「Utopia」川嶋侑希(第1話)

 序文

 ほかならぬ「SF Prologue Wave」から生まれた、オリジナル・サイエンス・ファンタジー「Utopia」をお披露目します!
 著者の川嶋侑希氏は大学在学中、「SF Prologue Wave」2018年4月20日号に本作のプロトタイプである同名小説「Utopia」を発表。
 大学卒業後は、柴田望・木暮純氏らが主宰し、吉増剛造・花崎皋平氏らも参加しており勢いのある詩誌「フラジャイル」に9号(2020年9月)から参画。
 「海上の別れ道」「粉雪の吹溜りに命を吐いて」「騙し騙され味わい深く」と、優れた現代詩を立て続けに発表し、実力派の詩人として活動してきました。
 それとともに、「Utopia」の改稿も地道に継続し、このたび完全版として公開に至ったという次第なのです。 

 本作はヴェルヌが幻視したSFの原型から想像の翼を広げつつ――〈妖精〉というタームが示すように――それがハイ・ファンタジーの形象や構造と接合させられています。
 描かれている太陽系の模様、あるいは舞台となる〈情報街(ビット)〉や〈優なる都〉、それに各種の登場人物は、数多の名作群を彷彿させるものになっていますが、単なるパッチワークには留まりません。
 記述が進められるうちに、それらは寓喩としての機能を帯び、手垢のついたイメージを裏返して思わぬ領域と切り結び、懐かしいながらもまったく新しいタイプの読み味を創造するに至っています。
 そう、本作はSFとファンタジー、フィクションと現実、実験性とリーダビリティといった各種の「境界」そのものを、再帰的に問い直しているのです。
 こうした意味で、本作は「SF Prologue Wave」が自信をもってお届けする、新時代のスペキュレイティヴ・フィクション(思弁小説)だと言えるでしょう。
 
 本作は中編ですが、章ごと、4回に分ける形で分割発表していきます。その都度、川嶋氏自身が作詞・作曲をしたオリジナル楽曲が添えられていますのでご堪能ください。
 つまり本作は、難波弘之『飛行船の上のシンセサイザー弾き』、サム・J・ルンドヴァル『2018年キング・コング・ブルース』等、音楽と連動したSF小説の系譜に連なる作品でもあるのです。

 さらに付言すれば、本作は『エクリプス・フェイズ』に次いで、「SF Prologue Wave」上で展開されるシェアード・ワールド・プロジェクトの第2弾となります。
 もともと本作は、岡和田晃が受け持ちの大学で行った、会話型RPG(テーブルトークRPG、TRPGとも)を用いたワークショップの成果物として提出されたものが出発点にあります。
 詩人としてのヴィジョンをもとに紡がれた原石を――特定のルールシステムに留まらないRPG的な発想を経由することで――様々な角度から参加可能な設定として磨き上げたうえで、一部をスケッチしたのが本作の前身でした。
 完全版の創造にあたっては、伊野隆之氏がキャラクターの動機づけ、エピソード間の整合性、シーンの意味合いといった細部をより具体化・強化する形で補作に入っています。
 とはいえ、こうした処置は川嶋氏のヴィジョンの解像度をより向上させるための措置であり、あくまでも本作は「川嶋侑希の小説」なのです。
 伊野氏自身、本作への返歌ともなっているシェアード・ワールド小説を発表予定です。
 かくして、セイラの冒険とともに、「Utopia」の世界は、さらなる拡張を見せていくというわけです。(岡和田晃)

