「豆腐怪獣トフラーと行く銀河鉄道の終点」―豆腐洗い猫その2― 間瀬純子

(PDFバージョン:toufukaijyuu_masejyunnko
『読めば読むほどむなしくなる! かわいい猫の妖怪、豆腐洗い猫の悲惨な冒険』

 一、薄気味悪いほど眩しい豆腐ユートピア

 空港から、その湖までは、定期的にバスが出ている。バスの名前は『豆腐洗い湖号』だ。真新しい水色の車体には、四角い豆腐の絵が大きくペイントされている。
 世界中から集まったバックパッカーたちが、リュックサックを背負い、いきおいよくバスに乗りこんできた。乗客たちの中には、恋人どうしもいるし、子連れやペット連れの人もいる。一人で来た人もたくさんいるが、あっという間にみんな友達になる。
 バスが発車すると、後部座席で、ロック青年のすっとんきょうな声がした。「あなたは! 『スクリーミング・トーフ・クイーンズ』の……」
 大きなギターケースを持って、一番うしろの座席に座った、年老いた、痩せた男が、一九六〇年代に一世を風靡した伝説のロックバンド『スクリーミング・トーフ・クイーンズ』の、名ギタリストだとみんな気づいた。
 老ギタリストは言った。「今では俺は、一介の豆腐好きに過ぎないのさ」ギターケースを開ける。「だが、親愛なる豆腐好きのキッズよ、まだ君たちを楽しませることはできるぜ」
 ギタリストが、熟練の技で、ギターの硬い弦をはじき、跳ねるような陽気なリズムを刻みだした。バスの乗客たちは、熱狂しながら座席から立ちあがり、踊りだした。タンバリンを持った子供たちが拍子に合わせる。バスは、新緑の森をつらぬく高速道路を、すべるように走っていく。

『豆腐洗い湖へようこそ』
 数えきれないほどの言語で書かれた看板が見えると、乗客たちは歓声をあげた。目的地の豆腐洗い湖に着いたのだ。
 駐車場のそばには、猫牧場があって、可愛い猫たちがバスから降りた一行を歓迎した。

 湖畔はとても美しい。広い湖面の彼方にそびえたつ、高い山脈の峰々は、深い藍色に輝き、その上には入道雲、入道雲のさらに上には、糸くずに似た繊細な雲が、入道雲から湧き出るように、天球の頂上にむかって吹き上げられていく。
 乳白色の陽光が、複雑に重なった雲間から、いくつもの斜めの筋になって射しこみ、荘厳にきらめいた。
 かつて、この湖畔は、針葉樹の深い森に埋もれていたのだが、森のいくらかは、学校や病院、野菜やハーブの畑になるために切り開かれた。もちろん、環境に配慮し、森林保存区はたっぷり残っている。

 バスから降りた一行は、ギターを弾き続けるスクリーミング・トーフ・クイーンズのギタリストを先頭に、音楽に合わせて体を揺すりながら、シロツメクサの新芽に覆われたなだらかな岸辺を、湖へと降りていく。
 シロツメクサはボランティアの手によって、緑肥として大地に鋤きこまれ、やがてそこが畑になったあかつきには、ラヴェンダーやカモミール、大根やナスを元気に育てる。
 風車がくるくる回り、湖の水をくみ上げ、スプリンクラーが畑に水をまく。跳ねあがった水がキラキラ光るのを見て、ギタリストは演奏をやめ、一行は笑って駆けだした。

 岸辺のあちこちに置かれたベンチでは、先客の、子犬を抱いたベジタリアンたちが、豆腐料理を食べながら、一行に手を振った。
 つややかな明るい緑の、シロツメクサの草原とラヴェンダー畑の、中央に広がる湖は、白く輝いている。シャボン玉が飛んでいる。水も、人々も、大根やナス畑も、楽しい歌を歌っているかのようだった。
 おいしそうな豆腐料理の屋台もいっぱいある。ここではお金はいらない。畑や学校でボランティアをすれば、ラヴ&トーフと書かれた絵はがきやバッジをもらえる。それらは、屋台の豆腐料理や、露店に並んだ『豆腐洗い湖Tシャツ』と交換できる。湖畔だけで通じるすてきな通貨だ。

 お金がいらない理由はそれだけではない。
 バスから降りた一行は、つぎつぎに、ひしゃくを持って、ボート乗り場に向かった。湖の真ん中までボートで漕ぎだし、豆腐を汲みにいくのだ。すごくおいしい豆腐が、湖から湧いてくるのだ!

