「怖くないとは言ってない」―第十二回 さよならだけが人生さ― 牧野修(画・YOUCHAN)

(PDFバージョン:sayonaradakega_makinoosamu
 出会いがあれば別れがあり、始まりあれば終わりもございます。皆様いかがお過ごしでしょうか。というようなわけでございまして、今回十二回目をもって『怖くないとは言ってない』を終了といたします。ずっとご愛読いただきました方はもちろん、今回だけちょっと覘いてみたあなたに、これから読んでみようかと思ったあなたも。本当に本当にありがとうございます。そしてありがとうございました。
 というわけで最終回はホラーらしくこの世の終わり特集だ!
 このコラムでも何度か紹介した、綾辻行人さんと共著のホラー映画ご紹介本『ナゴム、ホラーライフ』でも、最終回は『世界の終わりのサヨウナラ』。この世の終わり関連のホラーを集めてみた。その時とできるだけ重ならないように紹介するつもりではありますが、それでもどうしても紹介しなければならないのが、一連のゾンビものだ。
 ゾンビはその成り立ちから、ハッピーエンドで終わりにくい怪物だ。それはゾンビが疫病や死そのものと同じ、決してなくならない恐怖だからだ。ドラキュラ伯爵を倒してすべてが終わり、というようなラストはどうしても望めない。たとえば元祖ロメロ『ゾンビ』はシリーズ通して終末感に溢れている。人類の存亡を懸けた戦いはあまりにも絶望的なので、すぐに駄目だこりゃ、という気分になる。だがそれでも人類は生き残ることになる。ロメロの創作意欲が衰えるまでは。
 テレビ番組のウオーキングデッドはシーズン4を好評放映中だ。この世界でもまだまだ人類は滅びていない。人類がゾンビ同様、瀕死状態を続けることが人気ゾンビシリーズものの宿命のようだ。
 絶滅するぞ、絶滅するぞ、と煽りつつ絶滅しない詐欺。閉店大売り出しを何年も続けているようなものが、終末前夜を延々と続けるゾンビものなのだ。しかし人間というものは、そんなに緊張したままでいられるわけじゃない。ゾンビがいる生活にもやがては慣れてしまう。というわけで、最近では終末をやり過ごし、ゾンビと共存している世界の日常を描くのが人気のようだ。そこで人類はゾンビを執事にしたり(ゾンビーノ)や、ゾンビを恋人にしたり(ウォーム・ボディーズ)ゾンビとの友情をはぐくんだり(ゾンビ・ヘッズ 死にぞこないの青い春)して、ゾンビライフを謳歌している。
 その手の先駆け『ショーン・オブ・ザ・デッド』は、親友がゾンビになってもほとんど日常に変化がありませんでした、という話。コメディだけどね。ゾンビが現れようと日常というものはとても強固だというわけで、最近はゾンビものでも終末とはあまり関係なかったりもする。
 ではゾンビに変わって死や疫病の暗喩として使われるものは何か。
 そのひとつの解答が『リング』や『呪怨』といった、呪いや穢れが感染拡大していくJホラーのパターンだ。
 このパターンでびっくりしたのは『リセット』。タイトルからすると「同じ時間を何度も繰り返す」タイプの映画かと思うでしょ。ところがまったく違うのだ。
 ある日突然世界規模の大停電が起こり、同時に人類が次々に姿を消していく。そんな世界に生き残った四人の男女のサバイバルがこの物語だ。
 停電は復帰することがなく、しかも日照時間がどんどん減っていく。闇は次第に町を、世界を呑み込んでいく。人が消えるときは闇に呑まれ、服や靴だけを残していなくなる。まさしく消失だ。何故こんな事になったのか。どうやったら救われるのか。四人は必死になってそれを探り生き残ろうとする。
 まさにこの世の終わりを描いたホラーだ。そしてこの映画の何に驚いたかというと、『リセット』の世界は黒沢清監督の『回路』の世界そのものだったのだ。そっくりのシーンまであって、続編と言われても納得できるぐらいだ。『回路』にはハリウッド版リメイク作『パルス』があるのだが、それ以上に『回路』の衣鉢を継いだ秀作なので、黒沢ファンは参考までに見てくださいまし。
 『リング』も「呪いの感染」系列の話なのだが、この、オカルト的な理論とそれによって導かれる推理と結論のおもしろさを継いだ作品は、これまた亜流として山のようにある。『着信アリ』もその系列で、こっちはさらにその子供をたくさん産んだ。携帯電話で呪いが広がる話はごろごろと転がっている。
 そんな、『リング』をビッグダディとした子供たちの中にも、掘り出し物の秀作がたくさんある。『ゴメンナサイ』もそのひとつだ。原作はいわゆるケータイ小説で、こちらも読んでみた。悪くはなかったが、映画の方が(オカルトホラーとしての)完成度は高い。
 学年トップで成績優秀な女子高生黒羽比那子は、文芸コンクールで入賞した文才の持ち主だ。だが性格は暗く不気味。そのために虐められていた。
 ホラーなのだから当然彼女がウラミハラサデオクベキカと復讐を始めるのだが、その方法が素晴らしい。悪魔を呼び出したり(『デビルスピーク』元祖PCによる悪魔召喚)地獄から少女を呼び出したり(『地獄少女』実写版もあるよ)超能力を発揮したりする(もちろん『キャリー』です)のではない。彼女はそのたぐいまれな文才を使い、読むことによって感情と生理を誘導し、過呼吸や呼吸困難に陥らせる文章を作り出すのだ。
 かなりSF的なこの設定からどんどんオカルト方向へと話は進むのだけれど、メタな構造になり、モキュメンタリー要素も加わり、映画に出演しているアイドルたちの挨拶が映画冒頭に入っているのだけれど、そこまで巻き込んで物語は語られる。
 あまりハードルを上げてしまうのも問題なので、あまり期待しないで見ると傑作! なのでございますよ、と最後はちょっと弱気。