【楽曲 最果てに夕暮れSFPW.mp3】

〈情報街(ビット)〉にて
 
 荒野に忽然と現れた〈情報街〉を前に、セイラは改めて決意を固めた。
 ――やっとここまで来たんだ、あの〈月〉に行くためなら、何だってやってやるわ。
 旅を始める前から今の今まで彼女を駆り立ててきた想いが、今にも小柄な身体からあふれ出しそうな気がする。
 〈月〉。ただ、見上げているだけの〈月〉ではなく、彼女と同じ〈妖精〉たちがまことの独立を果たしたという〈月〉が、まだ明るい空から〈情報街〉を俯瞰する丘に立つセイラを見下ろしている。
 世界中の情報が集まるという〈情報街〉は、旅の第一の目的地だった。やっとたどり着いた〈情報街〉を前に、長旅の疲れは嘘のように消えていた。
 丘を駆け下り、〈情報街〉の石造りの大きな門の前に立つ。自分を落ち着かせるために深呼吸してから、もう一度、街の入口にある門を眺める。大きく開け放たれた門の向こうには、同じような石で作られた建物と、行き交う多くの人影が見えた。多様な情報が行き交うこの街で、必要な情報が手に入るはずだ。
 ここまでたどり着くのに、すでに随分時間がかかっていた。〈妖精(エルフ)の森〉の隅で禁じられた扉を開けたのは、何日前だったろう。
 夜空に浮かぶ〈月〉が、ただ見上げるだけのものではなく、手を伸ばせば届くものだと知ったそのときから、セイラは、欲望なのか、それとも希望なのか、判然としないままの熱い想いに苛まれてきた。
 あれから、もう何ヶ月も経ったかに思える。
 ――あぁ、みんなの心配する顔が目に浮かぶ。お爺様が上手く説明してくれていれば良いのだけれど。ごめんね。
 背負い袋から〈水筒〉を取り出し、僅かに口に含む。〈水筒〉は旅の準備に手を貸してくれたお爺様からもらった。不思議な仕組みで、飲み干しても新たに湧いてくる。これがあったおかげで、〈妖精の森〉から〈情報街〉へと至る旅の間、飲み水に困ることはなかった。
 思えば、〈情報街〉にたどり着くことができたのもお爺様のおかげだった。〈月〉や星の話が禁忌とされていた〈妖精の森〉で、厳格な長老の目を避け、〈月〉の話をしてくれただけではなく、〈情報街〉のことや、〈街道の賢者〉のことも教えてくれた。
 セイラは、お爺様の言葉を思い出す。かつて、人と〈妖精〉は、手を携えて星を目指した。その関係を壊したのが、人の裏切りであり、それ以降、人と〈妖精〉は疎遠になったのだという。
 ここから先は人の世界だ。高まる心を落ち着かせて、街に足を踏み入れようとしたセイラは、街を見下ろす丘の手前まで道案内をしてくれた〈街道の賢者〉が、詩のように歌った忠告を思い出す。

 この〈情報街〉に入りたいなら
 嘘は置いて来ることさ
 嘘を見破る者たちに
 追い出されては宿もない
 説明できない虚飾は取り去り
 能弁すぎる口は閉ざせ
 旅人たちはみな寡黙
 思い出にすら嘘はつけない

