「無職の俺が幼女に転生したがとんでもないディストピア世界で俺はもう終わりかも知れない:第一話」山口優(画・Julia)

(PDFバージョン:dysloli01_yamagutiyuu

(1)

 栗花落(つゆり)晶(あきら)という自分の名前には特に愛着はない。
 だから、病院の受付のAIがその名を呼んだときにも、俺は「あ、はい」と気のない返事しかできなかった。
 子供の頃はそうではなかったはずだ。もっと俺自身という存在を特別に思っていたはずだ。だが、俺の人生は俺にその特別感をずっと与え続けてはくれなかった。
 第二氷河期と呼ばれる就職難の時代に、俺は大学を卒業した。
 およそ西暦二〇四〇年代前半に起きたその時代は、AIの発展により産業構造の大幅な変換が起こり、俺達が大学で学んだことはほとんど全く企業には望まれず、俺は何度も何度も俺のES(Exploit Summary)データを多くの企業にはねられ続けた。大抵は単能力型AI(ASI、Artificial Specific Intelligence)にはねられ、総合AI(AGI、Artificial General Intelligence)の審査までいったものすら少数だった。
 たぶん、俺のESを見た人間はいないのだろう。
「栗花落さーん、順番です」
 その声に、俺はのそのそと立ち上がり、受付に向かった。
「本日のコネクトーム走査(スキャン)の詳細です。ご確認を」
 受付のディスプレイに表示されたASIの画像が言った。愛らしい少女の外見をしている。
「――石英記憶媒体?」
 俺は前回から更新されたメニューに注目し、尋ねた。
「今回から石英記憶媒体が標準となりました。コネクトーム(脳配線情報)の保全は人格と意識、つまりは人間そのものの生存権に直結するものです。ですので、数億年の保存が可能な記憶媒体を使用することが義務づけられました」
「なるほどな」
 俺は了承の印に、ディスプレイにサインした。
(数億年後なら、今現在は無職の俺にも使い道ができてくるのかもしれんさ)
 いつものように磁気スキャンベッドに横になりながら、俺は思った。その若干生暖かいポジティブな思考は、俺が病院の帰り道、 暴走した自動運転トラックに轢かれるまで続いた。

(2)

「む……」
 俺は小さく呻いた。
 正直、トラックに轢かれた時の記憶は思い出したくない。一瞬だったが、一生分の痛みを一度に浴びた気分だった。俺は自動運転のプログラムを作ったプログラマを呪いながらあの世への一時ステイを覚悟したが、同時に、コネクトーム走査の直後であったことに安堵もしていた。
 コネクトーム走査、というのは、要するに意識の保存だ。俺の全て。記憶や人格を全て保存するものだ。これは死を克服する手段だ。俺のような無職にもその権利を与えるほどには、このとき、二〇五五年の社会には余裕があった――あるいは、AIの進展により技術力を持っていた。
 とにかく、俺は俺が復活することを予期しながら死んだのだ。だから、途方もない激痛に見舞われながらも、そのことを(とんだ災難だったな、また大学時代の仲間と呑むときがあったら話題になるだろう)と思いながら逝くことができた。
 だが、気になることがひとつあった。
「む……」
 とさきほど呟いた俺の声が、妙に高かったのだ。
 幼かったのだ。
 どうしたことだろう?
 俺は、目を開いた。
 見知らぬ天井だ。病院の天井というものは、俺は白いものだと思っていたが、その天井は青であった。いや、これは天井の色ではなく照明の色なのだと俺は気付いた。天井そのものが照明装置であり、青空ののような極めて自然な青を表示しているのだ。
(とても……リラックスできる色だな……。いい病院みたいだ)
 俺は思った。それから、おずおずと俺の腕を持ち上げてみる。
(よかった。反応がある。適応障害にはなっていないようだ)
 俺の身体はズタズタになっただろうから、病院では俺の肉体の再生も行わなくてはならなかっただろう。そして、保存したコネクトームを、再生した肉体にインストールすることが必須だったはずだ。その過程で彼等がミスを犯していれば、俺は俺の肉体を動かすことができなくなっていただろう。
 だが、そういう心配は、すくなくともしなくてよいようだ。
(ん……なんだ……妙に小さいな?)
 俺は俺の手を見て思う。小学二年生――八歳ぐらいか? とにかく、青空の天井の下にあるのは、俺の記憶にある俺の手よりもはるかにすべすべして、小さく、愛らしい手だった。
(なんだ……なんなんだ……?)
 もしかして、医師たちは俺の肉体を再生する時間を惜しみ、幼い姿で培養槽から出したのか? それは契約違反だ。俺はこんな小さな身体で生きていくことはできない。
 俺は急に自分の肉体が気になり、がばっと上半身を起こした。
 そして、点検するように、俺の小さな肉体に触っていく。天井の色と同じ、空色のリラックスを促す病院着を着た俺の肉体を。
 胸が――わずかに膨らんでいる……。どういうことだ? 股間にふれる。
(ん……ない……? 存在しない……だと?!)
 俺の肉体は、八歳の頃の俺の姿で培養槽から出されたのですらなかった。
 俺は……俺は肉体の性別をとりちがえたまま……再生されていた。

