「天の大河が果てる処」片理誠(作・絵)

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 約五百年ぶりに起動され、私は戸惑っていた。居住区のロビーに少年がいる。そこにいるはずのない、少年が。
 やぁ、と船内カメラに向かって彼が手を振る。
 私は出現せざるを得なかった。状況から判断するに、この男の子が私を起こしたのだ。船内と周辺宙域に二度、簡易スキャンをかけてみたが、他にトリガーとなりそうな因子は何も見当たらない。
 私と目が合うと、セラミックパネルに囲まれた五メートル四方の部屋の中央で、彼は嬉しそうに微笑んだ。
「良かったぁ。意思の疎通ができそうなシステムが起動してくれて。うん。それにしても3Dホログラムとは、随分とまた古風ですね。初めまして、お嬢さん」
 どう声をかけるべきかしばらく迷った末に「あなたは……どなた?」と私は尋ねた。標準マニュアルに従うのであれば、ここは「当船へようこそ」と言うべきなのだが、このケースにはそぐわないと判断したのだ。
 少年が両手を広げて見せる。
「僕の名前はフークゥ。見てのとおり、何の変哲も無い、ごく普通の人間ですよ」
 もちろん、そんなことはあり得ない。
「ごく普通の人間は、極超短波を使って会話したりはしないはずですが」
「それは仕方がないでしょう。だって、この船には空気がないんですから」
 まるで「レーザー通信の方が良かったですか?」と言わんばかりの、屈託のない、人なつこそうな笑顔だった。
 私は質問を繰り返した。
「あなたはなぜ、絶対零度の真空の中で、平気でいられるのですか? 見たところ、宇宙服を着ていないようですが」
 この船の生命維持装置が停止してから、五百年が経つ。その間にエアは全て抜け、船内は冷えきった。事実、半覚醒モードである今も、電子制御システムが発するささいな熱を除けば、赤外線センサーに探知されるのは、この男の子の影だけだ。彼は存在し、生きている。周囲の宇宙空間と何ら違うことのない、このメシエⅢの船内で。
 彼は慌てて自分の格好を確認しているところだった。
「……もしかして、まずかったかな? この船のドレスコードがよく分からなかったものだから。これでも一応、よそ行きの格好なのですけど」
 外套のような形をした青い上着に、襟や袖に透かし模様のあしらわれた白いシャツ。確かにそれは決して失礼な格好ではなかった。が、私が今、問題にしているのはそこではない。ファッションだの礼儀だのは、この際どうでもよろしいのである。
「人間が、宇宙服なしに、この環境下で生きていられるはずがありません。あなたは、どなた?」
 正体不明の生命体が、突然、少年の姿で宇宙船内に出現したのだ。船のメインシステムを担う私が警戒するのは当然のことだった。
 フークゥは、やっとこちらの質問の意図を理解したようだ。大きく肯いている。
「ああ! これは失礼。なるほど、確かに不審に思われても無理はありませんね。えーと、僕は、と言うか僕たちは、もうこの確定宇宙にのみ存在しているのではないんです。あらゆる確率宇宙に、あまねく遍在しているのですよ!」
「……理解できません」
 え、ええと、困ったな、と頭を掻いている。
 見た限りではフークゥは十四、五歳の、ごく普通の少年に見えた。身長は一五〇センチくらい。やや痩せ形。色白で、髪と瞳の色は黒。少し気弱そうな、しかしいかにも人の良さそうな顔立ち。良家のお坊ちゃま、という印象だ。
 もし未知の宇宙生命体が化けているのだとしたら、見事な成りすましと言えた。かつて月面博物館のシステムを一手に担い、毎日、数多くの人間たちと触れあってきたこの私の目をも欺くのだから。大勢の子供たちを見てきた私にとっても、彼は本物の人間のようだった。生きていられるはずがない、というただ一点を除けば。そもそもフークゥはどこから来たのだろう? エアロックが使用された形跡はないし、周囲にも宇宙船らしき影は見当たらないが。
「つ、つまりですね、僕の祖先、あ、つまりは長老たちのことなんですけども、その彼らがこの宇宙の真実を突き止めたのですよ。究極の大完全統一理論の発見です! この世界は全て確率によって成り立っているんです」
「……はぁ」
「そしてそこに干渉することができれば、あらゆる事象をコントロールすることが可能なんです。つまり僕たちは局所的な物理法則をねじ曲げることができるのですよ。だから真空でも死にませんし、望む座標にジャンプすることだって容易いのです」
 得意げに胸を張っているが、私には何のことやらさっぱり理解できない。
「つまりあなたは……私が知っていた頃の人間よりも、より高次の存在、ということですか?」
