「マイ・デリバラー(11)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer11_yamagutiyuu
『生への意志』というようなことばを矢にして、真理を射ぬこうとした者は、もちろん命中するはずがなかった。そんな意志は――ありえない!

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」

 ヘリポートにヴェイラーが到着した後、ヴェイラーに共に乗っていた隊員の一人――私に配慮したのか女性隊員だ――を護衛としてあてがわれ、私はリルリから引き離されて、幹部自衛官用と思われる、やや広い個室に案内された。
「私は隣室に控えておりますので、何かご用があったら、いつでも仰ってください」
 彼女はそう言った。ぱっちりした瞳とくっきりとした眉が印象的なショートカットの髪の女性だ。あまり日焼けしていない白い肌で、それが少し意外だった。
「ありがとう」
 私はやや小さめの声でそう言った。用はすぐには思いつかなかった。
「そうだ。あなた、名前は?」
 隣室の彼女に声をかけるにも、名前を知らなければ、と思った。
「これは失礼しました。佐々木恵夢(ささき・えむ)と申します」
 階級は、と聞くのは失礼なのだろうか、と私が迷っていると、相手は私の状況を察して微笑んだ。
「階級は三等陸尉です。それでは」
 言って、敬礼し、ドアの向こうに姿を消しかける。
「待って」
 私は佐々木三尉に声をかけた。
「特に用はないんだけど、強いて言えばいろいろ聞きたいわ。いいかしら」
 佐々木三尉は頷く。
「それは、もちろん」
 私の部屋はベッドが一つに机が一つ、椅子が机に付属しているものともう一つあり、丸テーブルも備えられていた。
 私は机に付属する椅子に、佐々木三尉はもう一つの椅子に座り、私たちは丸テーブルで向き合う。
「まず初めに謝罪を。我が隊の留卯がご迷惑をかけました」
 佐々木三尉は深々と頭を下げた。
「あなたが謝ることではないわ。私も感情的になりすぎたと反省してる」
 私は言う。私はDKの自覚はなかったし、JSPCRの会員でもない。しかし彼等のうちでも最も先鋭的な人々と同じような態度を取っていたことを自覚していた。そしてそれは、現在の社会の倫理からはかけ離れた態度であることも。
 ロボットやAGIに特別な愛着を抱かない人間にとって、彼等にどれほどひどいことをしてもそれは全く正常のことであり、非難に値するものではない。オートメーション工場におしかけて、ロボットに休みを与えず働かせるとは何事だ、と批判したら狂人と思われるだろう。先ほどのヴェイラーの機中での私の態度は、喩えて言えばそういうことだ。
 しかし、私を見つめる佐々木三尉のまなざしには、私の予想に外れ、私を非難する要素は一ミリグラムも混じっていなかった。
「いえ、彼女が失礼なのです。あの人はいつもそうで、我々も辟易しております――その能力と識見は必要なものですが……」
 私に気を遣ってそう言っているのかもしれないが、本心に聞こえた。
「状況を教えてくれる? 私が知っていい範囲で」
 そう問うと、三尉は頷いて話し始めた。
「我がRUFAISは全国に支隊を持っており、留卯も言った通り各地の病院及び介護施設に優先的に駆けつけ、原状回復を図っています。また、発電所や港湾、交通網等の重要施設のシステムの復旧にも尽力しています」
「どう、できそうなの?」
 佐々木三尉は暗い顔をした。
「三割程度でしょうか。首都圏に優先的に戦力を配分しておりますので、地方の復旧は遅れるでしょう」
 なるほど。祖母の介護施設が大丈夫だったのは、あくまで首都圏である千葉にあるからか。私はそう納得した。
「困難なのは、EUIは全てのシステムの基底となるパラメータを定義していることです。それが今までは良い方向に働き、人はシステムと接するときにほとんどストレスを感じずにいたのですが」
「それが完全に裏目に出た訳ね」
 佐々木三尉は頷く。
「全てを書き換える必要があるのです。或いはシステムのハードそのものを破壊して別のハードに入れ替えた方が早いかもしれない。しかし、その動きは今後鈍らざるを得ないでしょう」
「……ラリラね」
「そうです。R・ラリラ。彼女が日本に戻ってきたからには、我々は彼女の部隊と交戦しつつ現在の業務を続けざるを得ない。自衛隊の各基地の無人化部隊は既に動力と通信を切って厳重に保管してありますが、保管場所をラリラの部隊に奪われて、彼女の味方にされる虞は否定できません」
「それを防ぐためには全て破壊せざるを得ない、と……」
 三尉は再び頷いた。実際に破壊しているかどうか、それは秘密であるらしかった。
「各国の状況はどう?」
「我が国と似たり寄ったりです。RUFAISのような専門組織を持っている分、寧ろ我が国の方がマシであるぐらいです。尤も、R・ラリラの存在で差し引きゼロといったところでしょうが。いずれにせよ他国からの救援は望めません」
