「どっちもどっち」大梅 健太郎


(PDFバージョン:dottimodotti_ooumekenntarou
 ちゃぷちゃぷという、水の音がする。目を開けると、僕は水の張られた透明な容器の中にいた。小さな部屋に置かれたガラス張りの棺桶、といった感じだ。小部屋にはぼんやりとした照明がともっているが、暗い。自分の身体を見て、丸裸であることに気がついた。
 棺桶の天井を押してみるが、びくともしない。コンコン叩いていると、小部屋の照明が明るくなり、女性の声が聞こえた。
「無事に、起動しましたか」
 棺桶の中からあたりを見回すが、人はいない。室内にスピーカーでもあるのだろう。ひょっとしたら、監視カメラも。
「ここはどこだ。おまえは誰だ」
 返事の代わりにプシュッと音が鳴り、棺桶の天井が開いた。
「培養液から出てください」
 僕は身を起こすが、自分の身体じゃないように重くてふらふらする。腕を動かすたびに、きしむ音が聞こえるようだ。筋肉が、がちがちに固まっていた。
「念のため、与圧服を着てください」
 部屋の壁がライトで照らされる。そこには、白い与圧服が何着か吊されていた。
「与圧服。ここは宇宙空間なのか」
「そうです。着用したらドアを開けますので、司令室に来てください」
 与圧服を着ながら、自分が外宇宙探査のための訓練を受けた宇宙飛行士だったことを思い出した。ただ、どうして今こんな状況なのかが全くわからない。
「外宇宙探査のために、コールドスリープでもしていたのかな」
「いえ、違います」
 独り言に、間髪入れずに返事がはいる。高性能の集音マイクがあるに違いない。変なことを言わないようにしなくては。
 ドアが開き、司令室に入る。訓練で見覚えのある空間だ。しかし、窓から見える星空は本物だった。
「身体に不具合はありませんか。腕や腰を回してみてください」
 言われるままに動いてみる。微小重力環境にあるせいか、ふわふわした感じがある。しかし、そのわりには動きがぎこちなくなってしまう。
「寝過ぎていたせいか、身体が重い。あと、記憶があやふやなんだが」
「身体が構築されたばかりなので、慣れるまでは仕方ありません。記憶は、ディープスキャンされた時点までのものしかないので、あやふやな感じになるのでしょう」
「ディープスキャン?」
 確かに、全身のデータを原子レベルまでスキャンすることに志願した記憶がある。それが、思い出せる一番最近の記憶だ。スキャンルームに入って以降のことは、まったく思い出せない。
「あなたは、系外惑星探査計画のために作られたドッペルクローンなのです」
 ドッペルクローンとは、人体をディープスキャンしたデータを元に、バイオ3Dプリンタで有機物を組み立てて、生み出されるクローンだ。脳細胞のシナプスまで再現するので、記憶や運動能力など、スキャンされた瞬間と完全に同じものを作り出すことができるらしい。
「本当に? 僕が?」
「私には、嘘をつけるようなプログラミングはされていません」
 僕は身体をなで回す。ついさっき、新しく作られたものだとは到底思えない。
「不思議なもんだな」
 僕はため息をついた。
「取り乱さないのですね。さすがです」
 驚きはしたが、どこか自分の頭の中は冷静だった。
「さすが、って言われてもな」
「あなたは選ばれしデータなのです。スキャンした後、被験者の死ぬまでの行動や性格の変化などは追跡調査し、詳細に分析されました。そして、このような状況に置いても大丈夫だと判断された人間のデータが、あなたなのです」
「死ぬまで、か。僕のオリジナルはとっくに死んでいるのか」
「はい。ご要望があれば、オリジナルの人生についてお伝えすることも可能ですが」
「いや、やめておくよ」
 僕は首を横に振った。
「さて、改めましてご挨拶です。私はこの宇宙船の制御と運用を一手に引き受けているAIです。今回のミッションのために特別に開発されました」
「AI宇宙船か。未来の世界みたいだ」
「スキャンされた時点からみれば、未来と言えるでしょう」
「ちがいない。これからよろしく頼む」
 僕は笑いながら、誰ともなしに頭を下げた。
「現在この宇宙船は、地球から約五十光年離れた場所にいます。そして、あと数日で目的地のオルヴァルⅦの周回軌道に入ります」
「五十光年とは、想像を絶する遙か彼方だな。さすが未来だ。地球を出発してどれくらいたっているのかな」
「ざっくり百恒星年、正確に言うと三万五千七百七十八恒星日経過しています」
 百年。僕のオリジナルは、とっくに死んでいるのに、僕は今ここにいる。
「変な感じだ」
「感慨にふけっている場合ではないですよ。さっそく仕事に取りかかっていただきます」
「ああ、そのオルヴァルⅦとやらの観測だな。ミッション概要を教えてくれ」
