(PDFバージョン:mydeliverer10_yamagutiyuu)
この陶器師は、年期が不足で、できそこないばかり作ったのだ! だが、ふできだからと言って、自分の壺や製品にあたりちらしたのは、悪趣味だ。良い趣味に対する罪だ。
信仰にも、『良い趣味』はある。それはついに声を発して言った。『そんな神はいただけない! むしろ、いないほうがいい。自分の力で運命をひらいたほうがいい。気違いのほうがいい。いっそ自分で神になったほうがいい!』と。
――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」
「恵衣様……逃げて……」
リルリはうっすらと目を開ける。どくどくと赤い冷却液が腹部から流れ出している。このままではシステムがオーバーヒートしてしまう。それだけではない。どこまでの損傷が腹部にあるか、すぐに調べなければならない。
「黙っていて」
私は短くリルリに告げた。だがリルリは首を振る。
「どうか……逃げて……私を置いて……お願い」
「ダメよ。そんなことできない」
「どうか……」
リルリはそこで再び気を失ってしまう。
「リルリ! リルリ!」
私はリルリの身体を揺する。しかし反応はない。私はリルリを抱きしめ、ゆっくりと近づいてくるラリラをにらんだ。その顔は茫然自失としているが、それでもこちらに歩いてくる。リルリを傷つけたことへの後悔と、私への憎しみが、その表情には明確に浮かんでいた。
彼女の意を受けたヒューマノイド兵たちも、包囲網を徐々に狭めてくる。
――このままでは……。
私は唇を噛んだ。
そのとき。
何の前触れもなく、上空のヴェイラーが爆発した。その前にミサイルがちらりと見えたかもしれない、だがそれは一瞬のことで、リルリに意識を集中していた私には分からなかった。
続いて激しい機関砲の掃射音。ヒューマノイド兵たちがばたばたと倒れていく。ラリラはバク転を数回繰り返し、機関砲の弾幕を逃れ、停車した自動車の影に身を潜める。
上を見上げた。新しいティルトローター機が滞空していた。同じくヴェイラーだが、その横腹には見慣れぬ略称が描かれている。
R・U・F・A・I・S
私がしばし呆然としていると、ロープが垂らされ、するすると人影が降りてくる。人間に見える、屈強な隊員たちだ。そして頭の上にはドローンが浮いていない。間違いなく人間だった。
人間の隊員達は私とリルリを護るように取り囲み、ラリラに銃口を向けて牽制する。一番後ろから降りてきた華奢な人影――女性だ――が、私に声を掛けた。
「あなた、大丈夫? 立てる? リルリの容態は?」
優しい声音。私はその声の主を見上げた。
年齢は私と同じぐらい、ひょっとすると少し上かもしれない。私と同じく童顔であったが、状況を反映した厳しい表情は頼もしげにも見える。迷彩服に身を包んでいるが、武装は腰に付けたピストルのみ。
「あの……あなたは? あなたたちは?」
「私は留卯幾水(るう・いくす)。私たちはRUFAIS(ルファイス)、Readiness Unit against the Failure of Artificial Intelligence System、すなわち人工知能システム障害即応ユニットよ。一応、私がこのユニットの責任者ということになってる」
そう私に告げ、リルリを抱く私の横からリルリのそばにしゃがみこんだ。そして、腹部の銃創をすばやく確認し、上に浮いたドローンに短く二言三言でコマンディングする。
すぐに、紅い冷却液の漏れが停止し、リルリの表情が和らぐのが分かった。
ゆっくりと目を開くリルリ。
「幾水……さま」
不思議そうに彼女は呟いた。
「どうして……ここに?」
留卯は首を振った。
「話は後よ」
そして隊員の一人を見返す。
「この娘をタンカで上まで運んで」
「了解です」
隊員の一人がリルリを担架に乗せ、そのままヴェイラーに上がっていく。
「彼女にもロープを!」
留卯の言葉に従い、私にもロープが垂れ下がってきた。
