「かっこいい彼女 ~12.1秒の恋物語~」朱鷺田祐介

(紹介文PDFバージョン:kakkoiikanojyoshoukai_okawadaakira
 『エクリプス・フェイズ』日本語版翻訳監修者の朱鷺田祐介による「かっこいい彼女」をお届けしよう。

 とりわけ生活に密着したテクノロジーの進展に主題をあてるサイバーパンク以後のSFの面白さに、日常生活をそれまでとは異なる眼差しで眺め、異化させるといったアプローチが存在する(たとえば、ウィリアム・ギブスンの『パターン・レコグニション』など)。

 本作もまた、その系列に連なる一作で、日常をフィクションに昇華させ、また『エクリプス・フェイズ』的な解釈を加える過程で、独特の面白さが生まれている。筆者は『ラッカーの奇想博覧会』に収められたサイバーパンクの代表的作家の一人、ルーディ・ラッカーの東京滞在記を、どこか連想させると感じた。

 高度に情報化が進み、大規模ネットワークであるメッシュや、支援AI・ミューズが存在する近未来社会で、恋愛の模様はどのように変化するのだろうか。
 それまでの朱鷺田祐介作品とは、またひと味もふた味も違う切り口となっているが、クリスマスのお供に、本作を通してしばし未来社会の恋愛風景について思いを馳せてみてほしい。
 
 朱鷺田祐介はこの秋に開催されたゲームマーケット2014にて開始された「ゲームマーケット大賞」の選考委員をつとめ、またドイツのエッセンで開催された世界最大のボードゲームの祭典「SPIERL’14」のレビューを「4Gamer.net」に寄稿するなど、精力的に活動のスケールを広げている。
(岡和田晃)


(PDFバージョン:kakkoiikanojyo_tokitayuusuke

 かっこいい彼女を見た。

 これは恋の物語だ。
 たぶん。

 駅のホームで、かっこいい彼女を見た。
 こげ茶色の上下をまとった20代半ばの社会人らしい女性が、ホームにある階段横の低い壁にもたれかかっていた。ショートヘアでメガネはかけていない。センスのいい控えめの化粧。もたれかかり、軽く脚を交差させている。
 その自然体の風情が妙に印象的だった。
 わたしは、列車から降りたところだった。乗っていた車両は彼女の前をすぎ、一両分ほどホームの端についた。ホームから地下駅改札へと続くにある下り階段へ向かおうとした瞬間、彼女のその姿が目に入り、「かっこいい」と感じた。
 私はその前を通りすぎて、階段を下り、改札から仕事場に向かった。

 それが表面上の事実であり、その後、数日たった現在でも揺るぎない真実である。
 しかし、同時に支援AI(ミューズ)から見れば、事実はかなり異なる。ミューズの主人である「わたし」(男性、独身、性志向:異性愛)にとっては、「かっこいい彼女を見た」という一事象に過ぎないし、それ以上の事実は存在しないが、「わたし(彼)」を支援するアシスタント人工知能プログラムであるミューズは、「わたし(彼)」の微かな情動を感じ取って、表面化されなかった多くの行動を行うとともに「わたし(彼)」の複雑な思考や行為を記録している。
 それを時系列に沿って解析していくことにどのような意味があるのかはわからないが、きっとそれはある種の感情を励起するであろう。

