【対談の経緯】2020年8月1日にFANBOXでの運用を開始した、SF Prologue Waveは、2011年5月1日に第1号が公開されており、準備段階を含めると足かけ10年の歴史があります。そこで、FANBOXでの運用開始に際し、創刊当時の編集長である八杉将司さんをお招きし、当時の副編集長であり、現在の編集長である片理誠と、SF作家クラブ公認Web-Magazineとして立ち上げたときの思いや、運営を続けてきた成果、作家クラブの公式事業として目指すもの等について、お話し頂きました。
なお、本対談は、6月30日から7月13日にかけ、テキストベースで実施したもので、今回と次回の2回に分けて掲載します。
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片理:二代目編集長、片理誠です。ゆったりしたペースになるかもしれませんが(汗)、気長に、ゆるりとお付き合いいただければ幸いです。これから、よろしくお願いいたします~。
八杉:えっと、まずは何を話したらいいのかな。
当時は確かSFの新人賞が次々に消えていって、また徳間の「SF Japan」も廃刊になったりして新人作家の作品発表の場がなくなっていく現状への危機感から作品発表の場を自分たちで作りたかったというのがSF Prologue Wave立ち上げのきっかけ……という認識であってたかな。ぼくは個人的な願望も含みつつそのつもりで提案したような。うう、記憶が微妙に曖昧になってる。
片理:SF Prologue Waveは公式には2011年5月1日にスタートしているんですけど、実は2010年の10月からテスト運用が始まっているんです。当時はパスワードをかけて日本SF作家クラブの中だけでの公開でした。2010年の秋の総会でまずはテスト運用のGOサインを頂いています。なので実際には2010年の春か夏頃からその実現のために動いていた……ような記憶があります。ちょっと曖昧ですが(汗)。
あの頃は確か小松左京賞と日本SF新人賞が終了してしまって、これからどうなるんだろうという不安感で色々と動いていた頃で、そこへ 2011年春号で「SF Japan」も終わってしまうというニュースが重なって、という流れでしたよね、確か(汗)。
今でもはっきりと覚えているのは、当時、ある作家さんに「評論賞の子たちは自分たちでサイトを立ち上げて、そこで精力的に活動してるよ。君たちは何もしないの?」と言われたことです(笑)。私個人にとっては、あの時の会話から全てが始まりました。
私にとってSF Prologue Wave立ち上げの最大の原動力は、実はSF評論賞出身の人たちなんですよ、バラしてしまいますと(笑)。当時は評論系の人たちとは距離というか、一枚壁がある感じで、ちょっと対抗意識みたいなのがあったんですよね。SF新人賞は終わっても、SF評論賞は続いていて、このままだとSFは評論家ばっかりになってしまう、みたいな危機感を個人的には抱いていました。
でも実際にはSF Prologue Waveは評論賞出身の皆さんからも多大なご助力を頂いてまして、組んでみたら感じの良い人ばかりで、我ながらつまらん先入観だったなぁと今では反省しております。
八杉:ぼくは誰にも対抗意識は持っていませんでしたね。個人的に評論系は小説家よりも活動が厳しそうにみえていたので、でも、豊かな知識と才能で乗り切ろうとしているのを見て、ぼくみたいなのには真似できないなと……ああ、そうだ、それで余計に危機感が芽生えたんだった。(笑)
片理:確かに八杉さんは当時から評論賞の皆さんともよくお話されてましたよね(笑)。作家って結構、人見知りな人が多いと思うんですけど、八杉さんは全然そんなことはなくて、どなたとも気軽に打ち解けられる。凄い才能だなぁと思ってました(汗)。
私は評論全般に対して「尖っている」という先入観があって、それで勝手に一方的な壁を作ってしまっていたんだろうと思います(汗)。でも実際に話してみると、皆さん「純粋」なんですね。SFが大好きな人たちで、その好きが高じた結果、尖ってしまうこともあるんだなと。小説を書く側からすると、なかなか理想どおりにはいかない部分もあって、鋭い指摘がグサグサ刺さることもありますけど(汗)、尖ろうとして尖っているわけではなくて、彼らは好きなものに対して純粋であり続けようとしているだけなんです。このことを実感できたのも、SF Prologue Waveから得た大きな収穫ですね。