 歌われたのは、この街のルールだ。ここで情報売買をする人々は嘘を許さないらしく、出鱈目な情報を流す者は厳しく罰せられる。それ故に多くの人が真の情報を求めてやって来るのだが、その一方で、よそ者の小さな嘘にすら敏感で、発覚すると街から追い出されてしまうという。
 でも、〈妖精〉であることは隠さなければならない。これも、お爺様の忠告だ。人間と〈妖精〉が仲違いをした今となっては、人間の世界に〈妖精〉が来るなんて、ほとんど例がないし、〈妖精〉だとわかれば何をされるかわからない。
 なるべく自分の話をしないで情報を集めよう。セイラはフードを深くかぶり直し、〈妖精〉の特徴である長い耳を隠す。五感を研ぎ澄まし、警戒心で武装した彼女は、〈情報街〉の門をくぐった。
 既に夕刻。だんだんと陽が落ち、夕闇を待ちわびていたかのように、門から続く目抜き通りに明かりが灯り始める。軒先に吊り下げられた無数の丸いランプが出歩き始めた人々を照らし出す。
 建物から人が溢れ出してきて、通りがあっという間にいっぱいになった。
 ――こんなに沢山の人間を一度に見るのは初めてだ!
 セイラは急に不安になった。あの混雑の中で押しつぶされてしまわないだろうか。つい立ち止まってしまったが、もたもたしていたら時間がもったいない。とにかくここで情報を集めなければならない。情報が無ければ、この先に進めないのだ。
 意を決し、雑踏に小柄な体を滑り込ませた。通りの両側が店になっていて、呼び込みの声が絶えず聞こえてくる。そばまで寄らないと、何を言っているのかわからない。欲しい情報はどこで売っているのか。流れに身を任せながら、セイラはとりあえず情報を売る店の建ち並ぶ通りが途切れるまで歩いてみることにした。
 時々聞こえてくる、
「~の次の標的の情報を仕入れたよ!」
「いらっしゃい、うちはグルメ情報ならなんでもござれさ」
「~の不倫相手が知りたいかい?」
 店の客引きが投げかける、まさに無数の言葉。でもそんなものじゃないんだ。知りたいのは……。気づいたら既に人混みが途切れていた。振り返ると、あの喧騒がある。
 無性に暑い。思わずフードを脱ぎ、襟元に風を入れる。急にどっと疲れが押し寄せてきたのは、人混みの中での緊張が解けたからか。その時……。
「君、人間じゃありませんね?」
 いきなり声をかけられた。驚いて顔を上げると、真横に背の高い人間の影がある。一瞬、フードを脱いだ姿を見られたのか。反射的に飛び退いたが、ここで逃げ出したところで、逃げ切れる自信も無かったし、逆に注目を集めてしまうのも怖かった。
「何か御用ですか?」
 いざという時の為に、ローブの中でナイフを握り締める。そんなセイラを警戒する様子もなく、突然伸びてきた男の手がセイラの両肩を包み込んだ。
「警戒は要らないよ」
 気味の悪い男は強引にセイラを路地裏へ誘導する。
「いや、離してください! 私は人間です……」
「ちっ、しまった」
 男は舌打ちをして周囲を見渡す。〈情報商人(ビット・マーチャント)〉とおぼしき何人もの人影がこちらに向かってゆらりと歩いてくる。
「たすけ……」
 そう言いかけたセイラは、自分が嘘をついてしまっていたことに気づいた。
「ここで意味の無い嘘を言うとはな。さすが〈妖精〉だ。自分の面倒は自分で見るんだな」
 男は、そう言ってセイラを人影の方に突き飛ばすと、建物の影に溶けるように姿を消した。
 セイラの周りを〈情報商人〉たちが取り囲んでいた。先ほどまで賑やかに商いをしていたのと、明らかに様子が違っている。
「どこから来た?」
「何のために来た?」
「名前は?」
「なぜ嘘をついた?」
 五、六人だった〈情報商人〉たちの数が増えていた。セイラに詰め寄りながら、矢継ぎ早にそんなことを質問してくる。なんだか普通じゃなさそうだ。彼女は焦ったが、〈妖精〉である事は隠して返答した。
 質問が多すぎて追いつかないし、相手がちゃんと聞いているようには見えない。だが話せばわかってくれるのではないか。質問は終わらない。
「昨日は何を食べた?」
「星の生まれる仕組みをご存知?」
「ずっと前、ここは〈母なる大地(ユーラシア)〉という名だったの知ってる?」
 質問内容がどんどんずれていく。訳がわからなくなってきた頃、詰め寄られながら街の出口に誘導されていることに気づいた。まだ何もしていないのに、追い出されてしまう!
 セイラは、もう我慢ができなかった。
「わかったわ。私は〈妖精〉。セイラという名は人間にもらったもの! ここに来たのはどうしても必要な情報があったから。私は……〈月(ルナ)〉に行きたいの!」
 セイラは思わず大声で叫んでいた。彼女を囲んでいた者も、その周辺にいた人も、フードを脱いだセイラの姿とその言葉に時が止まったように固まっている。
 それも一瞬だった。セイラに向けて通りの人々が集まってくる。初めて見る〈妖精〉に皆興味津々なようで、彼女をここまで誘導してきた〈情報商人〉たちは人混みに紛れてどこかへ消えたものの、セイラはどうしてよいかわからない。
 絶えず浴びせられる質問、嘲笑、罵倒、難詰、自己紹介、握手……。
 そうした事態が収拾するきっかけとなったのは一人の女性だった。彼女が現れた瞬間、人々は道を開け、口を閉ざしたのである。
「〈バックノーム〉だ」
 わずかな囁き声から、名前が推測できた。
〈バックノーム〉は一言も語らずに手を差し伸べた。表情はよくわからないが、こんなところに取り残されるよりはよほどいい。セイラは目の前に現れた希望についていく他なかった。
「あなたの話を、聞かせて」
 セイラが〈バックノーム〉に連れられていった先は、通り沿いの酒場のような店だった。