 この湖でとれる豆腐は世界一おいしい。
 なぜかというなら、
「その湖には、伝説があるんだよ」
 トルコ豆腐料理の屋台を出している、イスタンブール出身のジュネイトさんが言った。
「ほら、あれをみてごらん。豆腐を洗っている猫の銅像があるだろう?」
 確かに、湖畔の一段高くなった岩の上に、可愛い猫の銅像がある。
 彫刻の猫は、湖のほうをむき、ぷっくりした可愛い猫背を岸辺の人たちに見せて、ぽつんと台座に座っている。青銅の猫の前に置かれているのは、青銅のタライ、その中には青銅の四角い豆腐だ。猫は、両前足をタライに突っ込み、豆腐を片足でそっとおさえ、反対の足で、こするような仕草をしていた。猫の横顔は真剣そのものだ。
 銅像はおそらく、つくられてから何百年も経っていて、緑青がふいている。湖を訪れた人たちが、銅像の前に列をなし、記念写真をつぎつぎに撮っている。

 豆腐ドネルケバブを焼きながら、ジュネイトさんが言う。立てた鉄杭に刺した猫二匹分くらいの豆腐の固まりを、杭を回転させながら、炭火でワイルドに焼いている。
 ジュネイトさんの言。「あれは豆腐洗い猫という猫の妖怪の像なんだ。そう、”Japanese YOKAI”さ。昔、湖に住んでいた豆腐の精霊が、大暴れした時に、豆腐洗い猫が湖に飛びこんで、彼らをしずめたんだ。豆腐の精霊は、豆腐洗い猫の勇気に感動し、おいしい豆腐をみんなにわけあたえることにした。まあ、単なる伝説だがね」
 ジュネイトさんは、豆腐ドネルケバブの焼けた部分を、長い包丁で掻き切った。

 二、豆腐怪獣トフラー

 その湖面の眩しさと幸福さにくらべて、なんと悲惨なことであろうか。
 豆腐洗い猫の本物は、湖の底、数十メートルにいた。前回のお話で、豆腐屋さんに湖に投げこまれて以来、何百年もずっとだ。
 豆腐洗い猫が沈んだ豆腐洗い湖の底はびっしり豆腐だった。遺伝子組み換えまくり五〇〇〇倍体大豆のカスが、勝手に湖でどんどん増えて、湖全体を豆腐にしているのだった。
 猫は、豆腐をかきわけ、地上に向けて通路を掘ろうとした。掘るそばから崩れてくるので、猫は、少し掘っては、出てきた面を急いでぽんぽん叩き、がしがし固めた。豆腐の壁に爪あとがついた。

 そんな調子だったから、毎日ほんのちょっとしか掘れなかったが、何百年もかけているので、豆腐の穴はだんだん通路になっていった。通路の底には、にがりが溜まっている。猫は、ちょっとでも上に進んでいけば、いつかは地上に出るにゃーと思う。とはいえ斜め上に掘っていっているつもりなのだが、どこが上なのかすぐに自信がなくなった。

 そうこうしているうちに、どさっと通路のどこかが崩れ落ち、決して湖面には出られないのだった。死んだ魚が時々、豆腐の壁に混ざっていた。肉球の先に触れる豆腐はすごく冷たい。ゆばを踏み割って、豆乳の中に後ろ足を突っ込んだりした。
 ある時、猫は、気分転換に、豆腐で彫刻をつくろうとした。もちろん豆腐の彫刻である。豆腐洗い猫は直方体をつくり、それから洗ってみようとした。
 豆腐を洗うには、タライが必要である。猫は、小さな体から肋骨を何本も、ぽいと取りだし、手早く組み立て、タライをつくった。猫は妖怪だから、肋骨を取りだしても、別に平気なのだ。だがちょっと痛い。そして豆腐を洗うための水を、口からピューと吐いて、タライを満たした。
 豆腐洗い猫は、心をこめて豆腐を洗った。タライにかがみこみ、片手で豆腐を押さえ、もういっぽうの手で豆腐をこするのだ。
 猫の爪で豆腐がくずれた。
 豆腐の通路が言った。
「洗っているつもりなのか、あれで」
「ばかねこ」
「洗っていると称して、豆腐を虐待しているのだ。だいたい、猫は非道だ。猫の妖怪はもっとひどい」

