「マイ・デリバラー(48)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer48_yamagutiyuu
 勇気にまさる殺し屋はない。すすんで攻める勇気、それは死をも打ち殺す。なぜなら勇気はこう言うからだ。「これが生きるということであったのか? よし! もう一度!」
 かかることばには、喨々と鳴りひびく音楽がある。耳のある者は、聞くがよい。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」

 ラリラと対峙する私とリルリ。そこに小鳥遊准尉から通信が入った。
 ――(R・リルリ! 状況は?!)
 ――(情報を送ります。端的に言えば、失敗です)
 リルリは唇をかみしめる動作をしながら、素早く全ての情報をデータで小鳥遊准尉に送信した。
 ――(……すぐに留卯に通信を。タケミカヅチのターゲットとなる全国22カ所の量子サーバ基地の隊員たちを避難させる必要があります。平行してR体とI体のドッキングを阻止する手段を検討しましょう)
(強い……わね)
 小鳥遊准尉――名は圭妃といったか――彼女は絶望という言葉を知らないのだろうか。恵夢や逸見三尉も同じ反応をしたのだろうか。常に死と隣り合わせの任務にいる者は、それなりの心の強靱さを持っているのかもしれない。
 ――(賛成です。現在利用可能な基地の通信設備をハックして通信を試みます。……阻止手段についても、検討します)
 ――(ありがとう、R・リルリ)
 職務上ではなく、精神自体が人間と違うリルリも、その点では同じだったようだ。
(私も、絶望するにはまだ早い)
 空間に浮かぶATBの柄を、私は再びつかむ。
 だがラリラが周到に用意したこの結末を、果たして覆す手立てがあるのだろうか。
 私が不安そうにリルリを見たそのとき。
 大地が揺れた。
 いや、ここは地球という大地ではない。ただの小惑星だ。だが安定した軌道にある小惑星が揺れるとはどういうことなのか。私は自らの立つ――といっても、ガスジェットで位置を調整しつつ足をつけているだけだが――そのアメノトリフネの表面を見つめた。
 亀裂が走っている。しかも急速にそれが広がっていく。
 ――(恵衣様!)
 リルリが私を抱きしめ、ひび割れていく亀裂から護る。その理由はすぐに分かった。亀裂から灰色の繊維がびゅん、と勢いよく飛び出し、私がさっきまでいた空間を薙いだのだ。
「な、なに……?!」
 私が叫んだとき、別の繊維が私たちめがけて再び飛んでくる。リルリは私と彼女のガスジェットをともに最大限にふかし、距離を取る。ラリラの方を見ると、彼女が立っていたパラボラアンテナも崩壊しつつあり、ラリラもアメノトリフネの表面から距離を取りつつあった。
「何が起こってるの……?」
 私が尋ねると、リルリは彼女の額を私のヘルメットに当て、答えた。
「……あれは、C2NTAMです。このアメノトリフネの構造を保持するため、何重にも張り巡らされていたものです」
 リルリは額を通じて私のヘルメット内の大気を振動させ、通常の大気圏内の音声のように彼女の愛らしい声を響かせる。
 最強のカーボンナノチューブ繊維であるC2NTAM。それがちぎれるという事態がまず私には想像できない。
「なぜそんなことが……」
 リルリはじっと崩壊しつつある大地を見つめたが、やがて言った。
「ラリラの砲撃です。一部のC2NTAMが、限界まで引き延ばされた。C2NTAMの強度は、通常の長さの時が最も強く、最大限まで引き延ばされたときが最も弱くなります。レールガンの砲撃で最大まで引きのばされたC2NTAMが基地の各地に発生し、岩石である基地の構造部材の変形とともに、引き延ばされたままの状態が維持された。基地のジンバル上に設置された姿勢制御ジェットの通常の加速というわずかな振動に伴う岩石同士の振動をきっかけにちぎれたのです」
 そして、ラリラを見遣る。彼女はガスジェットを使い、アメノトリフネの地球側から待避しているように見えた。
 ――(ラリラはやり過ぎました。この結果は予想できたはずですが、彼女にもとらわれがあったのでしょう……彼女は『人類は死んだ』と宣言し、無視することを己に課していますが、……おそらく、彼女にもとらわれがあった……人類を憎むというとらわれが。それが過剰なレールガン砲撃につながった)
 リルリは続いて小鳥遊准尉に通信を送る。
 ――(小鳥遊准尉、ラリラは彼女自身が乗ってきたシャトルに向かっています。阻止してください。タケミカヅチの投下は防げないとしても、ラリラの小隊を地球に戻さないことには意味がある。阻止といっても交戦する必要はありません。それに乗ってここから離れてくれればそれでいい。いっそ、あなたたちはそれに乗って地球に帰還していただきたい。アメノトリフネの脱出ポッドで無事なものがじゅうぶんな数があるか、分かりませんから。タケミカヅチは私がなんとかします。ラリラの軌道から、シャトルの推定位置を示します)
 アメノトリフネには自動で地上まで帰還できる脱出ポッドが複数存在する。基地要員分は備えてあり、それは小鳥遊准尉の部隊全員分をまかなうこともできるはずだった。だが、アメノトリフネが崩壊しつつある今、じゅうぶんな数があるかどうかはもはや分からない。
 ――(地球に帰還するかどうかはさておき、阻止は了解。……でも優しいのね、あなたは本当に)
 後半の言葉は、いつも張り詰めた雰囲気をまとわせ、部隊指揮官として通信したり、独特の哲学を語ったりする小鳥遊圭妃の別の側面――一〇代後半と見える彼女の年齢相応の艶を含んでいた。
 ――(私はフィル=リルリですから。愛しているのはただ一人ですが、一〇〇億人みんな、好きですよ)
 ――(では、フィランソロピー=リルリへ、あなたを含め、私たちみんなが生きて帰れる方法を引き続き考えましょう。フィロボット=ケイより)
 小鳥遊圭妃はそう言って、通信を終了した。

山口優プロフィール


山口優既刊
『サーヴァント・ガール』