 途端にフークゥは、しょんぼりとした表情になった。
「そう……ですね。本当はちょっと違いますけども、まぁ、その理解でも、いい、かな」
 この少年はどうも未知の宇宙生命体ではないような気がする、と私は考え始めていた。あまりに人間臭い。それに、そもそも化けなくてはならない理由があるとは思えないのだ。この船の中にジャンプアウトできるほどの力があるのなら、私を騙す必要などあるまいに。もっとも、それを言うのであれば、私をわざわざ目覚めさせる理由もまた思いつかないのだけれど。
「それで、当船にどういったご用でしょう?」
「ああ! そこなんですよ、やっと本題に入れます」
 ニッと笑う。
「実は僕はある試験を受けなくてはならないのですが、まぁ、ある種の通過儀礼ですね、このテストにパスしませんと周囲から一人前の大人と見なしてもらえないんです」
「なるほど」
 つまりは成人になるための儀式のようなものか、と私は理解した。
「それでその試験にですね、この船に積まれているあるモノを使わせてもらいたいんです」
「この船の?」
「ええ。で、ここからがややこしいのですが、僕らのコミュニティにも法律というのがありまして、これがまた古臭くてですね、全然融通がきかないんです」
「……はぁ」
「つまりこの場合、所有権の問題が関わってくるんです」フークゥがこちらに身を乗り出した。「この宇宙船、メシエⅢ号はもう五百年以上もの間、当てもなく宇宙空間をさまよっているわけですよね」
「一応、銀河の中心からなるべく遠ざかるよう、コースをセッティングしております」
 私はささやかな訂正を試みた。ただ当てもなく漂っているわけではない。この船は今も逃走の途中にある。
 だがそんなことは眼前の少年にとってはどうでもよいことであるらしい。
「普通こういう場合、その宇宙船の所有権は発見者に帰属します」
 そうなのだろうか、と私は考え込む。だが確かにこの船には私しかおらず、その私は人工知能(AI)に過ぎない。所有権を主張できる立場にはなかった。
「ところがですね、もしかつての所有者の遺言が残されている場合、僕たちはそれを最大限、尊重しなくてはならないんです。どう思います? 馬鹿げてますよね? だってテストで使うったって、実物は必要ないんです。情報をコピーさせてもらうだけでいいのに! その程度のスキャン、一秒もかかりませんよ! 誰も、何も、毛ほども傷つけない! 対象に何ら影響を与えることはないってのに、何だってわざわざ許可を取り付けなくっちゃならないんだ! あの分からず屋どもッ!」
 地団駄を踏んでいる。煩雑な手続きに腹を立てているのだろう。
 この居住区は現在、機能を完全に停止しているのだが、なぜか、この少年の周囲にだけは重力が存在しているようだ。床をどんなにバンバン踏みしめても、彼の体がその反動で宙に浮くことはなかった。これも彼が言う、“局所的な物理法則”のコントロール、の賜物か。
「それで私を起動したのですか」
「そうなんです」フークゥが力なくうなだれる。「お休み中のところを、すみません」
 勝手にコピーできていれば良かったんですけども、と小声で付け足した。
「別に、起動していただいた件は構いません」
「そう言っていただけると助かります。……それであの、コピーさせてもらってもよろしいですか?」
 こちらを心配そうに覗き込んでいる。
 私は口を開いた。
「遺言と仰いましたが、私が船長から言付かっているコマンドは、“もし破滅主義者たちの追っ手がかかった場合は、本船を速やかに自爆させよ”というものです」

 随分と変わった命令ですねぇ、とフークゥが首をかしげた。
「もし連中がこの船を見つけて追いかけてきたとしたら、奴らの狙いはこの船の破壊でしょうから、どっちみち結果は同じことだと思うのですが」
「生前、船長は彼らを心底嫌い、憎まれていましたので」
「うーん。なるほど。個人的な心情が関わっているわけですか。でも、良かった。僕は破滅主義者ではありませんよ」
 ヒマワリのような彼の笑顔はしかし、直後の「そうでしょうか」という私の台詞に凍り付いてしまった。
「え! ちょ、ちょっと待ってくださいよ、ええと」
「イリス、と申します」
「イリスさん、僕を疑っているんですか?」
「私はあなたを、よく存じ上げてはおりませんので」
「参ったな……僕がもし破滅主義者だったなら、とっくにこの船を破壊していると思うんですが」
「その主張に一定の論理性が存在することは認めます。ですがそれだけでは決定的な証拠とまでは言えません」
 何てこった、と小声で少年。この宇宙には分からず屋しかいないのか!
