「マイ・デリバラー(20)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer20_yamagutiyuu
 わたしはわたしのために――稲妻にひと働きしてもらいたいのだ。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」

「紗那基地、量子エンタングルメント、確立完了」
「三沢基地、確立完了」
「新千歳、確立完了」
 矢継ぎ早に報告が上がってくる。全て人間の声による報告。AIによる完璧な人工音声に慣れた私の耳には寧ろ珍しく、不完全ながら心地よい。
 私は横たわるリルリの傍らに跪き、ずっと彼女の手を握り続け立てていた。
「はぁっはぁっ……はぁっ……はあっ」
 リルリは荒い息を続けている。ロボットには滅多にないことだが、彼らもその演算力を過剰に使用すると、冷却のために呼吸を早くする。
 今、日本中のRUFAIS基地に配置された量子暗号・テレポートサーバは、量子もつれ合いペアによる暗号鍵を中央サーバと共有し、電子一つにつき1ビットの情報を載せてリルリのEUIパラメータを全国のロボット、AGIに届けようとしている。
 それらを今支配する、ラリラのパラメータを排除しつつ。
「紗那管区、排除開始、抵抗軽微」
「新千歳管区、順調に排除中」
 プラネタリウムのような半球の空間の壁面に備え付けられた巨大なサーバ群がうなりを上げる。中央のリルリの息も荒いまま。
 私は強く、強くリルリの手を握りしめた。
「がんばって……リルリ……どうか……」
 留卯も軽口を叩かない。自衛隊員も、科学者達も、固唾を飲んで状況を見守っている。リルリだけが、彼等の中央で、私の傍で、生みの苦しみに耐えている。
 新しい世界の。
「岩国管区、排除中」
「新田原管区、排除中。抵抗軽微」
 報告は続く。半球の空間の、それぞれの量子サーバの周辺にオペレータ席があるのだ。各サーバの状況は球体内に放送として共有されると同時に、まさにプラネタリウムのように半球の丸天井のスクリーンに映し出されている。
 全体が赤く血塗られたようになっていた弧状の列島。その中に、徐々に青い領域が増えている。赤を危険、青を安全とする象徴は人類に共通だそうだ。血の色と、その反対という連想だろうか。
 とにかく、私は事前知識なしに、その映像を見て、状況を理解した。
 リルリの青の領域が、徐々にラリラの赤の領域を浸食していく。新しい世界。少なくとも我が国において、それは徐々に現出しようとしていた。
「与那国管区、排除中。抵抗軽微」
「……ラリラは諦めたか……」
 留卯が呟いた。ほっとしたように。
 ――そうは思えない。
 私は唇をかみしめた。
 あのとき。
 リルリと戦い、ヴェイラーの機関砲に排除されて逃げるときの、あのラリラの必死の表情は、どう見ても、諦めているようには見えなかった。留卯はあの表情を見ていない。
「アメノミハシラ。接続完了。支配継続を確認……」
 やがてリルリの量子エンタングルメントペアは静止衛星軌道上にも到達し、暗号通信が開始された。だが。
「――アメノミハシラ。支配継続確認できず……敵性勢力確認……排除中……抵抗大!」
 その報告に留卯は息をのんだ。
「宇宙……だって? それは……間違いではないのか?!」
 私はリルリの手を握ったまま立ち上がった。
「どういうこと?!」
「ラリラは宇宙には部隊を派遣していない。それは阻止した。航宙自衛隊をはじめ、全ての航宙戦力に、ラリラの影響力は到達していない。なぜなら、地上からのシャトルは全て破壊したし、シャトル発射基地も破壊済みだ」
 ――なんてことを……。
 美見里トラベルの社長としての私がわめいた。これでは私のビジネスが立ちゆかない。だが、私の感情など全く気にせず、留卯は続けた。
「それに軌道上の全ての施設は、RUFAISの拠点としてのアメノミハシラサーバが、宇宙に到達する前にジャミングで電波を遮っている。この措置はかなり早い段階で取られたんだ。ラリラが外国の基地まで飛ぶのは防げないが、少なくとも我が国にいるかぎり軌道上へは行けない。この短時間では無理だ」
 留卯はつかつかとアメノミハシラサーバとの接続を担う量子サーバに歩み寄り、オペレータの肩越しに画面を見遣る。
 オペレータと留卯は小声で何か話している。
