことは考えなかった。研究室は僕にとって息苦しい場所だったからだ。民間への就職も、教授との関係がぎくしゃくしてしまっては難しい。結局、消去法によって残ったのは公務員であり、国家公務員の採用には震災孤児特別枠があった。事実無根の中傷にさらされるくらいなら、震災孤児である立場に与えられた正当な権利を有効に使おうと思ったこともある。それに、技術者としての立場に縛られた仕事を一生続けるだけの覚悟が僕にはなかった。公務員試験の受験は思いつきのようなものだったが、それでも僕は試験に合格し、中央省庁の一つに採用された。
 その頃、祐樹は里親との折り合いが悪く、毎年のように家出を繰り返していたらしい。
地元を離れた僕は関西に建設された新首都で働き始めた。
 復興に伴う電力需要の増大が、僕の公務員としての仕事を決めていた。化石燃料の世界的高騰はとどまることを知らず、自然エネルギーは不安定な供給から信頼されなかった。原子力は忌避される過去の技術に成り下がっていたし、メタンハイドレートの開発は、採掘時の事故と避けがたい大気中へのメタンガスの放出、海洋環境への悪影響から凍結されたままになっていた。手詰まりの状況から開始された発電衛星の開発が最終段階を迎えており、僕は入省と同時に発電衛星実用化の担当部署に配属された。電気工学の知識もそれなりに必要とされ、技術的なディテールにも強いと評価されたのだろう、異動も同期の中では一番遅く、異動先も関連の部署だった。
 入省して六年が経過して、実証実験の段階になった発電衛星の運用に関する国際条約交渉が始まった時に、技術的な部分の担当として交渉に携わるようになったのも必然だったろう。
 その頃祐樹は、めざましい復興を遂げた東京の私立大学に入学し、一人暮らしをしていた。震災孤児奨学金で学費を支払い、アルバイトで生活費と遊ぶための費用を稼ぐ。バイト漬けの毎日で、ろくに勉強していなかったに違いない。生活が荒れるのは当然だった。
 祐樹が暴力沙汰に巻き込まれ、警察のお世話になった。震災孤児収容施設の記録を調べた警察の係官が、僕のところに連絡をして来たのは、ジュネーヴでの条約交渉会議が始まる一週間前。大学を退学になり、アパートにもいられなくなった祐樹が、僕の住んでいる公務員宿舎に転がり込んできた。
十二年ぶりに見る祐樹は、まるで別人のようだった。身長は僕と同じくらいに大きくなっていたし、柔らかそうだった頬はくぼんでいた。
 けれど、祐樹は祐樹だった。
「ごめん、兄さんに迷惑をかけるつもりはなかったんだけど」
 うつむき加減に言った祐樹。
「何でもっと早く連絡しなかったんだ。いつだって力になってやれたのに」
 そう言って、祐樹の肩に手をかけたのは、多分、お節介な係官が近くにいたせいだ。
 おずおずと顔を上げた祐樹。その目ははじめて震災孤児収容施設で会ったときの祐樹の目と変わらない。
「兄さんに迷惑をかけたくなくて」
「迷惑なんかじゃないよ。ちょうど留守にするところだから、しばらくはこの部屋を自由に使っていい」
 僕の言葉を聞いた係官が安心した様子を見せる。あの時、祐樹は十九だった。かろうじて未成年の祐樹を押しつける相手を見つけて安心したのだろう。
「じゃあ、よろしいですか?」
「ええ、しばらくここに住んでもらいます。ちょうど長期の出張が入ってるんで、留守番でもしていてもらいますよ」
 あのときの僕は、祐樹と一緒に暮らすつもりなど、これっぽっちもなかった。条約交渉会議は四週間にも及ぶもので、その間、僕は交渉の行われるジュネーヴに行ったきりになる。それだけの期間があれば、祐樹も仕事と住む場所を見つけることができるだろうと思ってのことだった。それに、ろくな家財道具もないこの部屋には盗まれるものも何もない。
「じゃあ、よろしくお願いします」
 僕が何枚かの書類にサインをすると、係官は小さく頭を下げる。
「ご苦労様でした」
 ほっとした様子で僕の前から消える。
「良かった。どこにも行くところが無くてさ」
 係官の姿が消え、祐樹の態度が微妙に変わっていた。
「しばらくここにいてもいいから、仕事でも探すんだ。バイトじゃなく、長く続けられるのを」
「ああ、そうするよ。でも、まだ独身なんだ」
 部屋の入り口から中を見て言う。僕の部屋は、新聞や雑誌で散らかっている。
「人のことは放っておけ」
 祐樹が笑う。人なつこいとはいえないが、微妙な影のある笑みは、魅力的だと言っていいだろう。緩やかにカールした黒い癖っ毛は、それだけで若い女の子にもてそうだ。
 僕は祐樹を部屋に招き入れる。
「ここも地震なんか無かったみたいだ」
 まっすぐに窓辺に向かい、外を見て言う。十七階建てのビルの十五階にある僕の部屋からは、随分と遠くまでよく見える。
「そりゃそうだ。でもな、航空写真を見れば日本は二つに裂かれている」
「でも、現実感がないね」
「そういうものだろ」
 振り返った祐樹が僕を見る目に怒りがある。地震への怒り。地震を忘れてしまう事への怒り。それが祐樹だ。