 0.1秒、ミューズが常時スキャンしている周辺データの中で彼女の公開プロファイルがポップアップする。名前と個人情報はプライベート保護。混雑が予想される通勤列車の中ではよくある話だ。常時公開を求めるハビタット(宇宙居住区)も多く、社会通念上、公開モードが推奨されるが、プライバシーを優先する古臭い場所もある。日系の移民者が多数住むオニール型宇宙コロニーの集合体「Tokyo 23」もそんな街だ。日本風の奥ゆかしさかもしれない。かつての東京23区になぞらえた宇宙コロニーの中には21世紀の日本が残っている。
 気温や湿度も東京の四季に合わせてある。
 今は秋だ。11月下旬の東京。
 快晴。気温15度、湿度26%。北西からの乾いた風。風速4m毎秒。0・98G。
 遺伝子強化型義体の一般タイプであるスプライサー義体(モーフ)なら、十分に快適に暮らせるだろう。彼女が着装しているのもスプライサーで、外見上、特殊なインプラントは見受けられない。おそらく、彼女は真空での労働を想定していない地球型都市環境の住人である。
「わたし(彼)」は、二十年来使っているバウンサーだ。無重力空間での作業に対応した義体で、一昔前はハビタット技術者として暮らすためにはこの義体にするか、機械式の合成義体(シンセモーフ)にするしかなかった。まだ、生身にこだわりのあった「わたし」は大枚はたいてこの義体を購入した。すでに肉体的なピークを越えており、酷使した義体の老化が表面化しつつある。まもなく、新しい義体に乗り換えることになるだろう。「わたし」はその資金でずいぶん悩んでいたが、それはあくまでもこの話とは関係ない。関係あるとすれば、「わたし」が自分の年齢を自覚していたということだ。
 だから、「わたし(彼)」は「かっこいい彼女を見た」という事象を恋愛感情とは見なかった。自分と彼女の間にそのような関係が生まれることなど想像しなかった。

 だが。

 1.2秒。「わたし(彼)」の中の「かっこいい」はまだ続いている。
 ミューズは、すでに彼女が「わたし(彼)」のソーシャルネットワーキングシステム(SNS)のフレンドの中にいないことを確認している。彼女と「わたし(彼)」は生活圏の一部が重なっているだけの赤の他人だ。すれ違うだけ。そこに関係タグは存在しない。
 そう、彼女と「わたし(彼)」の間には何も関係ない。
 拡張現実環境(ARE)フィルターで遮断するほどの敵意もない。人によっては、外的社交環境を守るため、自分のフレンド以外の人の姿は「有意のコミュニケーションを行う場合」以外、意識から排除するように設定するが、「わたし(彼)」には路上観察の趣味があるので、外部感覚にフィルターをかけないようにしている。それで「かっこいい彼女」を目撃できたのであるから、AREフィルターをかけない自分にちょっとした喜びを感じた。

 2.5秒。「わたし(彼)」は階段に向かって歩いていく。そのため、「かっこいい彼女」への接近はまだ続いている。(秒速1.1m、彼女まで9m、8.01秒でその前を通過)
 彼女は「わたし(彼)」が降りた列車を一瞥しただけでそのまま階段の壁によりかかったままだ。まだ「かっこいい彼女」である。
「コンタクトしますか?」
 ミューズは提案する。GPS機能が彼女のIDを特定し、彼女をタグ設定の対象として認識する。このホームにいる誰にも知られることなく、彼女にメッセージを送ることができる。
 だが、「わたし(彼)」は否定した。
 彼女と「わたし(彼)」の間には何の関係もない。
 偶然、同じホームにいただけの偶発的な関係性。それは彼女と「わたし(彼)」の行動履歴が一瞬交差しただけでしかない。共有される志向タグはひとつもない。
 昔の映画やドラマなら、ホームで一目惚れして、という恋物語(事例参照数****)の始まりみたいな話……ではない。

