「夜の豆腐洗い湖」―豆腐洗い猫その1―間瀬純子

(PDFバージョン:yorunotoufu_masejyunnko
『読めば読むほどむなしくなる! ばかばかしくて、ものがなしい連作小話』

 むかしむかし、豆腐を洗う猫の妖怪がいました。猫ちゃんは、豆腐洗い猫と呼ばれています。これから延々と語られるのは、この『豆腐洗い猫』のサーガ・叙事詩である。

 さて、豆腐洗い猫は、毎日、豆腐屋さんの厨房で、水槽の中に、手というか両前足を突っこんで、豆腐を洗っています。しかし、猫の手からはするどい爪が飛びでているので、しょっちゅう豆腐にひっかき傷をつけてしまいます。
 時には、豆腐はぽろっと崩れます。せっかく豆腐屋さんが、すばらしい職人技で、かんぺきな直方体に豆腐を切っても、猫が一生懸命洗えば洗うほど、豆腐はぐちゃぐちゃになってしまいます。
 豆腐屋さんは怒って、豆腐洗い猫を殴ったり蹴ったりしました。
「この世で一番、不必要なのは、豆腐を洗おうという猫だ」
 豆腐屋さんは、ひととおり殴り終えると、我に返って猫に言うのでした。
「しかし君には豆腐を洗う宿命があるからなあ」と、豆腐屋さんは豆腐洗い猫を使い続けておりました。

 さきほど書いたように、豆腐洗い猫の手はいつも豆腐水槽の冷たい水に突っこまれていて、肉球はひどいあかぎれでひび割れています。肉球から流れでた血が、豆腐についた猫の爪痕に染みこみます。

 その様子を見た豆腐屋さんは、ぐちゃぐちゃの豆腐こそ、よく醤油が染みるのだということに気づき、『ひややっこにぴったり! 醤油がよく染みるグチャグチャ豆腐(絹ごし)』という名前で豆腐を売り出したところ、その『ひややっこにぴったり云々豆腐』は飛ぶように売れ、店は大繁盛し、豆腐屋さんは豆腐洗い猫にたくさんボーナスをあげました。

 そんなわけはないのだった。

 豆腐洗い猫は一種の妖怪であり、零落神(れいらくしん つまり、おちぶれた神)でもあったので、ちょっと妖術が使えます。
 猫は、お世話になっている豆腐屋さんに、素敵なお嫁さんを連れてきました。美人で優しくて気丈で働き者です。
 もちろんその女はオカラとかで出来ていますが、それだけではありません。
 オカラの原料は、この豆腐屋さんで使っている大豆でした。遺伝子組み換えまくり五〇〇〇倍体の大豆です。
 大豆の遺伝子の他にも、アボカドやアンゴラウサギなどの遺伝子なんかも混じっていて、オカラの奥さんは植物や動物の良い点をたくさん持っていました。その後、豆腐屋さんとの間に、可愛い子供をもうけます。
 豆腐屋さんの子孫は、だんだんと体内に占める豆腐率が高くなり、四代目の豆腐屋さんは豆腐を作るさいちゅうに、すりつぶした大豆の中にぱたっと倒れ、崩れて大豆に混ざってしまいました。まあ、それは後のことです。

 いまの豆腐屋さんのお店は、深い針葉樹の森の中にあり、数キロメートルさきに、ゴシック様式の大きなお城があります。お城の舞踏会に豆腐を納品するために、豆腐屋さんとお嫁さん(オカラ)と豆腐洗い猫は心をこめて最高のこだわり豆腐をたくさん作りました。


 !ここがこだわり! 原料は宇宙実験室にてとくべつ栽培。遺伝子組み換え五〇〇〇倍体大豆を一〇〇パーセント使用! 絹ごし用の絹は西陣織! お祈祷済み! リサイクルできます!

 お城の舞踏会の日がやってきました。
 豆腐屋さんたちは、夕方までかかって、荷車にぎっしり豆腐を積みました。豆腐屋さんが荷車の梶棒をひいて、奥さんと豆腐洗い猫が荷台を押します。
 一行は、森の中のくねくね曲がった細い道をつたって、お城に向かいます。
 日が暮れていきます。道の行く手を、イノシシの一団がウリボウをつれて静かに横切っていきます。大人のイノシシの横から見た体格はとても大きいのですが、背中の幅は妙に薄っぺらいです。
 やつらはとてつもなく凶暴で、食べ物をうばいまくるし人間や猫の手を噛みちぎったりするので、豆腐屋さん一行は慌てて針葉樹の陰に荷車を隠しました。
 イノシシの群れが行ってしまうと、豆腐屋さんは言いました。
「今度は大豆に、イノシシの遺伝子も入れてみようかなあ。イノシシについているダニはどうだろうか」
 猫は、豆腐屋さんは研究熱心だにゃー、と思いました。奥さんはオカラだから、ただ、にこにこしています。
 あかぐろい残照を背後に、石をがっしり組んだ、尖塔とかガーゴイルがばかすか突きでた、大きなお城が見えてきました。
 長い鉄砲を持った衛兵が、堀にかかった跳ね橋をぎいと落として、豆腐屋さんの荷車を通しました。石垣の上で三角帽子の猫が踊り狂っています。衛兵が鉄砲を構え、三角帽子の猫を撃ち落としました。
 豆腐屋さんや豆腐洗い猫は緊張しながら、王宮のお勝手口から、豆腐を搬入しました。大広間では舞踏会が開かれています。ラッパがパパパーと鳴りました。