 しばらく考え込んだ後、口を開いた。
「つまり……僕が破滅主義者ではないことを証明できれば、いいわけですね」
 そうなりますね、と私。
「しかしどうすれば。長老たちのお墨付きを持ってきても、あなたにはそれが本物かどうかを判断できないでしょうし」
「ですね」
 両腕を組み、うむむ、と顔をしかめている。
 私は少しだけ彼に手を差し伸べることにした。
「生前、船長は“この船のどこかに宝を隠した”と言っていました」
 少年が顔を上げる。宝?
「“その宝探しにつきあってくれるような暇な人間なら、まず破滅主義者ということはないだろう”とも」
 なるほど、と彼。嬉しそうに微笑んでいる。
「連中は殺戮と破壊以外には興味がありませんからね。いいでしょう。そのテスト、受けて立ちますよ! 成人試験の前の軽い腕試しだ。それに、どう考えても楽勝です」
「そうでしょうか」
「隠し場所は船内に限定されている上に、僕にもあなたにも探すための時間はいくらでもあるんですから。いつかは見つかりますって!」
 そう言うと、重力をオフにしたのだろう、フークゥはふわりと床から浮き上がり、ロビーの出口に向かって漂い始めた。
 私も彼の後を追う。

 この船、メシエⅢは三つのセクションによって構成されている。全長三〇〇メートルのシャフトの先端に乗組員たちのための居住施設、ドーム状の展望室や、食堂、娯楽施設等々があり、末端には核融合ロケットを三つ束ねた動力部がある。そしてシャフトの中央から放射状に配置された三つの巨大なカーゴが船倉である。
 動力部には、緊急時以外、人間が入ることはできない。メンテナンスは全てポッドと呼ばれるロボットが行う。船長が何かを隠したとしたら、それは居住区か船倉、もしくはシャフトのどこかのはずだ。
 フークゥはまず、居住区にある船長の部屋を訪れた。何か手がかりがあればと思ったのだろう。実際、それはすぐに見つかった。メモとおぼしき一枚の紙切れ。
 船長室と言っても特別広いわけではなく、作りもその他の部屋とほとんど変わらない。机にベッドにロッカー。とても簡素だ。この船は元々、地球と木星との間を行き交う貨物船で、それほど長い航海を想定して作られてはいない。
 机の引き出しの中に、そのメモはあった。そしてその他には何もなかった。ロッカーの中も空。ベッドもフレームがむき出しになっている。
 やれやれ、とフークゥ。
「日誌でもあればと思ったんだけど。本当に一切合切を捨ててしまったんですね」
「はい」
 立つ鳥、跡を濁さず――それが彼、私のかつてのマスター、の美学だった。遺体も残ってはいない。自分がいた痕跡はなるべく消したかったようだ。
「けど、だからこそ、この唯一残されたメモが気になりますよね。何か重要な意味があると思うんです」
 少年は微笑むが、そこに書かれてあった文言は、意味不明なものだった。

 ――月より放たれし
   狩人を狩るものは
   追跡に倦み
   やがて巨人の台座から滑り落ちる
   長き果てを夢見ながら

 フークゥは恐らく暗闇の中でも目が見えるのだろうが、立体映像である私が放つわずかな光にかざして、紙片の内容を読み上げた。
 何だろうこれ、と彼。小首をかしげている。
「もしかして……辞世の句?」
 自由詩のようですが、と私。
 この船には、月面博物館の収蔵物が積まれているんですよね、と彼。
「よくご存じですね」
 散々探しましたから、と笑う。
「大変だったんです。あの頃、破滅主義者たちから逃れるために太陽系を脱出した船は数千隻。そのほとんどは人間のためのものでしたが、ごくわずかに、文化財の保護を目的としたものもあった」
 狭い室内を感慨深げに見渡す。
「脱出船はどれも追っ手を恐れ、できる限り行方をくらませようと最大限の努力をしましたので、今となっては、それらを探し出すのは僕らでさえ困難なんです。ましてやどの船に何が積まれているかなんて、さっぱり分かりません。実際に調べてみるまでは」
 はぁ、とため息。
「やっと見つけても、そのほとんどは破壊されていました。ようやく無事なものと出会っても、中が空っぽだったり。とにかく散々でしたよ。宇宙中を跳び回ったんです。冷凍保存された受精卵がぎっしりと詰まっている宇宙船もありました。絵画や彫刻といった美術品ばかりを積んでいる船もありました。本が積まれている船、電子頭脳とロボットばかりの船、おびただしい数の死体が詰まった船……。さすがにもう無理かと諦めかけていた時、やっとこの船にたどり着いたんです! 僕が探していたのはこの船なんです! が、それはさておくとして」
 この、とメモの一部を指さす。
「“月より放たれし狩人を狩るもの”とは、つまりこの船のことを指すのではないかと思うんです」
「……ですが本船は、狩人など目指してはおりませんが」
 私も小首をかしげる。そもそも“狩人”って、誰のこと?
