「ここにいた」大梅 健太郎


(PDFバージョン:kokoniita_ooumekenntarou
「そういやお前、行方不明者リストに名を連ねてたぞ」
 寺井翔(てらいかける)の言葉に、動橋誠(どうはしまこと)はビールジョッキをあおる手をとめた。一瞬、居酒屋の喧騒が遠くなる。
「行方不明者リスト?」
「ああ、行方不明者リスト」
 物騒な言葉だ。二人分の仕事の愚痴を詰めこんで重くなった動橋の胃が、きゅっと締め付けられる。
「俺は今、ここにいるよな?」
「でも、行方不明みたいだぞ」
 寺井は嬉しそうに笑いながら、最後に残った枝豆のサヤをつまみ上げた。
「けしからん話だな。抗議してやる」
 動橋はジョッキをゴンっと、テーブルに叩きつけた。
「どちらかと言えば、抗議をされているのはお前だ」マメを絞り出したあとのサヤが、動橋の鼻先に突きつけられる。「高校を卒業してから十三年と三ヶ月。お前は一銭でも同窓会に寄付をしたか?」
「寄付」
「そう、寄付だ」首をひねる動橋に、寺井はさげすむように言った。「俺は毎年二千円、寄付しているぞ」
「寄付っていうと、あの赤十字とか、赤い羽根とか、闘牛士とかか」
「やたらに赤いな」
 寺井は店員を呼び、冷やしトマトを注文した。
「寄付なんて、なんで俺がせにゃならんのだ」
 空になったジョッキを店員に指さしながら、動橋は言った。
「そりゃお前、OBとしての責務だろ」
「せ、き、む。なんだそれ」
 フンっと、動橋は鼻で笑った。動橋と寺井は、高校二年生の時からの仲だ。五十音順の出席番号が近づけた縁は、三十路を過ぎた今となっても健在で、仕事の愚痴を肴にして飲みに行く関係として続いている。
「それで、何がどうなって俺は行方不明なんだ」
「そうそう。これを見ろ」
 寺井が鞄からタブレットPCを取り出し、インターネットの画面を見せた。表示されているHPのヘッドには見覚えのある校章がデカデカと貼りつけられ、トップ画面には校門の写真がアップされている。
「お前は知らんだろうが、我らが母校は再来年に創立百周年を迎える」
「ほう」
「それで百周年行事の一環として、同窓会がこのHPを立ち上げたらしい」寺井は画面をタップし、コンテンツ一覧を表示した。「ほれここだ」
「同窓生検索システム?」
「ここに探したい人の名前を打ちこむと、同窓会名簿に記載された情報が表示されるらしい」
「使い勝手がわからんな。ネットストーカーのお助けツールかよ」 
「確かに、なんのための機能なんだろうな」
 笑いながら寺井は次の画面を示した。
「ここにお前の名前がある」
 第八十五期行方不明者リストという表題の下に、五十人ほどの名前が列挙されていた。
「結構行方不明になってるんだな。でも、俺が個人的に今も連絡を取っている奴の名があるぞ」
「結局は、同窓会が把握しているか否かなだけだろうな」
 寺井が冷やしトマトを口に運びながら言った。おそらく、寄付さえしていれば同窓会へと情報が行く。つまり、寄付をしたことのない人間を晒しものにするためのシステムなのだ。
「あれ?」動橋は『小松巧(こまつたくみ)』という、見覚えのある名に気がついた。「小松巧って、知ってるか?」
「小松?」寺井が画面をのぞきこむ。「ああ、確か一年の時にクラスが一緒だったな。小松がどうした?」
「いや、仕事の取引先の人だわ。同じ高校だったのか」
 まいど、と言ってフロアを挨拶して回る小松の姿が脳裏に浮かぶ。気さくで明るい営業マンで、自分より少し若いと想像していたのだが、まさか同い年の同窓生だったとは思いもよらなかった。
「へぇ。お互い、同窓生ってことを知らないまま一緒に仕事をしてたってことか。こりゃまた不義理な話だな」
 寺井がアゴを触りながら、面白そうに言った。
「そんな話を小松サンとしたことがないから、多分そういうことだな。なんだか変な感じだ」
「コマツサン」
 動橋の言葉を、寺井がわざとらしい声でものまねた。
「いや、だってそうだろ。取引先の人なんだし」
 取引先の人間とは、仕事や趣味、酒の話をしても出身母校の話なんてする機会はない。お互いが同窓生であることを知らなくても、当然のことだろう。
「マイド、コマツサン。ボチボチデンナ、ドウハシサン」
「なに言ってんだ」
「そんな感じなんだろ」
「まぁ、遠からず」
 動橋は、反論できないままジョッキの表面をなでる。じんわりと、水滴が手を濡らした。
「俺の方は小松とは何回か遊んだ記憶があるが、卒業してからはまったく縁がないな」
 からかい飽きたのか、急に寺井のトーンが普通に戻った。
「向こうは、寺井のことを覚えてるかな」
「さて、どうだろうな」

