「降臨の時」伊野隆之

(PDFバージョン:kourinnnotoki_inotakayuki
 僕は神になりたかった。神になるには僕のための宇宙が必要だった。

 宇宙を作り出すために、わざわざマニュアルを見る必要はない。宇宙の開闢のための言葉は決まっている。
「光、あれ!」
 突然目の前が真っ白になり、気がつくと宇宙はあっと言う間に膨らんでいた。
 こうして僕の宇宙ができた。
 マニュアルによると、今のところ僕はこの宇宙において唯一無二の存在なので、潜在的には神であることに成功しているらしい。「らしい」というのは、神としての僕の存在が確定していないからだ。神としての存在を確定するには、宇宙の存在が確定されなければならない。そのためには、宇宙の中に十分な数の観察者がいなくてはならない。
 次のページ、宇宙のパラメータ。
 十分な数の観察者の存在は、最適な宇宙のパラメータ群の設定によって可能になる。宇宙を操作し、パラメータ群を確定させた上で、観察者を進化させなければならない。
「観察すればいいんだろ?」
 横から口を挟む奴がいる。そっちを見ると僕に似た顔がそこにあった。
「俺が観察してやるよ」
 僕の頭の中から出てきたのか、僕に似ているけれど、鋭い牙も、尖った耳もないその顔は、いかにもひ弱そうに見える。
 マニュアルにはこう書いてある。あなたの意識から生まれた自己言及的な観察者は、宇宙を安定させる観察者として不適切なので、もし観察されたらすぐに削除しなければいけません。
「おまえの存在が、不適切だってさ」
 デリート。
 注釈がポップアップする。自己言及的な観察者の削除は容易ですが、意図しないときに、自律的に復元することがありますので、十分注意してください。
 注釈は気になったけれど、横道にそれると先に進めなくなりそうなので、僕は気を取り直してマニュアルに戻る。
 適切な観察者を生じるには、宇宙のパラメータ群を適切な範囲に設定しなければならない。プランク定数とか、光速度とか、そんなモノだ。適切な範囲とは、観察者が進化するために必要な時間の間、宇宙が存続できるような範囲のことで、熱すぎず、冷たすぎず、重すぎず、軽すぎず、希薄すぎず、濃厚すぎず。わからなければ手を突っ込んで様子を見ること。
 書いてあるとおりにやってみる。宇宙に右手を突っ込んで伝わる感触は、何となく良さそうな気がするけれど、今一つ自信がない。
 自分を信じること!
 マニュアルから文字が浮かぶ。その指示に従う。つまり、マニュアルを信じて自分を信じることにする。
 手が濡れたような、痺れるような、熱いような、冷たいような、さらさらしているような、べとついているような、いい気持ちのような、気持ち悪いような。目の前でページがめくれて、次の章に進む。
「原初の渦流」
 右手を宇宙に突っ込んだまま、宇宙をかき混ぜること。
「あれっ、手はもう抜いちゃってるよ」と、声がした。さっき消去したはずの、僕に似た顔がそこにあった。
「わかってるよ、もう一回混ぜればいいんだろ?」
 あらためて右手を突っ込んで、かき回す。
 渦流は強すぎず、弱すぎず。十分に大きな渦ができたらしばらく放置すること。

