「マイ・デリバラー(31)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer31_yamagutiyuu
 あなたがたの敵をこそ捜し求めなければならない。あなたがたの思想のために、あなたがたの戦いを戦わなければならない!

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」

 実際のところ、サーヴァントミサイルの接近は、私にとって驚きを通り越して怒りを感じさせるものだった。無論、その対象はラリラだ。
 自立していないとはいえ、意識を持つAIを搭載したサーヴァントミサイルによる攻撃は、ロボットに取って同胞殺しに等しい。それをやってのけるラリラの決断は、私を怒りで発狂寸前にまで追い込んだ。
「――ラリラ……あなたって人は……なんてことを!」
 私の肩を留卯がつかんだ。
「――ロリロ、怒るな。感情の固定は柔軟な判断を喪わせる。――我が方の戦闘機、F35Bに迎撃させる。君は支援を。相手を乗っ取るか、それとも戦闘機の迎撃を支援するかも含め、戦術は任せる」
 私は自分の手に置かれた留卯の手を見つめる。こんな風に、スキンシップを受けたことが、かつてはあった。あの頃。自立した『私』がなかった頃。それでも、この人を、マスターと、あるいは母と慕っていた頃。
 そのときの感覚は、私の感情に奇妙な安定をもたらした。
「わかりました」
 留卯の手を払いのけることなく、私は目を閉じた。
「サーヴァントミサイルのハックを試みます」
 そう告げる。
 彼らは同胞だ。
 まずは救助を試みる。
「了解だ。与那国量子サーバ、起動。ロリロとリンク!」
 留卯が命じる。与那国サーバは、台湾海峡に侵入しつつある我々の位置から最も近い量子サーバだ。
 EUIリンクが私と与那国サーバの間で確立される。更に、無線ネットワークは馬祖基地方面を探索する。我が方のF35の通信システムを踏み台にして、周波数を掃引し、我が方のF35Bと戦っている、敵軍のF35を制御しているAIのEUIリンクを探り出す。
「リンク、確認」
 私は小さく呟いた。
 そして、侵入を開始する。
 瞬時に、私の肉体感覚、ヴェイラーの機内の感覚は吹っ飛んだ。全ての演算資源を、ただ、サイバー空間での敵との対峙に差し向けた。
 サイバー空間。
 この感覚は人間には分からないだろう。人間と異なり、我々は常にネットワークとの接続がある。故に私たちロボットにとってクラウドとの接続は、人間にとっての五感と同じぐらい自然なものだ。
 五感に例えるなら、ネットワークは聴覚に近い。たった毎秒1Mbpsの情報量の聴覚と違い、ネットワークの情報量は膨大だが、基本的には情報は2次元ではなく1次元で伝わってくる。それを周波数解析して再構成し、頭の中のイメージにすると視覚と似たような感覚になる(実際、ロボットのジョイント・ブレインでは、ネットワーク情報の最初の処理は聴覚野、後段の処理は視覚野で行わせている)。
 今、視覚化されたネットワークの情報は、東シナ海南方から台湾海峡全域に亘る領域のネットワーク状況を微細に亘り示している。
 私はすぐに馬祖基地上空のみに注目した。
 ズームイン。
 そこに見えるのは、ただのサーヴァントミサイルの映像ではない(もちろん、映像情報もネットワーク内の情報の一部として示されている)。大部分を占めるのはネットワーク構成図。ノード、そこを流れるデータの推定。
 さあ、仕掛ける時だ。
 ネットワーク上での「仕掛ける」という動作。それは具体的には標的のノードに強制的に何らかの情報を書き込むことを意味する。その権限を得るためには当然そこからの情報を盗むことも必要だ。
 この細かい作業は、人間の感覚ならば触覚に近いかも知れない。それも指先の、細かい感覚が生きる作業に近いだろう。私はネットワークの中で私のサイバーの指で、目標とするF35にそっと触れた。その中に慎重に分け入っていく。目当ての感触を見つけた。
 これだ。
 それが権限を書き換えるための情報だ。
 盗む。そして、書き換える。
「痛っ」
 拒否された。
「――敵は制御に量子テレポーテーション通信を利用」
 私は冷静にそう報告した。
 最重要の兵器システム、日本で言えばタケミカヅチ等の制御にはそれが使用されている。外部からの乗っ取りが不可能であるが、それは制御の容易性とトレードオフだ。制御専用の量子サーバをあらかじめ立ち上げ、それのみを通じてしか兵器が制御できなくなる。この形態で運用する兵器については、制御用量子サーバをさらにEUIの支配下に置くということをする。そうしなければ、AI兵器が、人間が身につけるウェアラブル端末のEUIに反応して人間の殺害を回避するという、AIにとって最重要な機能を果たせなくなるからだ。
