「緑陰の家」倉数茂


(PDFバージョン:ryokuinnnoie_kurakazusigeru
 初めてその家屋を見たとき、わたしは思わず威彦らしいと微笑まずにはいられなかった。
 繁茂する緑の蔓草が外壁の全体を荒々しく覆いつくし、家という内側に空虚を抱えた存在を、ひとつの旺盛な生命の塊に変えている。もっとも、人さえ住んでいれば、ここまで植物が我が物顔に這い回ることもなく、だからこれはむしろ威彦の不在に由来する事態なのかもしれない。
 なんにしても、近所の住人や大家は苦虫を噛み潰しているだろうと思うと、笑いはすぐに溜息にかわった。なにしろこれから滞納している家賃を払いに行くのは自分なのだ。
 威彦が行方不明になって三ヶ月になると連絡を叔父から受け取ったのは二日前だった。いつものようにニューギニア高地へフィールドワークに向かったのだが、帰国予定日になっても戻らない。帰国の遅延などよくあることだが、問題は、四月からI大学の講師の口が決まっていたことである。恩師であるK教授は、しばらくは事務方をなだめておくとおっしゃってくださったそうだが、このままでは初めての就職口をふいにしかねない。
 しかしそれよりもわたしの耳をそばだてさせたのは、成田からの電話で威彦が告げたという、今度は嫁さんを連れて帰るからということばだった。つまり威彦は現地に恋人がおり、結婚まで考えていたということだ。
 どのような女性なのだろう。わたしの好奇心は刺激された。嫉妬の気持ちは微塵もなかった。威彦とは愛や性よりも、もっと深いもので結ばれていると感じている。
 だから、一部のものが案じるように、すでに死んでいるという可能性も一蹴した。どんなに非科学的と嗤われようが、威彦が死ねば、自分がそれに気づかぬはずがないと思う。
 両親を航空事故で失ってからの数年間というもの、威彦はわたしにとって、遺された世界のすべてと等価だった。叔父の家に引き取られたものの、ことばさえ失ってしまった幼女は、威彦だけには心を開き、彼の眼を通して世界を見、彼の手を使って外界に触れた。まだ思春期前だった威彦にしてみれば、精神的に寄生してくる五つ年下の女の子の存在はさぞや負担であったろうが、黙っていつも傍にいてくれた。わたしはそれ以外に生き残る術を知らなかったのだ。
 十になったとき、わたしは彼を解放してあげなければならないと思った。あなただけは、わたしをおいて一人で遠くへ行ってしまわないで、と言った。彼はうなずいた。故に威彦がわたしに何も言わずに死んでしまうことはありえないのだ。
 昨日になって、インドネシアから大判の封筒が届いた。差出人の名前はない。あけてみると、縁が擦れ、コーヒー染みのついた分厚いノートが一冊。大切なフィールドノートを送ってくる以上、何か不測の事態があったのは確かなのだが――。
 横手にあった小さな木製の門から入る。
 間近でみると、あらためて蔓草の勢いにおどろく。築五十年は経っている古い民家を借りることにしたのは、家賃の安さはもちろんのこと、資料を置く場所を確保するためだとも聞いていた。しかし、浮世から超然としたこの家の表情も気に入ったのだろう。すぐ隣の敷地では、重機が入り込んで、今まさに建物が壊されつつあるのとは対照的だ。すでに半ば以上瓦礫の山と化している民家の姿がどことなく哀れで、しばらくそちらを眺めていると、パワーショベルの前に立つ黄色いヘルメットをかぶった若い男と目があった。
 不動産屋から受け取った合鍵で玄関の戸をあける。
 まだ五月だというのに、むっとした熱帯の気が籠もっている。
 玄関や廊下にずらりと並べられた木製の仮面たちがにぎやかに出迎える。どれも見事な造りで、大きなものは一メートル近くあるだろうか。異形であるとともにユーモラスでもある。こちらをはっしと睨みつけている黒檀製の精霊に、お邪魔します、と小さな声で挨拶して、框をあがった。