(3)

「おやおや、気付いたようだね? 気分はどうだい、あきらちゃん?」
 俺の部屋(個室だった)に入ってきたのは、年若い医師だった。女だ。年齢は二〇代前半か、後半か。肩まで伸ばした黒髪は艶やかで、肌の肌理細かさは二〇代前半に見えるが、目元のどんよりした雰囲気はそれよりも上に見える。表情はいきいきして楽しそうだが、その楽しみはこの世界を超越した先にあるようで、視線は常に目の前のものを超えてどこか虚ろだ。
 白衣の下には、青いシャツと紺色のタイトスカートをはいている。白衣の胸ポケットには青いペン。
「その身体はどうかな? お姉さんたち、君の属性情報を再構成するのに手間取ってしまってねえ、いろいろ苦労したんだよ? でもがんばってあきらちゃんが小学二年生の女の子だって突き止めたんだ。性染色体――そう、あきらちゃんが女の子か男の子か分かる情報が不足していてね……。でも、君の生まれ年の統計を参照したら、『あきら』というのは圧倒的に女子の名前だったからね!」
 猫なで声で話しかけてくる。
「そう……君の生まれ年。君が『一七年生まれ』だって記録が出てきてね……。叡特(えいとく)一七年、つまり西暦二〇四七年生まれの八歳だと分かったのさ」
 どうだい? という顔で胸を張る。白衣を着ていても目立つ豊かな双丘だ。
「あのう……何もかも間違っていますが」
 俺は丁寧な言葉で医師にクレームを付けた。こんなときでも控えめな言葉遣いしかできないのは無職の悲しさだ。
「ん? ごめんね、小学三年生だったかな? ごめんねえ、当時は飛び級も一般的だったってお姉さんたちも知ってるよ? あきらちゃん頭よかったんだね?」
「俺は西暦二〇一七年生まれです。ついでに言えば、『あきら』は俺の認識では男の名前だと思いますが。事実、俺がそうですし」
 医師はしばらく瞬きを続けていた。それから、ぽん、と手を打つ。
「あきらちゃん頭いいんだね! いやいや、目覚めた瞬間にそういうジョークを言えるなんて、センスあるよ。お姉さん気に入っちゃったなあ。いやあ、ジョークでよかったよ。もうあきらちゃんの身体を再構成するお金なんてないしねえ。ジョークでよかった。本当によかったよ」
 茶番であった。
「まあまあ、それとも、ジョークじゃなくて、怖い夢でも見ていたのかな? それとも混乱しているのかな? ほうら、君の姿を思い出してご覧?」
 医師は個室に据え付けられた洗面台の前に連れて行く。今思えば、姿に違和感を抱いた俺が洗面台の鏡の前に自分から行かなかったのは、相当混乱していたのだろう。
(な……なんだと……)
 俺はもう一度驚愕せざるを得なかった。
 確かに、鏡の前で目をぱちくりさせていたのは、小さな女児であった。鏡には女児の肩から上しか映っておらず、医師に肩を抱かれてそこに佇む様は、年齢の離れた姉妹、或いは母娘のようにすら見えた。
 まず目に入ったのは、赤みのある髪だ。ショートカットに整えられている。
(ああ……確かに俺の髪だ)
 昔から髪の色素が薄く、そのことでよく虐められていた。
 それから、女児特有のぱっちりとした、大きな茶色の瞳、くっきりとした、やや太めの眉、すっきりと通った鼻筋、小さな口。着せられている病院服の色は桃色だ。
(……なんとなく、母親の面影があるな……)
 俺はちらりと思った。
 俺は男としての俺しかしらないが、性染色体を失って、女として肉体を再構成されたら、こんな風になるのかもしれない。
 とはいえ、全てが茶番であることは間違いない。
 俺は医師のミスで女児にされてしまっただけで、本来は大人の男なのだから。

(4)