「さあ、ここに足を掛けて、ロープをしっかりつかんで」
私に指示してくる。私は呆然とした心のまま、素直に従った。
ロープが上がり始める。するすると、視界が上昇していく。やがてヴェイラーの中に引き上げられると、中で待ち受けていた隊員が私の手を引き、内部の座席の一つに座らせた。リルリはタンカに載せられたまま、私を見つめている。
「リルリ……」
私が何か話しかけようとしたとき、それに被さるように声が聞こえた。
「さあ、残りの隊員を引き上げたら撤退。敵の増援がすぐに来る」
きびきびした声。留卯だ。
銃声が下からまだ聞こえている。ラリラだろう。
留卯はリルリに向き直った。
「雨河急便で処分されたと聞いたときには驚いたわ。でも……無事で良かった。ほっとしたわ」
「ありがとうございます」
リルリは静かに礼を言った。だが私はむっとして、思わず立ち上がっていた。
「あなたがっ! あなたが売ったんじゃないですか。リルリもラリラも……ロリロも……! それで、何を白々しく『ほっとした』ですって?!」
留卯はじっと私を見つめている。大きな感情のようなものは見えない。ただ、興味深そうに私を見ていた。
「そもそもあなたがこの娘達を売らなければ、今頃こんなことには……!」
「私はDKのつもりはない。でもあなたの言いたいことは分かるわ」
留卯は言う。
「座りなさいな。どこに向かっていたの?」
「習志野の、介護施設です。祖母が心配で」
私はしぶしぶ、ヴェイラーの椅子に座る。いつの間にか、ヴェイラーはローターを前に向け、巡航状態になっていた。
「習志野ならもう我々のユニットを派遣してある。病院と介護施設は優先的に状況を改善しているはずよ。心配は要らない。だから、これから同行してもらいたいの」
「同行? どこへ?」
「市ヶ谷よ」
決まっているでしょう、という顔で留卯は言った。
「我がユニットの本部のあるところよ」
「なぜ、私が?」
「私たちにはリルリが必要。そして、さっきリルリの状況を確認してみたら、あなたがいた方がリルリも嬉しいと思う状態になっていたから。ポジティブな感情はパフォーマンスを向上させるわ」
淡々と説明する。だがその言葉は私を再び赤面させる。
「……なっ」
「気にしないでいいわ。よくあることよ。本当によくあること。そうでなければR・ガールズ・サービス・ネットなんて流行るわけないでしょ」
――つまり、私のリルリへの感情を、そのような「サービス」を求める客のそれと同じだと言いたい訳か。
私の大切な感情を、一番喩えて欲しくないものに平然と喩える留卯。私はそれまで、助けてもらった恩もありどちらかと言えば留卯にポジティブな感情を抱いていたが、それが一気にネガティブの最低値にまで引き下げられた。
「『一緒にするな』という顔ね。まあいいわ。感情なんて人の数だけある。自分の感情が他人の抱くそれと別モノだと思うのは、当然ね」
留卯は私の表情の変化を見て取ってそう言った。一切悪びれもせず。
「なぜ、あの三人を売ったんです」
「売れなかったからよ、アイドルとしてね」
留卯は端的に答えた。
「だとしても! この子も、あのラリラも、ロリロも、それでどんな目に遭ったか……!」
「私が批判される謂われはないわ。芸能プロダクションを立ち上げ、その為の資材を造ったけれど、うまくいかなかったので資材は中古屋に売り払った。それだけのことにすぎない」
感情的に批判しても無駄だ、と悟っていた。それでも私は感情的に留卯をにらまずにはいられない。
「分かってる。JSPCRにせよ一般のDKにせよ、そういう性向の人たちにとっては腹立たしい物言いだということはね。でも考えがあってのことよ。……現代の人間は、ほとんど意思の力だけで生きている。人生を切り開いている。そうよね?」
急に話題を変えた留卯に私は首を傾げる。
「いったいどういう……」