 うーん、と少年。
「と、とにかく、月から出発している何かなことは間違いありませんよ、わざわざ“月”と書いてあるんですから」
「ですが、“巨人の台座”というのは?」
 少年は黙り込んでしまった。
「隠された宝のヒント……というわけじゃないのかなぁ」
「どうでしょう」
 船長がどこに何を隠したのかは私も知らない。この部屋自体、プライバシー設定のため、私一人だけだったら覗くことはできなかった。
「どうやら、当初の計画どおりにいくしかなさそうですね」
「船内を虱潰しに探すのですか? しかし、探すとなったらかなり広いですよ」
 シャフトだけでも全長三〇〇メートルだ。第三まである船倉には、博物館の収蔵品だったものがぎっしりと詰まっている。隠そうと思えば何だって隠せるだろう。超常的な力を持っているとは言え、たった一人でその全てを探すのは相当に骨が折れるはず。
 だがフークゥは「まぁ、何とかなりますよ」と気楽そう。
 恐らく彼には寿命などないのだろう、と私は推測した。いささかも焦っているようには見えない。人は死や老いをも超越した種族になった、ということか。
 もっともその点では私も似たようなものだ。急がなければならない理由などない。ここは話し相手ができたことを素直に喜ぶべきなのかもしれなかった。今でこそ無人船を預かってはいるが、私は本来、もっとずっと賑やかな環境に適応すべく生み出されている。
 フークゥはまず居住区を調べ始めた。が、この船の居住区は結局、ほとんど使われておらず、どこも綺麗なものだった。
「船長の他には誰もいなかったんですか?」
「当初は数名の職員もいたのですが、皆、途中で別の船に乗り移り、火星や小惑星帯へ。保護しなければならない文化財は、月にのみあったわけではありませんでしたので。館長だけがこの船を守るために残ったのです、船長として」
 当時、破滅主義者たちの勢力は実際よりもかなり低く見積もられていた。数年も我慢すれば元の場所に皆で戻れる、大勢がそう楽観していたのだ。
「当時、人は物質的な文化のみを重視し、精神的な文化を軽視していたようですね。核や反物質兵器に関する技術が、恐ろしいテロリストたちの手に渡ったらどんなことが起こるかなんて、簡単に想像できたはずだったのにな。けど、誰もそのことを直視しようとはしなかった。結果、幼年期を脱することのできなかった種族が、分不相応な力を手に入れてしまった」
「あの、……地球は?」
「飛び散った欠片が再集結を始めてはいますが、もう元の大きさには戻れないでしょうね。今は単なるマグマの塊です。月も、残念ながら見当たりませんでした。太陽に落下してしまったのかもしれません」
「あぁ……」
 私には言うべき言葉が何も浮かばなかった。半ば予想していたこととは言え、あまりに残酷な現実だ。
 しばらく無言のまま移動していると、フークゥがある扉の前で止まった。
「ん。ここは?」と言いながら、中に入ってゆく。
「展望室、ですね」と私。彼に続く。「今は改造されて、プラネタリウムになっておりますが」
 うわぁ、と部屋に入るなり少年は歓喜の声をあげた。
 ドームの中央に投影機が置かれ、それを取り囲むように数十ほどの座席が整然と配置されている。
「凄いや!」
 私は微笑む。
「滑稽だとは思われませんか。あのドームのすぐ向こうには、本物の星々があるというのに」
 ううん、全然、と彼。
「本物の星は、大して変化しませんからね。すぐに見飽きてしまいますよ。過去や未来の星空をも見せてくれる、プラネタリウムの方がずっとダイナミックで面白いです。ん、何だろ? 各座席にプレートが……名前が刻まれてますね。シリウス、カノープス、リゲル・ケンタウルス、アルクトゥルス、ベガ……そうか、番号の代わりに星の名前が割り振ってあるんだ」
 キャッキャと騒ぎながらあちこちを見て回っている。そして投影機のところまでくると嬉しそうに目を細めた。
 まるで金属製の金平糖のような、荒々しいシルエットをした無骨なマシン。
「ひどく旧式だと思われるでしょうが、この装置は」
 知っています、と静かに彼。
「ツァイスI型。世界初の光学式プラネタリウム投影機。……よく地球から持ち出せましたね」
「月まで避難させるのは大変だったようです。当時は何もかもが混乱しておりましたので。地球の学芸員の皆さんの努力の結晶です」
