(紹介文PDFバージョン:kurishunagaudhishoukai_okawadaakira)
まもなく日本語版の発売が予定されている『エクリプス・フェイズ』基本ルールブック。その監修者の朱鷺田祐介が新作小説「クリシュナ・ガウディの部屋」を書き下ろした。
“死は病にすぎない、治療せよ……。”『エクリプス・フェイズ』基本ルールブックの裏表紙に記された著名な惹句だが、とすると、そのようなポストヒューマン社会で、自殺することとは、いったいどのような行いなのだろうか?
自殺から蘇生した火星の医師の独白で綴られるこの物語は、期せずして宮内悠介『エクソダス症候群』にも通じる主題を扱っている。『エクソダス症候群』で描かれた地球への帰還願望や突発性希死念慮といったモチーフは、ちょうど本作の関心を裏側から掘り下げているようである。読み比べてみるのも一興だろう。
なお、語り手のイメージ・イラストはサプリメント『モーフ・レコグニション・ガイド』から、ファウスト義体のものを用いてみた。メントン義体をベースにしているのと、外見のイメージが小説の設定に見合うように思われたからだ。
朱鷺田祐介は、2015年にはPS VISTA用デジタルゲームのノベライズ『魔都紅色幽撃隊」(西上柾との共著、ベストセラーズ)、トールキンの世界を解説した『中つ国サーガ読本』(洋泉社)、『深淵』の第二版テンプレート集『辺境騎士団領』(新紀元社)といった著作を刊行してきた。(岡和田晃)
(PDFバージョン:kurishunagaudhi_tokitayuusuke)
はあ、はあ、はあ。
荒い息をまるで自分のものではないように感じる。
血圧が上がっていることは分かっている。それを伝えてくれそうなすべての機能はカットしている。
目の前には、きらきらと輝くコインのような円盤。指先で持ち上げられるようなそれは自分の魂そのものだ。
今から、これを砕く。
手に持ったハンマーの重みを感じる。
物理的な重さがやっと実感につながる。
ああ、私はこれを砕く。
これで私は自由になれる。
この永遠の生命という檻から。
額に汗が流れる。
思い切ってハンマーを振り上げ、振り下ろす。
*
目覚めると、窓の外に青みがかった火星の空と天に向かって伸びる巨大な柱が見えた。ああ、あの柱から私は降りてきて、火星への一歩を踏み出したのだ。オリンポス・シティの軌道エレベーターだ。
「火星オリンポス・シティ クリシュナ・ガウディ記念病院701」
脳内で、ミューズ‐個人用の支援AI‐が位置情報を伝える。精神の不安定を抑えるドラッグが投与されているのか、私の精神は実に落ち着いていた。
場所は、私が所有し、自分の名前のついた病院だ。それも最上階のスイート・ルーム。
病室と言っても無個性な蘇生カプセルではない。
清潔な白いシーツと毛布が用意されたベッドルームであり、心を落ち着かせるように配色された木目調の外壁、外の風景を表示するグラス・ウィンドウ。
患者が死後の世界を想起しすぎない程度に綺麗で落ち着いた佇まい。
このデザインは間違っていなかったな。
「あなたは、再着装(リスリーヴィング)処理中です」
想定の範囲だ。私はこの医療施設の創設者であり、火星で有数の義体(モーフ)医療技術者、すなわち、医者であるのだから。おそらく、私は何かの原因で死亡し、バックアップから再生したのだ。
大破壊後(AF)10年、人類が魂(エゴ)をデジタル化して、バックアップできるようになってすでに数十年が経過していた。身体形状(モーフ)は義体(モーフ)と呼ばれる、一時的な乗り物になった。バイオ技術の発達で病気を克服し、必要に応じて義体を乗り換えることで、事実上の不死を手に入れた。
その不死の命をここ火星で守っているのが、自分なのだ。
私はベッドに横たわったまま、脳内のミューズとの対話を続けることにした。現状把握が優先する。
「死亡の理由を」
私は冷静に聞き返した。
ミューズは私のバイタル/メンタルを確認し、衝動的な再度の自殺に発展しないことを確認した上で、答えた。
「自殺です」
当然だろうな。
記憶は最後のアップロード処理(記憶人格のバックアップ)を取得した時点から、ずれている。一ヶ月前、地球への旅行のために魂(エゴ)スキャンを受けたところから、この病室へと飛んでいる。つまり、なんらかの理由で、この一ヶ月の間に、大脳皮質記録装置(スタック)が失われた結果、死の直前の記憶が欠落しているということだ。
現状、戦争状態にない火星で、高度医療施設で働く私が死ぬような事故や戦闘に巻き込まれる可能性は限りなく0に近い。交通事故など起こりもしないし、この病院の安全施設は完璧だ。宇宙旅行で義体(モーフ)ごと大脳皮質記録装置(スタック)が失われない限り、こうしたことが起こるのは自殺がもっとも可能性の高い原因である。