「無料同然の通信教育、神経系への刺激による効率的な情報習得技術、或いは暗示を多用した催眠学習。これらの飛躍的な教育技術と教育環境の発展は、意思さえあればいくらでも知力は身につくという状況を生んだ。かくいう私も小学校の頃は落ちこぼれだったけれど、そういう技術にアクセスするようになってからは、がんばって人工知能技術を学び、国立研究所の研究員にまでなった。全て私の意思ゆえのこと。私の生まれつきの知力のおかげでも体力のおかげでもない。あなたも似たようなものでしょ?」
「ええ……まあ……」
自分を落ちこぼれと意識したことはなかったが、成績が優秀でもなかった。ただ、父と同じように、自分も社会に出て働くことを当然だと思っており、そのためにはきちんと勉強しなければならないと意識していた。少なくとも、マンションの前で出会った、「ふくしの大学」に通っていると言っていた少女のような無気力とは無縁であった。
それが今の私――曲がりなりにも大企業の子会社社長、という地位に結果しているのは疑問の余地がない。
意思こそがその人の人生を決める。その源泉は留卯のような好奇心かもしれない。あるいは私のような、「自分も父のように社会に出て働くのだろう」という素朴な勤労観かもしれない。だが、それこそが、生きるために働く必要がなくなった人類にとって、唯一、より充実した人生を目指し、それにむかって努力を捧げる為のよすがでもあった。
「つまり、意思がその人の運命の大部分を決めるということ。でも、人間は情動を自由に操る技術はあっても、そこから意思につなげる部分については、未だ分からない部分が多かった。ロボットにそれを実装できないために、構成論的に意思のメカニズムを実証することができなかったから。つまり、人間にとって、今や一番大切な意思のメカニズムにだけ、ブラックボックスが残っていたのよ」
「もしかして、それが、RLRを立ち上げた理由……」
留卯は頷いた。
「芸術のような創発的な仕事をやらせるため、というのはあくまでタテマエ。私の研究の全ては社会の要請とは無関係に、私の興味のためにある」
留卯は胸を張って言う。
「でもね、はっきり言って、RLRでユニットを組んでいた当時のあの3人には、そこまでの創発性はなかった。当然よね。『自由にやりなさい』と言われて自由にやれるように、意思というものはできていないの。何でも自由にできる、という状況では、知性は逆に自分のやりたいこと、魂の形を見失うものなのよ」
留卯は立て板に水のようにぺらぺらとしゃべる。
「まさか……」
私は留卯のおぞましい考えを先読みしてしまい、顔を青ざめさせる。
まさか、敢えて、三人のロボットを、『何も自由にできない』状況に堕とすために――。
「そう。自分の本当の意思を自覚するためには、逆境が必要なのよ。いえ、正確に言えば、必要だったと悟ったのよ。『売れなかったから三人を売った』というのはそういう意味」
寧ろ得意そうに留卯は言った。「いい目のつけどころでしょ?」とでも、誇っているかのようだった。
だが私の中の感情は沸騰寸前にまで沸き立っていた。
それが、リルリを二四時間配達の雨河急便で使い潰されるように仕向けた理由か。
それが、ロリロをR・ガールズ・サービス・ネットでさんざん弄ばれたあげく死なせた理由か。
それが、ラリラを最前線で命の危険にさらし続けさせた理由か。
私は思わず立ち上がり、留卯の頬を思い切りはたいていた。
「このクズ女!」
「落ち着いてください、美見里さん」
隊員の一人が素早く動き、私の肩をつかむ。その力はとても強く、それ以上私が留卯に暴力を振るうつもりなら、腕をひねり上げて床に押し倒すという脅しのシグナルにも思えた。私は辛うじて自らの感情を押しとどめる。
私に頬をはたかれ、ヴェイラーの床に尻餅をついたまま、私を見上げ、留卯はくすくすと笑う。
「クズ……ね。まあそう言われても仕方ないのかしら。でもタテマエはたくさんよ。私には私の興味がある。そして、『実験』は大成功だったわ」
寧ろ偽悪的に微笑みながら、留卯は言う。