 他の部屋には、木製の太鼓や琴のような楽器、竹製の笛などが雑然と仕舞いこまれていた。それから、和洋入り混じった専門書の山。もはや使われてないと思しい型落ちのパソコン。
 何か手がかりはないかと家の中を歩きまわる。何も記名されていないCDの一枚をためしにプレーヤーにかけてみると、突然室内の空間全体が柔らかな律動で満たされた。複雑な倍音を伴ってひろがる金属打楽器の玄妙な響き、そのあいだを小鳥のように飛び回る笛の音。おそらく威彦が自分で録音したものなのだろう。マイクは囁くような現地語の呟きもひろっている。
 駆け出しの文化人類学者として威彦が調査を進めていたのは、文明と接触してまだ日が浅いガワン族の口承の伝統と信仰文化だった。一九七〇年代まで一切西洋文化と接触することがなかったというガワン族は、文字を持たないがゆえの豊穣な口承文化を持っている。「彼らは過去の一切を〝うた〟のかたちで記憶する」と威彦は書いていた。「〝うた〟は詩であり、唄でもある。彼らは集まるとそうしたうたをときに朗々と、ときに囁くように歌い、自分たちの歴史を確認する」。ふと気がつくと、自分まで熱帯の国にいるように、首筋にうっすら汗が滲んでいた。ひとまずプレイヤーのスイッチを切る。この音楽には、聴くものを一息に別時空へと拉致しさる力があるらしい。
 昨日、思わず明け方まで読み耽ってしまったノートには、異なる価値、異なる認識の海へと飛び込み、戸惑いながらもその世界の意味体系に馴染んでいく威彦の心の震えが生き生きと書かれていた。「ガワン族の世界観の中でも、とりたててユニークなのは、アウフ(aufe)とタウフ(taufe)という概念である。アウフは、生きている、見える、触ることができる、(語っている「自分」と)同じ時間に属している、といった意味に近しい概念だが、それらのどれともぴたりとは一致しない。一方、タウフはその対概念であって、タウフを与える、というのはアウフを奪う、というのと同意義である。長い訓練を積んだ優れた呪術者――というのは、ガワン族の社会では必ず詩人でもあるのだが――だけが、このアウフとタウフの硬貨の両面のような性格を熟知している。このような呪い師=詩人は、アウフとタウフの境目に立つものと考えられている」。
 以前彼に会ったときに言っていたことを思い出す。「無文字社会では、歴史というものが詩と一体化する。その結果、口頭で語られる詩の生理にしたがってというべきか、一回的なできごとが原型的な物語に溶け込み、日付のある事象が永遠に循環する時間に呑み込まれてしまうんだね。たとえば、初めてガワン族の存在を世界に告知したワトソンというイギリス人は、密林で死亡したにもかかわらず、彼らの歌う詩のなかでは今も生きているんだ。それも、精霊の一人、彼らの世界を掻き乱す白い顔のトリックスターとして」。
 その話を聞いたとき、悪くない、とわたしは思ったものだ。ある意味ではわたしは今でも威彦に依存している幼女のままであろうし、父母さえ本当には死にきってはいない。心の内側には、線的な時間など流れていない。そう考える方が自然ではなかろうか。
 しかし威彦は容易に納得できなかったようだ。彼は書いている。「友人のガワン族の男に、もしもガワンの叙事詩が語る歴史が本当なら、おまえが学校で教えているものはなんなのだ、と聞いてみたことがある。幼い頃家族で森から出て、今では中学の教師をしている男だった。叙事詩では、人間の歴史は森の奥で始まり、大いなる精霊たちによって見守られている。そこでは本質的な変化はない。一方、外の世界では、人間は猿から進化し、幾つもの帝国が生まれては滅び、原子爆弾が地上に落ち、人間は月まで到達した。両方を一度に信じることは不可能だ。おまえはどう考えているんだ。彼はこう答えた。