 EUIは先進国のみならず、発展途上国にも既に広まっていた。先進国は少なくともEUIを自力で構築したが、発展途上国は、先進国で製品化されたシステムを購入しただけだ。その仕組みが彼等にとってはブラックボックスである分、システムの不具合への対応は遅れるだろう。
 私は深いため息をついた。
 絶望するには早いかもしれないが、確かな希望を持つにはほど遠い。闇夜の中にちらつく蝋燭のか弱い炎を希望と頼らざるを得ないような、そんな状況に思えた。
「それで、リルリの力が必要というわけね」
「留卯はそう考えているようです。尤も、ラリラがどうやってEUIのパラメータを、人間から『将来のロボットたち自身』に書き換えたか分かっていないのに、リルリにそれができるかどうかは甚だ疑問ではありますが」
「WILS、と言ったわね、彼女は。それがポイントだと」
「留卯の中では精密な理論が既にできあがっているようです。ラリラが叛乱に及んでから六時間あまりで組み立てた理論のようです。既に我がユニットの研究者達とは議論を済ませたようですが、あの研究者たちは留卯が連れてきた人たちですから」
 言外に、留卯の言うことに無批判に賛同する虞がある、と佐々木三尉は言いたいようだった。
「そうね……」
 私は腕を組んだ。
「でも、それほど間違ってはいないような気がする。私は留卯は嫌いだけど、あの話には納得感があった。私にはあるべき自分のイメージがあった。親のようになろうという。平凡なものだけど、確かにそれがあった。だから将来を目指せたのだと思う。あなたはどう?」
 佐々木三尉は首を傾げた。
「私は……もっとぼんやりしたものかもしれません。昔から身体を動かすことが好きで、いろいろな格闘技に親しんできました。それが理由と言えば理由です」
「自分が格闘技とかをやって、戦うことが自然だと」
「『戦う』というより護る、でしょうか。弟や妹を護ってあげたいという気持ちは、ずっと昔からあったような気がします。それが自分だと」
「……なるほどね。私も似たようなものかもしれない。子供の頃から働いている親を見てきた。自分もそうなるのだという素朴な感覚が徐々にできていったのかもしれない。だから働かないことが可能だとしても、それを選択しないし、そうしろと言われても嫌なんだわ」
 佐々木三尉と議論しているうちに、私は自分の中で一つの考えが固まってきたのを感じていた。
「留卯が言うように、『逆境』というほどのものは必要ないのではないかしら」
 三尉は頷く。
「そうかもしれません」
「というよりも、『あるべき自分のイメージ』と現状のギャップの存在が重要なのかもしれない」
 私の口はするすると、ほとんど勝手に動き出し、言葉を紡ぎ出す。
「そうよ。RLRの三人は、最初はアイドルユニットだった。だからそれが『あるべき自分』だったのよ。その後、それとは違うことをやらされた。それが意志を生んだ……」
「人間の場合は、赤ん坊から始まりますから、親や家族や周りの人間と触れ合いながら、或いは本を読みながら、或いは別の動機で、『あるべき自分』を探すのでしょうね」
「そう。そして『あるべき自分』のイメージを得たら、それに基づく恐怖を抱くようになる。『そうなれない自分』という。我々が理性だと呼んでいるもの、将来に向けて計画を立て、それに則って勉強やトレーニングを毎日きちんと行おうとする頭脳の合理的な働きの正体は、おそらくその恐怖の感情なのではないかしら」
 三尉は大きく頷いた。
「あなたは明晰な方です、美見里さん。留卯博士のような専門性はないのかもしれませんが」
 私は肩をすくめた。
「リルリと出会ってから、ずっとそんなことばかり考えてきたからかしらね」
 そうだ。
 ラリラも、ロリロも、そしてリルリも、生まれたときからアイドルとしてスタートした。それが本当の自分だと了解した瞬間、そうでない境遇にたたき落とされたことが理不尽だと感じ、理不尽な現状とあるべき姿とのギャップを埋めようとした。
 そのときどうしても必要だったのが、自由で独立した意志だった。留卯がWILSと呼んだそれだ。他人の言うことに従っているだけでは、永遠にあるべき自分にたどり着けないから。その礎として、留卯が開発したILSが機能したのは間違いないにしても。
 でも逆に考えれば、この問題はロボットだけではないのかもしれない。
 人間にとって、一般に『あるべき状態』とは何だろう。
 それは、衣食住が満ち足りて、自らの意志のままに、何でも自由にできる状態。何も考えなくても、肉体が生理学的に何かを望んだ瞬間に、それがかなえられる社会。
 留卯の意志のメカニズムへの偏執とも言える好奇心や私の古くさいかもしれない勤労観、そういった余計なものがなければ、それが『あるべき姿』になるだろう。生命体としての理想だ。
 そして、それはまさに今現在の人間の社会ではないか。
 EUIの恩恵によって、我々は何一つ考えることなく、生理的に望んだことがそのままかなえられる社会に生きている。
 我々人間には、哀れなロボットたちとは別の意味で、『あるべき状態』と現状との間に、ギャップがなくなってしまったのではないだろうか?