小説家と評論家の関係には難しい部分もあって、私は「ルパン三世と銭形警部の間柄」と考えているんですけど(笑)、やっぱり馴れ合うわけにはいかない宿命なんだと思います。でもクラリス嬢を救出するためだったら共闘したりもする。共通の目的のためには手を組むけども、互いに対峙する時には手加減はしない、というのが理想なのかなぁと思ってます。
八杉:それはときどき人から言われるんですが、いや、ぼく、人見知りですよ。でも、しゃべらないと始まらないし、しゃべるなら楽しい会話にしたいじゃないですか。そんなわけで何もないとめっちゃ沈黙してますよ。(笑)
ところで、この企画(注:SF Prologue Wave)の言い出しっぺはぼくでしたっけ? 編集長を引き受けたのは、言い出しっぺだからやらないといけないと思ったからなんですが、本当に言い出しっぺだったかどうかの記憶が曖昧なんですよね。編集長を引き受けた理由はほかに、行動力もあってしっかり具体化もしてくれる片理さんがいらっしゃったからで、片理さんがいるならぼくでもなんとかなるだろうと思ったからなんですが。片理さん頼みだったことは記憶がちゃんとある。(笑)
片理:自分たちでサイトを、という案は実は私も一回、出しているんです(汗)。ただその時は他にも色々なアイデアを出していた時期で、サイトに関してはまだ時期尚早ということで具体化はしなかったんですね。そのしばらく後に八杉さんがやはりサイトのアイデアを出されて、それが実現してSF Prologue Waveになった、という流れだったと記憶しております。
八杉:ああ、そういう経緯でしたか。たぶん前から考えだけは持っていたと思うので、片理さんが先に案を出してくださったのを見て乗っかった感じでしょうね。
あのときはたくさんアイデアが出てましたねえ。アンソロジーの話もあったような。
印象に残っているのは、有楽町のカラオケ店で井上雅彦さんから『異形コレクション』の経験談などいろいろ聞いたりしたのを覚えてます。
この企画は当時、日本SF作家クラブの会長だった新井素子さんと事務局長の井上さんが応援とサポートをしてくださったのも大きかったですねー。
片理:色々ありましたよねぇ。あれからもう十年が経ったんですよ(汗)。信じられない気がしてます……。光陰矢のごとし!
新井さんと井上さんの影響は大きかったですよね。日本SF新人賞や小松左京賞が終了してしまって、SF作家クラブ全体にも危機感があって、その中でもあのお二人が率先して動かれていたんだと思います。「まずは試しにテスト運用をしてみて」というのも執行部からの案だったんですよ。「随分と慎重なんだなぁ」と当時は思ったものでしたけど、そうじゃなかったら許可はおりなかったかもしれません(汗)。
SF Prologue Waveのアイデアには当時、SF作家クラブの中にも根強い異論があったんです。「無料で原稿を書いて発表する、というのはプロ作家の仕事と言えるのか?」と(汗)。今でこそTwitterやFacebookなどのSNS、あるいは小説投稿サイトなどでバンバン作品を発表しているプロの作家さんも沢山いますけど、当時はまだそういう状況ではなく、「0円の仕事って、仕事と言えるの? それって報酬なの?」という意見もありました。
「損して得取れ、ですよ。スーパーにだって、試食コーナーがあるじゃないですか」とか色々言って説得しましたけど、新井さんと井上さんのお人柄の影響も大きかった(笑)。お二人とも朗らかで明るい性格をされてますので、何となく全体が「まぁ、新井さんと井上さんがそう仰るのなら、一回くらい試しにやらせてみるか」みたいな空気に(笑)。だからやっぱり、テスト運用というあのワンクッションは必要だったんだと思います。新井さんと井上さんはそのことをよくご存じだったんでしょうね。
