「マイ・デリバラー(38)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer38_yamagutiyuu
 ――いまや、ひとつの渇望が、決して鎮まることのないひとつのあこがれが、わたしの心を蝕む。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」

「ドッキング制御システムとの通信を確立――ドッキング要求信号――送付――拒否」
 コクピットのリルリは冷静に告げる。
「ドッキング制御システムへの侵食開始」
 通常のドッキングプロセスのように彼女は言ったが、その瞬間、我々のアメノトリフネに対する攻撃は始まっていた。
「障壁を確認。ラリラによるものと思われる。突破不能。再攻撃」
 リルリは冷静さを保ち続ける。
「攻撃を続行――」
 彼女は言う。
「敵の演算資源、ドッキングシステムに集中――他システムの防衛能力低下」
 リルリの隣に座るサイバー戦担当の自衛官が告げる。
「貨物用マニピュレータアームシステム制御システムへの侵食開始。突破――」
 リルリの声はやや弾んでいるように聞こえる。
「軌道制御。アメノトリフネとの相対速度をゼロに。マニピュレータによるシャトルの保持を開始」
「マニピュレータシステムの再支配を観測」
「ドッキングシステムへの侵食を再開」
 フィル=リルリが言う。
「マニピュレータシステムへの侵食停止」
 再び、サイバー戦担当の自衛官が告げる。恵夢と同い年ぐらいの、髪をシニョンにまとめた女性だ。逸見史惟(いつみ・しい)三尉。サイバー防衛隊に所属している。
 フィル=リルリと逸見三尉が実行したのは、つまりこういうことだ。
 まずはリルリがドッキングシステムを攻める。するとラリラはドッキングシステムを防衛するためにドッキングシステム防衛に演算資源を費やす。リルリはラリラとほぼ互角の演算力を持つから、ラリラはドッキングシステムの防衛に集中せざるを得ない。その状況を逸見三尉がモニターして、リルリに教える。リルリはラリラが充分にドッキングシステム防衛に集中している隙に、即座にマニピュレータ制御システムを攻める。そちらの防備は薄いから、簡単に侵食できる。勿論ラリラはそちらの防衛にも回ろうとするが、そこでリルリが再びドッキングシステムを侵食しようとするので、そちらに再び回り――そしてリルリは完全にマニピュレータシステムを掌握した。
 我々のシャトルの目的は宇宙基地アメノトリフネにとりつくことである。そのために、ドッキングポートに接舷しても勿論良いが、基地のマニピュレータに自機を把持させて、基地に充分に近づけ、適当なハッチを破壊して潜入するという方法も採り得る。
 無論、後者の方が乱暴な方法ではあるが、敵が想定していない方法で攻めるのは戦争の常識である――これは佐々木恵夢の言葉だ。
「やったね、史惟」
 恵夢が軽く逸見三尉の肩を叩いた。
「ん――まあね、ありがと、恵夢」
 逸見三尉は控えめに応じる。二人は防衛大学校の同期だと言っていた。
「仲いいのね」
 そう言ってやると、恵夢は照れ笑いした。
「腐れ縁ですよ。割れ鍋に綴じ蓋というか。まあ気が合う仲間というところです」
 それから生真面目な指揮官の顔になる。
「リルリ、状況は?」
 フィル=リルリは恵夢に振り向いた。
「マニピュレータ、シャトル把持完了。慣性モーメント正常値。全サーボモータ、電圧正常値。目標設定。第三予備ドッキングポート。移動開始しています」
「よろしい」
 恵夢はシャトル全体に通じる通信システムのボタンを押した。
「こちら佐々木三尉。突入要員はエアロックへ。私もすぐに向かう」
 それから、私を見返す。
「お先に、エアロックへ行っています。リルリと一緒に、後から来てください」
 それから、やや躊躇しつつ、付け足す。
「勿論、ここで待機していただいても、かまいません。史惟――失礼、逸見は残留しますので」
「いや、リルリと一緒に行くわ」
 恵夢は苦笑した。いや、苦笑とも、微笑ともとれる笑みだった。
「了解です。もう何も言わない方がいいですね。というより、これからは私の方がそういう感覚を学ぶべきなのかもしれない。ロボットと人類が共存する新しい世界が来るのだから」
「気負う必要はないと思う。多様な感覚を持っている主体が一緒に暮らすことが重要なんじゃないかな。だから、あなた固有の感覚を大切にして」
 そして、いたずらっぽく言葉を続ける。
「みんなあなたみたいに気負っちゃって、間違って留卯みたいになったら、困る」
「それは最悪な世界ですね……」
 苦笑いの表情のまま、恵夢は言った。
「分かりました。私は私の感覚でやることにしましょう。では、お先に」
 敬礼し、彼女は身軽にコクピットから出て行った。私はぎこちなく敬礼し返す。その間にも、コクピットから見える「アメノトリフネ」はぐんぐん近づいてきた。小惑星帯から牽引してきた資源衛星をその起源に持つ宇宙基地の表面には、ゴツゴツしたクレーターがそこここに見える。
(そういえば、父が言っていたな)
 私は不意に思い出す。
 世界で初めての小惑星探査機が、小惑星の表面の詳細な映像を地球に届けた日のことを。彼はそれを見て宇宙開発を志したのだと言っていた。今から一世代も昔の話だ。
「第三予備ドッキングポート、シャトルエアロックからの距離一メートル。マニピュレータ操作停止」
 フィル=リルリは、シートベルトを外し、コクピットから立ち上がり、無重力の中で浮き上がった。彼女を見守っていた私にすっと近づいてくる。スキンタイト宇宙服のヘルメットを私にかぶせ、その気密をチェックする。それから、安心したように微笑み、私に抱きついてきた。
 ――(一緒に来てくれて、ありがとうございます。とても嬉しい)
 ヘルメットの通信機から彼女の声が聞こえてくる。それから恥ずかしげに私から身を離し、私の手を引く。
 ――(行きましょう。ラリラを倒しましょう。私たちの新しい世界のために)
 そして、私を振り返り、にっこりと微笑む。
 ――(安心してください。私は負けません)
 R体のアメノトリフネ宙域会合まで、あと一時間を切っていた。

山口優プロフィール


山口優既刊
『サーヴァント・ガール』