 俺は頭のおかしい医師に何度も俺の立場を説明したが、取り合ってもらえず、鬱屈した感情を抱えていた。医師は退院の手続きを俺の代理として進めるつもりらしく、いろいろな窓口に俺を連れて行く。但し、俺自身のサインや同意は不要らしく、全て医師の手で手続きは行われていった。
 病院全体が、天井は空色の照明で、それが俺の心を妙に落ち着かせていた。他にも、心を落ち着かせるフレーバーが漂っているようにも思えた。
 病院ではこの医師の立場は強いらしく、俺が何か言っても彼女が「ジョーク」ですませてしまえばそれまでだった。まあ、そもそも、皆、俺のことを小学二年生の女児だと思っているから、いくら騒いでもあまり相手にされないのはそれはそれで仕方ない。だが、それにしても、会う人会う人、何故か皆瞳に生気がなく、医師の言葉に何の疑問も持たずに従うような傾向があったのは確かに思えた。
(何かがおかしい……どうなってるんだ?)
 どんよりした目の医師が、俺の会った中で一番生気があるといっても過言ではない、そんな状況だった。
(役所か裁判所に行って、俺の元の肉体を取り戻さないと行けない)
 俺は病院で俺の権利を回復することを半ば諦め、そう思い始めていた。
「あの……お医者さん」
 俺は医師に呼びかける。医師はくるりと振り向き、嬉しそうに微笑んだ。
「なんだい……? ようやくお姉さんにネタばらししてくれるのかな? みんなジョークだって!」
 彼女は自分の創り上げたストーリーを信じ切っているのか、あるいは――こちらの方がより悪質だが――自分の失敗を認めたくないために演技をしているようだ。
(後者の可能性が九割だな)
 それほどバカには見えない。が、どうも目の前の現実よりも想像の世界に耽溺する傾向はありそうなので、俺の肉体を再構成するときにもいい加減な根拠で決め打ちしてしまったのだろう。
「いや……俺の主張は変わらないよ。でもな、お医者さん、あんたが自分の失敗を認めたくないのはよく分かった。金がないんだとしても、役所に行けば救済措置とかはあるんだろう? その相談がしたいんだが」
「あんたなんて、他人行儀だね。私は瑠羽世奈(るう・せな)。瑠羽先生とでも呼んでくれたまえ」
「じゃあ、瑠羽」
「呼び捨て?!」
「ここまで酷い目に遭わされて、先生なんて呼びたくはないね……」
 無職の俺も流石に堪忍袋の緒が切れていた。
「それで、役所にはちゃんと連れてってくれるんだろうな?」
「あきらちゃんはシビアだねえ……」
 瑠羽は呟いたが、ふ、と酷薄な笑み浮かべ(そのときだけ、俺はコイツの本性を見た気がした)、俺にどんよりとした目を向けた。
「いいよ。但し、『役所』はもうないんだ。ここは……君のいた世界とは、ちょっと事情が違っていてね。そう、君にとっては『異世界』だと思ってくれた方が良い。私がこれから君を連れて行くところは『GILD(ギルド)』という。Governmental Institute for Labor Distributionの略で、まあ、職業案内所のようなものさ。しかし、一般人が訪れることができる政府機関というのは、実はGILDだけでね。だから、君の訴えも、GILDでやるしかないと思うよ」
 俺はその時の瑠羽の酷薄な笑みを忘れることはないだろう。それは、俺の運命が、未だまどろみの中にいた俺の魂の寝室の扉を乱暴に叩く音に似て、容赦なく、残酷だった。

(5)

 自動運転タクシーの天井も空色の照明で、フレーバーは心落ち着かせるシトラスの香りであった。
「夢島区(ゆめしまく)のギルドへやってくれ」
 瑠羽が命じると、俺と瑠羽を乗せたタクシーは滑らかに出発した。
 夢島区――俺が住んでいた場所だ。東京都夢島区。東京湾の埋め立て地の上にできた、東京都の二四番目の特別区。
 ようやく聞き知った地名が出てきて、俺は小さな胸をほっとなで下ろした。
「……びっくりさせるなよ、瑠羽。『異世界』だなんて言うから、不安になったじゃないか」
 俺は瑠羽を見上げて文句を言う。だが、内心では深い安堵に包まれていた。
「んーん」
 瑠羽は豊かな胸を抱えるように腕を組み、俺の視線から目を逸らしたまま、謎めいた鼻歌のような生返事をした。
「どうなんだよ。ここは西暦二一世紀の東京だろ?」
 ゆっくりと瑠羽は首を振る。それから、白衣に挿した青いペンの頭を軽くタップした。青空の様な天井照明が消え、車内は一気に暗くなる。フレーバーも消えた。
「……今はね、再生歴という。西暦じゃないんだ」
 どんよりとした瞳のまま、その横顔は、急に素面になったように映った。
 素面――そうだ。皆、何かの麻薬の影響下にあるような生気の無い目だった。素面とは思えなかった。そして瑠羽も、このときまではそうであった。その彼女が急に『素面』と思える顔になったから、今までの表情がおかしかったのだと気付いたのだ。
「君はトラック事故で死んだ」
「ああ……そうだが」
「それはもう、二〇〇〇年も前のコトさ。君が巻き込まれた自動運転車の暴走……あれは人為的なものだった。超大国間での戦争の前触れさ。互いに互いの国のコンピュータシステムのハッキングを行い、次に宇宙で監視衛星を破壊し合った。まあ、ハッキングで留めておくつもりだったのだろうけれどね。それは悲劇的なことに、互いの国の最終防衛システムの暴走にまでつながったのさ。核、というね。監視衛星が破壊されたから、事実相手国のミサイルが撃たれたかどうかも分からなくなり、疑心暗鬼の中で人々は狂気に陥った……と言われている。少なくとも『システム』はそう主張している」
「『システム』?」
「忠実なる人類の助言者にして守り手。再生歴の文明をここまで再生させた……この惑星の支配者たるネットワーク知性だよ」

山口優プロフィール
Juliaプロフィール


山口優既刊
『サーヴァント・ガール』