八杉:現在はアニメでもゲームでも基本的に無料だったりしますね。でも、その異論はわかるんですよ。実際それで自分の首を絞めてる状況になっているところもありますし、ぼくもただ働き同然の仕事ばかりで辛いことになってますしね。ただSF Prologue Waveについては作家が「まだばりばりに小説を書いてますよ」「仕事しますよ」という意思表示としての看板、のれんを上げる場にしたかったんですよね。
ところで、ほかにもたくさん助けてもらいましたね。
見た目や挿絵などデザインについては、当初は絵の描ける片理さんに負担がかかるところでしたが、YOUCHANさんが入ってくれたのは本当にありがたかった。校閲も責任もってやらなければならなかったのですが、高槻真樹さんなどが入ってくださいました。宣伝も増田 まもるさんがしてくださいましたし、これだけの方がかかわってくださらなければSF Prologue Waveは成り立ちませんでした。
それにしても当時の編集長の仕事をするときのチェックメモを見ながらこれを書いているんですけど、当初はぼくを含めてスタッフおよびオブザーバーが計八人と結構な大所帯になってましたね。
片理:確かに大所帯でしたよね。最初の内こそ妙な対抗意識みたいなのが私の中にはあったんですけど(汗)、結局蓋を開けてみれば、色々な皆さんに助けて頂いて。初代のSF Prologue WaveはWordPressというツールを使っていたんですけど、あれも当時のシステム管理者さんが「良かったら使って」と用意してくださったモノなんです。SF作家クラブの凄いところは、何だかんだで必要なものが集まって出来ちゃう、というところですよね(笑)。「○○がなくて困ってるらしいよ」「よっしゃ、任せとけ! 得意な連中を集めてくっから!」みたいなノリで、何とかなっちゃうという(笑)。人数も多かったですし、色々な得意分野の人がいて、SFに関する限り“何でも屋集団”みたいな側面があったのかもしれません。
それとやっぱり、八杉さんの人徳も大きかったんだと思います。私も当時は凄くやりやすかったですし。誰とでも気軽に話せて、誰ともぶつからない。八杉さんの人当たりの柔らかさがあればこそ、だったんじゃないでしょうか。結局、何をやるにしても「人と人」なわけですよ、人間社会って。だからこそ、八杉さんのような“クッションになれる人”が大事なんだと思います。
八杉:立場上まとめないといけないというのもありましたけど、対抗意識があったなんて知らなかったので鈍いだけだった気が。まあ、「みんなで幸せになろうよ」(某後藤隊長)みたいなことは考えてました。
さて、そろそろ話題を切り替えたほうがいいのかな。
「対談のポイント」を確認したら、名前の由来についてありますね。
これは片理さんが名付け親なので、ご説明はお任せします。
片理さんはこの手のネーミングセンスが抜群なので、最初に案を出してもらった直後にぼくは気に入ってOKを出してたように思うんですが。
片理:バラしてしまいますと、堀晃さんの名著『バビロニア・ウェーブ』にあやかったんです(笑)! 何か格好良い名前をつけたくて、「ウェーブって、格好良いなぁ」と。単純にそう思ったんですね。新人賞が終了していったりしていて、出版界全体に縮小傾向みたいな雰囲気もあって、次の波が欲しかったというのもあります。で、これから立ち上げるこのサイトがその序章になれればいいなと考えて、「プロローグ」という言葉をつけました。次に来る波の先駆け、というようなイメージでした。
ただ「Prologue Wave」の名称にはその後、紆余曲折もありました。テスト運用期間が無事終わって、翌年の春の総会で正式スタートの了承も無事得て、さぁこれからだ、となった一週間後くらいに東日本大震災が起きてしまって……。とにかく津波の被害が甚大で、日本中が悲しみに沈むことに。「Prologue Wave」も別の名称に変えるべきなんじゃないか、という話もありました。ただその時に「SFにとってこの名前は“New Wave”に連なるべきものなんだ。残して欲しい」という意見もあって。それで名称は変わらなかったんです。
考えた本人は「格好良い名前にしたい」というだけだったんですけど(汗)、いつの間にか色々な人の思い入れが。名称だけじゃなくて、サイト自体もそうだったんだと思います。色々な人たちの思いを巻き込みながら進んでゆく。これがプロジェクトというものなんだなぁと思いました。
(第2回に続く)