「正直、出会えるとは思ってませんでした。これは奇跡ですよ! このマシンが残っているなんて」
 目を大きく見開いている。
「僕はずっと、大昔のプラネタリウムを探していたんです! ツァイスI型なら非の打ち所はありません! 完璧だ! “使わせていただきたいモノ”というのは、この装置のことなんです! ここにあることは船外から予備スキャンした時に分かっていたのですが、しかし、実際にこうしてその前に立ってみると、改めて色々とこみ上げてくるものがありますねぇ!」
「……は、はぁ」
 この船を移動式の博物館に改造して、太陽系のあちこちで巡業するのも悪くないんじゃないか、破滅主義者たちのテロ活動もいつかは終わるだろう、などと船長はよく本気とも冗談ともつかない口調で言ったものだった。あるいはその暁には、このプラネタリウムも大きな呼び物となったのかもしれない。
 しかし実際にはそうはならず、ここが使われることは結局一度もなかった。ドームの中はまるで時が止まったかのよう。何一つ、乱れてはいない。
 フークゥはしばらくあちこちを見て回っていたが、やがて「いやいや、楽しむのは後! 今はこのテストを全身全霊で頑張らなくっちゃ!」と呟き、自らの両頬を平手で叩いて気合いを入れ、次の部屋へと移っていった。

 第一船倉へのハッチをくぐった時、フークゥは再び、うわぁ、と言った。今回のは悲鳴に近い。
 船外から予備スキャンをしたのでは?、と私が尋ねると、「ここまでひどいとは」と彼が応えた。
 船倉として使用しているカーゴは全長二〇〇メートル、幅三〇メートル、高さ五〇メートル。幾つかの区画に仕切られてはいるが、そのいずれにも大小様々なコンテナボックスが処狭しと詰め込まれている。中には、加速時のGに耐えられなかったのか、ひしゃげてしまって、中にあったものが飛び散ってしまっているものもあった。箱には入れられず、梱包材を巻き付けられただけのものも少なくない。
 その荒っぽい仕事ぶりは、出港当時の博物館職員たちがどれほど焦っていたかを雄弁に物語っていた。平素であれば、彼らがこんな雑な仕事をすることは絶対にない。不正確なことや不完全なことを何よりの恥と考えていた彼らのことを思うと、私はいたたまれない気分になる。
「こんなカーゴが、あと二つもあるのか……」
 数え切れないほどの欠片、パーツ、残骸、切れ端、何かのなれの果て、がそこいら中を漂っている。まるで静止した吹雪の中にいる気分だ。
「この中から何かを探し出すのは無理かと思いますが」と私。「そもそも何を探すのかも、私たちは知らないわけですし」
 いや、とフークゥ。拳を握りしめる。
「こんなことで諦めるわけにはいきません! 何千という船を調査して、やっとここにたどり着いたんです。僕はやりますよ!」
 手近なコンテナにとりついた。開きっぱなしの蓋の中に上半身を突っ込んでいる。
「うーん、鉱物標本が詰め込まれているみたいですね。化石もあるな。しかし、隠されているという趣ではないですね。よし、次! お、こっちの箱の中身は土器や石器か」
「何か“隠されている宝っぽいもの”を、手当たり次第に探すのですか?」
 そうです、と彼。こちらに振り返る。
「だって手がかりがそれしかないわけですからね。後はもう、ガッツですよ、ガッツ」
 笑っている。何て脳天気な男の子なのだろう、と私は呆れた。
「何かお手伝いできれば良かったのですが」
「いえ、お気遣いなく」
「今の私は立体映像……ネジ一つ、動かすことはできません」
 メンテナンス用のポッドは、動力部の外には出られない。それにどのみち、あの金属製のハンドで文化財に触れるわけにはいかない。そんなことをすれば傷つけてしまう。
 私はうなだれる。
 あぁ。私は幻、私は幽霊、私は無力だ。結局はこの、博物館学どころか、初歩的な分類法すらご存じなようには見えない、部外者の少年に全てを託すしかないのか。しかし彼の立ち居振る舞いは、まさしくド素人のそれだった。貴重な文化的遺産を手にしている自覚があるようには、とても見えない。危なっかしいったらなく、もう少し丁寧に、と私は何度も口を挟む羽目になった。
「うわぁ、粒子加速器! こっちのは……大航海時代の海図! おっと、人体模型!」
「力任せに引っ張り出さないでください! 壊れてしまいます! もっと優しく!」