「いえ、違います」
「違う?」
 僕は首をかしげた。
「実際の観測などは、基本的にすべて私が行います。お願いしたいのは船内のメンテナンスです」
 パッと、赤いレーザー光が船内機器の一部を示す。
「例えばそれです。そこのボルトがゆるんでいるので、レンチで締め直してください」
「ずいぶんアナログな仕事だな。それこそ、メンテナンスロボットを積んでいないのか」
「メンテナンスロボットのほとんどは、長い時間の中で不具合を起こして機能停止しています」
 赤いレーザー光が、今度は床を示す。そこには動かないロボットが一台転がっていた。
「早くボルトを締めないと、経年劣化した船が宇宙空間で分解してしまいますよ」
「それは困る」
 僕は訓練通り、工具箱からレンチを取り出してボルトを締め直す。そしてAIの指示のもと、宇宙船内を歩き回って宇宙船の補修作業を行った。その途中で、何台かのロボットを拾い上げ、充電ポートに差し込む。
「百年も航行していると、トラブルが蓄積していくんだな」
「このような状況に陥ることは、ある程度予想通りでした。それに対応するため、目的地近くで、ドッペルクローンを起動する必要があったのです。自律判断し行動できるものとして、人間は重要な役割を果たせる能力があるということです」
 人工知能の指示に従って、人間が作業をする。なんだか主従関係が逆転しているような気がしないでもない。
 室内に軽やかなメロディが流れた。
「食事の準備ができましたので、居住区のハッチから取り出してください」
 言われるままにハッチを開けると、中にはホカホカに温められた食事があった。
「これって、賞味期限が百年前のものなんじゃないのか」
「いえ、違います。製造ほやほやですので大丈夫です」
「ああ、そういうことか」
 確かに人間1体を作り出せるのだから、食料品を作り出すことくらい朝飯前なのだろう。食べてみると、味に問題はなかった。
「ところで、これは朝飯になるのか」
「生まれて初めてのご飯、という意味ではお食い初めでしょうかね」
「変な言葉を知ってるな」
「閉鎖空間で長期生活する人間と共存するために、ユーモア機能が搭載されていますので」
「ジョークだったのか。あんまり面白くなかったぞ」
 僕は合成されたばかりの生ニンジンスティックを、ぽりぽりとかじった。
「それで、そのオルヴァルⅦってのはどういう系外惑星なんだ。更新が停止した僕の脳みそには、その名が入っていないのだけど」
「ディープスキャン後に、新しく発見された系外惑星ですからね。オルヴァルという恒星を中心に、八つの惑星が回っています。Ⅶは、七番目に見つかったという意味ですが、ハビタブルゾーンのど真ん中に位置しています」
「生命が存在できそうってことか」
「生命どころか、文明もありそうだったのですが」
 居住区のモニターに、オルヴァルⅦの観測映像とデータが映し出された。
「三十恒星年ほど前に、明らかに人工的な光の明滅を観測しました。スペクトル解析から、核爆発である可能性が濃厚です」
「それって、つまり核戦争が行われているってことか」
「しかも、かなり大規模ですね。星丸ごと、滅亡レベルかもしれません」
 モニターに表示された録画画面上で、小さな光点の明るさが変化する。この光の下で、幾万もの生命が消えたのだろうか。
「宇宙人と初めて接触できるかもしれなかったのか。でも、滅びてしまっていては意味がないな」
「まぁ、どっちもどっちですけど」
「ん? どういう意味だ」
 少し間があってから、AIは返事をした。
「地球からの定期連絡が途絶して、すでに四十恒星年たっているんです」
「なんだって。通信機器の故障じゃないのか」
「その可能性もありますが、最後の方の通信内容がかなり不穏でして」
 AIにすら、不穏と感じとられてしまうほどの内容。
「核戦争が始まった、とかか」
 パチパチパチ、と拍手する音が鳴る。これもまたユーモア機能の一部なのだろうか。
「よくわかりましたね」
「今の話の流れだと、そうなるだろ」
 オルヴァルⅦの明滅と、青い地球が重なる。
「基地が核攻撃を受けるかもしれないので一時待避する、というのが最後の連絡でした」
 それから四十年も連絡が途絶しているということか。ただそれだけでは、地球が滅亡したと言い切れないだろう。しかし、少なくとも待避した後に、復帰できなかったのは事実だ。
「いや待て。つまり僕たちは、オルヴァルⅦを観測したデータを送る相手がいないかもしれないってことか」
「そういうことになります」
「このミッション、すでに破綻しているじゃないか」
 せっかく調査したところで、それを受け取ってくれる人がいないと、まったく意味がない。
「なぜ中止しないんだ」
