「オメガ・メタリクス」東條 慎生


(PDFバージョン:omegametarikusu_toujyousinnsei
   1

 ドリルの高周波もずっと聴いていると気にならなくなってくる。チクリと麻酔を打たれて痛みもない。それ以上に、ガリガリとそんなに削っていいものなのかということに不安を感じる。もちろん医者がやってるんだから大丈夫なんだろうけれど、そうはいっても削りすぎではないか、いいのかそれで、と言葉が頭に渦を巻く。そしてどんどん金属質になっていく自分の歯。どうだ、おれのメタリックな歯は、強そうだろう、という冗談を思いついたものの、いったい誰に言うのか。自分にか。

 叔父がまだゴルフバッグを担いでいなかった頃、自分がまだ酒も飲めない年だった頃、叔父の病室に通されたときの異様な感覚。ひとことでいえば、誰かの体の中に入ってしまった感覚だといえばいいのだろう。けれど、そんな表現が誰かに通じるわけがない。でも、そうとしか言いようがない。
 叔父はそのとき、ベッドに寝たきりで起きあがることができなかった。鼻や口や喉や腕やら体中から管やコードが延びていて、ベッドの脇の大きな機械へとつながれていた。両親に連れられて入ってきた自分を見たとき、叔父のマスクに覆われた顔がわずかに笑みを浮かべたのがかろうじてわかった。喉にも管が通っていて声も出せないので、胸元にあるキーボードを寝ころんだまま起用にたたいて、ひさしぶり、と頭の横のディスプレイに打ち出した。
 それこそ子供の頃に遊んだとき以来だっただろうか。ほんとうにひさしぶりだった。もう記憶のなかから叔父の顔を思い浮かべることができなくなるくらい昔のことだった。どんな遊びだったのかももうほとんど覚えていない。タバコの煙を吹きかけられたり、近所の川に連れて行ってもらったり、そんなような出来事の断片だけがなんとか思い出せる。
 病室で見たとき、マスクで半分ほどが隠れた顔と、記憶のなかでばらばらになっていた顔とを一致させるのにしばらく時間がかかった。長い間会わなかったのでずいぶん年を取ったのと、なにより痩せてしまっていたからだ。
 それでも、そのかすかにのぞく表情が、記憶と目の前の人物とを結びつけた。

 両親、特に姉であるらしい母が叔父となにやら面倒くさそうな話をしている間、視線は自ずと叔父の身体とそれを取り巻くコード類の方に向かっていた。ベッドの両脇以外にも下や叔父の頭の上にも、小さいパソコンのようなものや低くうなりをあげるモーター音が聞こえてくる鉄の塊などがどっしりと居座っていて、さらにそこから天井や壁を伝ってたくさんのケーブルが縦横に張りめぐらされていた。これらすべてが、叔父の動かなくなった臓器の代わりに働いているのだという。血管に血を送り込み、肺に空気を循環させたり、その他さまざまな機能を、叔父の動かなくなった内臓の代わりとなって働いているらしい。つまり、この部屋に張りめぐらされたコード、それが集まっているいくつもの機械、そこから叔父へと延びていく管などのすべてが、叔父の内臓そのものだった。この部屋それ自体が、叔父の命を支える器官だった。目の前のうごめく機械は心臓そのもの、肺そのものだった。
 メタリックな内臓類がぽんと床に投げ出されていた。叔父の切り開かれた身体から、取り出された生々しい内臓が、床の上で金属に成長していったかのようだった。その部屋にいると、それこそ、生きた身体のなかに入り込んでしまったような、居心地の悪さが感じられた。こんなところにいていいのか、こんなデリケートな空間に土足で入り込んでいいのだろうか、と。
 両親の話は、まだ長くかかるようだった。一人部屋を出て、自由に出入りしてもいい中庭で掃除の追いつかない枯れ葉の山を踏み鳴らしながらずっとうろついていたことを覚えている。

   2

 夏の昼前、少しずつ暑くなりはじめてきた時に、ゴルフバッグを担いで、これからプレイしに行くのではないかというような出で立ちで叔父が玄関に現れた。休日だったのと、叔父の爽快な顔つきがますますそうした印象を強くした。
 もちろん、叔父はゴルフをしに行くわけではない。両親が家にいる休日を選んで、なにやら大切な話をしに来たということだった。そのことは前から聞いていたので、たいして驚くことはないはずなのだけれど、数年前のあの病室で見たやつれた姿とのあまりの違いにはやっぱり驚くばかりだった。叔父は満面の笑みを浮かべて、久しぶり、といった。言葉を見るのではなく聞くことができたのはいつ以来だろう。叔父に挨拶を返している間に母が現れ、リビングの方へと案内しながら父に声をかけていた。後ろから見ると、左肩に担いだ大きなゴルフバッグのような機械から出た黒くコーティングされた太く平たいコードが、襟のなかに潜り込んでいた。服の下には何かが入っているようで、左肩を中心として不自然に盛り上がっている。ゴルフバッグは左肩と腰の横でしっかりと固定されているようだった。機械からは低いうなり声が聞こえる。上部にはAOとかなんとか英語で書いてあったが、意味はわからなかった。
 三人はリビングのテーブルを囲んでいくつもの書類をやりとりしながら、どうも叔父の治療のことについての話をしているらしかった。装置のこと、生活のこと、金のこと。居間にいる三人を後ろ目にテレビをずっと見ていた。何もすることがなかった。