この病院で「復活」した患者たちの中にも、自殺は多かった。彼らは長い人生と不死に苦しみ、自殺する。しかし、それは真の死ではなく、家族や関係者の要望により、死は治療される。脳内にインプラントされ、人生のすべてを記録している大脳皮質記録装置(スタック)を別の義体(モーフ)に移し替えれば、復活することが可能なのだ。義体(モーフ)は本人の細胞からクローンした生体義体(バイオモーフ)もあれば、機械を組み込んだ合成義体(シンセモーフ)もある。コストと時間次第である。
私の場合、病院に用意された汎用の生体義体(バイオモーフ)のうち、高級な医療技術を使いうる思考強化型のメントンをベースに、私に似たタイプを少々カスタマイズしたものが用いられた。クリシュナ(サンスクリット語で「黒」)という名前通り、浅黒い肌まで再現されていた。
「手法は?」
私は冷静に質問した。自分でも驚くほどの冷静さだが、それは自分自身の医療経験から、自分の精神にも、自殺というキーワードで動揺しないように、精神手術が行われているということだろう。魂(エゴ)がいじられている、という事態にも驚かなかった。自殺という病で死んだ患者を蘇生治療した場合の標準手続きである。魂(エゴ)に自殺衝動抑制のプログラムを埋め込む。これは応急手当にすぎない。
本来ならば、魂(エゴ)を分析して自殺の原因を探り、自殺という病を治療すべきだが、それは患者の許諾がいる。魂(エゴ)の分析は個人のプライバシーの領域に踏み込むものであり、この病院で復活治療を受けるような富裕層の場合、その記憶自体に重大な経済的、あるいは政治的な問題が絡むことも多く、許可なく行うことは出来ない。
病院の院長であれば、なおさらのことである。
私自身、私の死亡時の対応を決めてあった。私が不慮の事故で死んだ場合のマニュアルは、病院のメッシュに埋め込み、信頼できるスタッフにも伝えていた。副院長である私の息子ティルマラと、外科部長である娘のトゥッカが健在であるかぎり、通常の手順を踏んで私を復活させるようになっていた。
「銃で頭部を打ち抜きました」
ミューズの答えは簡単だった。リンクが貼られていたので、詳細な死亡時の検証も可能だが、今は重要ではない。復活のある世界で頭部を破壊するのは迅速で確実な自殺方法のひとつだ。死後、死体の脳をスキャンされ、その記憶を持ったまま、「復活」するのは最悪な体験のひとつである。
その場合、通常は大脳皮質記録装置(スタック)の記録から「復活」することになるが、自殺者はそれを望まないために、自らのスタックを除去し、それを破壊する。脳幹と脊椎に接合部分に埋め込まれたスタックを自力でえぐり出すのはまず無理だが、ちょっとした自動医療装置があれば可能なことだ。ダイアモンド・コーティングされたコインサイズの精密機器は銃弾が命中した程度では壊れないが、根気があれば、ハンマーで叩き割れないものでもない。根気と腕力があれば。
自分自身の魂(エゴ)を記録する装置を破壊するという行為は、どのような気分だろう。
そこでクリシュナ・ガウディは冷笑した。
知っているじゃないか、クリシュナ・ガウディ。
あなた(私)は、そういう患者からの聞き取りを何度もしてきた。
「解放」だというものがいた。まず、スタックを監視者と感じ、ストレスを感じていたものもいた。一種の脅迫神経症で、義体(モーフ)を乗り換えた経験の副作用であることが多い。治療可能な病だ。
富裕層の中には、長い人生に飽々したというものもいる。スタックを破壊することで、人生そのものへの憂さから解放されるのだという。
彼らの中には、そうしてスタックを破壊した後、精神手術によって、人格改造と記憶の書き換えを行い、全く新しい人生を送り始める者もいた。120歳を越えて政界で暗躍していた政治スペシャリストが、権力闘争が嫌になって、人生をリセットして、幼生義体(ネオテニック)の少女に再着装して芸能界に入ったという事例もある。
それはさておき、過去の私はスタックを破壊して、自殺した。スタック破壊に何を使ったかはわからないし、興味もあるが、それの優先度は低い。私の好みはハンマーだが、電子レンジで温めるとか、溶鉱炉に投げ込むとか、破壊の方法はいくらでもある。
クリシュナ・ガウディの復活がバックアップからの復活であるということは、スタックを破壊してからの自殺だろうが、保険会社に保存されたバックアップまで破壊することは出来なかったのだろう。
多くの自殺者はスタック破壊までは衝動的に思いつくが、大抵の場合、生命保険のサービスに含まれているバックアップ保険を解除するのを忘れてしまい、保険経費で復活してしまう。保険会社の営業が家族を訪れ、復活保険を使いますよね? と聞く。保険料を無駄にするぐらいなら、生きて働いてほしい家族は承諾し、自殺は失敗する。
だが、過去の私、クリシュナ・ガウディ博士がその知識と権力と富、正しい法務能力を発揮すれば、保険会社にあるバックアップを破棄させ、バックアップ保険の契約を打ち切って、完全に死ぬことも出来たはずだ。
脳内命令に応じて、ミューズが記録を提示する。契約打ち切りの記録が存在し、顧問弁護士のメモと連絡先まで存在する。
バックアップの破棄命令は通らなかったのか?