 この世の終わりはSFと馴染みが良いみたいで、そっち方面には『渚にて』を初めとした核戦争ものの良作がたくさんある。『ディヴァイド』もそのひとつだ。いきなり核戦争らしきものが始まり、混乱の中でニューヨークの地下シェルターへと逃げ込んだ人たちの物語だ。何故か突然防護服を着て武装した兵士たちが扉を押し破り乱入、唯一の子供を攫って出て行く。兵士たちともめたあげく一人を殺し、何があったのかとシェルターから外に出ると、そこは閉鎖され幾重にも防壁が作られ仮施設のようなものまでが建てられている。そこで武装した兵士たちに見つかり必死で逃げ帰ると、今度はシェルターの扉を外から溶接されて閉じ込められてしまう。中に残されたのは八人の男女。
 殺した兵士の死体は腐っていく。体調が悪くなる。毛が抜ける。吐き気がする。放射能障害? 外はどうなっているのかさっぱりわからない。食料も水も大量にあるのに、独り占めしようとするものが現れるのは、これがいつ終わるのかがわからないからだ。八人の男女は心と体が徐々に蝕まれていく。生きながら腐って、やがては殺人にまで発展していく。
 滅亡後の世界が、マッドマックスみたいなモヒカンの暴れ回る世界でなかったとしても、ぐずぐずと駄目になっていく人たちが絶望を生んでいくという物語なので、心に余裕があるときにご覧くださいまし。ラストもしっかりと絶望的だ。

 シェルターを題材にすると、どうしても重苦しい話になってしまうのか『テイク・シェルター』も辛く苦しい話だ。
 お父さんがおかしくなっちゃった! というのはアメリカンホラーの定番だ(『シャイニング』や『悪魔の棲む家』など有名どころだけでもたくさんある。つい最近も『ハウンター』というなかなか見応えのあるおかしくなったお父さんのホラーがありました)。これが日本だと、お母さんがおかしくなっちゃうのが楳図かずお以来の伝統なのは何故だろうか。誰か教えて。
 で、『テイク・シェルター』の話だ。この世の終わりの恐ろしい映像を夜毎に見るようになったお父さんが、それを天変地異の予兆であると判断し、憑かれたように庭に避難用シェルターを作り始める。家族にとってこれほど迷惑な話はない。彼の世界崩壊の感覚は統合失調症的な世界なのだけれど、それによって男が壊れ、家庭が壊れていく様子はとてもリアル。一人の病者のドキュメンタリーと思えるほどだ。狂った夫に怯えながらも(病者として)彼を理解し、献身的に対応していく妻の態度は感動的で、時折まともになり、俺は狂っているのだろうか、と迷う夫は哀れで切ない。ラストに超高速でフィクションへと物語は揺り戻される。それに納得できるかどうかは、あなた次第です。いやほんと。