 何度も、キラキラと光る金属の塊が水面を掠めながら飛び立つ夢をみた。
〈妖精〉は金属や機械が苦手なんて言うけれど、セイラは違った。小さな頃から光る物が好きで、〈妖精の森〉の一角にある、かつて人間が住んでいたという廃屋に入り込んでは、金属でできた道具を探しだし、おもちゃにしていた。それを見とがめる多くの大人の〈妖精〉とは違い、お爺様だけが優しく見守ってくれていたことを思い出す。
 セイラが〈月〉に行ける道具は、夢に見るそれしかない。
 人間界には〈月〉に行くための機械がある。どうしても〈月〉に行きたい。行って、まことの独立を果たしたという国をこの目で確かめたい。その願望が彼女をここまで突き動かしていた。
「人間界のどこかに、海も宇宙もどこまでも行ける船があると聞いて、その場所を知りたくてこの街に来たの。〈妖精〉の力では宇宙なんて到底行けないし、そもそも私たちには科学なんて存在しないに等しいもの。〈妖精〉の世界には古い文献しかないから。」
 セイラは丸いテーブルの上に出されたコップの水を眺めながら淡々と喋っている。その向かいで〈バックノーム〉は黙ってそれを聞いていた。他に客は誰もおらず、薄暗い店内のカウンターの向こうで店主らしい男が一人、〈新聞〉を読んでいるだけだ。
「騒ぎを起こしてしまったことは謝るわ。守ってくれたことも感謝してる。でも、こんな騒ぎを起こしちゃあ、情報なんて手に入らないわね」
 セイラは残念そうに疲れた顔で自嘲した。もうとにかく眠かった。
「何がそんなに貴女を〈月〉へ行きたくさせるのかは聞かない。でも、その夢は美しいと思うわ」
〈バックノーム〉は赤い唇で微笑み、店主にひらひらと手を振った。それを確認した店主はカウンターから出てきて店の窓全てのシャッターを閉め、棚に並ぶ酒瓶の向きを変えたり、あらゆる引き出しを全開にしたりし始めた。
 一体何をしているのか。その様子をあっけに取られて見ていると、
「一番手っ取り早いのは、博物館からの強奪よ」
 と、〈バックノーム〉は、いつの間に手にしていたのか、セイラの前に空色の小瓶をことりと置いた。そのラベルには手書きで、
“○月×日 博覧会にて 星間探査船スリツアン 展示”
 と書かれていた。
 その真新しいインクで書かれた言葉の意味を理解するまでには、少々の時間が必要だった。だが、眠気と入れ違いに段々と興奮が舞い戻ってくる。
「……これ、確かなの?ここは〈店〉だったのね」
「〈新聞〉に載るような情報なんて、記録するだけムダだと思っていたわ」
セイラの言葉を遮り、〈バックノーム〉は笑った。そして少し嬉しそうに言葉を続けた。
「ここは秘密の取引所なのよ。勿論、酒場としても経営しているんだけど、そっちの売り上げは大したことないわ。何せこの街で一番多くの情報を取り扱っている店だからね。この店はかなり広い人脈をもっているから、いろんな情報が集まるの。あなたのような〈妖精〉が来るってことも、わかっていたわ。まあ、ちょっとしたじゃまが入ったけど」
 セイラに声をかけてきた怪しい男だ。肩を抱きすくめられたときの感触を思い出し、セイラは、思わず身体を硬くした。
「でも、誰にでもこっちの店を見せている訳じゃないのよ」
 セイラの反応には気づかない様子で、〈バックノーム〉は話を続けた。
「どうして私には見せてくれるの? 街の人は私のことを知っているの?」
「言ったでしょう。あなたの夢は美しいのよ」
 セイラは人間の、と言うべきか、大人の、と言うべきか、こちらの質問に対する的を射ない、勿体ぶった様な話し方が苦手だ。お前は詳しく知らなくていい、と言われているようでなんだか腹が立つ。だが、目の前の小瓶が今の彼女にとって最も手に入れたい物だから、これ以上店の事を詮索する気は起らなかった。
「わかった。じゃああとはその〈博覧会〉の詳しい情報があれば助かるのだけど、それくらいの情報はここにも置いているよね。まとめていくらになりそう?」