 私はリルリの手を握りながら、気が気ではなく留卯の白いコートの後ろ姿を見つめる。留卯は華奢な体躯で、今までは不遜な態度もあって実際の身長より大きく思えていた。だが今は、実際の身長と同じぐらいにしか見えない。それがこんなに頼りない背中だとは。
 やがて留卯は私とリルリの所に早足で戻ってきた。
「……やられた。南海戦線での叛乱の前に、ラリラは軌道上の航宙自衛隊基地に橋頭堡を築いていた。トロイの木馬だ。今までは彼女の支配下にあることを隠していたんだ。ラリラ自身が地上にいても……これでは同じだ……」
「どうなるの……?」
「地上の支配は順調に進んでる……だが、軌道上の自衛隊基地が支配下にあると……非常にまずい」
 留卯には極めて珍しく、彼女は焦っているようだ。落ち着きのない口調、定まらない視線がそれを象徴している。
「まずいって……具体的にはどういうこと……?」
 留卯は上を見上げた。日本列島とは別に、軌道上を示す深い藍色の中に、光点が数個輝いている。それらが残酷にもほぼ全て赤く点滅していた。
 その一つを、留卯は指す。
「第一航宙混成団が駐留する、静止衛星軌道上の宇宙基地、アメノトリフネだ。軌道質量兵器タケミカヅチがある」
「軌道質量兵器? 何をするものなの?」
 私は半球の天井スクリーンを見上げつつ、言った。
「いにしえの神話に描かれた雷神タケミカヅチ……だが我が国の兵器システムとしてのそれは、雷のように生やさしいものではない。タケミカヅチの兵器システムは二つのパーツから成る。リバースオービタル体とインジェクション体だ。略してR体とI体という。R体は静止衛星軌道上を、通常とは逆向きに回転している。これは打上の時から逆に回るようにしてるんだ。無論極秘だけどね……。アメノトリフネは、そのR体とドッキングするための、もう一つのパーツ、I体を射出することができる。I体とR体はほぼ同じ質量を持つが、反対方向に回転している……それらが衝突すると……地球に対しての角運動量はゼロになる。遠心力がなくなるから、それにかかる力は重力だけとなり……タケミカヅチは真っ逆さまに地上に落下する……。我が国の材料工学がなければ完成しなかった兵器システムだろう」
 早口に留卯は説明を続ける。
「質量兵器……」
「R体とI体のドッキングシステムは独特だ。導電性カーボンナノチューブによる人工筋肉、C2NTAM(シーツーエヌタム)のケーブルの先のドッキング部でR体とI体はドッキングする。その後静止衛星軌道上の相対速度五〇〇〇メートル毎秒により、二つは急速に離れていく。これに対し、C2NTAMは伸張しつつ一〇秒で減速を完了、つまり毎秒五〇〇メートル毎秒の減速を行う。二つの質量体の合計質量は一〇トンだから、五〇メガニュートンの力が必要だが、C2NTAMは断面積僅か一センチでこれを実現する。引っ張り強度としては、五万メガパスカルほど必要だが、これは一世代前から我々が手にしている究極の材料――カーボンナノチューブなら可能なレベルだ。それを電圧で伸縮を制御できるまでに改良したのはこの世代の――主にAIの努力だけどね」
 私は思わず留卯の白いコートの襟を掴んでいた。
「それで、何がどうなるの?」
 留卯は一瞬、口ごもったが、言葉を続けた。
「R体とI体は軌道上でややズレた位置ですれ違うが、互いに伸ばしたC2NTAMケーブルによって、急速に引き戻され、合体する。両体のすれ違いによる莫大な速度差――五〇〇〇メートル毎秒を角運動量に変換してね。これは空気抵抗の影響を極力減らすのに重要な仕組みだ。こうして……質量一〇トンのドリルは、重力に引かれてまっすぐに落下する。落下時の速度は一万メートル毎秒、そのエネルギーは五テラジュール……広島型原爆の約一〇分の一……一都市全てを焼却する力はないが、敵基地や大部隊の破壊には充分だ……莫大な回転エネルギーによって、地下への貫通もお手の物。しかも非核三原則に全く抵触していない。無論、我々のちっぽけな光サーバ基地も簡単に破壊できるだろう……郊外にあるから民間人の人的被害はないだろうが……」
 ――そんなものを造っていたのか……。
