新作紹介『ナイトランド・クォータリー vol.25 メメント・モリ〈死を想え〉〜病疾(えやみ)に蠢く死の舞踏』【付:特別コラム】 岡和田晃

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 『ナイトランド・クォータリー』(NLQ)は、幻視者のためのホラー&ダークファンタジー専門誌。古典から最新作まで精選された翻訳作品に、日本人作家の書き下ろし新作を加えて、充実した批評・インタビューを添えながら、あなたの文学体験をいっそう豊かにすることを目指しています。
 Vol.17からは岡和田晃が編集長となり、絶えずジャンルの尖端と淵源にまで立ち返ることで、越境的かつ批評的な想像力のあり方を追求することで、オルタナティヴな「場」を創造・提示することをも目指しています。
 毎号、テーマを設定し、それに合わせた作品を選定し、批評で背景を解説していますが、今回は「メメント・モリ〈死を想え〉」。さかのぼれば14~15世紀、ヨーロッパは黒死病(ペスト)禍に席捲され――身分の貴賤や老若男女問わず――「死」との距離はいっそう親しいものとなりました。
 それまで不可視であった「死」が、擬人化された死神として人々を死に追いやる。そのことが絵画として視覚化され、あるいは詩として文章化され、果ては音楽にまで影響を与えました。
 ――これはホラーやダークファンタジーの、1つの起源といえるのではないでしょうか?
 恐怖を恐怖として捉えるのではなく、恐怖を他者として可視化することで、「死」に抗い、「死」の瞬間から少しでも逃れようとすること。
 「死」へ翻弄される様々なあり方が、それこそ「舞踏」のようにも捉えられるのではないでしょうか。
 こうした「死の舞踊」は、それこそコロナ・ウイルス禍を生きる我々の現在と、照応するところが多くあるように思います。
 スティーヴン・キングは、モダン・ホラーの歴史を「死の舞踊」に擬えました。その方法に刺激を受けながらも、それこそ『フランケンシュタイン』以前の「死の舞踊」にまで遡る形で、より広い形で「死の舞踊」を捉える。
 古典としての〈奇妙な味〉、ゾンビとウイルス、さらには反近代をテーマにしたエピック・ファンタジー、あるいは英語圏のみならず国境をまたぐ形で、「死の舞踊」の体現たる怪奇幻想小説を集めました。

 表紙は二階健。VAMPS(L’Arc〜en〜Cielのヴォーカリストであるhydeと、Oblivion Dustのギタリスト・K.A.Zのロックユニット)のPV等で知られており、今回は美麗な絵画風の作品で、表紙を飾ってくれました。「死の世界から湧き上がる異形の生命力――二階健」(沙月樹京)で、そのアートワークが解説されています。
 その他、カラーページは「『Tokyo Butoh Circus 2021』10組の舞踏家による競演、〈スペクタクルとしての舞踏〉」(いわためぐみ)と、リメイク版『サスペリア』を扱った「魔女たちの終わらぬ舞踏」(鈴木一也)。
 そして「大和田始インタビュー 静かなラディカリズムを翻訳や批評に活かして」(聞き手=岡和田晃・岩田恵/構成=岡和田晃)。M・ジョン=ハリスン『パステル都市』の改訳版にNLQ掲載の4作を添えた新版がアトリエサードから刊行予定の大和田氏は、「NW-SF」や「SF論叢」といった雑誌やサンリオSF文庫の話のみならず、お父上の詩人・フランス文学者服部伸六の話もふんだんに語られました。

 小説はT・F・ポウイス「鍋と布巾」(訳:岡和田晃)。西脇順三郎や志賀直哉が愛した〈奇妙な味〉の古典を、名編として知られる第3短篇集『寓話集(Fables)』より訳し下ろしました。
 ヨハネス・イルマリ・アウエルバッハ「自殺競技会」(訳:垂野創一郎)は、アルフレート・クビーンのイラストが映える切れ味鋭い怪奇幻想文学の古典。藤子・F・不二雄の『モジャ公』にも似たエピソードがあり、藤子F氏も本作を知っていたのかもしれません。
 ヤン・ゲルハルト・トーンデル「蜘蛛」(訳:渡辺健一郎)はオランダの怪奇幻想文学。かつて植草甚一が紹介したことのある佳品を、改めて日本語でお届けしました。
 アラン・バクスター「王の和睦」(訳:待兼音二郎)は、戦記ダークファンタジーと死者の蘇り、カリーナ・ビセット「毒気を抱きしめて」(訳:徳岡正肇)は、エピック・ファンタジーと「毒」がモチーフ。
 モーラ・マクヒュー「闇の芯にまばゆい灯り」(訳:待兼音二郎)。リーマン・ショックがアイルランドにどのような影響を与えたのか、怪談を通してその内実を伝えてくれます。
 吉田親司「ワールシュタットZ」は、13世紀に起きた“文明の衝突”をあっと驚く解釈で伝えるシミュレーション、マスコンバットの迫力が秀逸。
 高原英理「〈精霊語彙集〉目醒める少し前の足音」は、NLQ23の「精霊語彙集」が連作化、ただしここから読み始めるのもOKです。著者の「リスカ」(「文學界」2016年2月号)にも通じる内容。
 伊野隆之「月影のディスタンス」はアクション・ホラー。『ウォーキング・デッド』や『ダイス・オブ・ザ・デッド』がお好きな方は外せませんが、あっと驚く仕掛けもあって二度美味しい逸品。