 先を急ぐように、セイラは話を進める。
「あなた、それっぽっちの情報で宇宙船を強奪しようとしているの? 有能な盗賊だったら展示場の詳細な見取り図くらい作るのは当たり前だし、警備員一人ひとりの服のボタンの数だって調べるわよ。ただでさえこの世界の事を知らないんだから、しっかり計画してから行きなさい」
〈バックノーム〉の言葉が急に熱を帯び、背を向けて再び棚や引き出しを見渡し始めた。私の夢が彼女にとって美しいというだけで、初対面の者にこんなに協力的になってくれるのかと、セイラは少し不思議に思った。
 ……もしかしたらこの女性は、優しいふりをして情報を先に開示して、教えた分の高額な料金をむしり取ろうとしているのではないか? そんな疑問がふとセイラの頭に浮かんだ。道案内をしてくれた〈街道の賢者〉が、〈情報街〉で情報を買う時は価値以上の値段を要求される事が多いから交渉が大変なんだとぼやいていたのを思い出したのだ。
「あの、私お金をあまり持っていないの。先に金額を教えてもらえない? それに情報はそんなにたくさん買わないわ。自分でなんとかするから」
 席を立って店の隅の方で情報を探しはじめた〈バックノーム〉に、やや大きめの声で身を乗り出して訴えた。情報が手に入ったとしても、お金がなくなって、この先の旅を続けることができなくなってしまっては元も子もない。
 がたがたとテーブルを動かしたり、椅子をひっくり返したりしている〈バックノーム〉は、何も答えない。聞こえなかったのだろうか。席を立ち、もう一度言おうと〈バックノーム〉に近寄った瞬間、彼女は振り返った。壁際にあった椅子の脚先にはめられていたカバーをセイラの眼前に掲げて。そこには〈警備会社三八四四〉と読める文字と、人の名前らしきものが幾つも小さく記されていた。
「いい? 人間の世界でとても大事なことを教えてあげる。何かを実行する時の重要なポイントは、多くの情報を得る事なのよ。どうしてもやり遂げたい事があるならば過去も現在も未来の情報も、何でも集めるのね。それが寄せ集まってできた道しるべは、あなた以外誰も知らない複雑な裏道を示すのよ。だから関係ないと思っても連想できた情報は全部集めるの。それらを上手く利用しなさいね。それから、あなたはただの客じゃない。ここで私が相手をしてあげるのは私にとって特別な客ばかりだけど、あなたはその中でもいっとう特別なのよ。だからお金なんていらない。私はあなたを見ているだけで、その夢を成功させるだけで、お金以上のものを間違いなく得ることになるわ。私が提供するものの対価は、あなたの夢が結果を得て終わることよ。私は世界を敵に回してもあなたに協力する。私に叶えられなかった夢を、私の全てで協力してあげるわ。本当の味方よ」
 この言葉を聞いて、セイラは思わず〈バックノーム〉を見つめてしまった。これ以上に気前のいい申し出はない。驚いたセイラを見て、〈バックノーム〉がわずかに微笑んだ。そのとき、セイラの直感がまことの協力者に出会えたことを告げた。
「本当に、私の夢に協力してくれるんですか?」
「あなたの夢は、私の夢なの。だから、ちゃんとやり遂げてほしいのよ」
 まさか〈バックノーム〉が同じ夢を抱いているなんて。
「とりあえず、今ある情報は、こんなところかしら……」
 目の前にはカードや酒のボトル、カーテンのタグ、飴の包み紙、小さな緑色のタイル、眼鏡の蔓……等が並べられ、夫々(それぞれ)から幾つかの情報を読み取れた。カラフルな包み紙には各惑星の調査現状が書いてある。
 現在、〈月〉に人間はいない。人間は進歩する技術で太陽系へのロマンを喰らい尽くし、近隣の星系に未知の領域はない。かつて多くの惑星に有人探査機が送られ、コロニー建設が行われた。しかし、今それらが残っているのは火星と金星だけなのだ。
 それはセイラにとって実に喜ばしい事だ。人間のいない大地は、この地球には存在しない。だが〈月〉に行けば、セイラが望んでいる世界が広がっている。
 