 かっこいい彼女を見た。

 この一行に「わたし(彼)」は何を加算すべきなのか?
 下手に加算すれば、ただのストーカーだ。

 3.8秒。彼女まで7.7m。
 彼女はまだ「わたし(彼)」を見ない。
 ミューズは、顔認識ソフトウェアをひそかに起動し、彼女の人相から彼女の身元の特定を開始した。いつか「わたし(彼)」が彼女への感情を発露した場合に備えての行動だ。
 同時に、彼女のミューズと接触する。彼女本人が知れば不快に思うかもしれないコンタクトへの予備行動として、ノックする。彼女のミューズは彼女がそうしたコンタクトを受ける状態にないことを密かに答える。
 正確に言えば、同時に二つのミューズは互いの主人に対する膨大な情報交換を行っている。職業、趣味、性指向、人生のキャリア、生活スタイル、経済状況、消費傾向、現在着用している下着の色まで、交換している。ただし、双方ともプロファイル公開許可を与えていない。この出会いが恋愛に発展する可能性、その後の二人の人生への影響を高速でシミュレーションし、よい出会いであるならば、推進するためである。
 支援AIであるミューズは生まれた時から、トランスヒューマンの情報管理を行うために埋め込まれており、長年の関係から本人よりもよくその個人を知っている。
 例えば、彼女は見た目の通り、二十代後半の女性(魂(エゴ):女性、義体(モーフ):女性、性指向:異性愛)で、現在は固定された恋愛対象はいない。宇宙へのあこがれはあるが、現在勤めているハビタット公社の総務運営部門で十分に満足している。年の離れた従兄弟が宇宙船乗りで若いころには憧れたこともあるが、〈大破壊〉でその従兄弟が死んでから宇宙の危険性もよく分かっている。
 従兄弟へのあこがれの記憶は、おそらく宇宙用義体のバウンサーをまとった年上の男性=「わたし(彼)」への評価にはプラスに働くだろうが、日本人の比率が高い「Tokyo 23」の住人である彼女は宇宙へ向かう人々への精神的な距離がある。
 彼女は「性指向:異性愛」なので、義体が男性である「わたし(彼)」は交際対象の範囲ではあるが、従兄弟との外見的な共通点は有意の範囲には至らない。
 双方のミューズは彼女と「わたし(彼)」のソーシャル・ネットワークを徹底的に洗い直した。彼女はハビタット公社のオフィスワーカーであり、「わたし(彼)」はハビタット技術者として、公社の下請けに当たる。社会クラスターは近いようで遠い。彼女は宇宙作業技術者を直接指示する位置にいないし、職務も関連しない。双方の間に社交関係の交遊関係線を引くことが出来ないではないが、公社と下請けの関係を経由しない限り、間には最低4名の無関係な友人が入る。これは有意な関係とは言えない。年齢クラスターも職能クラスターも居住地クラスターも異なる。ただ、この駅において「わたし(彼)」は通勤のため、列車を降り、彼女は乗り換えのため、ホームを渡り、「わたし(彼)」が降りた列車に乗る。それも双方の勤務サイクルが異なるため、一週間に一度しか交差しない。何かの理由でどちらかが一本前後の列車に乗れば、ホームで互いを目撃することもない。
 彼女と「わたし(彼)」はそこまでだ。
 発展の余地はない。