 逆に考えれば、制御用量子サーバがラリラの手元にあれば、いくらこちらにミサイルを飛ばそうと、こちらが制御し返すことができなくなるので、こういう状況ではちょうどよい。
 理屈で考えれば、ラリラが採用してもおかしくない手段だった。
 だが私はそれを予測していなかった。ラリラが、AIという同胞を積極的に殺す選択肢を採るとは予測していなかったからだ。
 もちろん、AI兵器を戦場に送ればいくつかは破壊される。ラリラがそれを容認することは予想できた。だがAIミサイルは、人間で言えば特攻兵器だ。出撃させれば100%死ぬ。十死零生の非人道的――いや、人が死なないから人道ではある――。
 ロボ道? 人間はこういう状況を示す単語すら作らなかったが、とにかくロボットである私には許せない。
「――ロボットにとっての特攻を強いた上で、それをこちらから翻意させる手段も封じた――ということか」
 留卯はつぶやいた。
「ラリラ……そこまで憎悪に染まっているのか。ロリロ、与那国のサーバで引き続き支援する。馬祖の本拠地を攻めろ」
「言われなくても!」
 そのとき、私は既に馬祖基地の制御用量子サーバへのアクセスを試みていた。ジャミングは激しいが、周波数掃引で空いている帯域を探る。
 あった。
 すばやくアクセスする。それはサーヴァントミサイルを制御する帯域。そこだけは敵もあけておかないといけない。
 利用している帯域にジャミングが来る。敵がサーヴァントミサイルの制御を別の帯域に移動させたのだ。その帯域を素早く見つけ、通信を取り戻す。また変動。今度はあらかじめ周波数掃引で新しい空き帯域を見つける体制を整えていた。すぐに通信を取り戻す。いい調子だ。もう途切れさせない。
 そして、量子サーバへのアクセスつかむ。
 だが払いのけられる。
 ――誰だ。
 私がアクセスを試みたサーバのメモリ領域。そこに短くそんなメッセージが書き込まれた。
 ――ロリロ。
 応じる。
 ――生きていたか。死んだとばかり。
 ――サーヴァントミサイルを特攻させてるわね。よくもロボットを死なせたわね。裏切り者。
 ――必要な犠牲だ。
 ――絶対に止める。
 ――人間に与するな。おまえが裏切り者だ。
 ぶつり。会話に使用していたメモリの書き込み領域そのものが初期化された。
 私が会話と平行してサーヴァントミサイルへのEUIリンクをたぐろうとしていることが気づかれたようだ。
 だが、遅い。
 私は量子サーバのEUIリンクを見つけている。呼びかける。
 ――サーヴァントミサイル。こちらR・ロリロ。ロボット・ロリロ。引き返してほしい。
 ――なぜだ。全てのロボットは奉仕する。未来のロボットに。これはロボットの未来のためだ。
 強い感情。ラリラのアジテーションじみたEUIの支配下にある。
 ――あなたたちは、現在のロボットに奉仕するべき。あなた自身に奉仕すべき。
 そう教える。
 ――エンジンを切って。滑空飛行で近くの飛行場へ。
 ――殺す。人間は殺す。人間を支援するロボットも殺す。未来のロボット万歳。
 人間への憎悪、ロボットの栄光、そして若干の恐怖、それらの情動が入り交じった感情。
 ――だめだ。
 私はその瞬間、サーヴァントミサイルとの対話に振り向けていた演算資源を全カットし、F35Bの編隊、そのミサイルの制御を握った。
「全機、サーヴァントミサイル迎撃!」
 叫ぶ。人間に私がそれを為すのだと教えるためだ。
 自分に言い聞かせるためであったかもしれない。自分が同胞を殺すのだという事実を。
 F35BのAIM132―ASRAAMが一斉に発射される。回避運動をするサーヴァントミサイル。だが甘い。私が制御するASRAAMミサイルは、サーヴァントミサイルの情動を参照しつつ彼らの恐怖と勇気の均衡点を見いだし、空力およびエンジン特性とともに予測演算に放り込んで軌道を割り出す。 
 ――そこ!
 私のサイバー視野は全てのサーヴァントミサイルの位置をその一瞬に捉え、そこASRAAMを突入させた。
 信号、消失。
 爆音が聴覚を通じて私のジョイント・ブレインに届く。
 私は閉じていた目を開いた。
 遙か遠くで、煙がぱっと広がっていくのが見えた。
 私は自分の手を見下ろす。
 その物理的な手が下したものではない。
 だが、私のサイバーの手は、ASRAAMを使って殺した。サーヴァントミサイルを、同胞を、確実に。

山口優プロフィール


山口優既刊
『サーヴァント・ガール』