どちらがまちがっているというものではない。森の中にいるときは、わたしたちにとって叙事詩は真実だ。なぜならわたしたちはすでにその一部だからだ。そのとき、僕たちは、町の大衆食堂で飯を食っていたのだが、テレビではこちらの若手俳優が、悪漢に刺されて死んでゆく男を演じていた。あいつは今、痛みを感じているか? 突然彼はテレビを指差して尋ねた。どういうことだ? 意味がわからないと僕は答えた。今のこの瞬間、あの男は何を感じているか?と相手はくりかえす。演技なのだから痛みは感じていないだろう。自分はうまく写っているかとか、この作品はヒットするだろうかとかじゃないのかと僕。彼は息が吐きかかる距離まで顔を近づけて言った。浅黒い皮膚の中で、白眼だけが強い光を放っていた。俳優の話をしているんじゃない。映画のなかの男は何を感じているかだ。いいか、この映画が放映されるかぎり、あの男は永遠に近い回数、血を流しつづけ、死につづけるだろう。それが何度でもくりかえされるだろう。その痛みは嘘でもごまかしでもない。あの男はまちがいなく死んでいくのだ。それが、タウフというものだ。おまえたち外の人間は、その意味をわかっていない」。
 ノートはそのことばで終わっていた。それ以上、威彦の現在を告げる情報は書かれていなかった。手がかりがないわけではない。ノートの中ほどから、頻出するひとつの名前がある。ナミテ。彼女もまた町に出てきたガワン族の少女であり、市場で働くうちに、威彦と知り合う。
 ナミテはうたうたいの家系だった。まだ若いのに多数のうた、すなわち歴史であり神話であり伝説でもあるものを巧みに語ることができた。すばらしいインフォーマント(情報提供者)を得て、興奮する威彦の顔が眼に浮かぶようだ。それがやがて知的関心以上のものに変わっていくのも。
 だが今は、彼の居場所の手がかりになるものを探さなければならない。
 これから訪れる場所の地図、連絡先を書いたメモ、心覚えの走り書きなどがないだろうかと家中を探した。
 そしてそれは見つかったのだ。意外なほどあっけなく。書斎代わりに使われているらしい四畳間におかれた机の抽斗に三冊のノートが突っ込んであった。奇妙なのは、先ほどざっと見たときには目につかなかったことなのだが。
 思わずその場に座り込んで頁を繰ると、二人の距離はだいぶ縮まっている。
 威彦はナミテに連れられて、彼女の親族の村を訪問する。密林に切り開かれた焼畑の耕地と小さな集落。その晩、夜半になって目覚めると、白々とした月の光が木と草でつくった小屋の内部を照らし出している。起き上がり、どこからか聞こえてくる細く高い声に導かれるようにして小屋の外へ出る。村の中央の広場で、女たちがうたをうたい、輪になって踊っている。月の美しさを讃えるうただった。女たちは伝統にならって腰みのしか身につけておらず、乳房が誇らかに月の光を受けていた。その人影のなかにナミテの姿を認めたとき、自分が恋に落ちたと知った。
 突然、チャイムの音が響き渡る。一秒でも待てないというせわしさで誰かがチャイムを連打している。
 わたしは駆け下りていって、あわてて玄関の戸をあけた。先ほど見た、作業着に黄色いヘルメットをかぶった男が立っている。それでは、今からこちらでも作業を始めますのでよろしく。男はぼそぼそとそれだけ言って立ち去った。暗い目をした表情のない若者だった。
 首をかしげながら二階に戻り、ノートのつづきに没頭する。
 二人は愛しあい、時間をかけて、親族たちに二人の関係を納得させていく。村を訪れ、祭りに参加し、サゴヤシの澱粉を発酵させた酒を酌み交わす。
 しかし思わぬところで事態は動いていく。ガワン族の居住する地域で、レアメタルであるニッケルの鉱脈が発見される。チェーンソーを持った男たちの集団が送り込まれ、繁茂する木々を切り倒して、プレハブの住居を建てる。ナイフで切り裂いたようにまっすぐな道路が緑の絨毯をよぎる。
