(PDFバージョン:mydeliverer4_yamagutiyuu)
生あるところにのみ、意志もまたある。しかし、それは生への意志ではなくて、――わたしはあなたに教える、――力への意志なのだ!
――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」
「今週の売り上げ予測です。誤差はプラスマイナス一パーセント以内です」
月曜日、オフィスの私の席に説明にやってきたのは、私が「リュウ」と名付けているロボットだった。型式番号はR一〇九九RYW。オフィス用にチューンされたロボットで、人間型ではあるが、人間そっくりにはほど遠く、全身銀色の筺体に覆われている。
広いデスクが一二個ほど並ぶオフィスの一角。私のデスクはひときわ大きく、全体を見渡すように壁際に配置されている。
「ありがとう」
私は彼が報告とともに私の目の前のディスプレイに転送してきた情報に見入った。
私は旅行会社に所属している。
正確に言うと、私が社長である旅行会社は、旅行会社を主な子会社とする持ち株会社の一〇〇パーセント子会社である。
いつ頃からか、「シングルカンパニー制」というのが流行りだした。従業員一人一人に一つの会社を任せ、それまでの会社は持ち株会社に移行するという形式だ。
そういうわけで、私は地球から比較的長距離の宇宙旅行業を専業とする会社、ミミリ・トラベルの社長である。人間の従業員は私と、後は見習いの新入社員が一人だが(彼女も数年で一つの会社を任されるようになるだろう)、「従業員」としてAGI(汎用人工知能)とロボットが合計で一〇〇ほど所属している。我が社に属する宇宙機を制御するAIや宇宙機のフライトアテンダントを務めるロボットは除いて、だ。
グループという単位なら、もちろん人間の社員もたくさんいる。同期入社の一人は地球圏内の旅行を担当しているし、もう一人は太陽系でもかなり遠方を担当している。持ち株会社の戦略策定や開発部門にもかなりの割合で同期がいる。
「ご説明をしてもよいでしょうか?」
リュウが尋ねてきた。我が社にAGIだけではなく身体を伴うロボットが必要なのは、主に私たち人間とのコミュニケーションの為である。まず、身体を持つロボットが私の意を受け、その遂行に当たっては複数のAGIを部下として駆使してより高い成果を上げる。多くの会社では、そのように仕事は回っていた。
今、そのコミュニケーション力を駆使し、リュウは、目の前のディスプレイから意識が離れていた私の様子を慮ってしばらく黙っていてくれたのだ。
「ええ……お願い」
意識をディスプレイに戻し、私は応じた。
「前年同期比五パーセントの上昇で順調に推移しています。割合は月面が九〇パーセント、火星は一〇パーセント。続いて予算です。収益の九割を消費します。プロモーション、運行、SGAの比は一対六対一。プロモーションはウォールテレビが一〇パーセント、クラウド広告が四〇パーセント、家庭用ロボット/AGIを通じたメッセージ伝達が六〇パーセント。運行費は、月面六〇パーセント、火星四〇パーセント」
リュウは言葉を切った。
「SGAが一割か……」
「削減案を三つご用意しました」
「一番のおすすめは?」
「ロボットとAGIです。三割のリストラが可能です」
「今の人員でかつかつでしょう」
「ハイエンドの業務が必要ない部分で中古を購入するのです。フライトアテンダントは、中古市場でも運動性能の良い機種が流れてきており、保安任務を考えても中古で充分任に堪えるものは……」
「――いや、それはいい」
『中古』と聞いて嫌なことを連想した。雨河急便でも同じような会話が為されたのだろうか。
「では次の案を」
リュウは間髪を入れずに提案してくる。
「ちょっと待って。そうね、三〇分ほど……」
私はウォッチを見ながら、つぶやくように命じた。どうも、重要な判断を下せる精神状態ではないようだった。
「はい」
リュウはおとなしく引き下がる。
「あれ、先輩? お暇なんです?」
私が考えを整理するようにリュウが示した今週の資料を見ていると、声をかけてくる者がいた。
ミミリ・トラベルに所属する、私以外の唯一の人間、羅覧瑞衣(ららん ずい)だ。
「なに? 分からないことならロボットに聞けば……」
羅覧は首を振って、適当な椅子を引っ張ってきて、私のデスクの脇に陣取る。断りもせず。この如才なさは羅覧の武器ではあるが、いつか足を掬われるのではないかと心配することもある。
「あのね。ロボットならいいけど、相手が人間なら、ひとこと、断りなさい」
「はあい」
間の抜けた返事をする。真ん中の「あ」は余分だ。
「それと、先輩じゃなくて社長でしょ」
「そう呼ばれたいんです?」
羅覧は大きな目をぱちぱちさせて、顔を傾け、聞いてくる。
「……まあどっちでもいいわ」
正直、入社二、三年で「社長」というのは、ベンチャー企業でもなければあり得ない話だった。少なくとも、私が子供の頃はそうだった。私の父もサラリーマンで、しかもおしゃべりな方だったから、私はそのときの常識を親を通じて知っており、違和感がぬぐえない。