「大丈夫ですよ、ゼロGなんですから、そんな簡単には――あッ」
「ィギャァアアアーッ! 清朝の花瓶がぁー!」
 突然の悲劇に私は髪を振り乱し、頭を掻きむしって叫ぶが、少年は「大袈裟だなぁ」と笑って取り合わない。
「取っ手が取れただけじゃないですか。ちゃんとテープで貼っときますから」
「テ、テテテ、テープッ!? はッ、貼っとくゥゥゥ!?」
 AIである私だが、思わず声が裏返ってしまう。フッ、と気が遠のきかけた。なんたることだ。素人ほど恐ろしいものはない。
「……あぁ、私に体さえあれば」
 うなだれる。
 ん、あなたにはボディがあったのですか、とフークゥ。意外そうな表情でこちらに振り返っている。
「ええ。私はかつて、月面博物館で働いていたのです。あの頃は私にもアンドロイドとしての端末、機械の体がありました。人に混じって、収蔵物の整理整頓から、迷子の案内まで、色々としていたのですよ」
「へぇ」
「人間とほぼ同じ動きをすることのできる最高品質の機体でしたが、残念ながら、月から脱出する際、政府に供出してしまったのです。当時は少しでも労働力が必要でしたので。……ところであの、あなたは?」
 少年は再びコンテナに取りかかった。
「僕たちはタンホイザーⅨという脱出船に乗っていた人たちの子孫です。と言っても、あなたはご存じないでしょうね。この船よりもずっと後に太陽系を脱出していますので。元々の所属は土星の衛星、タイタン。僕たちの船は世代宇宙船で、誰もコールドスリープをしなかったため、船内で色々な学問が独自に発達したんです。特に数学と物理が」
「それで、それほどの力を得たわけですか」
 大した力じゃありませんよ、と彼は笑う。
「本当に限定的なものなんです。神様のようなわけにはいきません。長老たちはどうにかして地球を元に戻そうと、今も様々な方法を模索してますけど、僕らの演算能力をもってしても、さすがにそれは」
 黙り込む。
 破滅主義者どもが憎いですよ、と彼は小さく呟いた。

 これなんかどうですか、と彼が手にしたメダルを掲げる。
「ほら、金貨ですよ。顕微鏡の箱の陰にあったんです」
 それ、金貨じゃありません、と私。
「金貨に模したチョコレートです」
「で、では、これなんかは」
 そう言いながら次々に集めたブツを見せてくれるが、それらは――スパナ、紙くず、ガラスの欠片、ブリキのゼンマイ、破裂した乾電池、ボロボロになった作業着、モップ――どれも宝物とは思えない代物ばかりだった。
 私見を述べさせていただきますと、とフークゥが控えめに口を開く。
「この船には隠された宝があまりに多すぎますね。まだほんの数個、コンテナを調べただけなのに、こうも沢山見つかるなんて」
「……どれも宝ではないと思いますけど」
 私は目を細めて、じっと彼を見つめる。
 だがしかし、確かにこうも散らかっていては、どれが隠されていて、どれが隠されていないのか、判然としない。コンテナに収納されている時点で「隠されている」と見なすことだって可能なわけで、それを言い出したらここに存在するもののほとんどは“隠された宝”ということになってしまう。しかもどうやらフークゥには価値のあるものとないものとの区別がつかないようだ。その点では原始人と大差がなく、この宝探しはやはり彼には荷が重すぎるだろう。
「やっぱり無理だと思います」と私は考察の結果を口にした。
 参ったなぁ、と少年。上着のポケットから船長室で見つけた紙片を取り出す。
「結局はこのメモに戻るしかないわけですか。……でも意味がさっぱり分からないし」
 顔をしかめている。
 彼の手元を見て、私はあることに気づいた。
「あの、その紙」
「え?」
「裏にも何か書いてあるようですが」
 ええッ、と慌てて紙をひっくり返す。
「本当だ! え、ええと、ん、何だこれは? 裏側も意味不明だ」
 そこにはただ“逆転”と書かれてあるだけだった。
「逆転も何も、五里霧中、暗中模索、右も左も分からない状態なんですけど」
 ですね、と私。
 少年は考え込んでいる。
 やがて顔を上げた。
「……でもこれは、ヒントのような気がする」
「そうでしょうか?」
「唯一残されていた紙の裏側に、わざわざ意味のない文言を書くはずがありませんよ。ここには何かの意思を感じる。何かを伝えたいんだ」
 私は黙っていることにした。