 で、まあ、
 森の中の、お城の大広間の舞踏会ですからやはり、王子様のお后選びが行われているわけですが、王子様は乗り気ではありません。王子様は昨夜、森の中の湖で、豆腐の精霊たちが無数に集まって、月光に照らされた青い静かな湖の上で、真っ白い豆腐の絹ごしの肌を時々、痙攣するように揺すりながら、生湯葉(なまゆば)のスカートをヒラヒラひるがえし、ぼうっと白く輝き踊っているのを見たわけです。その美しいさまが忘れられません、しかも王子様は、豆腐精霊たちの王女にすっかり惑溺してしまっています。

 王子様は、大広間の王子の座に座ったきり、歌を詠みました。

 ◆ ひさかたの 月の光に 舞い踊る とうふ処女(おとめ)や あなめでたけれ 
 ◆ 青白き みずうみ凍れる 遺伝子は 人ではなくて 豆腐なりとぞ

 豆腐精霊の王女、豆腐娘子(おとめ)への恋情止みがたく、王子は、近所の豪族の娘たちが着飾って踊りながら、順番に、王子に歌を詠みかけるのにも気づきません。
 王妃様や王様は困りました。跡継ぎがいなくては王国は絶えてしまいます。温室に咲いているダリヤやカンナもしおれてしまいます。

 豆腐屋さんや奥さん(オカラ)も、大広間のすみで見ていてハラハラしました。王様ご一家を敬愛している豆腐屋さんは、奥さんがオカラで出来ていて豆腐娘子と似たようなものなので、奥さんを王子様に差し上げようかと思いました。奥さんもしょせんオカラなので異論はありません。
 王子様は、豆腐屋さんのまごころに感銘を受けながらも、言いました。
「そなたたちの気持ちはありがたく受け止めました。ですが、私はオカラではなく豆腐娘子に愛を誓ったのです」

 イカ墨入り豆腐娘子という、豆腐娘子にそっくりだがイカ墨入りで真っ黒い豆腐の精霊が、舞踏会に乱入してきて踊り狂いました。
 王子様が叫びます。「ああ、豆腐娘子のドッペルゲンガーが訪ねてきた!」

 王子様はイカ墨入り豆腐娘子と踊ろうと、彼女のたおやかな手を取ります。来客たちは、お似合いの二人を見て、うっとりと溜め息をつきました。
 だが、悲劇が起きた。豆腐洗い猫が、イカ墨入り豆腐娘子に飛びかかったのだ。なぜかというなら、豆腐洗い猫には豆腐を洗う習性・宿命があるのだ! イカ墨入り豆腐娘子を、猫はどんどん洗っていく! イカ墨入り豆腐娘子は墨を吐き、巨大なイカに変わって、真紅の絨毯の上で、のたうちまわって息絶えました。その後、イカの刺身が舞踏会の客に供されましたが、王子様は箸をつけません。

 聡明で気高い王妃様が、豆腐洗い猫に命じました。
「そこの猫よ」孔雀の群れを従えながら王妃様が言います。「豆腐こそが、我が息子の迷いの元なり。森の湖に行き、豆腐精霊たちを、その爪で引きちぎっておしまい」

 王子は王妃様に申し上げます。「おお母上、どうぞそのような処置はお許しください。猫も哀れでございましょう。私は豆腐娘子と愛を貫きますから、城の後継者は選挙で決めましょう」
 王子は湖へと走り去り、王宮の人々や、豆腐屋さんや、豆腐屋さんの奥さんや、豆腐洗い猫は慌ててついていきます。

 鬱蒼とした森に囲まれた、広い深い湖に月光が射しています。月光に照らされて湖面は霧のように白い、というか、水は全部、豆乳でした。

 湖面では豆腐がぷるぷる震えています。豆腐屋さんは、その豆腐や豆乳が五〇〇〇倍体の大豆から出来ていることに気づきました。そうです、豆腐洗い猫が豆腐を洗うと、爪の裏に、豆腐のカスがつきます。毎日、作業後に、豆腐洗い猫は、店の裏の小川で手を洗って、そのたびに豆腐のカスは川に流れだし、カスは小川から湖にたどりつき、大繁殖したのです。

 責任感の強い豆腐屋さんは、怒りに震え、豆腐洗い猫の首根っこをぐいとつかみました。猫はびっくりして丸まりました。
 豆腐屋さんは湖にむかって、豆腐洗い猫を捧げ持ち、「豆腐はすべて豆腐洗い猫に洗われて砕け散れ」と叫びました。
 豆腐屋さんは、豆腐洗い猫をいけにえとして、ぽいっと湖に投げこみました。