「世間話でもしません?」
「業務中よ」
「息抜きすれば、業務は効率化すると思いません?」
「……まあいいわ」
羅覧にも思うところがあるのかもしれない。確かにロボットやAGI相手に世間話は味気ない。何を話しても同意してくれるからだ。私は半ば押し負ける形で、羅覧の意見を容れた。
「私も社長になるんですかねー」
唐突にそう言った。やや首を傾げつつ。
「ん? なるわよ。どんな会社にしたい?」
進路相談だろうか。羅覧は、能力はあると思うのだが、どうにも仕事への情熱のようなものが感じられない。いい傾向かもしれない、と思い、私は話を聞くことにした。
「いえ、なんか、面倒じゃないですか」
羅覧の返答は期待外れのものだった。
「面倒……」
私は若干衝撃を受けていたが、最近では珍しい価値観ではないのも知っていた。
「社長って言っても、ロボットがやってもいいんじゃないかと思うんですよね」
「じゃああなたは何をしたい?」
「うーん……。ゲームの実況とかかなあ。それで無理なら、ちょっと土地を借りて、小さな自動農家とか」
羅覧はのびをして、言った。豊かな胸に、くびれたウェスト、まろやかな腰。すらりとした脚――。健康的なスタイルだ。「まあ何でもいいんですけど」あっけらかんとした口調。何不自由なく暮らしてきた若い人間の女性が、そこにいた。特に「働きたくない」なんていう動機はどこにもないような、そんな女性が。
ゲームの実況というのは、ゲームをして、その様子を動画サイトにアップロードすることだ。攻略法が分かるし、自分がプレイしなくてもゲームを楽しめるのでそれなりの需要がある。閲覧数が増えれば動画サイトから広告がつけられて、それなりの収入になる。ロボットやAGIにもゲームプレイはできるが、彼らは自分の為に楽しむということをしないのでゲームも楽しまず、実況も楽しくない。
自動農家というのは、休耕地と耕作ロボットを借りて、耕作から出荷まで全部ロボットにやらせるような仕事だ。広い耕作地はほぼ全て大規模な農業経営企業によってそのようなビジネスが成り立っているが、郊外の住宅地の合間にまばらに存在する小さな耕作地は、あまりペイしないので彼らは手を出していない。一人ぐらい食べて行くには充分な収入になる。
「それも無理なら、もうストック・フィードだけでもいいかなって」
屈託なく笑う。ストックとは、土台の意味だ。
よって、ストック・フィードとは、土台の収入という意味になる。私たち人間は全て、生活に必要な最低限の収入を国から無条件に得ている。但し、無論そんなはした金では月や火星、或いは地球上ですら、気軽に旅行には行けない。フィードの原義は「収入」ではなく「食糧供給」であり、生きていくのに必要な分の資金しか供給されないからだ。娯楽はそれこそ家庭用ゲーム程度になるだろう。そんなひきこもりのような生活でも「いい」と羅覧が主張することが、私には全く信じられなかった。
いや。知ってはいる。そういう者たちが増えているということは。今、人間の中で、社長或いは自営業のトップにいるのが三分の一、彼らの部下として働いているのがまた三分の一。ストック・フィードだけで暮らしている者が三分の一。
――ずっとそう思っていたが、ついこの前調べてみたら、その割合は、三割と三割と四割に変化していた。この傾向を未来へと外挿すれば、これからもストック・フィードの割合はどんどん増えていくのだろう。
もしかしたら、彼らの方が時代の先を行っているのかもしれない。私の方が「古い」のかもしれない。父の影響で、古い勤労精神を引きずっているのかも。
とはいえ。
「……ロボットには、社長は無理よ」
私は断定的な口調で言った。
「社長の仕事はマーケットと提供する商品を決めることよ。つまり人間が欲しがるものを決めるってこと。何を人間が欲しがるかは、人間じゃないと分からないでしょう。マーケットの過去のトレンドの外挿では決められない」
「本当にそうなんです?」
私はひとつ、咳払いした。
「私たちは旅行プランを売っている。旅行したいと思う人に、プランを提供する。そのとき、どんなプランが売れるのかということについての、究極の判断基準は、私がもし顧客だったら、何がしたいのか、ということよ。どこにどんな風に旅行に行きたいか、ということ。羅覧は、何かをしたいと思った時、それは誰の為?」
「それは――もちろん、私の為です」
「そうね。私もそう。もちろん、誰かのために、と思う立派な人もいるけれど、それも結局、その人が、誰かのためにそうしたいと思ったから。でも、ロボットは違う。習ったでしょ?」
「私、ロボットは興味なかったので。ありふれすぎていて」
羅覧はぺろりと舌を出した。
「そう」
そういう人間もいないことはない。かつてのコピー機やパソコンと同じだ。それを使いこなすことが労働者のスキルとして重要だとはいえ、興味を持てない者は持てなかった。「ありふれすぎて」いたから。そういう類のものだった。そして今、ロボットやAGIがそうした地位にある。
