「屋根の上の馬頭琴弾き――クグルシンとネルグイ――」関 竜司

(PDFバージョン:yanenouenobatoukinnhiki_sekiryuuji
 2016年1月31日、岡山県総社市・スタジオ・ザ・ブーンで「遊牧の民の調べ」と題するドンブラと馬頭琴のコンサートが行われた。
 ドンブラとは、カザフ民族を代表する楽器で、二本の弦からなるギターのような楽器だ。リヤス・クグルシンは、ドンブラの第一人者でモンゴル政府から第一文化功労者勲章を授与されている。
 クグルシンは「二人で」という曲の弾き語りをはじめた。朗々とした歌声が、会場内に響く。解説の西村幹也氏によると、この曲はモンゴルではよく知られた曲で、本来ならクグルシンが歌ったあと、その場にいる全員が、それに続けて即興で歌わなければいけないものであるらしい。西村氏はドンブラ奏者の演奏にあわせて、家族全員が歌っていく光景をみてモンゴル・カザフ民族の文化レベルの高さに感動したという。(恐らくわが国の連歌や歌垣も、このようなものであったろう)。
 ただし一度うたわれた歌は忘れられ、二度と歌われることはない。記録には残さないけれども、常に新しいものを作ることができる。それがモンゴルやカザフの遊牧文化なのだ。
 続いてクグルシンは、祖父の作った「草陰」という曲を弾いた。クグルシンの祖父もドンブラ奏者で、国境をまたいで行き来する吟遊詩人であり、郵便配達員のような仕事もしていた。
 1930年頃のモンゴル国境は、比較的、自由に往来できたが、中には行き交うものの身ぐるみはがすような悪い連中もいた。クグルシンの祖父も一度そんな悪い連中に襲われ、川に飛び込んで逃げたことがあった。そして何とかたどり着いた川の中州の草陰にじっと身をひそめ、悪い連中が去っていくのを待った。そのときの草の匂いがたまらなく愛おしく、この曲を作ったという。このように歌によって記憶を伝えていく。これもまた遊牧文化の特徴だ。

 クグルシンの演奏が終わると、今度は馬頭琴奏者のヨンドン・ネルグイが登場した。
 ネルグイとは「名前がない」という意味の名前だ。モンゴルには他にも「誰でもない」「どこにもいない」といった変な名前の人がいる。幼い子供が、悪魔によって連れ去られ死んでしまうのを防ぐ魔除けの意味があるらしい。
 ネルグイは「鉄道唱歌」をひき始めた。モンゴルで「鉄道唱歌」は、モンゴルの民謡だと信じられている。「鉄道唱歌」は1901年に間違いなく日本で作られたものだが、満州に渡った日本人か、日本に留学したモンゴル人がモンゴルに伝えたらしい。いずれにせよ日本とモンゴルが、かなり古い時代から交流していたことを示すエピソードだ。
 五歳から馬頭琴をひき始め、七歳から人前で弾くようになったネルグイは、楽譜が読めない。ネルグイは、周囲の演奏家の演奏やラジオから聞こえてくるメロディーを拾って自分のものにする典型的な古いタイプの馬頭琴奏者だ。

 続いてネルグイは「新年」という曲を弾いた。柄をもつ左手の上下に、自在に弓をもっていく華麗な弓さばきに加え、弦をどんどん弾いていく技法を使って、ネルグイは軽やかに一曲をひき終えた。この曲はラジオで放送されたそうだが、そのときネルグイは同業の馬頭琴奏者から激しい非難をあびた。
 1970年代に入ってモンゴル政府は、馬頭琴を、民族を代表する楽器と位置づけ、楽器の発展と演奏者の育成に力を注ぐようになった。その際、モデルとされたのが西洋のチェロだった。腹に貼られた羊の皮は、木にかわり、演奏方法もチェロのように一つ一つの音をきれいに弾く奏法に変わっていった。馬頭琴の頭に、馬の彫り物を載せるようになったのもこの頃で、それまでは羊の彫り物やそもそも彫り物をのせない馬頭琴も多かった。そうした時代の流れの中でネルグイのように、弦を激しくこする在野の馬頭琴奏者(オランサイハンチ)は、次第に姿を消していった。ネルグイはそうした生き残りの一人なのだ。

 もっともネルグイの演奏を高く評価する人も多い。1968年から2013年までのコンクールでネルグイは、金メダル8、銀メダル2、銅メダル2を獲得し、その野太く野性味あふれる演奏は「西のドブチン、南のダギーランズ、そしてネルグイ」と、幅広い層に支持されている。モンゴル政府からも2012年に文化勲章、2015年にモンゴル労働者文化功労者賞を贈られ、ユネスコの世界文化遺産にはネルグイの「ジョノンハル」が収録されている。ネルグイはただの異端ではないのだ。
 ネルグイの「ジョノンハル」は、国際馬頭琴コンクールの課題曲にも選ばれている。さらに言えばそのコンクールで優勝したのは、17才の日本人の少年であり、「モンゴルの魂を弾ききった」と最大級の賛辞を贈られたという。ネルグイの強い魂(ハート)が、17才の少年の心を打ったのだろう。
 ネルグイの「ジョノンハル」は、悠然と歩いている馬が、突然いななき疾走するというストーリーをもっている。疾走するたくましい馬の足取りが、馬の生命力だけでなく、それをはぐくむ大地の力強さも感じさせる。
 最後はクグルシンが再登場し、クグルシンとネルグイのセッションで終わった。

 解説を担当された西村幹也氏(NPO法人しゃがぁ)は、長年ネルグイと交遊をあたためられ、伝説の馬頭琴奏者ネルグイのDVDを作ろうと奔走された。さいわい寄付も順調にあつまったようで、物品販売のコーナーには、ネルグイのDVDが並んでいた。「生活の中で生まれ、変化していく演奏のありのままを残す」という西村氏の思いは、DVDの中に確かに結実し、さらにすそ野を広げようとしている。

(2016年2月1日)

(リンク)
クグルシン「二人で」

ネルグイ「ジョノンハル」

NPO法人しゃがぁ

関竜司プロフィール


関竜司 参加作品
『しずおかの文化新書9
しずおかSF 異次元への扉
~SF作品に見る魅惑の静岡県~』