 豆腐の通路は、喋り続ける。組み換えられまくられた大豆の遺伝子に含まれたアンゴラウサギの遺伝子が、豆腐に喋らせているのだ。そして猫に襲われかけた時のこととかを、恨みをこめて語りながら、どうもその時のことをリアルに思い出したらしく、有毒生体電流や宇宙の有毒波動を豆腐洗い猫に送った。
 猫の小さな体はびりびり震えた。
 豆腐洗い猫は、苦しみながらも、つい習性で、豆腐の壁を洗うと、豆腐洗い湖の呂律がまわらなくなった。
 言語を司る豆腐壁を洗ったらしかった。
 豆腐はもちろん脳みそであった。
 湖面は巨大な眼球であった。
 湖は、変じて、豆腐怪獣トフラーになったのだった。
 厭世観にとらわれて、豆腐怪獣トフラーは、地下に埋もれた体を揺すった。
 地上の、湖のまわりのおみやげ屋さんや、豆腐愛好ベジタリアンたちが異変を感じ、緋毛氈が敷かれたベンチで、豆腐鍋を囲みながら、不吉な予感に打たれている。
「Hey,what’s going on?」

 豆腐怪獣トフラーの、組み換えまくられた遺伝子には、猫になぶり殺されたアンゴラウサギや、人間の子供に、実験だと称して、鱗粉を落として透明チョウチョをつくろうと歯磨き粉と歯ブラシで洗われて溺れたモンシロチョウや、その他、魔女狩りや異端審問でじわじわと拷問され町の広場のお祭りで三日三晩かかって焼かれた人、人柱やいけにえ、淫祠邪教の殉教者、流刑にされて祟ったのに祀ってもらえないとか、その他、恨みを飲んで死んだ魂、まつろわぬ魂、全からぬ命、の遺伝子が色々混じっていた。

 トフラーの脳内は怨嗟と毒と虚無が流れていて、豆腐洗い猫ちゃんが、神経細胞をかりかりとひっかき、こびりついたどす黒い汚れを洗っても洗っても、恨みは取れないのだ。

 豆腐の壁をひっかくたびに、恨みが、猫の脳内で再生される。
 ……小学校の体育館の裏で、おとなしい男の子を取り囲んで、他の男の子たちがウィンナー・ソーセージを食べろとせまっている。ウィンナーが動いた。ウィンナーは、本物ではなく、茶色いポスターカラーを塗られたナミアゲハの終齢幼虫だ。子供の指より大きく太い。体節をくねらせ、子供の指から逃れようと、小さな尖った六本足をパタパタ動かしている。
『食べろよー、おいしいウィンナーだぞー』
 いじめっ子たちにどつきまわされ、おとなしい子は、仕方なくウィンナー/ナミアゲハの幼虫を口に運ぶ。
 幼虫は必死で抵抗するが、おぼろな視界が暗くなり、湿った口腔に入れられる。気門がポスターカラーでふさがれていて苦しかった。
 おとなしい子は、口に入れたが、食べたくなかった。かわいそうだし気持ち悪い。いじめっ子が背中をドンとたたいた。歯の間で、幼虫の外骨格がプリッとつぶれる感触がする。うわーうわーうわー!

 ……真夜中の住宅街で、年とった女の人の叫び声がする。
『どうして、こんな夜中にこんな大きな音がするんですか。誰かが火炎ビンを持ってます。駐車場で車が何台も燃えています。誰か来てください。こんなの許されません。消防署に連絡してください』
 昔とても親切だった奥さんが、ふりしぼるように叫んでいる。でも、彼女の声以外、夜中に何の音もせず、炎もあがっていないのだ。
 豆腐洗い猫は消防署に電話をしたかったが、携帯電話を持っていなかった。

 ………………
 豆腐怪獣トフラーは厭世観に駆られて宇宙に飛び立った。
 そして、かわいそうな猫ちゃんは、逃げ出すこともできず、トフラーの脳の中で、宇宙に昇っていくのを感じていた。すごいGであることだった。
 トフラーは、大気圏を焼き豆腐になりながら昇っていき、その鳴き声の凄まじさと悲しさの凄絶さ。トフラーは銀河鉄豆腐となって銀河に向かって飛ぼうとしていた。
 
 銀河鉄道に乗る人々には、
 カンパネルラとかメーテルとか仲間がいるのに、豆腐洗い猫は孤独である。
 
 発車します。ご注意ください。

 そこへトフラーの銀河鉄道化した窓を突き破り、人工衛星が飛び込んできた。衛星放送用の衛星だった。
 豆腐洗い猫は、衛星の放送室にもぐりこみ、マイクを取って助けを呼ぼうとした。
「たすけてにゃー。地球に帰りたいにゃー」
 
 衛星放送用の衛星から、電波が放出され、地上のテレビに流れた。豆腐怪獣トフラーの厭世観で、当然、放送の電波はゆがんだ。

 ♪豆腐洗い猫のクッキングタイム♪

  本日のメニューは豆腐のサンドウィッチですにゃー。
  絹ごし豆腐と、木綿豆腐を一丁ずつ用意してください。
  絹ごし豆腐を水平に半分に切って、バターを塗ります。
  半分に切った絹ごし豆腐の間に、木綿豆腐をはさみます。
  できあがりだにゃー。
 ♪♪♪♪♪(^_^)b☆彡 