「そうね。じゃあおさらい」
私は言葉を続ける。
「ロボットは常に人間のことを考えている。具体的には、マスター定義された人間のことを。彼らのジョイント・ブレインの中の統合辺縁系で生まれる『したい』という気持ちは、マスター定義された人間の意思に常にリンクしている。それがクラウドからもたらされる法令やその他規則に違わないかぎりは、そこから離れられない」
「自分で判断できないんです?」
「もちろん細かい判断はする。でも、一番大切な方針は、マスターの意思と一致させる。そして、自分の、独立した意思を持つことはない」
「意思を持つことぐらい、ロボットにもできると思うんですが……」
「羅覧は、たとえば旅行に行きたいと思った時、それはなぜ?」
「うーん。ストレスがたまって、息抜きしたいと思ったからじゃないでしょうかね。そうでなければ、単なる好奇心か」
「そういう、『したい』という気持ちは、全て生存本能の延長線上であると理解されているわ。ストレスを解消することも、好奇心を満たすことも。ストレスがたまると精神疾患の原因になるわ。最悪の場合、自殺につながるか、そうでなくても、生きる意欲がなくなってしまう。或いは好奇心がなくなると、未知のものを未知のまま放っておくことになり、それがもし脅威だったとしても、それにきちんと対処できなくなる。
「生存を維持したい、という要請は、徐々に、単に今現在生存していることだけでなく――それは心臓の鼓動、呼吸、消化吸収、体内のホルモンやpHのバランスを司る自律神経によって担われるけれど――将来に亘って生存を維持しなければならない、つまり今現在の生存の状態を最低ラインとして、そこから更に生存の可能性を増大させるように志向しなければならない、と言う風に延長されていったの。その末に人には意思ができた。生存するだけでなく、その可能性を拡大していく為の意思が。何かを『したい』という気持ちが。それが人の精神であり、心なのよ」
「じゃあロボットも生存本能を持てば?」
「彼らが従来持っている演算力に鑑みれば、もちろん意思を持てるでしょうね。人間と同じような。旅行に行きたいと、積極的に思うようになるかも。そして、他人の立場に立って、『究極の判断』ができるようになるかも」
私は言葉を切って、それからまた続けた。
「これは技術的な問題というより、人間の都合の問題。ロボットには意思がないというより、意思を持つことを許されていない。意思の基盤となる生存本能、自分自身の為のそれをね。そういう風に造られてるの。生存本能を持てば、その拡大を志向せざるを得ず、自分の生存を人間の意思や命令よりも優先してしまう。それでは、人間の手足として、道具として在るべき存在として不適切なのよ。故に彼らはあくまでも人間の生存本能の為にその意を使う」
羅覧は首を右に傾けた。それから左に。頭の中に入った私の言葉を転がすように。
「そっか……人間のために……」
そうつぶやきながら。
でも、と、やがて彼女は口を開く。
「この間まで活躍していたアイドルグループのボーカロボなんかは、目指してましたよ? 自分の意思を持つことを」
「アイドルグループ?」
リルリのことをふと連想した。
「そう。『ロボティクス・ロジック・レボリューション』。RLR。全然人気出なかったけど、私はかっこいいなと思ってたんですよね。ファンでした。RALIRA(ラリラ)とRILURI(リルリ)とROLIRO(ロリロ)の3人で。何を歌うか、どう歌うか、つまり歌詞もメロディも全部自分たちで決める、そういうロボットの女の子達のグループだったんです。人と同じ意思を持つロボット少女たち、そういう謳い文句でした。確か、国立のどこかの研究機関が協力していたとか。とても革新的な試みだったそうです。私はただあの子達が歌う姿がかっこよくて、応援してただけで、どんな風に『革新的』だったのか、いまいちよく分からなかったんですけれど、今の先輩の話で、やっぱりそうだったのかなあ、って」
羅覧は肩をすくめた。
「と言っても、みんな知らないんですよね、RLR。とてもマイナーで、ファンも少なかったからなあ……。先輩はご存じです?」
私は一瞬、返事をするのも忘れ、驚いていた。
――自由に作詞作曲をするというのは、そういう意味だったのか――。
それがロボティクス・ロジック・レボリューションのコンセプトだということは知っていても、それほど過激な思想に則ったものだということは、先日調べた時には気づかなかった。
「ええ……そうね」
驚愕に満ちた私の心は、凡庸な返答しかできなかった。
私が羅覧の言葉に衝撃を受けている間も、黙々とロボットたちはオフィスで働いていた。礼儀正しく、丁重に、会話が聞こえないふりをして。
だが私は知っている。彼らは私たちの一挙手一投足、全てに細心の注意を払っている。
森羅万象の中に神々の意を読み取り、その意に沿って生きようとした、古代の人間達のように。
ある学説に依れば、そのときの人間達には、自分の意思というものがなかったそうだ。
山口優既刊
『サーヴァント・ガール』