 私には思い当たるフシがあった。種子島の静止トランスファ軌道への打ち上げスケジュールに、時々目的不明の謎の打ち上げが割り込むことがあった。しかもその打ち上げに際しては、通常の東方だけでなく、西方の海上にも注意を促しており、関係者は皆首を傾げていたものだ。特に私は、旅客スケジュールをむやみに乱すその打ち上げが嫌いだった。だが、それがR体の打上だったというわけだ。R体は、完全な静止衛星軌道ではなく、それよりもややズレた位置に置いているのだろう。そうでなければ、静止衛星軌道上の各国の衛星と衝突しまくり、大惨事になる。おそらくは自律的に他の衛星を避ける仕組みを備えているのだろうが。
 留卯は再び天井の半球スクリーンを見遣った。
「地上の支配はほぼ完了……か」
 リルリによるEUIの支配は完了したということだ。但し地上だけ。
 それは何を意味するのか。
「――EUIサーバへの攻撃が始まる……」
 留卯は呟く様に言った。
 次の瞬間。
 鋭い警報音が鳴る。
「紗那サーバ、接続途絶! 量子エンタングルメントペアの存在確認できず!」
 一つのサーバ――紗那基地との通信に供されていたそれについていたオペレータが報告した。
「衛星画像を!」
 留卯が叫ぶ。
「静止衛星軌道上の高高度高解像度監視衛星『だいちXX』の画像を表示します」
『だいちXX』は、未だラリラに支配されていない、数少ない自衛隊保有人工衛星の一つだった。天井の半球スクリーンにそれが表示された。紗那は北海道に属する島嶼に設置された基地だ。島嶼の中央部に存在したはずの紗那基地の位置には、えぐれたようなクレーターが残るのみだった。基地にはどれだけの自衛官がいたのだろう。私は沈痛な面持ちでクレーターを見つめた。
「――やられた……」
 留卯はふらりとよろめいた。私は慌てて彼女を支える。もう片方の手でリルリを握ったまま。
「他に被害は……?」
 留卯は力なく問う。
「ありません」
 留卯の近くに控えていた自衛官が応じた。
「なに……? ないだと?」
 私が支える留卯の背中に力が戻る。彼女は自分の脚で再び立った。
「……ほんとうか……?」
「はい。アメノミハシラからの通信記録を調べました。ラリラに支配されたのはR体群が通過する直前だったようです。故にI体を一基しか射出できなかったのではないかと……」
「そうか……!」
 留卯は再び、生気に満ちた目でスクリーンを見上げた。そして私に振り向く。
「12時間のチャンスが与えられた」
「――どういう意味?」
「まず前提として、ラリラは戦略兵器としてタケミカヅチしか用いない。ラリラは全世界のEUIを支配している。それを使えば核を含むあらゆる攻撃が可能だと思うかも知れないが、そうではない。核兵器は、EUIとの連結が国際条約によって禁じられている。更に、ラリラには核を使いたくない理由がある。EMP、電磁パルスだ。これによって通信波が広範に途絶すれば、人類に反撃の機会を与える。何より、EMPによりAGIが破壊されるリスクがある。ラリラは同胞を傷つける選択肢を採らないだろう。そんな中、我が国の軌道質量兵器タケミカヅチはEUIとのリンクがあり、かつEMPがない。ラリラにとっては理想的な戦略兵器であるわけだ」
 留卯は言葉を続ける。
「そして、タケミカヅチのR体は、静止衛星軌道上の一カ所に集められている。その数二〇。こういう攻撃は奇襲が基本だ。日本が軌道質量兵器を持っていると気付かれない段階で、一気に攻撃することが重要だからだ。しかし、ラリラはタイミングを見誤った。二〇基全てを使い、我がRUFAISが保有するEUIサーバを全て破壊するつもりだったが、それができなかったんだ」
 きらきらと輝くその目に、私はほっとした。いつもはその目が憎らしかったが、今は彼女に頼らざるを得ない。
「互いに逆回りのR体とアメノトリフネは、一二時間に一回、邂逅する。それまで、ラリラに攻撃のチャンスはない。その間にラリラから攻撃手段を奪う。それしかない」
「でも、どうやって」
 ターゲットは軌道上だ。そして、ラリラが軌道上に行けないよう、RUFAIS自身の手で使えるシャトル及び宇宙港は全て破壊している。
 その時、私が握っていたリルリの手が強くなった。私はびっくりして、それを見返す。
 頭部に設置されていた光サーバ制御器がゆっくりと持ち上がっていく。リルリはそれを待ちきれないように、制御器をぐっと腕で持ち上げ、顔を出す。
 その顔は疲れているように見えた。だが、疲れを打ち消すような、強い意思がその瞳には感じられた。私の手を、更に強く握る。
「……ラリラの目論見は、私が潰します」
 リルリは、静かに宣言した。

山口優プロフィール


山口優既刊
『サーヴァント・ガール』