 威彦は高度二千メートルを航行するセスナ機のシートから、その禍々しいまでに幾何学的な赤褐色のラインを目撃した。傍らには日本からやってきた金属系商社の担当者、別の側にはナミテが座っていた。
 商社員は流暢に説明する。現在、ニッケルの鉱脈を巡って、日系と中国系の商社がつばぜり合いをつづけていること、ジャカルタの政治家への働きかけを強めていること、この鉱山開発が国家戦略上の意義も持たずにはいられないこと。
 彼は書いている。僕は商社員のことばを、逐一噛み砕いて、ナミテの耳に翻訳してやりながら、このようなことに何の意味があるだろうかと自問していた。つい最近まで石器時代にも等しい生活をしていたガワン族に、軍需物資や国家戦略が何の関わりがあるだろう。しかしナミテは、僕のことばひとつひとつに小さくうなずきながら、すべてを眼球の奥にしっかりと焼き付けておこうとでもいうように、じっと目を瞠って故郷の密林の姿を見下ろしていた。
 不意に家屋が大きく振動し、壁の漆喰がはがれてぱらぱらと音をたてながら畳の表面に落ちる。
 地震かと身構えるが、低い不規則な轟音とともに、ますます揺れは大きくなっていく。
 気持ちを乱されるのが嫌で、近くにあったヘッドフォンを嵌め、ジャックを差し込んでスイッチを押す。
 たちまち別時空の音色が頭のなかに流れ込んでくる。
 これもまた、彼が録音したのではないだろうか。先ほど聞いたものより小規模で、金属器の音が欠けている分だけ、柔らかでどこか魂のひだに染み渡るような気がする。このくりかえされる響きは小ぶりの太鼓だろうか。やがてそこに女声の朗唱が加わった。ことばがわからなくても、湛えられた感情は伝わってくる。悲しみ、怒り、流浪の切なさ。その哀調に、森を遂われる姿が重なる。
 できれば、商社とガワン族のあいだに立って、事態を妥協できる範囲に収めたいという願いはかなえられなかった。
 商社間の軋轢、地元有力者の策謀、利権の奪い合い。開発拠点のキャンプでは、暴力沙汰が絶えないと聞いている。
 ガワン族の中でも、若い世代はもう実力行使しかないと言っている。夜陰にまぎれてキャンプを襲い、雇われている作業員を追い散らすという計画が立てられる。作業員もまた別の地域で土地を奪われた少数民族だといっても聞き入れられない。だいたいどのようにして彼らを蹴散らすというのか。向うにはブルドーザーがあり、ダンプカーがあり、銃を持ったボディガードまでいるというのに。
 やがて若者組を中心に、伐採がつづけられている地域の最前線に伝統的な木と草の小屋が建てられる。そこに籠城しようというのだ。最初は会社の人間が、やがて目つきの悪い男たちが交渉のために訪れては追い返される。どうやら彼らは地元有力者の私兵らしい。明朝夜明けとともに撤去を開始する、と男の一人が彼らに警告する。そのときになっても立ちのかないようなら、血が流れることも覚悟するんだな。隣に立っていたナミテが、ぎゅっと手を握ってくる。
 二人がじっと身を寄せ合う周囲で、若者たちは夜通し小さい音で太鼓を叩いていた。ナミテが合わせるように低く口ずさむ。精霊に向けた祈りのうただった。
 やがて、曙光が木の皮で葺いた屋根と壁の隙間から水が沁みるように入り込んできた。一瞬だけ睡気がさした。何か巨大なものが外からぶつかってくる。小屋の中央に立てられた柱がかしぐ。若者たちが一斉に立ち上がる。竹の骨組が折れて、亀裂の入った壁が崩れて倒れる。
 わたしは呆然としてヘッドフォンを投げ捨てた。太鼓の音もうたごえも消えなかった。壁が破れ砕かれ、そこからパワーショベルの巨大な金属製の腕が突き出している。
 土埃とともに、上から瓦のかけらが降ってくる。わたしは両腕でそれを避けながら、どこか逃げる場所はないか探した。
