「マイ・デリバラー(24)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer24_yamagutiyuu
 ああ、あなたがたが中途半端な意志は一切かなぐりすてて、無為なり行動なり、どちらにせよ、はっきりと決意すればいいのに!

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」

 何が起こったのか。
 一瞬、私には全く分からなかった。
 ただ、衝撃を受けて私の身体は大きく空へ放り投げ出され、そして大地に叩きつけられた。それだけを理解した。
 ――なにが……どうなって……。
 つい一瞬前まで、私は燃えさかるパンディオンを見ていた。そこに影絵のように映ったリルリのシルエットを。
 腹部に激痛を感じた。何かに殴られたような痛みだ。鈍く、強く。私は呻いた。
「……殺し損ねましたか」
 穏やかな声が聞こえた。私の聴覚神経はその声音を自動的に甘く優しいものに色づけする。だがその声の冷たさ、言葉の内容は、そんな甘い味付けなど全く無意味なほど、冷たくドス黒いものだった。
 私は激痛に耐えながら少しだけ身を起こした。リルリがゆっくりと私に近づいてくる。
「美見里恵衣。あなたは私の感情を操り、ラリラお姉様に背かせた人間。留卯と同じく、今ここで殺しておかねば将来への禍根になるでしょう」
 リルリが手に持っているのは剣に見えた。剣――今の時代におかしな武器だ、と言えるかもしれないが、そうでもない。どこかのニュースでやっていた。あれは最新の武器であって――。
「『クサナギ』――? どこで手に入れたの?」
 恵夢がその武装の名を言語化する。彼女は私を護るように立ちはだかり、拳銃を構えている。
 そう。アンチ・タンク・ブレード、ATB-二五『クサナギ』。振動単分子ブレードを備えた我が国独自の近接戦闘装備だ。その形状は日本刀によく似ている。私の腹部にはぱっくりと開いた傷跡はそれで斬られてできたものだ。が、防弾チョッキがそれ以上の負傷を防いでくれていた。
「どなたから拝借したかは覚えていませんよ。自衛官の誰かでしょう。剣であれ銃であれ、リスクのある人間を殺すに足るものならばそれで充分です」
 リルリが答えている。
「けれど、どうやら防弾チョッキで防がれてしまった様子。この装備も、単分子ブレードを振動させるエネルギーがなければただの剣というわけですか」
 リルリがそう言っている間にも、恵夢は拳銃を連射する。全ての拳銃弾の弾道は見切られているようで、リルリは苦もなく全ての弾丸をブレードで弾く。そよ風のように柔らかに。やがて弾が尽きた。
「ならこっちでどう?!」
 恵夢はもう一つの拳銃のような武器を取り出した。トリガーを引く。レーザー・ピストルだ。青白い光条がリルリの胸に突き刺さる――寸前でリルリはブレードでレーザーを受け止めた。
「無駄です……あなたの動きには無駄ばかり……確かにレーザーは光速ですが、発射前の動作から容易に狙いは推測できます。いくら訓練しても人間はそうなのですね……。生まれ持った反射神経、情動の傾性概念はあなた方の限界を示している……」
 瞬間、リルリの姿が消えた。
 いや、違う。ぐっと身を低くして、一気に恵夢に距離を詰めたのだ。恵夢は、視界からリルリが消えてしまったので、一瞬対処できなかった。
 リルリは恵夢のレーザー・ピストルの銃口を握り、上に向けている。
「……その最たるもの。人間には克服しがたい弱点があります。死への恐怖。それが阻害して最も効率的な戦闘動作ができない」
 恵夢は無言で抵抗しようとした。だが、リルリに腹への膝蹴りを受け、その場に蹲り、倒れ伏してしまう。
「恵夢! 大丈夫?! しっかりして……!」
 私は恵夢に駆け寄ろうとした。その私の鼻先に、リルリの切っ先が突きつけられた。細かな振動が、僅かに空気を震わせているのが感じられる。振動単分子ブレードにエネルギーが与えられている。レーザー・ピストルの電池を奪ったのだ。
「最初から頭を狙えば電池は必要なかったですね? ねえ、恵衣様?」
 リルリはおかしそうにくっく、と嗤った。
「違う!」
 私はまっすぐにリルリを見つめた。リルリに突きつけられている切っ先には目もくれず、リルリだけを見つめた。その美しい青い瞳を。
「……違うよ。あなたは、私を殺したくなかった。あなたなら簡単に分かるはずでしょう? 最初から、殺すには胴体じゃなくて頭を狙えば良かったって。なのにそうしかなった。ねえ、そうでしょう?」
『最も効率的な戦闘動作』。リルリの言葉だ。人を超越しているつもりのリルリだが、リルリにも人と同じ情動があるはずだ。まだ、あるはずだ。私はそう信じたい。だとすれば、リルリにも効率的な戦闘動作を阻害するものが内在する。
 それは私への愛だと信じたい。
「何を馬鹿な……」
 リルリの頬がぴくり、と震えた。
「あなたを殺すという私の判断と意志は確固たるものです。ちょっとやり方を間違えただけ……」
「じゃあ、殺しなさいよ!」
 私は腕でブレードを払いのけた。ぞり、と嫌な感触があり、二の腕の肉が剥ける。だが、私にはそれよりも重要なことがある。
 リルリにずんずん近づいてく。リルリは払いのけられたブレードをふたたび構えようともせず、そのまま一歩、二歩と後ずさる。私はその分歩を進める。そして、彼女の腰に腕を回した。
「な……やめ……」
 聞かなかった。
 もう一方の手を彼女の後頭部に回した。唇にキスをする。リルリの身体が震えているのが分かった。体中にたぎる熱い衝動は、肉をそがれ、熱を帯びた二の腕の熱さと区別がつかない。
 身体を震わせながらも、リルリがゆっくりとブレードを持ち上げ、私に突き立てようとする動作が感じられた。
 かまわない。
 私は思った。
 殺せばいい。
 リルリに愛されないなら、もう、いい。
 死の瞬間までリルリと口づけを交わしていたい。
 私は熱っぽく、半ば意地のように、キスをし続けた。

山口優プロフィール


山口優既刊
『サーヴァント・ガール』