 2010年のクロアチア映画『101日(原題:Show must go on)』は、TVプロデューサーが「六組のカップルを一軒の家に閉じ込めて180日間すごさせる」という番組を始める。生活は二十四時間生放送されるのだが、放送を始めて四十日を過ぎた頃、悪化した世界情勢が破綻し核戦争が始まる。しかしプロデューサーはそれを知らせず、番組を続けさせる。これまた絶望的な状況の映画なのだが、舞台は現代で近未来というわけでもない。『ディヴァイド』が2011年作品。『テイク・シェルター』も2011年。テロリストが全米三都市に核爆弾を仕掛けたというポリティカルサスペンスの秀作『4デイズ』が2010年。
 この時期世界では核戦争が起こりそうな気配に満ちていたってこと? 何があった2011年。もしかしたらこの年にこの世は終わっていて、わたしたちは死後の世界に生きているのかもね。

 鳥たちが突然人類を襲い始めるヒッチコックの『鳥』を、希望を見いだせない人類絶滅終末ものとするのも、大きな間違いではないだろう。ラスト、道路を埋めた鳥の群れの中を、刺激しないようにゆっくりと車が進んでいくラストに希望は感じられない。
 鳥が何故突然人を襲いだしたのかの説明は一切ない。だからこれがオカルトなのかSFなのかと聞かれたら返答に困る。その『鳥』の直系の子孫に1976年制作のスペイン映画『ザ・チャイルド』はある。
 これは『鳥』がそうであるように、タイトルまんま、スペインの孤島に住む子供たちが突然意味もなく大人たちを襲い始めるホラー映画だ。永井豪世代にわかりやすく説明するなら逆ススムちゃん大ショックである。よけいわかりにくくなったような気もする。
 その島の子供たちはみんな大人を皆殺しにしようとする怖ろしい子供たちなのだが、遠くからやってきたまともな子供が、その島の子供たちと接しているうちに、感染したかのように大人を襲うようになる。
 子供たちが大人殺しへと変質する時、楽しそうに笑い出すのだが、これが怖い。ラストはこの事件が小さな島からスペイン全土、つまりは世界中へと広がっていくことを示唆する。鳥と同じく絶望的なラストだ。

 もっとぐんとオカルト寄りで何かあったなと考えていて思い出したのは『マウス・オブ・マッドネス』。ベストセラー作家のサター・ケインが失踪する。出版社の依頼を受けた保険調査員のトレントは、ケインを探すために彼の小説の舞台となった町へと向かう。まさかそれが人類滅亡の扉を開くことになるとは知らずに。というわけで、これがなんと、ジョン・カーペンター監督による邪神召喚映画の傑作なのだ。
 そう言えばカーペンター監督は世界の終わりが好きなのか『パラダイム』という宇宙的規模の災厄によるオカルト的終末も撮っている。いわゆるコズミックホラーという、これまたクトゥルフ神話系列の壮大なホラーだ。悪魔にゾンビ、物理学や哲学と、盛り込みすぎて少し話がわかりにくいのが欠点だが、不思議な閉塞感と絶望感に溢れる魅力的な作品であることは間違いない。
 そういえば『遊星からの物体X』も結局は人類滅亡を示唆して終わっていた。ついでに監督は終末感溢れる短編映画で『世界の終わり』というタイトルの物も撮っている。実際にこの世が滅びるわけじゃないけれどね。
 こうやって作品を並べると、カーペンターはやっぱり世紀末の作家なんだなあと思う。もう新世紀を迎えちゃったけど。