 叔父は脳だか神経だかの異常で、内臓のかなりの部分が機能不全に陥るという珍しい病気にかかっていた。心臓、肺以外にも、腎臓や骨髄などにも異常が見られ、生命を維持するためには相当の設備が必要だった。さらに、臓器そのものが異常を持っているわけではないため、臓器移植をしたとしても新しい臓器が動いてくれず、人工の臓器を使うほか治療手段がないということらしかった。しかし、それをクリアできれば、激しい運動は無理でも、日常生活に支障が出ない程度にはなれるらしい。らしい、ではなく、現に叔父はここまで来ることができている。大きなゴルフバッグを抱えてではあるけれど。

 話が一段落したようなのがわかった。リビングの方に行くと、父がこれから会社へ行くことになったといった。母はこれから夕食を作るから、叔父さんと居間にいてという。叔父はこちらを見て少し笑った。椅子に座っている叔父の首には、脇に立てられたゴルフバッグからコードがさっき見たときよりも長く延びていた。無理なく座れるように伸縮可能になっているようだ。叔父は書類をしまい込んだ鞄を椅子に置いて、ゆっくりと立ち上がった。首筋に伝う黒いコードは、叔父が立ち上がるのとともにバッグのなかに吸い込まれていった。
 叔父はバッグを担いでこっちまで歩いてくると、居間のソファーに座った。自分もその隣に座った。叔父は、これが気になるかい、と聞いた。それは気になるに決まっている。それが、今の叔父の生命を支える体外に露出した臓器そのものなのだから。心臓、肺、腎臓、その他の生命維持機能を全面的に肩代わりしているのが、そのゴルフバッグだということはすでに知っていた。知っているせいで、それが目の前にあるということが恐ろしくもあった。
 その機械、持ち歩いても大丈夫なものなの?
 叔父は、持ち歩いても大丈夫かどうかをはっきりさせるために持ち歩いているんだ、といった。もちろん、ほとんど大丈夫だということがわかっているからこうしてここにいられるんだけれどね、とすぐにこちらの表情を見て付け加えた。
 それにしても、いかに堅く丈夫なように見えても、それがそのまま生命維持に必要なデリケートな機械だという事実は変わらない。コードひとつで身体とつながっているだけで、心臓や肺がそのまま目の前にあるようで、ふとしたひょうしに強い衝撃が加わってしまうようなことがあるかも知れないと考えると、空恐ろしくなる。なんといってもこれは、叔父の生命そのものなんだ。そんなようなことをたどたどしく叔父に言ってみると、君だって足の間に身体の外に出た内臓があるじゃないか、と半笑いで返された。少し考えてそれの存在に思い当たり、笑っていいのか怒っていいのか迷っている間に、言葉を見つけたのか叔父はまじめな顔でゆっくりと話し始めた。
 これはこれで悪くないよ、慣れればそういうもんだ。だいたいのことは慣れられる。何しろ、ずっと起きあがることすらできない生活だったんだし、喉から入れた管のおかげで喋ることもできなかったんだ。それに比べれば天国のようなもんだよ。でも、これを抱えたまま生活するのはなにかと不自由だし、頑丈さや信頼性に相当気を配ったとしても、身体の外にあるのは危ないと言えば危ない。ただ、それも程度問題かも知れないとは思うけれど。人間危ないときは危ないもんで、ちょっとした傷で死んだりすることも充分あるし、目なんてものすごく柔らかそうで恐い。この機械は身体にきっちりと固定できるし、肉と繋がっているところは簡単に外れたりずれたりしないようになってる。でも、肉と機械をつなげるのは相当難しくて、昔の人工臓器のたぐいはそこからばい菌が入ったりして感染症にかかってしまうことも多かったらしい。
 だから、とこちらの表情が変わったのを見て、叔父は笑みを浮かべてこう続けた。将来的には僕のこの機械は、全部身体の中に内蔵するように研究が進んでいるんだ。僕はちょっと特殊だからあんまり他の人と流用できる部分が多くはないんだけれど、それでも無理じゃない。そういう計画があるんだ。

 あの内臓の部屋のことを思い出していた。機能不全に陥った内臓類は、一度一つの部屋ほどの広さにまで展開され、それが少しずつ少しずつ小さくなっていって、最終的には元通りに身体の中にしまい込まれる。あの部屋が丸ごと叔父の身体に再吸収される。つぼみが花開いて、しぼんで実をつけるのを思い浮かべていた。