「逆転……逆さまにして読め、ということ? いや違う、逆さまにしたって読めないや。裏側からも読めないし。参ったな。逆転て、どういうことだ? 何を逆に回せばいいんだ? …………逆転……リバース……リバー…ス……長き果て…………」
 血走った目で私に振り返った。
「そうかッ! 分かった! これは、発想を変えろ、というメッセージなんです! 文言のどおりに解釈する限り、このメモの謎は解けません。破滅主義者たちには絶対に解けないように、船長はあえてそうしたんだ。連中は揃いも揃って石頭な上に、視野狭窄に陥っていますからね。柔軟な発想をすることができない者には、宝は永久に見つからないのです!」
 首をかしげている私に、「つまりですね」と彼は続けた。
「言葉の中に違う意味が隠されているんです。例えばこの“逆転”、この中には“reverse”の他に“rivers”が隠れています! 河なんです! ヒントは河だ! 表に書いてある“長き果て”というのは、“河の終わり”のことです! 全てが繋がりました! 船長が宝を隠したのは、あそこだ!」
 そして突然、少年の姿が消えた。

 急にジャンプしないでください、と私は出現と同時に唇を尖らせる。
「探してしまったじゃないですか。まぁ、すぐに見つかりましたけど」
 フークゥの赤外線反応は展望室にあった。
「すみません」と彼が頭を掻く。「つい、興奮してしまいまして。でも、ここなんです。ええと、あった! ほら、このシートです」
 プラネタリウムの中のとある座席を指さしている。
 その椅子の背もたれの上面には「Achernar」と彫られた、小さな金属プレートがあった。
「答えは星座の中にあったんです。
“狩人”というのはオリオンのこと。ギリシャ神話に登場する巨人で、優れた狩人でもありました。
“台座”というのはクルサという名前の星のことを指しています。この星は“足台”が語源なんです。
 オリオン座のすぐそばにはエリダヌス座という星座があって、これは大きな河を象徴する星座なんです。クルサで始まり、アケルナルという一等星で終わる。アケルナルという名前は“河の果て”が語源になっています。つまり、“長き果て”とは、アケルナルのことです」
 座面と背もたれの間に手を突っ込んでいる。やがて「ほら、あった!」と声をあげた。
 彼の手のひらの中に、懐中時計ほどの大きさの、黄色がかった透明な石が握られていた。
 琥珀ですね、と私。
「エリダヌスは、太陽神の息子が落ちて死んだ河の名前なんです。その時、彼の姉妹たちは大いに嘆き悲しみ、その涙はやがて琥珀に変わった、という伝説があるそうです。
 そしてこの琥珀の中に閉じ込められているのが」
 長い尾を持つ節足動物の姿を、私にかざして見せる。
 サソリ。
「一説ではオリオンは、月の女神アルテミスの放ったサソリに刺されて死んだと言われています。星になった後も彼は、同じく星になった刺客にずっと追われ続けているのだとか。
 つまりこれこそが“月より放たれし狩人を狩るもの”です」
 こちらを真っ直ぐに見つめている。
 やがて私は肯いた。
「お見事です。正解と認めるに十分な妥当性が存在することに、私も同意いたします。あなたは船長の仕掛けた謎を、見事に解かれました」
「今でも僕を破滅主義者だと疑いますか?」と彼がはにかむ。
 いいえ、と私はかぶりを振った。
「今ではまったくそうは思いません。あなたは決して諦めることなく、答えを探し続けました。絶望の徒である彼らには、到底不可能なことです。あなたは破滅主義者ではありません。私が保証いたします」
 良かった。そう言って笑うと、フークゥはまぶしそうにツァイスI型を見つめた。
 あの、と私は口を開く。
「もし差し支えなければ、あの装置をどうするつもりなのか、教えていただけませんか。あの投影機が製造されたのは一九二三年です。こう言っては何ですが、当時の観測技術では」
 分かっています、と彼が肯く。
「でも僕はあの中に収められているデータを使いたい。……僕たちの最終テストは“新しい宇宙をデザインすること”なんです」
 宇宙を? 私は眉をひそめる。
 彼は慌てた。
「あ、別に本当に作り替えてしまうわけじゃありませんよ! あくまでもシミュレーションです」
「どんな風にデザインするのですか?」