 その後何日か、セイラは〈情報街〉にとどまることになった。〈バックノーム〉のところでもらった情報は、セイラにとって貴重ではあったが、明らかに欠けているものがある。〈バックノーム〉が言うには、その情報があるのは、〈分かたれた天文街ノーフォレイヴ〉の図書館ということだったが、先を急ごうとするセイラを、〈バックノーム〉は押しとどめた。
「……どうして?」
 そう尋ねたセイラに、〈バックノーム〉は諭すように言った。
「ここまでの旅で疲れていないとでも言うつもりかしら。せっかくの情報が無駄にされるのは、あまり良い気持ちがしないものよ」
 実際、セイラは疲れていた。それに、思ったより早く情報が手に入ったのだから、〈バックノーム〉の言うとおり、何日かかけて体力を回復させてから旅を続けても良い。
「知り合いの宿なら安く泊まれるわ。それに、ここに来たときのような行き当たりばったりのやり方じゃなくて、ちゃんと計画を立てた方が良いわよ」
 それからの数日、セイラは〈バックノーム〉が手配してくれた宿で落ち着いて過ごすことができた。
 その間の一番の収穫は少し古いが小さなラジオを貰ったことだ。誰かが実際に見たり聞いたりした信頼度の高い情報のみを売買している〈情報街〉において、改変されることの多いデジタルデータや通信でのやり取りはあまり行われない。それ以上に膨大で信頼できる情報が世界中から集まっているからだ。それ故、そこに住む者にとってテレビやラジオは参考程度もしくは法螺を吹く娯楽でしかないのだ。こんな物で喜んでもらえるなら、と宿の主人の男は泡来(ほうらい)花(か)に似た色のラジオをセイラに手渡した。〈バックノーム〉が壊れていた受信部分を直してくれたという。
「今のあなたにとってこのラジオは、この世界を知る大事な術。全て役立つ情報だと思ってよく聴きなさい」
〈バックノーム〉はラジオを軽く撫でると、セイラに手渡した。
 機械が好きだし、何かの役に立つかもしれない。嬉しそうにラジオを眺めるセイラを見て宿の主人は優しい目をし、大事に抱えられたラジオはセイラの腕の中で小さく『Hymn To Freedom』を口ずさんだ。
「それじゃあ、おせわになりました」
〈バックノーム〉と宿の主人に別れの挨拶を済ませ、セイラは〈分かたれた天文街ノーフォレイヴ〉へと旅立った。

「Utopia」第2話に続く。