 こぼたれた白壁の向う。明け方の光に濡れて輝く緑の迷路へと走り出す。
 作業服を着た男たちがかたまって立っていた。男たちは野太い叫び声をあげ猟犬をけしかける。ガワン族の若者たちも、弓をかまえて応戦する。木を切るために持ち歩いている斧をふりあげるものもある。
 作業服の男の一人が銃をかまえた。銃声がして、右腿がかっと燃え上がるように熱くなる。
 男たちが駆け寄ってくると、ガワン族の若者は散り散りになって逃げる。早くしないとみんな殺されてしまう、あなたも殺されてしまう、と腕の下のナミテが言う。ナミテは、血まみれになるのも厭わずに、威彦を背負って樹々のあいだを歩いていく。そこで意識が途切れる。
 次に気がついたのは、カヌーの上だった。
 規則正しく水を叩く櫂の音にまじって、睡気をもよおすような虫の羽音と、どこかの樹冠に陣取った甲高い猿の叫びが聞こえた。
 気がついた?と櫂をこいでいるナミテが尋ねた。腿の傷はできるかぎり処置した。これから森の奥のウィッチドクターのところへ行く。ウィッチドクター? そう、わたしの祖父が呪医をしている。
 仰向けになったまま太腿を触ると、切った蔓で縛って血止めがしてあった。薬草の葉らしきものも指に触れた。身動きすることができなかったので、片腕を日よけにして空を眺める。白い雲と視界の隅を流れていく緑の葉叢の海。
 夕暮れになると痛みが帰ってきた。熱にうなされて、夢とも幻覚ともつかないものが次々に訪れる。ナミテは岸に舟を着け、火で沸かした湯に薬草を煎じて飲ます。麻酔薬だというそれは心地よく染みわたり、いつのまにか都会の外れの自分の家に帰っていた。トランクの荷物を解き、汗臭い衣類をビニール袋につめて縛り、書きかけのフィールドノートは抽斗に放り込む。畳の上に大の字になって天井板の木目を眺め、一眠りしたら近所の居酒屋に行って生ビールのジョッキを空けようと思うだけで幸福が込み上げてくる。
 次に意識をとりもどしたとき、最初、自分がどこに横たわっているのかわからなかった。
 薄暗いなかに、無数の仮面が並べられている。いずれも怪異な眼を瞠り、舌や歯を剥きだしている。儀礼やイニシエーションに使われる森の精霊小屋だと気がつく。かたわらにはナミテが座っている。
 闇の一部が身じろぎし、そこに老いた男が座っているのがわかる。海の向うから来た若者よ、われらの娘を娶りに来たものよ、おまえはもうすぐ死ぬ、と男が言う。まだ夢のなかにいるように感じるか。
 痛みと熱は引いているので、そのことばを冷静に吟味することができる。そうですね、まだ夢のようです。でも自分が死ぬということはわかりました。まだやりたいことも色々あったけど、まあ、それほど悪い人生でもなかった。
 男は答える。おまえは死ぬが、おまえと娘のことをうたに織り込むことはできる。おまえはタウフを得る。うたのなかで、おまえたちは永遠に抱き合い、睦みあう。
 いいな、それは。ナミテさえよければ。
 ナミテは微笑んで、彼の髪を撫でる。わたしたちは死ぬと精霊となって、うたのなかで、森の奥で生きる。
 そうか、二人で行こう。
 お願い、わたしも連れて行って。わたしは思わず叫んでいた。今更この〝現実〟などに何の未練があろう。横たわったまま、ゆっくりと首をまわし、威彦がわたしを見る。
 来ていたのか、と微笑む。
 遠くへ行くときはわたしも連れて行くという約束のはず。わたしもうたのなかへ、森の奥へ、行きたい。
 じゃあ、三人連れだ。
 さっきから鳴っていた太鼓の音がひときわ大きく高くなっていく。わたしの唇からも自然にうたが溢れ出す。二人が腕を伸ばし、わたしの手をつかんで、小屋の戸口を抜けざわめく森に向かって歩き出す。わたしは自分がすでにうたであること、ことばそのものであることを知る。

倉数茂プロフィール


倉数茂既刊
『魔術師たちの秋』