「ラリラの意思の発現はご覧のとおりよ。リルリも『歌いたい』という意思、そして、『あなたに仕えたい』というより強い意思を持つに至った。ロリロも客へのサービスを拒否するような意思を見せ……」
私が再び殴りかかろうとしたので、留卯はそこで口を止めた。肩をつかんでいた隊員が素早く私の腕をひねり、床に押さえつける。
「恥ずかしくないの! ねえ、そんなことをして、恥ずかしくないの! クズ! 人間のクズ!」
床に押さえつけられたまま、私は声を限りに叫ぶ。だが、私の罵倒も留卯には何の感慨も与えないようで、ゆっくりと落ち着いた所作で立ち上がる。
「恵衣様……いいのです。私たちの創られた目的がそれだというのなら……私はその目的を果たせて良かったと思っていますわ」
リルリが優しくそう言った。
「そんな……だめよ。そんなことで許してはだめよ。こいつは……」
留卯は肩をすくめた。相変わらず、たいしたことを話しているつもりはない、という雰囲気を纏って。その不貞不貞しいと同時になれきった態度は、何度もそのような批判に晒され、何度もそれを無視してきた彼女の経験がそうさせるのかもしれなかった。
強い、と私は思った。
あの、タクシーの前席に座ってロボットAGIが事態を解決するのを六時間以上ぼうっと待ち続けたレスポンサーに比べ、なんという強い意思だろう。
あるいは「ふくしの大学」に通っているという女子大生に比べ、なんというはっきりした目的意識だろう。
留卯の人格も倫理感も何もかも私は否定したかったが、その一点だけは感心したことを、否定できなかった。
「まあただ、やりすぎたのは確かね。でも、私だけじゃないわよ。ILSを造っていたのは。どれもこれも、意思と創発性の発現に失敗したから、『ILSは失敗』ということになっていて、それゆえにその危険性も自覚されていなかったけれど。半信半疑の政府を説得してRUFAISを立ち上げさせたのは私なのよ。この私が創ったILSに最初に対処することになるとは思わなかったけれど」
留卯は淡々と話す。
「政府がILSの危険性を本当に自覚したのは今回の件が初めてでしょうね。私自身こういうことが起こるということについて、全く確信は持てなかったのだから。RUFAISはあくまで万が一の保険という位置づけだった。そう、今回の件で証明されたように、ILSと逆境という条件がそろわないと、人工的な意思発現事態は起こり得ないのよ。『構成論的にしか実証できない』、つまり、実際に何か造って環境に置いて動かしてみないと命題を証明できないのは、人工知能研究の面白いところであり、リスクでもあるわね」
私は押し黙ったまま、尚も留卯を見つめ続ける。このように扱われては、ロリロの運命はあまりにもひどい。そしてラリラの怒りも尤もなものに思えてしまった。
「まあ、憎みたいなら存分に私を憎みなさい。それで協力してくれるならね」
「……具体的に、何を私にさせるつもりなの?」
「言わなかったかしら」
留卯は柔らかく微笑んだ。
「あなた自身には何も期待しないわ。ただ、あなたが私たちとともにあることで、リルリの感情にポジティブな影響があるのでは無いかと思ってね。引き離すよりは。リルリこそが、ラリラに対抗できる唯一の強いILSの保持者なのだから。私はこれを、『意思を持つ独立辺縁系』つまりWILS(ウィルズ)と呼ぶことにしているわ」
――よく言えば餌、悪く言えば人質といったところか。
そう解釈した。
先ほど同じ言葉を聞いたときにはもっといい意味で解釈していたような気がするが、もはや留卯に何らかの清廉潔白さ、人格の高潔さを求めるのは間違いだと悟っていた。
ヴェイラーは垂直飛行状態に移行し、ゆっくりと高度を落とし始める。私を床に押しつけていた隊員は、謝罪の言葉とともに私を座席に戻してくれた。
ティルトローター攻撃輸送機の窓外の眼下には、林立する高いアンテナとともに、自衛軍市ヶ谷駐屯地のビル群が見え始める。
目的地に到着したらしかった。
山口優既刊
『サーヴァント・ガール』