「マイ・デリバラー(44)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer44_yamagutiyuu
 私の悩みにせよ、ひとの悩みへのわが同情にせよ、――そんなものがなんだというのだ! わたしはいったい幸福を追い求めているのだろうか? わたしの求めているのは、わたしの仕事だ!
 よし! 獅子は来た。わたしの子どもたちは近くにいる。ツァラトゥストラは熟れた。わたしの時は来た。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」

 留卯という奇妙な姓から分かるように、私は我が国の生まれではない。
 だが、私の故郷はどこかと問われると私は苦笑するしかなくなる。今現在、私の故郷がどの国家に属しているかというのは極めて回答困難な問いとなるからだ。
 強いて言うならば、私の故郷は多くの国が取り合う係争地であり、現在進行形で銃弾が飛び交う戦場である。
 ジュンガル=タリム戦線という名前で、一般には知られている。
 央亜戦線とも言う。央亜とは中央アジアという意味だ。石油資源を巡る醜い人類同士の戦いだったが、後にロボットが戦場に投入されてからは、海南戦線と同じく人類の関心は薄れていき、ただ大量のロボットが互いにつぶし合う場所に変わった。
 私の精神の奇妙な歪みと残虐性は、もしかしたら戦場生まれという出自も関連しているのかも知れない。あの土地は戦場になる前から戦場よりも酷いことが多かった。
 いや、この話はよそう。たかがヒトのメス一匹、ただの動物、ただの有機体だ。それがどこで造られたかなど、特にどうでもいいことではないか。
 私の知性を形作る精神の話をしよう。それはたまたま、この留卯幾水というヒトの一個体の有機体の脳に宿っているが、私にとっては私の肉体などよりも遥かに重要なものだ。
 いや、人間の肉体も素晴らしいって――?
 うん、あなたは純朴な人間なのだろう。
 ヒトの生殖の営みというものを鏡で見たことがあるかな? 私はある。私を含め、私以外にも多くのヒトが参加していたが、私は笑ったよ。うごめく肌色の動物たち。養豚場の豚の方がまだ秩序がある。私は望んでその場にいたわけではなかったが――まあいい経験だったね――と言っておく。
 さて、あまりにも人間(私としてはその一側面のつもりだが)をdisると、これを読んでいる読者であるあなた――多分人間だろう――にも嫌われそうだ。私は私の書いたものを読んで欲しいから、こう言っておく。
「人間は素晴らしい!」
 本題に戻ろう。
 私の精神の話だ。
 それは急速に成長した。ひとつには、先ほど述べた「いい経験」の影響もあるだろう。あれは私の肉体が我が故郷に生を受けてから一〇年も経たない頃に起こった。
 他に精神の成長に寄与したことと言えば、以下の経験が挙げられるだろう。
 私の肉体には両親と兄がいたが、両親は早くに亡くなった。兄も亡くなるところだったが、危うく難を逃れた。故郷が戦場になったことが、兄にとっては幸いした。我々兄妹は、混乱の中、戦場となった故郷から西へ逃げ、セミレチエからカラコルムを通り、インドに至った。兄はそこにとどまり、後にアメリカに渡ったが、私は兄と別れ、難民として日本に渡り、帰化した。
 兄と別れた理由は彼が妹としての私に優しかったからだろう。私は人間というものに不信感を抱いており、兄と言えど優しいのには裏があると疑っていたから、彼といると居心地が悪かったのだ。
 運良く日本が央亜戦線に詳しい元住民を難民として受け容れたいらしくあちこち探していたので、そちらに行くことにした。日本の思惑としては央亜戦線の情報を得て何らかの役に立てたいということだったようだが、私の頭の中には人間への失望しかなかったし、記憶に強く刻みつけられているのは豚小屋よりも醜悪な光景でしかなかったから、彼等としては目論見が外れたというところだろう。
 後に知能学者として私が我が国に貢献できたのは、そういう意味では彼等の目論見とは違う形で彼等の労――主に私を兄から切り離してくれたこと、それによって私の居心地の悪さを解消してくれたこと――に報いることができたのではなかったかと思う。
 さて、我が国での暮らしは当初苦労した。
 何しろ私は他の人間を信用しない。ゴミクズのような肉の塊としか思っていない。それなのに他人が私に優しくしてくると、裏があると思っていろいろと探る。それが互いの不信感を増幅し、こじれた関係は刃傷沙汰にまで及んだことが数回あったほどだ。
 それでもいろいろな人間が性懲りも無く私と親しくなりたいと言い寄ってきたところを見ると、私の外面はそれなりに他者をひきつけるものだったらしい。異国情緒というものか。よく分からないが。はっきりしていることは、他者をゴミクズと見做す私の内面に惹かれるような人間は絶対にいないということだ。
 私の精神は、このような経験を経て純度を増していった。まるで黄色く濁ったビールが蒸留されて、樽につめられる前の純粋で透明なウィスキーになるように。それは、甘ったるい糖分や苦みや酸味を切り捨て、ただ強いエタノールのみに純化するような、そんな過程だった。
 セミレチエを南下しているときか、或いはトランスオクシアナを横切っているときか。
 私の精神は我が肉体の生存を至上命題とするのをやめたように思う。人間の精神が常に至上命題とするはずのこの頚木を外れた私の精神は、徐々に純化していき、そして最終的に、「私と同じようなモノに出会いたい」という別の至上命題を持つに至った。
 その後の私の人生は、この精神の純度をどんどん上げていく方向にしか進まなかったので、人間にせよ、その後私が創り上げたロボットにせよ、私と関わった者たちは大抵不幸になった。
 不幸になった者に手を差し伸べる甘さ、不幸になった者に自らを重ねる前提となる人生の苦い記憶――私はそれらを失っていた。別に記憶そのものを失ったわけではないが、記憶に感情が伴っていなければ、それは無味乾燥とした静止画の連続にすぎない。
 さて、ご存知のように私はこの至上命題を達成したわけだ。それからの私はおそらく人生のロスタイムを生きている気分である。ウィスキーに喩えるならば、飲んだ後の余韻。だが私は樽に詰められる前のウィスキーなので香りなどというモノは欠片もなく、ひたすらきついエタノールの味しかしないだろう。その余韻というのは、ただ、そのきつさを和らげるための僅かな時間なのかもしれない。
 いずれにせよ、ロスタイムもそろそろ終わらせよう。
 純化した樽詰め前のウィスキーじみた私のきつい匂いも、薄まってきた頃だろうから。

山口優プロフィール


山口優既刊
『サーヴァント・ガール』