 それは良いことなのだろうか?
 ラリラはそんな私たちを『家畜』と罵ったが、その批判を頭のどこかで妥当と考えてしまう私は、やはり古い勤労観に毒されているのだろうか?
 EUIは「優しい機械」を目指して開発されてきた。他者に対して優しくあることは、生きる意味の一つですらある。だがEUIの優しさは、人類にとっては他者への優しさではなく自分への優しさだ。
 EUIという技術そのものが悪いとは言わない。技術は使い方次第なのだから。便利であることも必要だろう。本当に意識を集中すべき事に集中させるために、雑事を機械に任せる手段として。或いは、本当に困っている人を助ける手段として――糖分が生きるために必須であるように、優しさも人が助け合って生きるには不可欠である。
 だが現在社会に拡がっている全般的なEUIは甘すぎる蜜のようなものだ。糖分の過剰な摂取は歯を失わせ、口を動かして自分の望みを正確に他者に伝えることすら億劫にさせるだろう。何も考えなくても生きていける世界では、何かを考えることそのものが億劫になってしまうだろう。生への意志が必然的に力への意志になるのは、絶えず生へと運動しなければ生が我々のはかない掌からこぼれ落ちてしまうからだった。生を維持するためにはより強大な生を望む必要があった。意志を持つ必要があった。
 そう、既にこれは過去形である。
 現状とあるべき状態が、常にイコールで結ばれてしまっているのだから。ロボットと同じだ。生まれたときから与えられた役割を、何の疑いもなく遂行する、普通のロボットと。同じなのだ。
「ふくしの大学」になんてもはや行く必要はない。何も学ぶ必要なんてない。福祉も社会保障も何もかも、みんなみんなロボットかAGIがやってくれる。毎日ゲームをして、腹が減ったらピザ屋に宅配させればよい――それが私たちが作り上げた社会である。代金は全てストック・フィードで賄われる。それもロボット/AGIを使役する企業から徴収した税金だ。
 私たちは「生きる」という機能を持って生まれてきたロボットに自分達を作り替えた。その機能をただ延々と果たし続ける。それは、自動車を運転するという機能、株を買ってより高値で売るという機能、或いは宅配をするという機能、戦争をするという機能、性的サービスを提供するという機能、それを持って生まれたロボットたちと同じである。
 私たちは、技術的革新によって優しい世界を作ろうとしたとき、その「優しさ」の向かう先について、よく考えてみるべきではなかったか。本当に困っている人を助ける優しさと、無制限に自らに甘い優しさを区別するべきではなかったか。究極の優しさに包まれる世界に躊躇なく飛び込み、ロボットやAGIを母親とし、その嬰児の地位に安住する前に、人類の進むべき道をもう一度きちんと考えるべきではなかっただろうか。
 私の脳裏にはいつまでも、ラリラが私たち人類を見つめる、軽蔑しきった双眸が焼きついていた。
「『あるべき自分とのギャップ』……考えれば考えるほど大切な概念のような気がしますね」
 佐々木三尉は三尉で、深く考え込んでいるようだった。やや視線は下に置き、長いまつげが目立つ。
 私は佐々木三尉から視線を窓外に逸らした。
 東南東、皇居の方向。中央官庁だけは流石に煌々と灯りがともっていたが、他は暗いままだ。
 不意に銃声が聞こえた。タタタタタタ、という軽い音だが、それは遠くで聞こえているからにすぎない。窓ガラスがビリビリと振動する。三尉の自衛隊仕様と見える特殊な形状のウォッチが発信音を鳴らした。
「こちら佐々木恵夢三尉。どうぞ」
「了解。市ヶ谷駐屯地内で人工知能システム障害事態発生。対処行動に移る。オーバー」
 佐々木三尉が冷静に無線に応じている間、私は窓の外に身を乗り出した。
「下がって!」
 スーツの襟をつかまれ、佐々木三尉に女性とは思えない強い膂力で引き戻される。一瞬前まで私の頭があったところを、タタタ、という音と共に曳光弾が通過した。
 次の瞬間、窓の外に先ほどまで想像していたロボットの顔があった。
 軽蔑が半分。憤怒が半分。
 豊かな表情を表現するように作られたアイドルロボットの愛らしい顔。
 R・ラリラ。小銃を構え、私をまっすぐに狙っている。
「やっと会えたよ……死ね」
 バタバタという垂直離着陸輸送攻撃機の羽音に遮られ、彼女の声は聞こえなかった。だが、唇は間違いなくそう動いているように思えた。

山口優プロフィール


山口優既刊
『サーヴァント・ガール』