 その翌日。動橋はデスクのPCに母校のHP画面をすぐに表示できるように準備して、仕事をしながら小松が来るのを待った。
「まいど」
 フロアの入口から、小松が頭をさげながら入ってきた。昨夜の寺井の口まねが思い出され、笑いがこみ上げる。
「どうしたんです、動橋さん。変な顔して」
 デスクに近づいてきながら、小松は不思議そうに動橋を見る。
「ああ、小松さん。入稿用のデータ整理が完了したので、お渡ししますよ」
 そう言って立ち上がり、動橋はひととおり仕事の話をした。
「じゃ、またよろしくお願いします」
 小松が頭をさげたところで、動橋が言った。
「コマツサン」
 つい、昨夜の寺井の口まねのような話し方になり、ふき出しかける。
「はい?」
「こ、高校は、どこ出身?」
 一瞬、小松は怪訝な面もちとなった。しかしすぐに営業らしい、柔和な笑顔に戻って答えた。
「知らないと思いますが、神片高校ってとこです。隣の市にある、ちょっと古めの学校です」
「やっぱり。僕もそうなんです」
「え?」
「僕ら、同窓生」
「え、本当ですか?」
「本当なんです」
 動橋は、満を持してPCの画面を見せた。
「これを見てください」
「行方不明者リスト?」
 小松は身を乗り出して画面を見る。
「僕の名前がありますね。動橋さんもありますね。本当に同窓生なんですね、まったく知らなかったです」
「僕ら二人は、どうやら行方不明らしいですよ」
「今、ここにいるのに?」
 昨夜の動橋とまったく同じような反応をした小松を見て、満足感がこみ上げる。動橋はうなずきながら、話の方向を変えた。
「ところで、寺井翔って覚えてます?」
「寺井、翔。ああ、一年の時にクラスが一緒だった気がします」
「今度、寺井と僕と小松さんで行方不明者の会をやりませんか?」
「おお、なんか面白そうですね」
 小松の営業スマイルが、心からの笑顔に変化したように思えた。
「じゃ、決まりってことで。また連絡します」
 小松は再び頭をさげて、よろしくお願いしますと言った。