 百億年が経過した。
 僕はマニュアルに突っ伏して寝ていた。涎に濡れたマニュアルは、微妙に波打っている。
「よく寝てたねぇ」と僕に似た顔が言う。
「だったら起こせよ」
「いいところまで進めておいてやったぜ」
 僕は手元のマニュアルを見る。次の章は星の誕生だったけれど、それはもう終わっており、宇宙には無数の星が光っている。
「惑星の生成も終わってるよ」
 ズームインすると、僕の宇宙では小さな岩が恒星を巡っている。
 あわててマニュアルのページをめくる。
 次のページ、観察者の発生だ。観察者は知性を有していなければいけない。
「知性のある生き物はもういる?」と、僕は聞いてみる。
「それはまだ」との答え。
 僕は星系をよく見る。惑星の公転を追いながら見ていると、めまいがしそうな気分になった。
「生き物がいるのはこの惑星?」
 首をひねって僕は聞く。僕が思ったのは赤い星で、その星系の第四惑星だった。
「第三惑星が正解」
 観察者の発生には、海の存在が適しているでしょう。
 海。たっぷりとした水。雲が流れて影を落とす。確かに第三惑星には海があった。
「もっとズームして見たら?」
 マニュアルに書いてある。観察者の発生はデリケートな過程です。慎重に作業を進めましょう。あなたに似ていないものは失敗です。
 海の中には多くの生物がいた。百八つの目が光り、千本の触手が揺れている。
「失敗だぁ!」
 僕の姿には似てもにつかない不定形の生物たち。僕は手近な小惑星を、海の中に放り込む。
 目の前で海が泡立つ。
「君って乱暴だね」と。
「これは僕の世界だ」
「でも、マニュアルをよく読んだ方がいいと思うよ」
 したり顔のアドバイス。
 最初にできたものが似ていなくても、あきらめてはいけません。辛抱強く育ててください。それから、海のある世界は貴重です。水を無駄にしないようにしましょう。
 僕はあわてて海の底から赤熱した隕石を取り出す。
「大丈夫だ。まだ底の方で生きてるぜ」
 奇妙な生き物はずいぶんと減ったけれど、海の底から恨みがましく見上げている生き物がいた。皮膚はぬるぬるだけど、目は二つだ。
 あなたに似せて観察者を育てましょう。鰭を手にして、足にして、柔らかな皮膚はしっかりと。僕はその生物に、鋭い鉤爪を作る。
「おい待てよ」と彼が言う。「マニュアルをちゃんと読めよ。「あなたに似せて」って書いてあるんだぜ」
 生物は陸に上がり、歩き回り、走り回り、空を飛ぶ。鋭い鈎爪で切り裂き、牙が貫く。今のところしっぽの先を踏まれても、明日にならないと気がつかないくらい鈍いけれど、そのうち賢くなれば、僕そっくりになりそうに見えた。
「僕そっくりになりそうじゃないか」
「判ってないね。同じじゃいけないんだよ。まったく同じじゃ君は神になれないのさ」
 確かに全体は違っているけど、部分部分はそっくりだ。鋭い鈎爪や、明るいと針のように細くなる瞳孔は、完全に同じと言ってもいいくらい。
「このままだったら失敗だ。やり直した方がいいと思うぜ」
「失敗?」
 彼にそう言われるとそんな気もする。
「同じじゃだめだ。似てなくちゃ」
「じゃあ、リセットする?」
「でも、水は貴重だ。今度は慎重にな」
 さっきの隕石よりずっと小さいのを一つ。陸に落とすと目に埃が入った。
「あれなんかどう思う?」
 惑星を覆った埃が収まると、僕は森の陰にちょうど良さそうな生き物を見つけた。
「いい感じだね」
 木陰でおどおどしていた。
 脆弱な生物を選ぶこと。脆弱な生物は、警戒心が強いため、知性の発達も早く、神のよい崇拝者になることでしょう。
「そうだね」
 知性の発達を促すため、少しだけ僕は手を貸す。親指を他の指と対向させ、物をつかめるようにする。脊柱をS字にカーブさせ、直立できるようにする。生き物は森を出て、貧弱な二本足で立ち上がる。
 部分部分は全然違う。でも、全体の感じは何となく僕に似ている。角はないけれど、頭も大きいし、額も広い。顔の前方にある二つの目は、まっすぐに前を見ている。
「この生き物でいいかな?」
「いいと思うよ」
 この生き物を文明化する。これで宇宙は観察され、僕は神になる。
「さ、急ぎなよ」
 僕はその生物に火を与え、言葉を与え、文字を与える。進化したその生き物によって本が書かれ、その中にはこう記述される。
 神はその姿に似せて……。

「うまくいったかな?」
「大成功だと思うよ」
 翼も角も、鉤のついたしっぽもなく、鋭い牙も爪もない。耳も尖っちゃいないし、滑らかな肌は弱そうで、きらきら光る鱗もない。でも、僕が作った観察者は、二本の足で立ち、二本の腕を持っている。瞳孔は丸いけど、顔の正面には二つの目がある。
 全体は似てるけど、同じじゃない。
 惑星の夜の側に街の明かりが光っていた。もう、望遠鏡を作って宇宙の観察を始めている頃だろう。
「そろそろいいかな?」
「いいと思うよ」
 そう言って彼はにやりと笑う。
 僕は真っ黒で大きな翼を広げ、惑星に向かって降りていく。観察され、神として崇拝される、そのために。

                   了

伊野隆之プロフィール


伊野隆之既刊
『樹環惑星
――ダイビング・オパリア――』