 レシピどおりにつくって、手にとって食べようとした人々は、つまんだ豆腐がぐしゃりとくずれることに憤りを覚えた。サンドウィッチは手でつまんで食べるものではないか。手でつまめないサンドウィッチなどというイカサマ食品を食わせるな。

 銀河鉄豆腐トフラーを、地球の人類がつくった、地上の、また、衛星軌道上のすべての兵器が攻撃した。銀河鉄豆腐トフラーは身をよじりながら、宇宙へと駆け昇った。

 三、宇宙

 そして宇宙にぽいと出た。銀河鉄豆腐怪獣トフラーは宇宙にたどり着くと燃え尽きてしまった。豆腐洗い猫は、焼き尽くされた豆腐怪獣トフラーの、巨大な電車の骨組みの外に這い出した。
 
 宇宙はすごく暗くて、玉砂利が敷かれた道があって、右手はずっと高い生垣が続いている。生垣の木は、光沢のある小さな葉がびっしりついた常緑樹で、きれいに刈り込まれている。玉砂利の道の先に、ぽつんと街灯がついていた。

 玉砂利の敷かれた道は、何しろ宇宙だから、斜めになって重力とか滅茶苦茶で、歩いているんだか天上にぶらさがっているんだかわからなかった。空にあたる部分は、真っ黒に渦を巻いている川みたいだった。ブラックホールかもしれない。あそこに落ちたら、あるいはあそこに昇っていったら、豆腐洗い猫などばらばらになってしまうだろう。

 豆腐洗い猫は地球に帰りたかった。高いところにいるのは、零落神(つまり、神だったが落ちぶれた)であり、妖怪である豆腐洗い猫には身分違いである。
 だけどどうやって帰ればいいのだろう。
 豆腐洗い猫がおずおずと街灯のほうへ向かっていくと、生垣の陰に隠れていた、零落していないほうの神が、「おまえなんか来るな」と怒鳴った。

 その怒声がびりびりと豆腐洗い猫の毛を伝って、みしみしと刺されるようであった。
 怒られても困るにゃーと豆腐洗い猫は思った。豆腐洗い猫としては地上で充分である。地下のほうがまだましだ。
 猫は、豆腐屋さんのお店の片隅の、できあがった豆腐を入れる水槽の下で、排水管に寄りかかりながら、くるっと丸まり、ポタポタ漏れる水音を聞いていたかった。

 玉砂利の道の先には、駅があった。駅前ロータリーの街灯の下に、天上の神々がたむろしている。ヤンキー座りをして缶コーヒーを飲んでいる。駅前の天上の神々は、天上神の中で、気の弱い一柱を捕らえた。
 
 たむろした神々の、リーダー格の神が言われた。
「穴あれ」
 すると、玉砂利の地面に穴が開いた。

 神々は、気の弱い神を穴吊り拷問にして遊び始めた。穴の上に逆さ吊りにして、宙吊りになったご神体を、穴の中にすっぽり入れるのである。
 吊された神には、逆さになった頭に血が溜まってすぐに死ぬのを防ぎ、長く苦しませるために、額に、細い竹筒がねじこまれている。竹筒から、血がぴゅーっと飛んで、どこまでも続く穴の奥へ落ちていく。重力の向きが変わって、今度は、血が穴から噴水みたいに噴き出した。

 怖いので猫はUターンして逃げた。玉砂利の道と生垣が続いている。玉砂利の道をぴょんぴょん走っていると、空のブラックホールが上なのか、道が上なのか、ぜんぜんわからなくなる。

 また駅があり、また別の、天上の至高の神が原チャリにもたれて、街灯の下で漫画雑誌を読んでいる。
 豆腐洗い猫は、生垣をくぐろうと頭を突っ込んでみたが、きれいに手入れされた生垣は、非常に細かい網目状に、小枝が入り組んでおり、枝には、長さ二、三センチほどの肉厚の葉が隙間なく生えていた。
 たくさんの葉っぱのエッジが豆腐洗い猫の頭の、毛やヒゲに食いこみ、猫の頭は生垣に捕まえられた格好になった。
 ようやく生垣から頭を引き抜くと、薄い耳にひっかき傷がたくさんできていた。豆腐洗い猫は痛くて泣いた。

つづく

間瀬純子プロフィール


間瀬純子既刊
『Fの肖像―フランケンシュタインの幻想たち
異形コレクション』