 金曜日の晩に、動橋と寺井、小松の三人は母校の高校近くの居酒屋に集まった。
「それじゃ、行方不明者同士の再会を祝して」
 寺井の乾杯の音頭にあわせ、三人のジョッキががしゃりとぶつかった。
「しかし、まったくお互い知らないものかな」
 寺井が、動橋と小松を交互に見ながら言った。
「高校時代には、どこにも接点が無かったってことでしょうね」
 小松が首をひねる。
「不思議なもんだ。三年間も同じ学校にいたのに接点が無くて、卒業してから仕事で初めて会うなんてね」
 動橋は、寺井がプリントアウトした行方不明者リストを眺めながら言った。
「それじゃ、今日のメインイベントを始めるか。自分の手元にあるリストを見ながら、覚えている名前に丸をつけていってくれ」
 寺井がボールペンを手渡す。
「一番数が多かった人が、今日の酒代がタダになるってことですね」
 小松がシャツの腕をまくり、ペンを動かす。
「誰が一番、人間関係が希薄かがわかるな」
 動橋は、まず自分に丸をつけた。名前を見つめていると、いろいろな記憶が思い起こされてくる。深く考えなくとも大丈夫な人もいれば、連鎖的につながる人もいる。見たことがあるはずなのに、誰だったかわからない人の名前は、もどかしかった。
「昔、好きだった人がいるなぁ」
 小松がつぶやいた言葉に、寺井が食い気味に「誰だよ?」と聞く。小松は、あははと軽く笑いながらその場をごまかそうとしていた。
「なんだか、思い出したくないようなエピソードまで思い出されるな。体育のラグビーのヘッドギアの臭いとか」
 動橋は、眉をしかめながら言った。
「誰の名前を見れば、そんなの思い出すんですか」
 色恋話から逃れるためか、小松が積極的に言葉を拾ってくる。
「いや、ラグビー部の奴の名前があったからさ」
「そんなの、このリストにいましたかね」
 行方不明者リストを肴に、三人の酒は進む。三十分ほどして、丸をつける手がほぼ止まった。
「こんなとこかな」
 寺井がリストをパンっと叩いた。
「じゃ、丸を数えよう」
 集計した結果、寺井が二十個でトップ、小松が十四個で次点、動橋が八個で最下位となった。
「一桁しかわからなかったのか。無念」
 動橋は残念そうに言って、舌打ちをした。
「よく、二十人もわかりましたね」
 小松が悔しそうに言いながら、ペンをくるくる回す。
「自分でもびっくりだわ」寺井が得意げに笑う。「俺は思っていた以上に社交的だったのかもしれん」
「すみませんね、非社交的な社会不適格者で」
 フンっと鼻を鳴らして、動橋は寺井からリストを取り上げた。
「誰が誰を覚えていたのか、確認してみませんか」
 小松が自分のリストを示して提案した。
「それも面白いな。三人とも覚えていた人や、その逆に三人とも知らない人のことがわかるぞ」
 趣味が悪いなと思いながらも、動橋は寺井のリストと自分のリストを見比べる。リストには五十二人もの名前が載っていたが、自分だけが覚えている人も数人いた。あわせれば、結構な数になりそうだ。
「三人寄れば文殊の知恵とは、よく言ったもんだな」
「三本の矢の教え、ってのもありますし」
 小松が自分のリストも動橋に渡す。そのまま動橋が三人の丸を合わせると、二十八個となった。
「おお。約半分は認識しているってことだな。これはこれで、すごい」
 嬉しくなって、つい大きな声を出してしまう。
「みんなが知っていた人は、明峰亮(あけみねりょう)、僕、動橋さんの三人ですね」
「明峰亮、か。確か俺と寺井は、二年の時にクラスが同じだったはずだな」
 寺井が腕組みをしながら、首をひねる。
「あれ? 俺と小松が一年の時に、一緒のクラスだったんじゃないか? 入学式の日に、列の先頭に並んでいた記憶がある」
「明峰は背が高かったから、先頭は違うんじゃないですかね」小松が話に割って入る。「僕より大きかったはず」
「名前の五十音順に並んでいたんじゃないか」
 寺井が言うと、小松は眉間に皺を寄せた。
「そうなのかな」
 不満そうな小松の顔を見て、ぼんやりと明峰の別のエピソードが思い浮かんだ。
「そういえば、あいつ先生の似顔絵を描くのが上手かったよな」
 ああ、と言って小松がうなずく。
「いつだったか、体育祭の巨大立て看板の下絵をしていましたね。その印象がかなり強いです」
「そうだっけ? その記憶は、俺の頭の中には皆無だな」
 今度は寺井が眉間に皺を寄せた。
「そもそも、顔が思い出せない」
 三人は、しばらく無言になった。
「よし、ネットだ」動橋がテーブルを指ではじいた。「今時、ネット検索で引っかからない方が珍しいだろ。SNS花盛りだし」
「そうだな。今の明峰を調べてみよう」
 寺井はタブレットPCで検索を始めた。
「お、五十六件も引っかかった」
 そう言った直後、寺井の顔がひきつった。
「どうしました?」
 のぞきこんだ小松も、画面を見て動かなくなる。動橋も続いてのぞきこむと、そこには『無念の交通事故まとめサイト』との見出しがあった。
「おいおい、本当の意味で行方不明者じゃないか」
 動橋がため息をつく。
「いや、違う。事故の日付を見ろ」
「日付?」
 そこには、十六年前の三月十五日が記されていた。
「どういうことだ」
「多分、僕たちの高校入試の、合格発表の日、ですね」
 ネットの記事には、交通事故に巻きこまれて亡くなった明峰亮は、高校の合格発表に向かう途中だったと書かれていた。また、その高校には合格していて、両親の無念の言葉も取り上げられている。
「事故があったのは、高校からそう遠く離れていないところだな」
 寺井は、タブレットの画面をタップしながら言った。
「つまり、この行方不明者リストに明峰の名があるのは、同窓会名簿のデータの不備ってことか。所詮、寄付金がベースの変に作為的なデータなんだしな」
 小松がうなずき、動橋もうなずきかけて、ふと気がつく。
「ちょっと待てよ。だとしたら、俺たちのこの明峰に関する記憶はなんなんだ」
 背筋がぞわりとする。入学式の日に列の先頭に立ち、絵を描くのが上手くて看板の下絵を担当した明峰。
「この記事に、明峰の遺影を持って入学式に参列する両親のことが書かれてますね」小松が、画面をスクロールする。「そんなこと、ありましたっけ」
「勘違いだ」寺井が、タブレットの電源を切った。「多分、誰かの思い出が色々と混線しただけなんだ。事故のことも、嫌な話だから頭の中から追い出してしまったんだよ」
「まあ、そうかもな」
 動橋は、鳥肌のたった肩を手でこすりながら言った。
「あまり深く考えない方がいいんですよ。そもそも、僕と動橋さんが同じ高校だったってのも、勘違いかもしれないんですし」
「コマツサン、いいこと言うね」
 寺井がひきつった顔のまま、笑った。

(了)

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