 ジュネーヴでの交渉は複雑なものになっていた。本来であれば、発電衛星の運用など国連軍縮会議で取り上げるようなことではないのに、マイクロウェーヴでの地上照射能力を有する発電衛星は大量破壊兵器と見なすべきだとの問題提起がなされた結果、多国間のややこしい交渉が始まってしまった。月面での太陽電池生産工場の建設は進んでいるのに、地表への送電実験のめどすら立たない状況だった。安全保障上の懸念は、日本が新たなエネルギー資源を単独で入手する事への懸念に他ならなかったし、事故による想定も実用化の足を引っ張るためのものでしかなかった。必要とされる衛星の運用の精度は、すでに長い実用経験のある放送衛星程度でしかないというのに、過剰な安全策が議論されていた。
 日本はひたすら譲歩を重ねていた。エネルギーは必要であり、そのためには一刻も早い発電衛星の稼働が必要だった。オペレーションシステムへの国際監視は、当初から受け入れを表明していたし、照射位置を低緯度地域に限定することも表明していた。それでも、近隣国の抵抗は強く、ジュネーヴでの交渉に並行して、領海内でのグリッド設置が困難になった場合の対応についての二カ国交渉も並行して行われていた。
 交渉は、実質的に日本からどれだけの譲歩を引き出すかの交渉になっていた。交渉ポジションは圧倒的に不利であり、同じ立場に立って協力するEUも、さほど頼りになる同盟者にならなかった。
 早期の決着を求めているのは日本だけだった。一条ごとに行われる交渉は、たった一行の交渉に何日も費やし、合意が近く見えても、時間になると会議は打ち切られた。
 会期が新たになると、決着したはずの論点が蒸し返され、同じような議論が何回となく繰り返された。政治的なイニシアティヴがあればまた違う局面もあったろうけれど、国内政治の状況はいつものように混乱していた。
 僕は、発電衛星の稼働状況をモニターする手法について技術的な詳細に関する議論を詰める小グループにいて、軍縮大使をヘッドとする代表団と離れていることが多かった。テクニカルに過ぎて他の誰も判らない部分だから、若くても責任を任される。そのことにやりがいを感じていた面もある。
 四週間の交渉では必然的に週末を挟む。軍縮代表部は、ハイランクの出張者のアテンドに忙しく、僕のようなレベルの出張者は放っておいてくれる。そんな時の時間のつぶし方として、ジュネーヴ駐在の長い事務官が教えてくれたのが、サレーヴ山だった。
 サレーヴ山はジュネーヴ郊外のフランス領にあり、市内からも特徴的な白い縞模様がよく見える。バスで国境越えるとケーブルカーがあり、展望台まで登ることができる。そこでは、ハンググライダーやパラセールを楽しむことができた。サレーヴ山でのハンググライダーは、遅々として進まない交渉からのいい気分転換になった。
 いつもは細部に難癖をつけてくる隣国の担当官とも、ハンググライダーを通じて仲良くなることができた。そのおかげで、小グループでの交渉は随分とやりやすくなったと思う。全体の交渉は、それこそ暗礁に乗り上げてしまっていたものの、僕の担当部分だけは確実に先に進んでいた。
 公務員としての給与はさほど多くないけれど、公務員宿舎にいて扶養家族もいない僕は、日本にいても休日にハンググライダーを楽しむことが多くなっていた。出張から帰った僕は、祐樹にそんなことを話す。
 関西新首都で新しい仕事を見つけた祐樹は、僕の部屋を出て行こうとしなかった。僕の方も、祐樹のいる生活に慣れてきていた。
 同じ宿舎の住人には、僕たちの関係について変なことを言う者もいたようだけれど、もともと宿舎での人付き合いのない僕には気にならなかった。
 祐樹は荷物らしい荷物を持ち込まなかったし、部屋もきれいに使っていた。掃除の苦手な僕には、祐樹の存在が、逆にありがたかった。祐樹は僕の仕事には関心を示さなかったものの、ハンググライダーには関心を示し、何回か一緒に空を飛んだ。影の見える祐樹の顔も、ハンググライダーを跳んだ後は晴れやかになった。
 僕の失敗は、祐樹にグランドキャニオンをハンググライダーで飛ぶビデオを見せたことだろう。祐樹は思いついてしまったのだ。日本を引き裂く裂け目の上を跳ぶことを。
 ジュネーヴでの交渉は年に二回、それぞれ四週間の会期がある。祐樹が僕のところに転がり込んできて一年がたっていた。会期が二週目に入った月曜日の朝、国連本部に行くために軍縮代表部で集まったときに、駐在の事務官が祐樹の事故について教えてくれた。
 僕が祐樹の計画にまじめに取り合わなかったのがいけなかったのかも知れない。ハンググライダーを始めて間もない祐樹には経験が不足していた。複雑な気流の怖さを知らないまま、祐樹は日本を引き裂く谷を飛んだ。谷の岩肌に衝突したハンググライダーは、祐樹もろとも二百メートル以上の高さを墜落したらしい。
 祐樹は弟のようなものだったけれど、肉親じゃない。仲のいい事務官には帰国を勧められたけれど、本省で急な帰国の理由として説明できる事ではなかった。
 会期を終えて帰国したとき、祐樹はすでに灰になっていた。