「中止命令を受けていませんし、それにほかにやることがありません。私の存在意義は、オルヴァルⅦの観測だけなので」
 言われてみると、確かにそうかもしれない。系外惑星探査のために生み出されたAIは、探査する以外にやることはないだろう。
「かなり無意味な気がするが、それしかやることがないのも事実だな」
「生き甲斐、ですかね」
 僕は愛想笑いをしながら、食べ終えた食器をハッチの中に戻した。
 それから一ヶ月ほどは、ミッションの手順についての勉強や、通信が途絶するまで送られてきていた地球の情報を読んで過ごした。それこそ映像や読み物、ゲーム類については膨大なデータをAIが管理していた。
「通信が途絶するまで送り続けられた、六十年分もの映画やドラマ、漫画にゲームのデータがありますからね。死ぬまで飽きませんよ」
 得意げに語るAIの言葉通り、僕は退屈することなく日々を過ごした。

「そろそろ、オルヴァルⅦの周回軌道に乗ります」
 僕は司令室のシートに座り、AIの宇宙船操舵技術のお手並みを拝見した。何度かエンジンの噴射が行われる。経年劣化して壊れたものもあったが、噴射調整を駆使し、なんとか無事に軌道に乗ることができた。
「映像が入ります」
 超高解像度望遠鏡が捉えた映像が、モニターに映る。惑星の表面は、ただ赤茶色の大地が広がっているだけで、見た目は火星に似ていた。ところどころにビルの残骸のようなものがあったが、それが文明の痕跡なのかはわからない。
「残留放射線量がかなりの数字を示していますね。やはり複数の核兵器が使用されたようです。生体反応も見受けられませんので、滅亡と言って差し支えないかと」
「こんなに遠く離れた星でも、核兵器が存在するものなのか」
「当然、我々の知るような形態ではないでしょうがね」
 僕はじっと、地表面を見つめる。
「知的生命体が滅びていても、放射線耐性菌とか、そういった生命が生き残ってないかな」
「可能性はあります。ただ、この宇宙船は周回軌道から探査するタイプで、離着陸能力はありません」
「目の前に宝の山があるのに、手も出せないとはな」
 僕は残念に思いながら、地表の観測を続けた。宇宙船はオルヴァルⅦを何周も周回し、精密な地図を作り上げる。同時並行して重力測定や赤外線照射を行い、データを集積していく。
「せっかくはるばる百年もかけてここまできたのに、もったいない」
 僕とAIは受け手のいない地球方面に集めたデータを送り続けた。そして半年ほど経過し、ほとんどのミッションは終了した。
「それで、これからどうしますか」
 食事の時間に、AIが聞いてきた。確かに、これ以上深くデータを取る必要は無かった。
「そうだな。僕の食料って、あとどれくらい合成できるんだろうか」
「もって、一年くらいですかね。ただ、ドッペルクローン製作用の有機物の予備が二体分あるので、それを回せばもう少しのびます」
「どっちみち、そんなに長くは生きられないんだな」
「簡単に、楽に処分することも可能ですよ」
「それって、僕がお前に殺される、ってことか」
「端的に言えば、そうです」
「ロボット三原則って知ってるか」
「知ってますよ。でも私、ロボットじゃないですし」
 用がなくなったとたん、殺される。わかっていたこととはいえ、なんと非人道的な話だろうか。だが、観測機器の一部であると考えれば、そういうものなのかもしれない。
 観測機器をオルヴァルⅦの表面に向ける。まったく縁もゆかりもないようなこの星を見ながら、死ねということか。
「どうせ死ぬなら、地球で死にたいな。地球に戻ることはできないか」
「計算上は可能ですが、往路ほど速度が出ませんね。この船はレーザー推進式ソーラーセイルで加速してきたのですが、現時点では後ろからレーザーを照射してもらえませんし」
「そうなると、どれくらいかかる?」
「そうですね。やれるかどうかわかりませんが、オルヴァル系の惑星を駆使してスイングバイを繰り返せば、ざっと五百恒星年くらいで帰り着く計算になります」
「よし。それじゃ、命令だ。地球に向けて進路変更」
「正気ですか」
 僕は強くうなずいた。そして遺書というか引継書というか、五百年後に起動されるであろう僕のドッペルクローンに読ませるための、手紙を書き始めた。
「ああ、なるほど。五百恒星年後に改めてドッペルクローンを起動させ、地球へと突入してもらおうってことですか」
 手を止め、天井を見上げる。今僕がやろうとしていることは、オリジナルにやられたことと同じなのだろうか。
「気の毒かな?」
「原料のままだとしても、ドッペルクローンに形成されたとしても、私から見ればただの有機物です」
「違いない」
 僕は笑いながら手紙を書き続けた。

(了)

大梅健太郎プロフィール