 5.3秒。彼女まで6.1m。「わたし(彼)」は彼女への接近を続けているが、他の通行人とぶつからないように彼女から目を離した。荷物を引き寄せ、安全な距離を保つ。
 ミューズはこのまま、「わたし(彼)」の意識から「かっこいい彼女」の記憶が消えれば、タスクから彼女の情報収集を排除できると考える。
 しかし、双方のミューズは彼女と「わたし(彼)」の関係について、議論し続けた。
「わたし(彼)」はあくまでも一風景として見た「かっこいい彼女」を失わずに歩いていたからだ。「わたし(彼)」は決して今の彼女を見てはいない。あくまでも通勤の途中の一瞬の感動に過ぎないと思い、通勤ルートをスマートに移動しようとしていた。
 宇宙で働く「わたし(彼)」はリアリストだ。
 オフィスワーカーと思われる若い女性の姿に一瞬見とれる自分を若いなと笑い、忘れ去って今日の仕事に向かうだけの分別がある。たとえ、今、ここで「かっこいい彼女」に声をかけてもどうにもならないことを想定済みだ。いや、この5秒の間に7回のシミュレーションを行った上、「わたし(彼)」は分別ある大人の男性として、彼女から目をそらし、ホームを抜けて(彼女の前を通り抜けて)階段から改札に抜け、仕事へ急ぐことに決めていた。
 実際、「わたし(彼)」は一瞬の風景として「かっこいい彼女」を見ただけで、それを恋愛感情だとは思っていない。「わたし(彼)」は数年前、コロニー外壁の修復の際に事故で外壁から弾き飛ばされ、20時間に渡って宇宙空間を漂ったことがある。最終的には宇宙服のスラスターを制御し、コロニーに帰還したが、その際のトラウマから精神制御を強化する強化プログラム「禅」をインストールしており、孤独への耐性がある。社交関係に依存しないように精神が強化されているのだ。「わたし(彼)」は決してホームシックにならないし、数ヶ月であれば、誰かと会話しなくても精神疾患を患ったりしない。
 だから、「わたし(彼)」は「かっこいい彼女」を見たという感動を表に出さなかった。
 彼女はハビタット公社の総務部門で働くため、非言語的な意志表現を読み取るキネシクス技術に長けていたが、通勤のホームでそれを駆使するつもりなどなく、年上の宇宙技術者である「わたし(彼)」を見てもその内在的な感情に気づくことはなかった。
 双方のミューズは主人に告げることなく、情報交換し、主人たちが交際する可能性を検討し続けた。メッシュ内の仮想現実にエリアを設定、彼女と「わたし(彼)」の恋愛を最高速度でシミュレートした。行動心理学と遺伝子工学の双方からマッチングテストを行い、七代先までの子孫の遺伝的傾向まで推測した。
 出会いに成功したならば、72・1%の確率で彼女と「わたし(彼)」は有効な関係を築き、子孫は遺伝的に向上したししつを受け継ぐだろう。彼女の社交性と「わたし(彼)」の技術的な才能は「Tokyo 23」に有益な効果を生み出すだろうし、ハビタットの危機管理能力を0.2ポイント向上させる。彼女が古典的な結婚関係を望んだ場合、「わたし(彼)」はその候補として十分な素養を持つ。
 だが、それは分析でしかない。

 8.8秒。彼女まで2.2m。「わたし(彼)」と彼女の距離は微修正され、「わたし(彼)」は彼女にぶつからないように少しだけ傾斜してその前を通り抜けていく。振り返って彼女の顔を見たりはしない。秘めた気持ちを気づかれたくなかったからだ。
 9.7秒。足早に彼女の前を通り過ぎ、階段へと向かう。「わたし(彼)」の禅プログラムと大人の自制心は有効に働き、彼女のキネシクス技能は何も気づかない。
 11.2秒。階段を下るべく折り返した拍子に「わたし(彼)」は彼女の横顔をもう一度見る。「かっこいい彼女」のキーワードが「わたし(彼)」の意識の中で点滅する。彼女のミューズは「わたし(彼)」の視線に気づかせるかどうか、検討したが結局、有意ではないとして、それを見送った。
 12.1秒。「わたし(彼)」は階段を下り続け、彼女は視界から消えた。「わたし(彼)」は少しだけ残念に思ったが、禅プログラムが社交関係への依存を軽減していたので、「わたし(彼)」は今日の仕事に意識を移し、「かっこいい彼女」の件を意識の外に追いやった。
 ミューズは彼女に対する情報収集を停止し、本来の業務に戻った。

 それが事実だ。
 だが、「わたし(彼)」のミューズは彼女のミューズとの接続を切らなかった。双方の情報が交換され、有意の状況が生じるまでストックされ続けた。主人に対する公開許可を得ないまま、彼女と「わたし(彼)」のミューズは交流し、シミュレーションを続けた。

 数ヶ月後。
 わたしはかっこいい彼女を見た。

(終わり)



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ライセンスの詳細については、以下をご覧下さい。
http://creativecommons.org/licenses/by-nc-sa/3.0/

朱鷺田祐介プロフィール


朱鷺田祐介既刊
『魔都紅色幽撃隊
FIREBALL SUMMER GIG』