「ホワイトメイズ」太田忠司(画・YOUCHAN)

 黄色い煉瓦を隙間なく積み上げた壁に亀裂が入っていくのを、真馬は言葉もなく見ていた。
 地鳴りのような音と共に壁が動き、歪な形の隙間ができる。
「これが、入り口か」
 泰覧が呟く。
 と、燐香が壁に駆け寄った。壁の隙間から人影が出てきたのだ。
「秀精、大丈夫?」
 燐香が声をかける。しかし秀精は棒立ちになったまま返事をしない。
「秀精? どうしたの?」
「……ああ、すまない。ちょっと、驚いてしまって」
 強張った口調で、やっと秀精が応じた。
「驚いたって、中はどうなってるの?」
 蓮桃が尋ねると、一瞬遅れて秀精が答える。
「説明するより、見たほうがいい。こっちへ」
 再び壁の隙間に入っていく彼の後ろを燐香は躊躇せず追う。他の面々も続いて中に入った。
 壁の厚みは二十センチ程度だった。その壁を通り抜けると、向こう側には真っ白な壁がある。
「何だこれ? 壁の内側にも壁があるのか」
 泰覧がうんざりした顔で言う。真馬は白い壁に触れた。外側の煉瓦製のものとは違い、磁器のようにつるつるとした光沢のある材料でできている。汚れも傷もない、のっぺりとした白さだ。
 先頭の秀精が壁沿いに歩きだした。ついていくと一部壁が途切れている箇所があった。ここからさらに内部へと入ることができたのだが、そこにもまた白い壁があった。
「一体どれだけ壁があるのよ?」
 途方に暮れたように哉沙が呟く。ここは壁だけでなく足元も白い。頭上の空以外、すべて白く覆われた。
 秀精は無言で壁沿いに歩いていったが、途中で不意に立ち止まった。
 見ると、目の前は白い壁で塞がれている。
「もしかして」
 真馬は言った。
「これ、迷路じゃないですか」
「そうだ。ここは迷路になっている」
 秀精がやっと言葉を発した。
「巨大迷路なら攻略法を知ってます」
 伏呂が左手を壁に当てた。
「こうやって壁を触りながら歩くんです。行き止まりになってもこうしてれば、絶対に出られます」
「出ることだけが目的じゃない」
 燐香が言った。
「これは何なのか。この中に何があるのか知りたい」
「とにかく進もうぜ」
 泰覧が伏呂に倣って左手を壁に突いた。
「いざ進めだ」
 一行は歩きだした。何度も袋小路に入り込み、そこを抜けてまた歩く。その連続だった。
 一キロ四方の四角の中全部がこうした迷路だとしたら、ここを攻略するのは相当大変なことになる。真馬は気持ちが萎えそうになった。しかし口に出しはしない。茶色いノートを手にして前方を行く燐香の後ろ姿を見つめながら、無言で歩き続けた。
 数十分のことが数時間に感じられるほど単調で先の見えない行進が続く。
「このまま出られなかったらどうしよう?」
 心細そうに哉沙が呟いた。
「こんな訳のわからん場所で野垂れ死にするのは性に合わんな」
 泰覧がわざと茶化したような口調で応じた。
「だが大丈夫、来た道を戻れば帰れるさ」
「変わってなければね」
 燐香が白い床を指さす、そこに茶色いものが落ちている。真馬はそれを拾ってみた。
「枯れ葉だ」
「さっき、服に付いてたのを払ったの。つまりここは一度来たところ。だけど道が変わってる」
「本当か」
 疑わしそうな泰覧に燐香は言った。
「枯れ葉を落としたのは三叉路だった。でもここは一本道。形が変わってる」
「それがあんたの落とした枯れ葉かどうかわからん。もしそうだったとしても、風か何かず動いたのかもしれん」
「そうではないと思います」
 泰覧の反論を否定したのは、伏呂だった。
「見てください。さっき僕たちが来た道が」
 振り向いた一同は揃って息を呑んだ。
「道が……塞がってる」
 蓮桃が背後の壁に手を当てた。
「どういうこと? さっきここから来たわよね?」
 真馬も壁を調べた。継ぎ目らしきものもなく、本当に動いたのかどうかもわからない。
「ちょっと待って。この迷路、勝手に形が変わってるってことなの?」
 哉沙が言った。
「じゃあ、左手を壁に付けてたって意味がないじゃない」
「そういうこと」
 燐香が応じる。
「そういうことって、簡単に言わないでよ隊長。このままじゃやっぱりわたしたち、ここから出られないじゃないの」
 感情的になっている哉沙に、燐香はノートを差し出した。
「ここに入ってから、どこで曲がったかをメモしておいた」
「だから、そんなの役に立たないんでしょ?」
「役には立つ」
 答えたのは秀精だった。
「どこがどう変わったのか確認できれば、その先もわかる」
「どうして?」
「この迷路には意志がある。俺たちを導こうとする意志が」
 そう言うと彼は、迷わず歩きだした。
 真馬は当惑する。迷路の意志? 何だそれ?
 しかし燐香が黙って秀精の後を追ったのを見て、自分も歩きだした。他の仲間も疑いながらも行動を共にした。
 意味はないとわかっていても真馬は左手を壁に付けて歩いていた。変化のない白い壁や床は自分がどこを歩いているかもわからなくさせる。せめて手からの感触を得ていないと不安に負けそうになるのだ。
 それからまた何十分か――あるいは何時間か歩き続けた。不意に先頭を行く秀精が立ち止まり、燐香のノートを覗き込むと、言った。
「……わかった」
「何がわかったんだ?」
 泰覧がすかさず訊いた。秀精は目の前の壁を見つめながら、
「ここはすでに三回通っている。俺たちは堂々巡りをさせられている」
「やっぱり出られないのか」
「いや、燐香がメモしてくれていたおかげで、迷路が変化するパターンが読めた。たぶん、ここだ」
 秀精は眼前を塞いでいる壁に手を当て、その手を左にずらした。
 まるで掻き消すように、彼の手の先が見えなくなった。
「こういうトリックか」
 そう言うなり彼は左に動いた。消えてしまった。
「秀精さん!」
 真馬は思わず駆け寄ろうとする。しかしそれより早く燐香が同じように左に動き、姿を消した。
「何だ? 何が起こった!?」
 泰覧が真馬を押し退け、壁に体当たりする。があっさりと跳ね返され、尻餅を突いた。
「違う。前じゃない」
 秀精の声がした。真馬は壁に突き当たり、それから左を向く。
 秀精と燐香が立っていた。
「道、塞がってたんじゃないんですか」
「違う。俺たちが見逃していただけだ」
 秀精が言った。
「単純な仕掛けだ。陰影もない白さのせいで遠近感を狂わされ、ある方向から見ると、道が見えなくなっている」
 真馬も左に歩いた。
「道が変わったんじゃなくて、俺たちの見えかたが変わってたわけだな」
 尻をさすりながら泰覧が立ち上がる。
「この迷路を作った奴、かなり性格が悪いな」
「試しているんだと思う」
 燐香が言う。
「この先にあるもの、それを見る資格があるかどうか」
「資格って?」
 堂穏が訊くと、燐香は答える。
「それが見られたら、きっとわかる」
 そして、それは唐突に彼らの目の前に現れた。