 あれから二年ほどで交渉の潮目が大きく変わった。日本が発電衛星の所有を放棄したことで、一国の主権の下にある潜在的大量破壊兵器の管理の問題が消失し、発電衛星の国際共同管理の問題にアジェンダが変わった。国内世論的には反発があったけれど、外交的には大きな前進だった。軍縮会議での議論の理由が失われ、国連経済社会理事会に、新たな政府間交渉会議が設置された。
 エネルギー危機により、発電衛星の必要が、より広く認識されるようになったことも、交渉が前進する大きなきっかけになった。日本の提案で、国連宇宙エネルギー機関、UNSEOの設置が決定され、発電衛星は、その管理下に置かれることが決まった。条約交渉は五年で決着し、新たな国連機関は最初の大規模受電グリッドが設置されるインドネシアにおかれることになった。
 日本は、発電衛星の所有はあきらめたものの、特別の利害関係国としての地位を手にして、衛星の管理に大きな役割を果たすことになる。
 そのための貢献の一環として、僕は、UNSEOへの出向が決まっていた。UNSEO本部のあるジャカルタへの赴任者は、日本政府から二十人規模に及び、最大の人的貢献国となる。
 赴任を前に、僕にはやり残したことがあった。そのために、僕はこの場所にいる。
 未曾有の巨大地震でも日本は沈まなかった。それどころか、大規模に隆起した場所もある。僕がいるこの谷は、大規模な隆起の中心でもあった。
 大地震の傷跡は、日本から消えつつある。二十年近い歳月は、巨大地震の残した傷をもいやす。国中で聞こえた復興の槌音すらも過去になり、震災を知らない世代が育っている。祐樹はそのことに耐えられなかったのだろう。大地に刻まれた傷跡を、自分の目で確かめるために、祐樹はこの谷を飛ぼうとしたのだ。
 この国は、度重なる災害を乗り越え、そのたびに不死鳥のようによみがえる。僕は、この地に生まれ、この地と共に生きてきた不屈の民の一人であることを誇りに思う。けれど、谷底に落ちた祐樹は帰ってこない。
 佑樹の死を乗り越え、僕は再び立ち上がらなければならない。そのためには、佑樹の命を奪ったこの谷を飛ばなければならない。
 仕事を続けながら、僕はハンググライダーの経験を積んでいた。風の読み方、バランスをどう回復すればいいのか、危険を回避する方法。海外での経験も積んだ。アフリカの大地溝帯も飛んだし、グランドキャニオンも飛んだ。準備はできている。
 風が弱くなった頃合いを見計らって、僕はハンググライダーをハーネスにつなぐ。慎重に、岩壁を蹴って空中に飛び出すと、上昇気流が身体を持ち上げる。
 長大な谷が続いている先で、海が陽光を受けてきらめいている。駿河湾に続くフィヨルドのような鋭い切れ込みに向かって、僕は飛んでいる。
 日本を引き裂くこの谷は、かつては糸魚川静岡構造線と呼ばれていた場所だった。

                   完

伊野隆之プロフィール


伊野隆之既刊
『樹環惑星
――ダイビング・オパリア――』