 批評は、「「死の舞踊」と恐怖をめぐる解釈学――ペトラルカから「ウィアード・テールズ」、T・Fポウイスと藤枝静男の照応まで」(岡和田晃)が、ヘレン・マクロイ、エイブラハム・メリット、アーサー・リーズ、ポール・S・パワーズ、そしてマイケル・ジャクソンにアイアン・メイデンなど、越境的に「死の舞踊」のあり方を考察しています。
 「死を想い死を描く夢を見る」(深泰勉)は、映画論。イングマール・ベルイマン『第七の封印』をコアに据え、「死」を描いた映像作品を多角的に考察していきます。
 「墓場から帰ってきた兄貴! ハリウッドを凌駕するハイチのリアル・ゾンビ奇譚」(丸屋九兵衛)は、ぜひ本誌今号の「ワールシュタットZ」や「月影のディスタンス」とセットで読みたい作品。
 「死者を黄泉がえらせる「反魂の術」――ユニヴァーサル/アミカスの映画から西行の“人造人間”まで」(浅尾典彦/夢人塔)は、古典ホラー映画からジェイコブズの「猿の手」、さらには『撰集抄』に出てくる蘇りの仏教説話まで話が広がります。
 「命がけの音楽――ヨーロッパ近代音楽にみる「死と生命の舞踏」いくつか」(白沢達生)は、クラシック音楽と「死の舞踊」についての実に力が入った評論。リストやサン=サーンスが「死の舞踊」に曲を作った文脈がカバーできます。
 「海の向こうの気になる本・気になる人――イギリス編〜コニイとワトソン〜イギリスSFの異色作二編に注目」(安田均)は、伝説の「SF宝石」誌1981年4月号からの再録。扱われている作品はいまだ翻訳がなく、紹介も古びておりません。大和田始インタビューを補足するようにも読めるでしょう。
 その他、井村君江の連載「〈覚えておいて欲しいこと〉第三回」では、NLQオンラインセッションでも好評を博した「イエイツの墓碑銘――馬に乗る人、空駆ける者――」、「『ローマの休日』とキーツ――スぺイン広場の階段――」が扱われます。

 ブックガイド「マルチリンガルな幻想文学がさまざまな層の怪異へと波紋を広げる」(岡和田晃)では、『幻想の坩堝』『幽霊の書』『バージニア・ウルフなんかこわくない』『影を呑んだ少女』『不滅の子ども立ち』『白い女神の肖像』といった作品を紹介。
 かゆい所に手が届くような1ページコラム「エロティシズムと内宇宙が、「未来学」批判で響き合う!――「NW-SF」と「血と薔薇」」、「「SF宝石」とその時代 ――〈海外作家現地取材シリーズ〉を概観する」(岡和田晃)もあります。
 翻訳論「『女王陛下のユリシーズ号』がやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」(待兼音二郎)もお見逃しなく!

 「ナイトランド・クォータリー」vol.25、定期購読者用「ナイトランド・クォータリー・タイムス」Issue.10では、『死の舞踏』を含めてまるごと論じた風間賢二『スティーヴン・キング論集成』についての書評。
 「オランダ文学への招待状~ヘラ・S・ハーセ、セス・ノーテボーム」。
 川又千秋氏のファンジン「N」や大和田始氏の「漂暁」を紹介する「幻のSFファンジンが見つかった!」。
 街兼音二郎氏の翻訳エッセイ「陛下と殿下は「まぜるな危険」!?」。
 徳岡正肇氏のゲーム論「死の耐えられない安さ、あるいは「死に戻り」。
 深泰勉「須永朝彦さんのこと」。
 そして、『記憶の淵より C・A・スミス散文詩集』や『ヴァンパイアの教科書』『ドラゴンの教科書』の紹介もあります!

 さらには以下、「SF Prologue Wave」をお読みの皆様のため、NLQ25とリンクした以下の特別コラムを書き下ろしました。ぜひセットでお読みいただければ幸いです。

特別コラム・「きみは編集者・矢牧一宏を知っているか?」(岡和田晃)

 NLQのVol.25では、内藤三津子『薔薇十字社とその時代』を紹介したが、そこでは矢牧一宏という編集者が重要な役割を担った存在として、何度も言及される。「エロティシズムと残酷の総合研究誌」こと「血と薔薇」の編集実務を担ったのも、内藤と矢牧なのである。
 矢牧一宏(1926~1982)。1946年、吉行淳之介やいいだももらの文芸誌「世代」の創刊号(なんと30000部も出たとか)に小説「脱毛の秋」を寄せ、注目された。温泉旅館に滞在した作家が、複数の女性との性愛をめぐる息が詰まるような記憶が、ラストの「毛」を媒介として結び合わされるテマティスム(テーマ論)的な読解を導く、生硬な文体の野心作だ。
 けれども、矢牧は小説家としては他に一作を書いたのみで、「世代」の人脈を活かし、編集者として七曜社、芳賀書店、天声出版(「血と薔薇」の版元)、都市出版社、薔薇十字社、出帆社等で活躍した。会社を渡り歩いたのではない。すべてを三年以内に潰してしまったのだ。
 けれども、矢牧が出した本はユニークなものばかりで、戦後文化史において欠くべからざる才能なのは間違いない。遺稿・追悼集『脱毛の秋』(社会評論社、1983)および皓星社のサイト(http://www.libro-koseisha.co.jp/TOP-hukuro/yamaki.html)で、その軌跡を追いかけることができる。