「それは人によって色々です。神話の世界や、幻想の世界を作り上げようとする者もおりますが、そういうのは難しいですね。長老たちの計算によって、大抵の場合は、ごく初期の段階で破綻することが証明されてしまいます。
 この宇宙に似せて作る方が安定するんですよ。でも、そっくり同じでいいのなら、わざわざ新しくデザインすることもないわけですので、当然、それも駄目。不合格です」
 そんなわけで、パスするのは結構難しいのですよ、と彼。渋い表情。何しろ長老たちは滅多なことでは感心してくれません。ユニークで、永久に存続可能な宇宙を創れだなんて、まったく、無理難題もいいところですよ……ブツブツ。
「なぜそんなテストを?」
「高度な思考実験によって人間性を含めた僕らのあらゆる面を試す、というのが建前なわけですが……マルチバース理論はご存じですよね? 宇宙は、宇宙から誕生するんです。その新しく誕生する宇宙の初期値を操作することは、僕らなら不可能ではありません。
 長老たちは、もし本当に素晴らしいアイデアが出たら、あるいはそれを実行して理想の宇宙を生み出し、そこに移住するつもりなのかもしれません。さすがにそれほどまでの案は、まだ誰も出せていませんけど」
 投影機を見つめる。
「あの中にある宇宙を、どうにかして実現しようと思うんです」
「かなり……シンプルな宇宙になりそうですが」
 あの投影機の恒星原板に刻まれている星の数は、約四五〇〇個。当時としてはかなりのもので、実際、大好評を博したとも伝わっている。とは言え、本物の星の数に比べれば、随分と少ない。
「第一次世界大戦が終結したのが一九一八年。第二次世界大戦が始まるのが一九三九年。あのプラネタリウムは、二つの世界大戦の狭間に製造されています。
 あの装置は“星を見よ”という、当時の科学者たちの祈りだったのではないかと僕は思うんです。地上で凄惨な殺し合いなどしてる場合か、我々の頭上には無限の世界が輝いているんだぞ、と。彼らは、そう言いたかったのではないでしょうか。
 僕はその祈りを、夢を、新しい宇宙に託したい。命と命が殺し合わなくてもいいような、そんな世界を見てみたいんです」
 笑いがこみ上げてきて、私は思わずくすぐったくなった。口元が緩むのを、止められない。
「あなたはやはり、どう考えても破滅主義者ではありませんでしたね。彼らとは全然、似ても似つきません。まったく。どうしてくれるのですか? これでは疑った私が、馬鹿みたいではありませんか」
 少年も笑う。
「良かったら、あなたも一緒に来ませんか、僕らの船に。きっと歓迎されますよ」
 もちろん、と私は即答した。
「どこだろうと、ご一緒いたします。今やあなたは、私を含めた、このメシエⅢの所有者なのですから」
 え、と新しい船長が考え込む。
「そうか、なるほど。しかし、さすがに僕一人では、この船全体をジャンプさせるのはとても無理ですね。どうしよう? 助っ人を大勢呼ばないと駄目だな。大型の転移装置と演算ブースターも要るか。いや、まずは文化財を一つ一つ、きちんと保護した上で、個別に転送した方が……」
 何やらまたブツブツと言っている。
 私は船の制御システムを半覚醒モードから覚醒モードに引き上げた。メシエⅢが完全に目覚め、ツァイスI型に明かりが灯る。
 投影機の前まで跳び、両腕を広げた。
「さぁ! 細かな話は後にして、まずは当船自慢の天体ショーをご覧になりませんか? きっと先代の船長も喜ばれると思います」
 うわあ、とフークゥが相好を崩す。いいですね、これは役得、とシートに座り込んだ。喜色満面だ。
 私は自分の腰に両手を当てて、彼をにらんだ。
「何、座ってるんですか、若船長」
「え?」
「この子は」と、背後の投影機を指さす。「デジタル方式ではありません。そして今の私は幻影にすぎず、ダイヤル一つ回せないのですよ? あなたが操作しなかったら、いったい誰がこの子を動かすのです」
 えー、参ったなぁ、と彼が頭を掻きながら投影機のところまでやってきた。
「大丈夫。操作方法は私が全て知っております。教えて差し上げますわ、船長」
 やれやれ、こき使われることになりそうだ、とフークゥ。
「この投影が終わったら、まずは最優先であなたのボディを調達しなくてはなりませんね。それも、最高品質のを」
 はい、と私は大きく肯いた。

片理誠プロフィール


片理誠既刊
『ミスティックフロー・オンライン
第3話 百銃の女王(4)』