「いいえ」
ミューズはその可能性を否定する。
「ナタチャ・ディアゲレヴの決定です」
タルシス・リーグの評議会議長だ。彼女は惑星連合から派遣された火星の支配者である。私は彼女の主治医の一人であり、おそらく、彼女が信頼する数少ない医者なのだ。
「私の魂(エゴ)はどこから?」
保険会社のバックアップは廃棄されていた。スタックは破壊された。死後、脳をスキャンされてアップロードされないように、銃で頭を吹き飛ばした。
「先月、あなたがエゴキャストした際にエゴナッピングされていた記録をIDクルーから買い取りました」
違法コピーか。
この時代、惑星間の移動は時間がかかるため、魂(エゴ)のデジタルデータだけを送信し、現地で義体(モーフ)をレンタルして活動する。これをエゴキャストという。
当然ながら、その際、魂(エゴ)をスキャンし、バックアップを作成する。
そのバックアップ・コピーを違法コピーすることを「魂の誘拐(エゴナッピング)」という。目的は金銭から、奴隷化、機密情報の収集までさまざまだ。IDクルーは魂(エゴ)に関する犯罪を専門に行う犯罪シンジケートであり、いつでも富裕層の魂(エゴ)を狙っている。
IDクルーは、火星の支配者の主治医の魂(エゴ)を盗み出し、ディアゲレヴを強請るネタでも仕入れようとしたのだろう。あと、有能な蘇生医療の専門家であれば、技術奴隷として売り先はいくらでもある。服従プログラムを少しだけ仕込んでおくだけでいい。すでに、名医クリシュナ・ガウディのコピーが土星の闇クリニックで働いているかもしれない。
違和感があった。
私が自殺し、その一月前の違法バックアップが発見される。そんな「幸運」が巡るものだろうか?
IDクルーは私の自殺を知って、魂(エゴ)を売り込んだ?
いや、どちらかと言えば、IDクルーから「魂の誘拐(エゴナッピング)」され、強請られた結果、自殺に向かったのか?
結論は出た。
その瞬間、ナタチャ・ディアゲレヴの顔がメッシュ通信に浮かんだ。
「おかえりなさい」
仕掛け人は彼女であり、この復活は私の忠誠を完全なものにする儀式なのだ。
心は軽くなった。
技術的に言えば、すでに私の魂(エゴ)には、ディアゲレヴへの忠誠と服従が刷り込まれていたが、それは古代に行われていた力まかせの服従ではなく、技術的な操作であり、なおかつ、私の人格的な強度を損ねず、野心や感情、創造性を損なわずに行われたものだ。それは高度な技術である。
そして、それをここまで完璧に行いうる人間(トランスヒューマン)は太陽系でも数少ないだろう。火星であれば、私だけだ。息子も娘もまだ、この領域にはたどり着いていない。おそらく、分岐体(フォーク)を使用し、仮想現実(ヴァーチャル・リアリティ)内部で何度か試験を行った後に行われたものだ。
ならば、これは私が望んで受けたことだ。
過去の私は自殺を決め、関係者と交渉して落とし所を決めた。完璧な後継者を作成し、一ヶ月の自由を楽しみ、スタックを破壊して死んだ。もしかすると、自殺する前に、この計画の記憶そのものを消したかもしれない。そうすれば、スタックを破壊することでの「解放感」を120%享受出来ただろう。もしかすると、中毒性があるほどの。
自傷行為は再発し、習慣化する。死が完全な終わりでないのであれば、自殺すらも、中毒症状を誘引する。死(タナトス)は性的な官能と直結する。
さて、過去の私は自殺に関して、何を感じたのだろうか?
返す返すも、スタックがないのが残念である。
*
ナタチャとしばし談笑した後、私は白衣に着替え、強化現実(AR)で今日の仕事に目を通した。手術予定の患者が4名。ナタチャが指定した高位の患者は惑星連合として、ややデリケートな問題を担当する外交官である。
私自身が執刀する必要がある。そのメスはデジタルなものではあるが。
*
最初は一発の銃弾だった。
こめかみに銃口を当てて引く。冷たい金属が額に触れた瞬間、トリガーを起動し、意識が途絶した。
物語は終わるが、人生は終わらない。
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ライセンスの詳細については、以下をご覧下さい。
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朱鷺田祐介既刊
『深淵 第二版 テンプレート集
辺境騎士団領』