 それから、治療のことや、日常生活の不具合なんかについていろいろ聞いた。日常とはいっても病院と外との往復で退院したわけではないことや、前合わせの服以外は着れないなんていうことも話してくれた。しばらくして母が作った夕飯を一緒に食べた。叔父は何も食べずに同じテーブルで話をした。それから叔父は病院へと帰っていった。
 叔父は家族もなく子供もいないので、一人暮らしのアパートも引き払ってしまい完全に病院暮らしになっていた。外に出歩けるようになっても戻るところもなく、こうして家にたまに現れるくらいだった。母と父はそんな叔父に様々な面でサポートしているらしく、うちの一家と病院の人たちが、叔父にとっての大切な話し相手だった。
 叔父はたぶん、そういう状況のなかで自分がいろんな機械とともに生きていることについていろいろ考えていた。ある時叔父はこんなことを言った。ある病気の人は、呼吸筋の麻痺で自力で呼吸できなくなって人工呼吸器をつけないと死んでしまう、ということになったら呼吸器をつけないで死なせてくれと常々いっていたらしい。でも、家族の人は生きていて欲しいと思って、呼吸器を本人の了解なくつけてしまった。その人は呼吸器をつけたことを繰り返しなじったのだけれど、ある時家族が転んで人工呼吸器が止まりそうになったとき、殺す気か、と怒ったそうだ。まるでコントみたいな、でもいい話だろう、と叔父は言った。
 それはまるで自分自身に言っているかのようにも見えた。

 叔父はその後も何度かリハビリと試験をかねた外出で家に来た。金銭面でも支援しているらしい両親に深々とお辞儀をする叔父の姿を何度も見た。叔父とはわりあいよく喋ったような気がするが、いくつかのやりとり以外、あまり覚えてはいない。それからしばらくして、ゴルフバッグを体内に収納する技術ができる前に叔父が死んでしまったからだ。バッグを担いだ叔父はあんなに元気そうだったのに、あっさりと死んでしまった。

 麻酔が効いてるはずだけれど、削る場所が変わったのか、かなり痛み始めた。少しは耐えてみたものの、医者に言われたとおり、手を挙げて痛みを訴えたら、もう少しですから我慢してくださいね、と。おい。

   3

 おそらくこの歯だけなら晩年の叔父以上にメタリックになっているはずだ。差し歯、銀歯が盛りだくさんの歯並び。メタリックだからといっても強いわけではない。どう見たって人工的なこの歯並びだけれど、こうでもしなければ食事をすることもままならない。人工的に生きなければ、数メートル先のものが見えないし、飯も食えなければ、家に帰ることすらできなくなる。痛む歯を削って、銀歯を植えれば、またちゃんと飯が食えるだろう。

 叔父が死んだのは、機械部分の故障とかのせいではなかった。人工臓器で健康そうに見えたとしても、あれだけの重病で本当はいつ死んでもおかしくないくらいだったという。それでも、あのゴルフバッグのおかげで、何年かは外出も可能なほど回復した。しかし、叔父の死が小さいながらも報道されたとき、叔父の死が、あたかも機械につながれたことによってもたらされた死だとでもいうような発言があった。
 叔父はそのときが来るまで生きることができなかったけれど、人工の臓器を完全に内蔵して病院のベッドから日常に復帰できた人のことをテレビで見た。叔父のように病気ではなく、事故でいくつもの内臓にかなりの損傷を負い、移植を待つのが困難な人だったらしい。その人が人工臓器類を埋め込む内蔵手術の様子は、テレビで放映された。鉄のようなプラスチックのような、特殊な物質でできた複雑な形をした臓器が、赤い身体の中でうごめき、肉や血管につながり、息づいていた。その様子をなんと言っていいのかわからない。異様なといってもいいのだろうけれど、人の身体のなか自体がそもそも異様だった。グロテスクなものにグロテスクなものを接ぎ足している。
 ある人はしかしそれを不自然だという。人は自然に生きるべきだと。ならば不自然な生を生きるものは死ぬべきだというのだろうか。死ぬときには死んでしまうのだから生きられるだけ生きればいい。それが叔父のようにゴルフバッグを抱えたり、人工臓器を内蔵したりして、どこまでも機械化しかけたとしてもだ。不自然な生を批判できるのは、眼鏡をかけても、銀歯を入れても、化学繊維の服を着ても、車を使ってもいない人間だけではないのか。不自然な生を否定できるのは死んだ人間だけではないのか。生きていることそのものが、グロテスクで、不自然じゃないのか。
 しかしこの医者、ヤブじゃないのか。少しの我慢てのはいつまでの我慢なんだ。死ぬまでか。

[初出]「幻視社」第ニ号(2006年、幻視社)。

東條慎生プロフィール


東條慎生参加作品
『北の想像力
《北海道文学》と《北海道SF》をめぐる思索の旅』