 オカルトで世界の終わりと言えば、北欧神話の「神々の黄昏」に「ヨハネの黙示録」と、終末予言だらけだ。こういった黙示録的終末を描いたオカルトホラーも沢山ある。
 有名なところでは『オーメン』三部作が、この世の終わりをもたらす〈子供=獣〉の誕生と成長の物語だ。かわいらしいダミアンは美少年へと成長し、三作目でみんなをがっかりさせたことで有名である。ちなみに『ターミネーター』のジョン・コナーと合わせて二大ガッカリ成長後と言われている、っていうか今言ってみた。
 『V/H/Sネクストレベル』というホラー・オムニバス映画がある。前作『V/H/S』がヒットしたのだろう。その続編である。
 いわゆるPOV作品――『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』で有名になった、その映像を撮っている誰かが存在する一人称視点の作品の事――を集めたオムニバスだ。手持ちカメラの画面がぐらぐら揺れるので、酔いやすい人は危ないので見ない方がいいかも。
 このオムニバスの中に『SAFE HAVEN』という、危険なカルト宗教を題材にした短編が入っている。
 新興宗教『天国の門』を取材しに彼らの施設を訪れた撮影班は、養われている子供たちの様子も含め、かなり危険なカルト集団であることを確信する。
 その取材の途中で、司祭は「その時が来た。わたしに従え」と館内放送を始めたかと思うと、自ら半裸になって取材班に襲いかかり喉を裂いて殺してしまう。そして放送を聞いた信徒たちは次々と自らの命を絶っていく。
 サイレンが鳴り響く中、死者は蘇り悪魔は復活する。この世の終わりが始まったのだ!
 いやあ、これは面白かったですよ。おそらく人民寺院事件をモデルにしていると思うのですが、カルト宗教の恐ろしさを存分に味わえます。味わいたくはないかもしれないけど。
 同じホラー・オムニバスに、超短編を集めた『ABCオブデス』という作品がある。これはAからZまでの文字で始まるタイトルをつけた五分間の作品が一杯入っているホラー福袋である。
 最初の短編がA=アポカリプス(黙示録)というタイトルで、ゾンビ化した夫をなんとかして殺そうとする奥さんの話だ。詳しい説明はないが、どうやら最後の審判の日が近づき、死者が蘇りだしたようなのだ。妻は愛情から夫に留めを刺そうとしていたらしい。二人してこの世の終わりを窓から眺めるラストは少し切ない。
 この『ABC・オブ・デス』はなかなかに面白い作品が多く、ひたすら犬と闘う『ドッグファイト』や素晴らしくグロいクレイアニメ『トイレ』、その手の人(どの手の人だ)には堪らない着ぐるみが出てくる『水電拡散』など見所が多い。私が一番気に入ったのは、前述した『V/H/Sネクストレベル』で「天国の門」の司祭を怪演していた俳優が出ていた『性欲』だ。退廃的でグロテスクで、とびきりフリーキーな短編は見る人を選ぶだろうけど。詳しい内容はここで紹介しづらいので、後で個人的に聞きに来て下さい。

 さて、カルト宗教の終末映画に話を戻そう。『ビリーバーズ』は副題が『戦慄のカルト教団』とある、文句なしのカルト宗教ホラーである。
 交通事故の通報を受けて出掛けた二人の救命士が、“クアンタ・グループ”というカルト集団の施設へと拉致される。事故に遭ったのは、この施設から逃げだそうとした母娘だったのだ。
 クアンタ・グループは数式を経典のように崇め、世界の終わりの前に「反対側の宇宙」へと脱出することを計画している疑似科学的なカルト集団だ。
 最初はただのインチキ宗教だと思って観ていると、死者が蘇ったり、ちょいと不思議なことがあれこれと起こって、それなりに彼らの主張にも真実があるようなSF的展開もあり……。
 この映画なんかは、最初からオチはカルト教団という名の異常者から逃れる、逃れられないの二択か、そうでないならカルト教団が正しかったというオチしか考えられないから、まあぎりぎり終末ものとして取り上げても構わないような気がするが、中にはそれが終末ものであった、ということが丸々オチになっている作品もあるので、紹介は難しい。
 邦画では唖然とするラストでおなじみのあの哀川翔主演作品とか、まさかこれのオチがこんなことだったなんてという温水洋一主演作とか、終末ものとして説明すること自体がネタバレになってしまうものは多い。
 そんなことをあまり気にしない人も意外とたくさんいるようで、時折『意外なオチの映画特集』なんていうのをやっていたりする。そんな映画ほど、まっさらな気持ちで見たいのだ! と心の中で叫んでいたりする。しかしそれがよくできた映画であればあるほど、人にその面白さを伝えたくなるのも良くわかるんですけどね。

 さて、いよいよ終わりの終わりです。
 前回散々感謝しまくっていますが、本当に皆様ありがとうございました。わたしのホラー好きはなおらないので、ずっとずっとホラーは見続けるとは思います。皆さんも不出来な奴だったとしてもホラー映画を可愛がってやってくださいまし。そしてさらに愛情に余裕がおありでしたら、牧野の小説も可愛がってやって下さい(目が真剣)。
 ではまたどこかでホラーとともにお目にかかれる日を楽しみにしております。
 さようなら。ありがとう。

ゾンビ

ウオーキングデッド

ゾンビーノ

ウォームボディーズ

ゾンビ・ヘッズ 死にぞこないの青い春

ショーン・オブ・ザ・デッド

リング

呪怨

リセット

回路

パルス

ゴメンナサイ

渚にて

ディヴァイド

マッドマックス

マッドマックス2

テイク・シェルター

シャイニング

悪魔の棲む家

101日

4デイズ

ザ・チャイルド

ススムちゃん大ショック

マウス・オブ・マッドネス

パラダイム

遊星からの物体X

オーメン

ターミネーター

V/H/Sネクストレベル

ブレア・ウィッチ・プロジェクト

ABC・オブ・デス

ビリーバーズ

牧野修プロフィール
YOUCHANプロフィール


牧野修既刊
『呪禁官
百怪ト夜行ス』