「【追悼】八杉さんのこと」上田早夕里


 同じ年(2003年)に、同じくSF系の新人賞でデビューしたので、八杉将司さんは、同ジャンルの作家同士として常に励まし合ってきた「盟友」とも呼ぶべき方でした。
(八杉さんは日本SF新人賞出身、私は小松左京賞出身)
 日本SF新人賞作家と小松左京賞作家は、2000年代当時の日本SFが抱えていた諸問題の中で、作家としての境遇や立ち位置がよく似ていたので、ともに同じ問題に取り組まざるを得ない状況にありました。そのような中で、八杉さんは、いつも黙々と全力で立ち向かっておられました。筆が荒れることも決してなかった。
 
 長く交流してきた者として、他の方と同じく私も証言しておきますが、八杉さんは亡くなる少し前まで原稿の執筆を続けていました。現在、これらは未発表作品となっていますが、公開を目指しての準備が進められています。八杉さんの作家としての情熱が、最後まで衰えることがなかった証です。これ以外の最後の長篇は、紙での出版には至っていないがネットで読めます。本格長篇SF小説で、四六判単行本一冊分の分量があります。私が知る限り、他にも未発表の長篇が複数(もしかしたら短篇もまだいくつか)あるはずですが、それがどうなるかはわからない。諸々まだ情報が得られず、私も続報を待っている状態にすぎません。
 
 コロナ禍以前は、出版社主催のパーティーで合流し、新人賞作家仲間で連れだって二次会・三次会になだれ込むのが常でした。メンバーはたいてい決まっていて、いまの時点でお名前を出しても差し支えのない方のみ言及するなら、片理誠さん・八杉さん・私は、こういうときに、たいてい、いつも一緒になって三次会まで流れていったのでした。関西在住のSF作家たちが集まって科学系の施設や工場へ取材に行くときにも、八杉さんとはいつも一緒だった。SF作家が集まると、その呑み会では、いつもSFや創作の話になりました。でも、お互いの苦労を相談するというよりも、こうしたい・ああしたい・こうしたらええやん・それ面白そうやからやってみよか、みたいな情報交換と、あとは最近読んだ本や観た映画の話とか。おおむね馬鹿話をしているばかりでしたが、八杉さんは、そこがいい、それでいいんだと言っていた。
 
 作品は、デビュー以降ずっと、お互いの新作を読み合って、あそこがよかったとか面白かったとか気軽に言える間柄でしたが、これは私に対してだけそうだったのではなく、八杉さんは他の友人作家に対しても同じでした。勿論、それだけでなく、世間で話題になった作品もどんどん読み、単に読むだけでなく、それが友人作家の作品であっても付箋を貼りまくって研究するとも言っていた。創作に対する努力を惜しまない人でした。その粘り強さや、SFとしての理を丁寧に積み上げつつも人間の内面の柔らかな部分に触れていく優れた感性を、作家仲間は誰もが驚嘆し、尊敬していたはずです。
 
 以下は、ただの個人的なつぶやきです。
 
 
 八杉さん。
 もう会えないというのが、どうしても信じられない。
 コロナ禍が消え去ったら、また、みんなで呑みにいけるのだと思っていた。
 少し前のメールのやりとりが最後になるなんて、君だって考えていなかったんだろう? そうだったはずだ。そうだと言ってほしい。
 そう考えざるを得ないほど、最後にもらったメールは、いつも通りの自然な文体だった。
 
 誰も君の代わりにはなれない。どこにもそんな人はいない。
 だから――もう少し、あと少しだけでもよかったから、生きていてほしかった。
 ずーっと、「もう少し」「あと少し」と先延ばしにし続けて……そのまま何十年も過ごしてもよかったんじゃないか? でも、そうできない心情や事情があったことも、心に留めておくよ。
 
 どんな亡くなり方をしても、作家の作品の価値が損なわれるとは私は思わない。
 本当の意味での強さと美しさを描ける作家だった。残された作品群は、いつまでもそれを語り続けるだろう。
 
 それでも、ただただ、悲しい。