 豆腐洗い猫は湖の底に沈み、湖はふたたび透明で清らかな水を湛えました。

 王子様は人間のすばらしい女性と結婚し、王国は末永く安泰で、領民は平和に豊かに暮らしました。王子様は自分の目を醒ましてくれた豆腐洗い猫に感謝し、湖岸に『豆腐を洗う猫の銅像』を建てました。豆腐洗い猫のお話は、この王国のすべての学校の教科書に必ず載っています。

 今では、湖は豆腐を愛好するベジタリアンたちの巡礼地となり、豆腐チャンプルやマーボードーフや、ひよこ豆のかわりに豆腐をつかったトルコ風メゼ(前菜)など、いろんな豆腐料理のお店屋さんや、おみやげ屋さんもたくさんあって、豆腐洗い猫グッズが売られています。行ってみたいですね。

 いっぽう豆腐洗い猫は、五十万トンの豆腐に埋もれ、発掘される日を待っていました。
 でも何百年も経ったので、起き上がって、湖の底に行きました。懐かしい豆腐屋さんや豆腐屋の奥さん(オカラ)も、もうこの世にはいないでしょう。

 底に行くほど豆腐は濃くなり、とても寒いです。豆腐通路を歩いていくと、壁に、バカとか死ねとか書いてあります。『おまえのあだ名は※ゴミ焼いた煙※だ』とか、『ゴミ』じゃなくて※ゴミ焼いた煙※まで持ち出し、固体の生き物を気体扱いしてまで、相手を否定するあだ名は見たことないにゃーと猫は思いました。
 豆腐通路はやがて行き止まりになり、猫は一生懸命、両手で豆腐を掻き崩して前に進もうとしました。豆腐洗い猫の犠牲のおかげで、みんなが幸せになったので、豆腐洗い猫は自分も幸せなんだ、と思いながら、まるで氷山みたいな豆腐を掻きわけ続けました。両手から血がぽたぽた落ちます。
 五〇〇〇倍体大豆の遺伝子が言いました。「おまえの豆腐洗い遺伝子は、淘汰されるべきものだ。だからおまえは子孫を残さず豆腐の中で死ぬのだ」
 豆腐洗い猫は生殖とかしない。
 豆腐洗い猫は豆腐を洗うためだけに生まれた、フィクション上の存在だからフィクションの中では豆腐を洗う猫というナンセンスな意味を背負わされていました。だから猫は豆腐湖の下の迷路で、豆腐を洗っているんだか掘っているんだかもうよくわからなかったが、豆腐洗い猫の毛皮はびっしり凍り豆腐(高野豆腐)に覆われています。

 架空ねこ軍団がやってきて、「洗うにゃ」「洗うにゃ」「洗うにゃ」と無責任に音頭を取りました。

 豆腐洗い猫は弱々しく「にゃー」と答えました。

 乱暴な、『蹴り蹴りニャー』が、ウサギやモグラに暴力をふるっています。こいつは自分より弱いものを蹴って蹴って蹴りまくるひどい猫です。
 豆腐迷路を血塗れの手で掘っていくと、ヴィクター・フランケンシュタイン(ぼんくら医学生)の部屋に出たりしました。彼は地下新聞を出していて、連載四コマ漫画を描いています。ぜんぜん面白くありません。
 豆腐洗い猫が地下新聞を一部もらおうとしたら、ヴィクターごと新聞は消えました。豆腐の精霊たちが真っ白い着物を着て舞い狂う幻影も見えました。処刑部屋や拷問部屋も見ました。

 クロネコヤマトのトラック。マサキ工業さんのトラック。谷村運送さんのトラック。
 仔猫の時、トラックの荷台で猫家族で眠っていたら発車しそうになって、慌てて飛び降りて消えてしまったお母さん猫。仔猫のきょうだいだけ荷台に積んだまま、トラックは高速道路に乗った。豆腐洗い仙人との修行の日々。あなたの運命数は7です。7463万5982です。
 様々な職人猫たちとの集会に参加しようとしたが、豆腐洗い猫は妖怪で下層零落神なので、豆腐洗いギルドを作ることが許されない。五〇〇〇倍体の大豆たちが、豆腐洗い猫の悪口をずっと言っています。
 考えてみれば、豆腐洗い猫の爪を、豆腐屋さんが毎日切ってあげていれば、何にも問題が起きなかったのではないでしょうか。

 つづく
#次回予告
豆腐洗い猫を閉じこめたまま、豆腐洗い湖がいま、よみがえる! 
次回『豆腐怪獣トフラーの巻』(予定)! がんばれ豆腐洗い猫! がんばれ、みずうみ!

間瀬純子プロフィール


間瀬純子既刊
『Fの肖像―フランケンシュタインの幻想たち
異形コレクション』