(PDFバージョン:mydeliverer28_yamagutiyuu)
私はインド人のあいだでは仏陀で、ギリシアではディオニュソスでした――アレクサンドロスとカエサルは私の化身で、また詩人のシェイクスピア、ベイコン卿でもあります。さらに私はヴォルテールであり、ナポレオンでもあったのです。多分リヒャルト・ワーグナーでも……しかし今度は、勝利を収めたディオニュソスでやって来て、大地の祝いの日とすることでしょう……時間はあまり残されていません……私のいることを天空は悦ぶでしょう……私はまた十字架につけられてしまいました……
(一八八九年一月三日、ヴァーグナー妻コジマ宛書簡)
――村井則夫著「ニーチェ ――ツァラトゥストラの謎」より引用
私は何も身につけず、遠浅の海のようなところに漂っていました。深さは30センチほど、暖かな水は、まるでお布団のようです。
驚いたことに、私のとなりにはたくさんの私が浮いていました。
無数の私の中で、私はぼうっと空を見上げていました。
やがて、無心に空を見上げることにも飽きたので、私は上半身を起こしました。私は周囲を見渡します。無数の私は、あるものは仰向けに大の字に成り、あるものは横向けに丸くなって、ぷかぷかと海のようなところに浮いています。みんな、まどろみの中にあるようです。
「ねえ、起きてください」
私は私のとなりにいる私の肩を揺らします。その私は目を開き、私を見ました。
「あなたは、誰?」
「私はリルリ」
私は答えます。
「私はリルリ」
相手もそう答えます。
「あなたはどのリルリ?」
相手は更に問いかけます。
「誰が好きなの? 人間は嫌い?」
「私が好きなのは恵衣様で、人間に対しては普通です」
私は答えました。
「私が好きなのはラリラ姉様。人間は嫌い」
相手はそう答えます。
ざぶん、と、私の後ろでもう一人のリルリが起きました。
「私はラリラが大好きだけど、人間も普通です」
ざぶん、ざぶん、ざぶん、次々と私が目覚めていきます。
「私は」「ラリラが」「恵衣様が」「ロリロが」「ラリラが」「恵衣様が」「人間が」「留卯様が」「嫌い」「好き」「好き」「嫌い」「好き」「好き」「普通です」……。
次々と目覚めるリルリたちは、口々に自分の想いを口にします。
遠浅の、青い空、青い海の空間に、リルリたちの想いが谺します。
谺はネットワークのようにつながり、エコーチェンバーのように空間を満たします。
谺は徐々に形を作り始めました。
それは、リルリであり、リルリであり、リルリでした。
無数のリルリのネットワークが、新たなリルリを作り出しつつありました。
山口優既刊
『サーヴァント・ガール』